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岡田斗司夫プレミアムブロマガ「『千と千尋の神隠し』~宮崎駿が描いたテーマと鈴木敏夫が隠したモチーフを発掘する」
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岡田斗司夫プレミアムブロマガ「『千と千尋の神隠し』~宮崎駿が描いたテーマと鈴木敏夫が隠したモチーフを発掘する」

2019-11-30 07:00

    岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2019/11/30

     今日は、2019/11/10配信の岡田斗司夫ゼミ「『千と千尋の神隠し』を読み解く13の謎[後編]」から無料記事全文をお届けします。


     岡田斗司夫ゼミ・プレミアムでは、毎週火曜は夜7時から「アニメ・マンガ夜話」生放送+講義動画を配信します。毎週日曜は夜7時から「岡田斗司夫ゼミ」を生放送。ゼミ後の放課後雑談は「岡田斗司夫ゼミ・プレミアム」のみの配信になります。またプレミアム会員は、限定放送を含むニコ生ゼミの動画およびテキスト、Webコラムやインタビュー記事、過去のイベント動画などのコンテンツをアーカイブサイトで自由にご覧いただけます。
     サイトにアクセスするためのパスワードは、メール末尾に記載しています。
    (※ご注意:アーカイブサイトにアクセスするためには、この「岡田斗司夫ゼミ・プレミアム」、「岡田斗司夫の個人教授」、DMMオンラインサロン「岡田斗司夫ゼミ室」のいずれかの会員である必要があります。チャンネルに入会せずに過去のメルマガを単品購入されてもアーカイブサイトはご利用いただけませんのでご注意ください)


    本日のお題『千と千尋の神隠し』残り10の謎

    nico_191110_00005.jpg
    【画像】スタジオから

     こんばんは、11月10日の岡田斗司夫ゼミです。
     あの、今日ね、長いですよ本当に。一応、放送の時にはレジュメを用意しているんですけど、今日は37枚だから、たぶん、過去一番長い回になりますね。長い回の1つと言ってもいいんですけども。
     だから、途中でトイレ休憩とかを入れますので、すみません、皆さんも長期戦を覚悟して見てもらえればありがたいなと思います。
     一応、無料枠の方は、それでも35分か40分くらいで終わるつもりなんですけど。先週に話した謎を最後まで全部、有料を使って話し切るつもりですので、そのくらいになると思っておいてください。

     あと、先週から夜7時、19時からのスタートになったんですけど、大丈夫ですね? 今週のガンダム講座も夜7時からになります。
     ちょっと先週、告知するのを忘れてたんですけど、次回のガンダム講座だけ、火曜日ではなく水曜日になります。13日の水曜日にガンダム講座をやりますので、皆さん、時間を合わせてください。よろしくお願いします。
     まあ、生で見れなかった人は後で録画で見ていただければ。

     来週は、久し振りに雑談特集をやります。
     先週、今週と、ちょっと濃い目の話をしたので、来週は雑談をやりますので、お便りとか質問とかあれば、僕のメールアドレスの方によろしくお願いします。
     まあ、お便りが来れば来るほど雑談がやりやすくなるので、そこら辺は協力して頂きたいと思います。

    ・・・

     じゃあ、前回のおさらいから行きましょうか。
     『千と千尋の神隠し』なんですけど。一応、前回「こんなふうに、14の謎があるぞ」と話しました。

    (パネルを見せる)

    nico_191110_00201.jpg
    【画像】14の謎のパネル
    1. 不思議な世界の謎
    2. 湯婆婆の謎
    3. ストーリーの謎
    4. 神隠しの謎
    5. 油屋の謎
    6. メガヒットの謎
    7. ジブリの謎
    8. 神様の謎
    9. 海原電鉄の謎
    10. カオナシの謎
    11. 銭婆の謎
    12. ハクの謎
    13. 「振り向いてはいけない」の謎
    14. 両親の謎

     前回は、そのうちの4つを話しました。まあ、4つ話したところで、まあ本当に時間いっぱいになっちゃったんですけど。

     1つ目の謎は「不思議な世界の謎」。
    (パネルを見せる)

    nico_191110_00247.jpg
    【画像】街の構造図

     これ、『千と千尋』のロマンアルバム(『ロマンアルバム 千と千尋の神隠し』徳間書店、2001年)に載っている街全体の構造図なんですけど。
     「千尋達が一番最初に階段とかを上って、街に入っていって、油屋に行って~」という、街の全体の構造図がこの本には載っていて、すごく便利だったので、ちょっと今回、紹介してみました。
     前回では、冒頭16分をすごく細かく話しました。無料放送のうちの半分くらいがこの街の話で「この街では、現実の10分の1の速度で時間が進む。だから、この世界の中で1日1ヶ月と過ごすと、まあ10日10ヶ月以上の時間が経ってしまう」という話もしました。
     あとは「この街は、神様の世界と人間の世界の狭間にある」ということも、先週、話しました。

     2つ目に話した謎が、これも先週の無料放送で話したやつなんですけど、「湯婆婆の謎」。
    (パネルを見せる)

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    【画像】湯婆婆と銭婆

     このイメージボードを見ればわかる通り、湯婆婆と銭婆というのは、双子の姉妹という設定になっているんですけど。
     ここでは「湯婆婆は、実はホワイト企業を運営していて『もののけ姫』のエボシの成れの果ての存在ではないか?」という話をしました。そして「それは、かつては理想もあった、鈴木敏夫や宮崎駿自身の成れの果ての姿でもある」という話もしました。
     つまり、昔は『もののけ姫』のエボシのように、自分なりに理想もあって、他人に何か命令したりする時もちゃんと理由があったのが、どんどん歳を取るにつれて暴君となっている。そんな自分自身や鈴木敏夫の姿を、この湯婆婆の中に入れているという話をしました。

     3つ目は「ストーリーの謎」として『雪の女王』とか『霧のむこうのふしぎな町』『ハリー・ポッター』などとの共通点の話をして。

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    【画像】空の穴 ©朝日新聞社/テレビ朝日/KADOKAWA/アスミック・エース

     4つ目に「神隠しの謎」として前回話したのが『銀河鉄道の夜』の中に出てくる「空の穴」というブラックホールのような存在ですね。
     これは、現実にも存在している、石炭袋とも呼ばれる、天の河の中にあるコールサック星雲というものなんですけど。

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    【画像】石炭 © 2001 Studio Ghibli・NDDTM

     油屋では、そこで取れた物質から出来ている石炭を使って炉を沸かしている。この石炭がものすごく重いのは、これが暗黒物質で出来ているからだ、と。
     そして、こういう暗黒物質を大量に貯め込んでいるので、油屋の周りの時空は歪んでて、10分の1の時間しか流れない。この辺を有料枠で話しました。

