岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2019/01/02

おはよう! 岡田斗司夫です。

今回は、2018/12/16配信「【アポロ月着陸50周年記念】ロケット開発の歴史は、堀越二郎のゼロ戦から始まった!」の内容をご紹介します。
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2018/12/16の内容一覧


「ファーストマン」ことニール・アームストロングの人生

 じゃあ、「ファーストマン」ことニール・アームストロングの人生というのを、これから語って行くんですけど。
 まず、どこから説明しようかと思った時に、やっぱり、ここから話すのが話が早いなと思ったのが「零戦」(レイセン)なんです。
 まあ、「ゼロ戦」と言った方が世間的には通りが良いんでしょうけども。

 「零式艦上戦闘機21型」は、『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎が生涯のすべてを掛けて開発した第2次大戦の傑作機です。
 高度6000mまで上昇するために必要な時間は、なんと7分! これ、どんなことかというと、当時、零戦のエンジンよりも20%くらい性能の良いアメリカの戦闘機は、高度6000mまで上っていくのに12分掛かったんですよ。それに対して、零戦は7分しか掛からない。
 おまけに、同時期のアメリカの戦闘機の航続距離が、なんとか1000km行くか行かないかという時に、こいつは、機体下部に燃料タンクを付ければ3300kmも飛んだという、もう、バケモノのような飛行機なんですね(笑)。

 なんでそんなバケモノのようなものを作れたのかというと、極端なまでの軽量化。
 「弾が当たっても知らん。その時は最後だ。だって、海軍の仕様書にはそんなこと書いてねえから」と堀越二郎は言ってたそうなんですけども(笑)。
 そこまでの極端な軽量化によって、ものすごい性能を実現した。そういうバケモノのような飛行機です。

 この零戦のあまりの高性能によって、大日本帝国海軍は夢を見ちゃうんです。
 「この飛行機があれば、太平洋のど真ん中の空母という安全な後方から、零戦や、これの爆撃機とかを発進させて、ハワイの真珠湾を襲えるんじゃないの?」と、彼らは考えちゃったんですね。
 そして、本当にそれをやっちゃったんです。

 1941年12月8日の日曜日、日本海軍は真珠湾を奇襲攻撃をしました。
 このニュースは、一瞬でアメリカに流れました。

 当時、その奇襲攻撃があった日に11歳になっていた少年のニール・アームストロングは、アメリカのど真ん中にあるオハイオ州で、お父さんの手伝いとして裏庭で薪を割ってたんですけど。
 お父さんが、ものすごい勢いで「ニール、こっちに来い!」って言うんですよ。呼ばれたニール少年が走って行くと、お父さんはラジオのツマミを上げました。すると「今、真珠湾を日本が奇襲攻撃を掛けている! 我が国は宣戦布告を受けていない!」ということを言っていたんです。
 お父さんも興奮して走りまわっています。このお父さんは、ちょっと変人で、山の上の一軒家に家族で住んでたんですけど。車で街へ降りてみると、街中も大騒ぎでした。

 これは、ニール・アームストロングが自伝の中で書いてるんですけど。「その日から、とにかくアメリカ中の街の様子が変わった」と。それまでは普通に生活していたのに、ありとあらゆるポスターがすべて「戦争絡み」になって行ったそうなんですよ。
 新聞とか雑誌はもちろん、例えば、町内会の回覧板みたいなやつから「ダンスパーティをするぞ」という普通のポスターまで、全部どこかに軍人が描いてあったり、爆弾が描いてあったり、戦闘機が描いてあったりするようになった、と。
 そんなふうに、アメリカ中が戦争一色にバーっと変わって行ったそうです。

 たぶん、アメリカの歴史の中で、このように「一瞬で世界が変わった」ということが、これまで3回あるんです。
 その1つ目が日本による真珠湾攻撃なんですよ。
 2つ目が、ソ連が人工衛星スプートニクを打ち上げた時。これも、やっぱり「アメリカが一夜にして変わった」と言われてます。
 そして、3つ目が、「9.11」。世界貿易センタービルへのテロ攻撃なんですね。
 この3つが、アメリカが一夜にして変わり、それまでの風俗とか、言われていたことが丸々ゴロッと変わっちゃった事件なんですけど。

 お父さんに呼ばれてラジオを聞いた、11歳のニール・アームストロング少年はビックリしたんですけど、それから4年間、アメリカは「なにかというと戦争の話題しか出ない」という「戦争漬け」の状態になったんですね。

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