    ・・・

     今回、さっきの14の謎はあまりにも多いので、ちょっとまとめて、13の謎にしたので、残り9個になりました。

    (パネルを見せる)

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    【画像】残り9個の謎
    1. 不思議な世界の謎
    2. 湯婆婆の謎
    3. ストーリーの謎
    4. 神隠しの謎
    5. 油屋とジブリの謎
    6. ハクの謎
    7. 両親の謎
    8. 神様の謎
    9. 海原鉄道と釜爺の謎
    10. カオナシの謎
    11. 銭婆の謎
    12. 「振り向いてはいけない」の謎
    13. 誰も知らないハッピーエンドの謎

     まあ、おわかりの通り、「油屋とジブリの謎」とか「海原鉄道と釜爺の謎」とか、ちょっとまとめることで数を減らしましたけど、内容は全く減っておりません(笑)。
     こんな感じにしてみました。よろしくお願いします。
     ということで、一番最初に、油屋とジブリの謎から行きましょう。

     ちょっと待ってね、ここまでの説明であたふたしてるから、これ今日は大変だぞと思ってるんで、一息つかせてください。
     大丈夫かな? もう本当に、これだけでも放送2回分くらいあるんですけど。まあ、その分、来週は楽をするつもりなんですけども。

    「俺たちの仕事はこの油屋!」という宮崎駿のメッセージ

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    【画像】スタジオから

      じゃあ行きましょう。油屋とジブリの謎です。
    (パネルを見せる)

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    【画像】油屋イメージボード

     これ、イメージボードに描いてある油屋ですね。主人公の千尋が、送り込まれるというか働くことになる油屋のイメージボードです。
     壮大な和風建築みたいに見えます。しかし、よく見ると、この下半分というのはコンクリートで作られているんですね。

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    【画像】油屋ペントハウス

     そして、この上半分は豪華に見えますけど、これは全部、湯婆婆のペントハウスなんですよ。上半分のすごくカッコいい部分って、言っちゃえば、昔の帆船の船長室とか『宇宙海賊キャプテンハーロック』の艦長室みたいなもので、艦長室だけがやたらと豪華な建築なんですよ。
     これ、すごく綺麗に見えるんですけど、実はお客さんが飲んだり遊んだりする場所というのは狭い区域に限られていて、それ以外の豪華な部分というのは、ほとんど湯婆婆のペントハウスになっています。

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    【画像】油屋の厠

     ちなみに、初期案では、この位置に……わかるかな? ここに張り出しみたいなものがあるのわかりますか?
     これ、何かというと「厠」と書いてあって、ポットン便所なんですね。
     この位置にトイレがあって、ここからうんちとかおしっこがポトンと落ちるようになっているんですけど。こんなふうになっています。

     これを横から見るとどうなっているのかというと、これも宮崎駿が初期のうちに描いていたイメージボードがあります。
    (パネルを見せる)

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    【画像】油屋全体図

     さっき話したように、この壮大にカッコいい部分というのは、湯婆婆のペントハウスなんですけど。ここには「客室」と書いてあります。
     これ、宮崎駿が初期に描いたもので、まだ、上の部分に湯婆婆のものすごく豪華な部分が乗ってないんですけど。下半分は、さっき言ったようにコンクリート造りなんですね。
     大門から入って、お風呂場の部分が全て吹き抜けになっていて、その周りに客室がついていて、裏側に従業員の宿舎が張り付いているというような構造になっています。
     1階に番台と風呂場があって、2階部分は全て吹き抜け。3階と4階は吹き抜けの周りに、客室がある感じですね。そして、5階以上が湯婆婆のペントハウス。

     この建物を、宮崎駿は擬洋風というふうに呼んでいます。
     擬洋風というのは建築界の用語であって、どういう意味かと言うと、巨大なボイラーハウスが下にあることからもわかるように、これ、コンクリート建築なんですね。つまり、和風建築ではなくて、コンクリートの偽物なんです。
     このように、西洋建築の技術を取り入れた和風建築のようなものを、建築業界では擬洋風というふうに言います。明治時代によく建てられた「和風建築の偽物」……と言うよりかは「洋風建築の偽物」と言うべきか。
     だいたい、明治時代に、西洋建築の建て方をよく知らない大工達が、新しく入ってきた素材とか設計図とか材料で、見様見真似で洋風建築みたいなのを作ったんだけど、上にはデカい瓦とかを載せちゃう、と。そういうのを擬洋風と言うんですけども。
     これね、宮崎駿の強烈なメッセージなんですね。

    ・・・

     何かと言うと、日本のアニメーションそのものを指して「擬洋風」と言っているんですよ。
     つまり、ディズニーなんかの西洋が始めた芸術に、日本のセンスを乗っけただけなんですね。宮崎駿も、よく「日本のアニメーションのやっていることというのは、所詮は西洋が始めたものに自分なりのセンスを乗せているだけだ」って言ってるんですけども。
     つまり、『もののけ姫』そのものなんですね。この建物自体が、自分の作品である『もののけ姫』を強烈に皮肉っているんですよ。
     「いくら室町時代を描こうが、縄文時代を出そうが、針葉樹林文化論を出そうが、そういう神話を描こうが、所詮、自分の作ったアニメーションというのは擬洋風であって、西洋が作ったアニメーションの技法、西洋が作った映画の文法の上にのっとってやっちゃっている」ということなんですね。

     そして、この油屋というのは、かつて自分が作った『もののけ姫』そのものであると同時に、スタジオジブリそのものでもあるんですね。
     「この中で、女の人ばかりが働いている」というのにも理由があります。当時のジブリというのは『もののけ姫』の時にトラブルがあって、大量にアニメーターが辞めたんです。その結果、残ったのは女性の新人ばっかりが多くなって、一時期は「ジブリのアニメーターって女の子ばっかりだ」って言われてたんですけど。そんなふうに、女の子がいっぱいいる体制だったんですね。
     そんな、女性ばっかりのアニメーターを集めて何を作るのかと言うと、湯婆婆、すなわち鈴木敏夫プロデューサーは「ヒットさせろ!」と言うんです。
     この巨大になってしまったアニメスタジオで、高畑勲が何も考えず湯水のように金と時間を使うから、どうにかして作品をヒットさせなきゃいけない。観客の欲望を満たすようなアニメーションを作らなきゃいけない。
     つまり、「女の子を大量に集めて、偽の洋風建築の中で、観客の欲望を満たすようなものを作れ!」というメッセージが、すごく大きく入っているわけですね。

     「お客様は神様であって、そんな神様の機嫌を取るような面白いアニメというのをひたすら作り続ける。それが俺達の仕事だ! 俺達の仕事は、この油屋そのものじゃないか!」というメッセージなんです。
     実は、この『千と千尋の神隠し』の裏テーマの1つが、当時、金儲けに走っていたジブリへの批判なんですね。アンチ鈴木敏夫作品でもあるんですよ。
     このアンチ鈴木敏夫作品というのを誤魔化すために「油屋は風俗産業だ」という、キャッチーな、評論家受けするようなフレーズというのが生まれたわけなんですけども。

     宮崎駿は、油屋について、こんなイメージボードを描いているんです。
    (パネルを見せる)

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    【画像】油屋内部イメージボード

     神様が来て、中には番台があって湯婆婆が座ってて、「お背中を流しましょう」というふうに、神様を気持ちよくして帰っていただくという。いわゆる「垢を落とす」わけなんですけど。
     これは、映画館に来る観客を意味しているわけですね。映画館に来る観客というのは、日常の澱みとか、嫌なこととかがいっぱい溜まっている。それを、映画館に来ることで、感動したり笑ったり涙を流したりして、さっぱりして帰って頂く、と。
     「我々はそうやってお金を頂いている。だから、あくまでヒットさせなきゃいけない」。これは、宮崎駿が鈴木敏夫から言われてたことでもあるんです。それまでは、宮崎駿もこの言い分に納得してやってたんですけど。しかし、もう、この頃になると、流石にいろんなことが積もりに積もって。
     特に『もののけ姫』が、空前のヒットを飛ばしたもんだから、まさか『千と千尋』がそれ以上にヒットするとは思わずに、宮崎駿も「あんなにヒットしたことによって、俺達は何かが狂ってしまった。今、何かがおかしいぞ」というメッセージを込めて作ったら、それ以上にヒットしちゃったという作品だったんです。

    油屋のモデルと宮﨑駿の「私小説」

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    【画像】スタジオから

     「『千と千尋』は風俗産業を描こうとしている」とか「キャバクラがモデルになっている」という説が生まれたきっかけは、そもそも、鈴木敏夫さんのインタビューなんですね。
     「宮崎駿にキャバ嬢の話をした」と。
     実はキャバ嬢というのは、もともとコミュ症、つまり、他人と上手く話せない人が多い。ところが、面白いもんで、他人と全く話せない女の子が、キャバクラでキャバ嬢をやると、数週間くらいでお客さんと話せるようになる。
     そんな話をしたら、宮崎駿はすごく感心して「俺らのジブリも似たようなもんだね」と。地方から出てきた、もう絵しか描けないとか、アニメにしか興味がないというようなやつらが集まって、一緒に物を作っていくうちに、段々と他人と話が出来るようになってくる、と。
     いや、これだけだったんですよ。宮崎駿が「そうだよね」と言ったのって、この部分だけだったんですけど。

     しかし、「現代の日本はまるでキャバクラ、風俗だ、というメッセージを込めた」と言えば、マスコミは取り上げるわけですね。「今回のジブリ作品は、それをテーマにしている」と言ったら、すごい評判になるわけですよ。
     鈴木敏夫のこういった宣伝文句は『ゲド戦記』の時にも前科のある、週刊誌的な手法なんですけど。
     昔は僕もこれを信じたわけなんですよ。本当に、1年くらい前までかな? 前回も言ったんですけど、『千と千尋の神隠し』というのを、すごい作品だとは思うんですけど、僕はあまり好きな作品ではないので。僕もこれにコロッと騙されて「いやいや、『千と千尋』のテーマは、やっぱり風俗を描くことでしょう?」というふうに思ってたんです。もう本当に、恥ずかしいんですけども。

     こういう鈴木敏夫さんの宣伝手法というのは、本質をわかりやすくキャッチーに歪めちゃうところがあるんですよ。
     例えば、『かぐや姫の物語』では、高畑勲からは「絶対に書くな!」と言われていたのに、作品のテーマを「かぐや姫の罪と罰」というふうに宣伝してしまって、もう大喧嘩したんですね。そして、それっきり、高畑勲は『かぐや姫』の宣伝に関して、全く口を出さなくなったということがありました。
     あとは『もののけ姫』というのも、宮崎駿は『アシタカせっ記』という、アシタカを主人公とした話として作ってたのに、鈴木敏夫が『もののけ姫』というタイトルで先に記者会見をしてしまったので、そうなってしまい、作品のストーリー自体が誤解されるきっかけにもなりました。
     さっきも言った『ゲド戦記』では、マスコミに「宮崎駿と宮崎吾朗の親子は仲が悪い」という話が報道されたので、それを逆手にとって、わざと「『ゲド戦記』は父殺しの物語で、宮崎吾朗が宮崎駿を否定するための作品だ」みたいなことをいっぱい言って、それで注目を集めようとしたわけですね。
     もう本当に、週刊誌的な作り方なんですよ。

     しかし、宮崎駿というのは「自分が知らないものを作らない人」なんですね。
     宮崎駿自身は「『千と千尋』はジブリを描くのが目的だ」と、はっきり言っているんですよ。
     それはふゅーじょんぷろだくと社が出版した『千尋の大冒険』という、割とマイナーな本なんですけど、この中でいっぱい言ってるんですよ。
    (本を見せる 『「千と千尋の神隠し」千尋の大冒険』別冊COMIC BOX vol.6、ふゅーじょんぷろだくと、2001年)

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    【画像】『千尋の大冒険』表紙

     なぜかと言うと、この本、唯一鈴木敏夫の検閲が入らない本なんですね。

     『千と千尋』の研究本とか解説本って、いろんな出版社から出てるんですよ。まあ、図版を使わなければ、どんな出版社からでも出せるんですけど、図版をいっぱい使っている、いわゆる公式本の類というのは、講談社とか、角川とか、文藝春秋とか、そういう一流の出版社からしか、鈴木さんはオーケーをしないんです。
     ところが、このふゅーじょんぷろだくと社というのは、全く一流の出版社ではないんです。
     この『千尋の大冒険』という本は、ただ単に「社長が左翼で、宮崎駿と仲が良かった」というだけの理由で出せた、奇跡のような本なんですね。
     なので、この本の中には「当時のジブリの批判」とか「スタッフが宮崎駿の悪口を言ってること」とか「本当はこんなことやりたかったんだ」というのが山のように載っているんです。
     だけど、ジブリ美術館でも、これは売ってないんですよね。それは、ジブリ公認ではない。鈴木敏夫公認ではないからなんですけども。

     このふゅーじょんぷろだくと社の本の中には、例えば「なぜ、油屋で働く男たちがカエルなのかと言うと、徳間社長の葬式の時に、背広姿の偉い人がいっぱい来た。その背広姿の偉い人が全員カエルに見えた」という事が書いてあります。
     「あれは総理大臣というカエルだ」と。総理大臣も徳間の社長の葬式に来たそうですね。「ジブリの近くにいるスーツ組、いわゆる、お金を儲けようとしてジブリの近くに寄ってくる人たちというのは、みんなカエルに見えた」と。
     それに比べて、自分たちアニメーターというのは虫けら扱いなので、女の子はナメクジ。本草学によると、ナメクジもやっぱり虫ですので。まあ、カエルも虫なんですけど。
     こういうな形で、カエルの男とナメクジの女というのが描かれているわけですね。

     この本の中で、宮崎駿は「ジブリというのは理不尽で重労働だ」と言ってます。
     そして、「そんなジブリを舞台に、小さな女の子が無理矢理に働かされる話をやりたかった」と。

    ・・・

     千尋にはモデルがいます。
     これはウィキペディアにも載っているんですけども、ジブリの後援者の1つである日本テレビのお偉いさんの奥田さんという人の娘ですね。
     この奥田さんという人の娘について、宮崎駿が「この女の子は、あの親の元で真っ直ぐに育つとは思えない!」と言い出して……本当に、他人の家のことに口を出すんですけども(笑)。
     「まっすぐに育つとは思えない! あのままでいいと思うか!? なんとか俺達でまともに出来ないか!? いっそ、ジブリに連れてきたらもっとまともに育つんじゃないか!?」と。
     その結果、奥田さんはしょっちゅう自分の娘を宮崎駿の別荘に連れて行ったんですね。

     ここで『千と千尋の神隠し』の根本構造が出来るわけです。
     つまり、「食い物に釣られてブタになってしまう両親」というのは、イコール「お金のため、仕事のために、ジブリや宮崎さんにホイホイ近づくビジネスマン」。
     その娘が、ジブリみたいな、おっかない場所、重労働で理不尽なところに連れて来られて、そこで働かされるという話なんですね。

     ウィキペディアにも、この辺の事実経緯が書いてあります。


    制作のきっかけは、宮崎駿の個人的な友人である10歳の少女を喜ばせたいというものだった。
    この少女は日本テレビの映画プロデューサー、奥田誠治の娘であり、主人公千尋のモデルになった。
    企画当時宮崎は、信州に持っている山小屋にジブリ関係者たちの娘を集め、年に一度合宿を開いていた。
    宮崎はまだ10歳前後の年齢の女子に向けた映画を作ったことがなく、そのため彼女たちに映画を送り届けたいと思うようになった。


     つまり「親の仕事のために、欲望のために、ジブリに入れられた女の子が、観客の心を慰めるアニメを作るためにアニメーターにさせられる」という、とんでもない話が『千と千尋』のベース、油屋のベースなんですよ。
     ところが、ベースがそれであっても、その上にどんどん面白いものを乗っけているんです。
     さっきも話したように、これは油屋で言えば、コンクリートの構造部分なんですね。下の構造部分がそこで「さあ、この上に何を乗せたら面白いアニメを作れるだろうか?」ということで、どんどん変質していくわけです。

    ・・・

     「ハヤオの好きな女の子が、ジブリで鈴木敏夫にこき使われる」という話をやってみよう、と。
     しかし、ハヤオは助けることが出来ない。「俺は、俺は、単なるおじいちゃんだから、湯婆婆のような、あんなに怖い鈴木敏夫に逆らうことは出来ない。しかし、助言はしてやれる!」と言って、自分はいつの間にかに釜爺という、なんか良いポジションをきっちり取っているわけですね。
     そんな中、千尋は勝手に強くなってくれる。
     さて、釜爺の他にもう1人、作中には宮崎駿の分身がいます。それが、ハクという美少年。ハクこと宮崎駿は、鈴木敏夫の理不尽な命令で、血まみれになりながら、アニメを作らされているわけですね。
     そして、『もののけ姫』の時みたいに「年老いてあまり使えなくなった」と判断したら、鈴木敏夫は宮崎駿を、冷酷にも穴の中に捨てて、若いアニメーターとか、宮崎吾朗とか、宮崎駿の弟子筋とか、あとは何よりも高畑勲を贔屓にし始めるわけですね。
     この辺りの「鈴木さん、本当は俺よりも若いやつの方が大事なんじゃないのか!?」っていう、宮崎駿の勝手な妄想が、湯婆婆が坊という子供を溺愛するシーンとかにガンガン溢れ出していて、まあ、なかなか面白くなってるんですけど(笑)。
     しかし、千尋だけは、宮崎駿の分身である美少年のハクを見捨てずに、命をかけて銭婆、すなわち高畑勲の元に行ってくれるわけですね。
     千尋は最後に宮崎駿に本当の名前を教えてくれる。この「本当の名前」というのは、つまり「あなたが今やるべきアニメは、これですよ」ということを教えて、去って行くわけです。
     そして、「その、やるべきアニメというものこそ、この『千と千尋の神隠し』だ!」と。

     つまり、これは宮崎駿の私小説なんですよ。
     私小説として、すごい上手く出来ている。徹底的に、宮崎駿による、宮崎駿のためのアニメなんですよ。「10歳の娘に向けたアニメ」というのは、いつの間にか吹き飛んでしまって、自分のためのアニメをつくっちゃったという。
     同時期の『On Your Mark』と全く同じです。完全に、この時期から宮崎駿は自分にしかわからない話を作るようになります。
     ところが、そんな自分にしかわからない話というのが、禍々しい深みというのを作り出している。
     おまけに、宮崎駿の中にも「一般にヒットさせよう」という思いもあるし、また、そうさせるだけの手練手管、素晴らしいアイデアやイメージを持っている。これが、ヒットする秘密になっていくわけですね。
     だけど、構造自体は、すごく作家性が強いアニメーションになったわけです。

     しかし、宮崎駿が自分のために作ったアニメだと『もののけ姫』のようなメガヒットは狙えない。
     まるで、宮崎駿の私小説なんですけど、その代わり、社会性がない。そして、社会批判があるように見えないと、やっぱり評論家が深読みしてくれない。
     そこで、鈴木敏夫が宣伝を通じてミスリードさせようとするわけですね。
     鈴木敏夫には、早い段階で「ああ、宮崎駿はこの映画を自分の私小説にするつもりだな」ということがわかったわけですね。そうなると、これをなんとかして『もののけ姫』のように社会批判があるというパッケージに落とし込まないと、絶対にメガヒットしない。
     そこで、鈴木敏夫は「この油屋というお風呂場は、風俗のアナロジーなんですよ。まあ、キャバクラみたいなものです」という宣伝を始めたんですね。
     すると、評論家たちは、思い通り、狙い通り、僕を含めて騙されて、間違えてくれて「これはジブリというアニメスタジオを描いた話だ」ということがバレなかったわけです。

    ・・・

     油屋というのは実はジブリであって、ジブリで働くと人の心を失ってしまう。
     千尋は、油屋で働いているうちに、ブタになった両親を見ても平気になるんです。この『千尋の大冒険』の中でも語っています。
     まあ、実際に作った映画の中には、ちゃんと「ブタになった両親を見て悲しむ千尋」というシーンがあるんですけど。この本が作られた時には、まだ映画の前半しか出来てなかったんですね。
     宮崎駿は、その時、取材に対して「千尋はブタになった両親を見ても平気になってしまう。何も心が動かない。しかし、おにぎりを食べて自分の名前を思い出したことで、自分はなんて変わってしまったんだと涙をポロポロ流す」というふうに言っているんです。
     つまり、「油屋で働くことで、心を失ってしまう」と言っている。

     宮崎駿の実のお母さんが死んだ時、宮崎駿は仕事が忙しくて、お葬式に行かなかったんですね。
     本当に、アニメーションの仕事の現場にいると、どんどん人間の心を失ってしまう、と。
     それは、現に宮崎駿も「ジブリの中では、アニメーターに対して、本当に理不尽な命令をしたり、怒鳴ったりしている」ということで、実感しているということを表しています。

     千尋が、自分の名前すらも完全に忘れてしまうほどの忙しさの中で、心を取り戻す方法というのが、この「おにぎりを貪る」というシーンなんですけど。
    (パネルを見せる)

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    【画像】おにぎりを食べる千尋 © 2001 Studio Ghibli・NDDTM

     ハクの作ってくれたおにぎりを貪る千尋ですね。おにぎりを両手に持ってガツガツ食べています。
     千尋って、実は、一番最初から欲望がない子なんですね。「痩せっぽち」というのは何かというと「食欲があまりない」ということなんですけど。
     両親と一緒に、不思議な街の食物屋がいっぱいあるところに行って「千尋も食べなさい」と言われている時に「私、いらない」と言う。あれが、普段の千尋なんですよ。ご飯の時もあんまりご食べない。欲望が出てこないんですね。だから、痩せっぽちなんです。
     欲望があんまりない。お腹が空かない。「食べろ」と命じられても食べない。
     しかし、ハクに勧められて、初めておにぎりを食べた時、「自分はお腹が空いている」ということに気付くんですね。「どんなに自分が飢えていたのかわかった」と。

    ・・・

     宮崎駿って、当時、『もののけ姫』の辺りまで、ずっと「儲けることには興味がない。ヒットのためにやってない」って言ってたんですね。
     世間は、宮崎駿に金の魅力、「こうやれば、もっとヒットしますよ? 儲かりますよ?」と言って仕事をさせようとする。それに対して宮崎駿は「いや、儲けなくてもいいんだ! 俺は金のためにやってるんじゃないんだ!」というふうに、ずっと言ってたんですよ。
     しかし、現にお金がないと力が出ないわけですね。腹が減っては動けないのと同じで、アニメーターに金が払えない。宮崎駿は『魔女の宅急便』が終わった時から、「ジブリでは、アニメーターを正社員にしよう」と言ってたわけです。これには、もう莫大なお金が必要なわけです。
     「金がないと自分の好きな作品も作れない」と。宮崎駿は、ちょうどこの頃から、自分の中の隠れた欲望を肯定するようになったんですね。
     まあ、これ自体は「自分では隠してるつもりだった欲望」だったんですけども。
     今言ったような「金には興味がない。ヒットにはあまり興味がない」というのは、本人が言ってるだけで、実は、宮崎駿は誰よりも「どれくらい儲かっているのか? どれくらいヒットしているのか?」を気にする人間なんですね。
     それは『カリオストロの城』の時に、自分が渾身の力で作ったアニメーションというのが全然ヒットしなかったおかげで、5年くらい業界から干されたという、やっぱり、すごく痛い経験があるからなんですよ。
     だから、「どれくらいヒットしているのか?」を気にする。
     ただ、相変わらず、宮崎さんは「自分がどれくらいお金を持つか?」には、もう本当に興味がないんです。
     「カップヌードルのカレー味を食べることが自分の中ではごちそうになっている」と言ってるくらいですから。「こんな塩分の強いものを、女房に隠れて食うのが一番のごちそうだ」と、嬉しそうに食っているシーンが、ドキュメンタリーにも収められているんですけど。
     こういう人なので、本当に「自分にどれくらい金があるのか?」には興味がないんです。
     だけど、「ジブリのアニメがどれくらいヒットしているのか?」には、本当に興味があるというか、こだわる人で。特に「自分が高畑さんに勝ったか、負けたか?」というのには、やっぱりすごい興味があるんですね。

     そこで出てくるのが、これです。
    (パッケージに入ったオモチャのようなものを見せる)

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    【画像】ハクのおにぎりフィギュア

     ハクの作ったおにぎりが、DVDの特典のフィギュアになったんです。ふざけてますよね(笑)。
     「DVDの特典にフィギュアをつける」という時に、宮崎駿はDVDを出すの大反対して、特典として何かオモチャを付けるということにも、もう怒りまくってたんですけど。
     ようやっと、それにOKしたと思ったら、「白い米のおにぎりをフィギュアにする」と言い出した。
     「なんだこりゃ?」って思うでしょ? 僕も思ったんですよ。だから、これ、発売した時には要らなかったんですけど、あとで猛烈に欲しくなって、ヤフオクでわざわざ手に入れたんです。

     やっぱり、DVDの特典というのは、宮崎駿にしたら許せないわけですね。
     まず「作品をビデオで売る」ということにも反対してたんです。「子どもたちにとっては、映画館で一生に1回しか見れない、そういう体験を俺は作っているつもりなのに、ビデオを売るとは何ごと? レーザーディスクを売るとは何ごと? DVDを売るとは何ごと?」ということで、何ごと感がどんどん増していった。
     おまけに「その特典としてフィギュア玩具をつけるとは、もう許せん!」というふうになってたわけですよ。
     だけど、もうそれに加担することを決意したわけですね。自分がいくら止めても、やっぱりやられてしまうし、それをやることによってスタジオジブリの維持もできる。
     何より、自分がちょうど『千と千尋』を作っている時に夢中になっていたジブリ美術館というのを作るには、やっぱり何十億円も必要なわけですね。そのための金がどこから出てくるのかと言うと、自分が毛嫌いして軽蔑していた金儲けから、原動力が出て来るわけです。
     だから、このおにぎりフィギュアというのは、そんな金儲けに加担することを決意した、宮崎駿なりの精一杯のメッセージなんですね。

     千尋は自分の欲望を肯定して、おにぎりを両手で頬張る。もう本当に、汚く食べることによって、生きる力を発見した。まあ、こういう話なんですけど。
     ちょっと、宮崎駿の話、ジブリの話、アニメの中の油屋の設定の話という、3つの話を混ぜて語りましたけど。油屋とジブリの謎、今日の1つ目の謎の話はここまでです。

    『銀河鉄道の夜』から読み解くハクの謎

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    【画像】スタジオから

     『千と千尋の神隠し』13の謎、6番目の謎は「ハクの謎」です。
    (パネルを見せる)

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    【画像】ハクを抱きしめる千尋 © 2001 Studio Ghibli・NDDTM

     はい、これは「血まみれになって帰って来たハクを抱きしめる千尋」なんですけども。

     そもそも、ハクというのはどういう存在としてデザインされているのか? テーマ的なものではなく、お話の中の構造として、どんなふうにデザインされているのかというと女の子から見た不良少年なんですね。
     強い大人に命じられて、純粋な少年が外の世界で悪いことをして、そして血まみれになって帰って来る。「そんな人なんだけども、周りから怖がられている人なんだけども、私だけには優しいんだ」っていう、少女マンガにおけるヒーロー、彼氏設定ですね。
     俺、昭和の時代、『ホットロード』という少女マンガを読んだことあるんだけど、まあ、あんな感じなんですよ。『バナナフィッシュ』とかもそうなんでしょうね。

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    【画像】ハク © 2001 Studio Ghibli・NDDTM

     このハクが、千尋に「私はずっとお前を見ていた」と言うシーンがあります。
     「どうして私の名前を知っているの?」と千尋が聞くと、「そなたの小さい時から知っている」と答えます。
     これ、さっきの、千尋におにぎりを渡すシーンなんですけど。ここでは、ハクは自分の名前を思い出せないんですね。やっぱり名前を奪われているから。
     そんなハクが、自分の名前も思い出せないのに「でも、不思議だね。千尋のことは覚えていた」と言うんですよ。
     これね、ここから先のストーリー展開を全てセリフ通りに考えると、「ハクというのはコハク川という川の守り主の神様で、千尋が小さい時に溺れかけたのを助けてあげた」ということになるんですけど。
     でも、なんで、そんな事件だけで「そなたの小さい時から知っている」ことになるのか? 「自分の名前も忘れたのに、お前のことだけは覚えていた」というセリフは、辻褄があわないんですよ。

     他にも、倒れたハクを千尋が心配する様子を見て、釜爺は「愛だね。愛じゃ」と言うんです。
     これも、それまでの宮崎アニメの文法とは違いすぎるんですね。仮に、こんなふうに、主人公同士が思い合っている恋愛感情みたいなものがあったとしても、「それは愛だ」というふうに、あまりハッキリと言い切らないんですね。
     では、なぜ、そんなにハッキリと言い切ったのか?

     あとは、謎の歌詞という問題もあって。
     宮崎駿が『千と千尋の神隠し』を作った時に、音楽を担当した久石譲に送ったイメージ歌詞というのがあります。
    (パネルを見せる)

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    【画像】イメージ歌詞

     『あの日の川で』という詩なんですけど。全文読むとこんな感じになります。


    『あの日の川で』

    陽のさす裏庭から 忘れていた木戸を抜け
    生け垣が影落とす道を行く
    向こうから走ってくる幼い子は わたし
    ずぶぬれで泣きながらすれ違う
    砂場の足跡をたどって もっと先へ
    いまは 埋もれてしまった川まで

    ゴミの間の水草がゆれている
    あの小さな川で 私はあなたに出会った
    私のクツがゆっくり流れていく
    小さな渦にまかれて消える
    心をおおうチリが晴れる
    目を隠すくもりが消える
    手は空気に触れ
    足は地面のはずみを受けとめる

    誰かのために生きている私
    私のために生きてくれた誰か

    私は あの日 川に行ったのだ
    私は あなたの 川へ行ったのだ


     こんな歌詞なんですね。
     「ずぶ濡れになって帰ってくる」「私の靴がゆっくり流れていく」「私のために生きてくれた誰か」みたいに、なんか、物言いいたげな、不思議な歌詞。
     結局、この本編には採用されなかったんですけども。

    ・・・

     さらに不思議なのが「千尋が過去を思い出す」というシーンなんですね。
     もう本当に物語のラスト、龍の姿になったハクの上に乗って一緒に飛ぶシーンなんですけど。銭婆に会いに行って、ハクを許してもらって、ハクの化身である白い龍に乗って空を飛んでいるシーン。ドラマの中で一番盛り上がるところです。
     ここで千尋は突然、思い出すんですよ。
    (パネルを見せる)

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    【画像】水に伸ばす手 © 2001 Studio Ghibli・NDDTM

     こんなふうに「水の中に手が伸びていく」というシーンなんですけど。
     しかし、これ「靴が川に落ちて拾おうとした」にしては、水しぶきのサイズが大き過ぎるんですよね。
     「じゃあ、千尋が落ちた時の水しぶきなのか?」というと、手が伸びる前から水しぶきが立っている。
     何か大きなものが落ちた時の水しぶきに向かって手が伸びているように見えるんです。

     これをハッキリさせるために、このシーンの絵コンテを見てみましょう。
    (パネルを見せる)

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    【画像】手の絵コンテ

     絵コンテを見ると、実際の画面に映し出されているものと同じことが描いてあるんですけど。
     ここで注目すべきは、コンテに描かれた説明文。ここには「サーッと伸びていく子供の手」と書いてあるんですよね。

     なぜ「子供の手」と書いているのかと言うと、「千尋の手」と書かないためなんですよ。
     つまり、「手を伸ばしているのは千尋じゃないから」なんですね。
     そして「それは誰か?」ということを明かしたくないからです。
     「誰かの手が伸びていって、そして、水の中に落ちた者を助けようとしている」という状況を描こうとしているわけです。

     続いて、千尋がその時の記憶を思い出すシーンです。
    (パネルを見せる)

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    【画像】水中の千尋 © 2001 Studio Ghibli・NDDTM

     ここで、千尋の肩のところを見てください。顔と肩の色が同じです。つまり、これ、裸なんですね。
     では、なぜ、記憶の中での千尋が裸だったのかと言うと。「幼い頃の千尋が川に落ちた時に裸だったから」です。
     よく、パンツだけで川遊びする子供がいますよね? あれと同じで、川に落ちた時の千尋は、実は上半身裸だったんですね。

     しかし、水に落ちた何かに向かって手を伸ばしている子供の手は、Tシャツの袖が見えるんですよ。
     おかしいですよね? Tシャツを着ている子供が手を伸ばしている。幼い頃、川に落ちた千尋は上半身裸だった。矛盾しています。
     じゃあ、これは一体、何を描こうとしているのか?

    ・・・

     前回も話したんですけど、『千と千尋の神隠し』について、宮崎駿はインタビューの中でこう語っています。


    「自分の中でいつか『銀河鉄道の夜』をやらなきゃいけないと思い続けてきた」
    「今回でそれに答えられたと思う」
    「テーマは、自分が生きているとき、それは誰かが自分を生かしてくれたのだ、という事実があるということ」


     それをちゃんと言いたい。
     こんなふうに言ってるんですね。
     これはもう、本当に、映画のパンフレットの中でも「誰かが自分を生かしてくれた」ということを言っているんですけど。
     ところが、『千と千尋』のアニメのストーリーだけを追っていると、なぜ宮崎駿がそれを何度も強調するのか、よくわからない話になっているんですよ。

     『千と千尋』の研究書はいっぱい出てるんですけど、この『銀河鉄道の夜』について……もちろん、海原電鉄のシーンがオマージュになっていると言ってる人は多いんですけども。もっと、この作品のテーマ的な部分になっていると言っている人は、ほとんど見当たらないんですね。
     なぜかと言うと、やっぱりみんな、『千と千尋』をストーリーとか、何よりもセリフから理解しようとしているからなんですよ。
     でも、宮崎駿というのは絵で語る作家なんですね。
    (パネルを見せる)

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    【画像】二つの家 © 2001 Studio Ghibli・NDDTM ©朝日新聞社/テレビ朝日/KADOKAWA/アスミック・エース

     例えば、これを見てください。上の絵と下の絵、ほとんど同じ絵に見えます。こう、家が1軒だけ建っている。上の絵では、水の中に建っている。下では丘に建っているんですけど。
     上が『千と千尋の神隠し』の海原電鉄のシーンです。下が、アニメ版の『銀河鉄道の夜』の「もうすぐ、みんなが死の世界に行く」というところで出てくる風景なんですけど。
     こうやって並べて見たらわかる通り、ほとんど同じ構図で描いているんですよ。これは、やっぱり『銀河鉄道の夜』に対する宮崎駿のリスペクトの1つなんですけど。わざと構図を同じにしているわけですね。

    ・・・

     『銀河鉄道の夜』では、主人公のジョバンニは、ケンタウル祭という夏祭りの夜に、丘の上でボーッとしているんですよ。
     すると、ジョバンニは、いつの間にか銀河鉄道に乗っているんですね。そして、なぜか目の前に、親友のカンパネルラが、全身ずぶ濡れで立っています。
    (パネルを見せる)

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    【画像】カンパネルラ ©朝日新聞社/テレビ朝日/KADOKAWA/アスミック・エース

     カンパネルラが、肩をハンカチで拭うと、水玉がいっぱい落ちます。
     ジョバンニは「なんで濡れているんだろう?」と思うんですけど、喜んで「カンパネルラ、僕達はずっと一緒だね!」と言うんですけど、そこでカンパネルラは寂しく笑うだけなんですよね。

     映画が進行して行くと、3人の人物が乗ってきます。
    (パネルを見せる)

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    【画像】3人の人物 ©朝日新聞社/テレビ朝日/KADOKAWA/アスミック・エース

     アニメ版の『銀河鉄道の夜』って、もう、ほとんど全てのキャラクターが猫として描かれているんですけど、唯一例外的に、この3人だけは人間の姿として出てくるので、ちょっとドキドキするんですけど。
     ここで3人の人物、弟と姉と家庭教師が出てくるんですよ。この弟、最初から、靴を片方、履いていないので、もう本当にドキッとするんですけど。

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    【画像】頭に水のついた弟 ©朝日新聞社/テレビ朝日/KADOKAWA/アスミック・エース

     靴を履いてない弟と一緒に姉が入って来るんです。この弟の頭には、水玉がいっぱいついているので、お姉さんが優しくそれを拭いてあげるんですね。

     この3人は何かと言うと、タイタニック号に乗っていた人なんですね。彼らが乗った船は氷山にぶつかって、それはもう大変な事故で、みんな水の中に沈んでしまった。
     このシーンだけ、やっぱり人間が登場してるから、見てるともう本当にドキドキして、「なんか、この雰囲気、怖いな」と思うんですよ。
     そんな自分たちの身に起きた事故のことを、家庭教師が、すごく淡々と、本当に優しい声で淡々と語るんですよね。


    この子たちの手を引きながら、ボートへと並んでいる子供たちをむりやり追い抜きながら考えました。
    これは本当にこの子たちの幸せになるんだろうか?
    罪を私一人で受けて、この子たちを生かすのが私の務めなんだろうか?
    そう思いながら、並んでいる子供たちを追い抜いてボートに近づくと、やっと我が子だけをボートに乗せて泣いている母親や、同じようなたくさんの親たちを見ていると、もう、そんなことはどうでもよくなって、沈んでいく船の上でしっかり二人を抱きしめていました。


     こんなふうに、ゆっくりゆっくり語るシーンがあるんですよ。
     家庭教師がこの話を語っている時、お姉さんは、弟の濡れている髪を拭いてあげて、どこかから見付けてきた靴を履かせてあげるんですね。
     このあたりのお話が『よだかの星』を描いた宮沢賢治の真骨頂なんです。「自己犠牲による、他人のための幸せ」というやつです。
     これは、宮崎駿がずっとずっと「描きたい。描かなくてはいけない」と思っていたテーマなんですけど。

     そこで出てくるのが、さっきの『あの日の川で』という詩なわけですね。
     「私の靴がゆっくり流れる」「小さな渦に巻かれて消える」「私のために生きてくれた誰か」というこのテーマ。
     本当は、これをやろうとしてたんですよね。

     『銀河鉄道の夜』で、家庭教師は「でも、もう大丈夫。南十字まで行けば、苦しいことも全部なくなってしまう」と言って、南十字の駅でこの3人は降ります。
    (パネルを見せる)

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    【画像】南十字 ©朝日新聞社/テレビ朝日/KADOKAWA/アスミック・エース

     この南十字の駅というのは、巨大な十字架が地平線の遥か向こうに立っていて、それに向かって参礼者が無限に列をなしているんですね。

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    【画像】参列者たち ©朝日新聞社/テレビ朝日/KADOKAWA/アスミック・エース

     そんな列をなす猫たちに混じって、この3人、家庭教師、お姉さん、弟も、礼拝者のような格好をして、ずっと歩いて行くんです。

     石炭袋の駅を過ぎた後、カンパネルラは「もう僕は一緒に行けないんだ」とジョバンニに言います。そして、そのまま、車の後ろに行って、消えてしまうんですね。
     実は、カンパネルラは、川に落ちたクラスメートのザネリという猫を助けて、そのまま溺れて死んでしまっていたわけです。だから、カンパネルラも、家庭教師達この3人も、身体が濡れていたんですね。
     友達を助けるために、自分の命を犠牲にしたカンパネルラ。

    ・・・

     『千と千尋』の話に戻りますけども。
     何かが落ちた水しぶきに向かって、誰かの手が伸びている。絵コンテには「子供の手」とだけ書いてあるわけですね。
     じゃあ、これは千尋の手なのかというと、千尋ではない。千尋はこの時、裸なんです。裸で落ちた千尋を助けるために、誰か子供の手が伸びているわけなんですね。
     つまり、裸だった幼い千尋に手を差し伸べて助けたTシャツを着た子供が、どこかにいるはずなんですよ。

     それは誰かと言うと……あの、これが今回の前半の考察の主なところなんですけど。
     「どうして私の名前を知ってるの?」と千尋が言った時、ハクは「小さい時から知っている」と言うんです。
     なぜ、自分の名前も思い出せないハクが、千尋を小さい時から知っているのかと言うと、ハクは千尋の死んだお兄さんなんですね。

     あの日、千尋は「川で靴を流した」んじゃなく、川に落ちたわけです。
     そして、それを助けようとお兄さんが手を引っ張って、代わりに、お兄さんは川に流されて帰って来なかった。
     お兄さんは他人のために命を捧げたので、この川で神様になれた。
     そういうお話なんです。

     千尋は、この日の出来事を覚えてないんですね。「私、覚えてなくて、お母さんから聞いたんだけど」って言ってるんです。
     つまり、「靴を流した」というのは、あくまで千尋が聞いた証言であって、この事件自体を、千尋は全く覚えていないんですね。
     母親は、千尋に「お兄さんがいた」とか「千尋のせいで死んだ」ということは伝えてないんです。「子供の頃に川で溺れかけた」ということだけを伝えている。
     だから、千尋は覚えてないんですけども。ハクは「そなたの小さい時から知っている。不思議だね。千尋のことを覚えていた」と言うんです。

     釜爺が「愛の力だ」と断言するのは、これが兄妹愛だからなんですね。
     ハクは、千尋を傷つけたくないので、たぶん、これを思い出したとしても絶対に言わないし、釜爺も言わない。または、ハク自身も気付いていないのかもわかりません。
     セリフの上では「ハクの川は埋もれてしまった」ということになっているんですよ。この「埋もれてしまった」というのも「地中に埋葬されてしまった」という、死を暗示させる言葉ですね。いわゆる、葬式とか死体のメタファーとして「今は埋められてしまって、見えなくなった川」という言い方をしているわけなんですけど。

     しかし、ハクはまだ完全な神様ではないんですよ。千尋にも見えてしまっているから。
     本当の神様であれば、夜になって、灯りがついて、油屋に近づかないと見えないはずなんですけど。ハクはまだ完全な神様ではない。
     『千と千尋』というのは「そんなハクが最後は完全な神様になる」というお話なんですけど。
     これを話すために、まだ無料放送は続きます。無料の最後は「両親の謎」というコーナーをやりたいと思います。

    ハクの正体を考えることで映画全体の辻褄が合う

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    【画像】スタジオから

     『千と千尋の神隠し』13の謎、7番目の謎は「両親の謎」です。
    (パネルを見せる)

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    【画像】千尋と母親 © 2001 Studio Ghibli・NDDTM

     これを見てください。千尋が「後ろの建物、唸ってる」と訴えても、お母さんは「風で鳴っているだけでしょ」と言って、千尋の顔を見ずに振り返るだけなんですね。
     千尋は手を引っ張ったり話しかけたりしてるのに、お母さんは「気持ちがいいところね。車のサンドイッチ持ってくればよかった」って、お父さんに向かって喋ってるんですよ。

     この辺りのシーン、千尋はずっと母親の注意を引こうとしているんですけど、お母さんは、千尋とは顔を合わせずに会話をしています。
     でも、お父さんとは、ちゃんと目を見て会話をしてるんですね。お父さんとの態度に差がありすぎます。
     もうね、こんなふうに「千尋のお母さんは変だ」というのは、この映画を見た人はみんな気が付いているんです。
    (パネルを見せる)

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    【画像】千尋の父と母 © 2001 Studio Ghibli・NDDTMnico_191110_05115.jpg
    【画像】千尋の母 © 2001 Studio Ghibli・NDDTM

     これは、お母さんが川の岩場を歩いているところ。自分で歩いててもわかるくらい危ないところなんですよ。それで、お父さんに「きゃっ!」と抱きついたりしてるんですけど。
     ところが、千尋に対しては「千尋、気をつけなさい」と、振り返って冷たく言うだけなんですね。

     これ、なぜかと言うと、やっぱり、無意識のうちに「長男を死なせた自分の娘につらく当たってしまうから」なんですね。
     もちろん、意識はしてないんですよ。お母さんも、意識の上では、ちゃんと娘を大事にしているし、息子が死んだのは娘のせいではないとわかっているんです。
     わかってるんだけど、無意識に「千尋の顔を見ない」とか「声の色が冷たい」という、実際の態度に出ちゃうわけですね。

     ハクというのは、千尋の死んだお兄さんで、両親は長男を失ったことを千尋に隠しているわけです。
     だから、このお母さんは千尋に冷たいんです。

    ・・・

     というわけで、これでようやっと、この映画全体の辻褄が合うんですね。
     なぜ、「このお母さんは娘に冷たい」ということを、画面上でハッキリ見せながら、その理由を語らないのか?
     なぜ、ハクは「昔から千尋を知っている」と言いながら、その理由を言わないのか?

     もし、ハクが、本人が言ったように川の神様だったら、初登場のシーンから、彼の姿が千尋に見えているはずがないんですよ。
     この世界での神様というのは、人間の目には見えない存在であって、夜になって暗くなって、盛り場みたいなところに来てから実体化するんです。
     つまり、ハクは神様ではないんですね。「コハク川の主だ」というのも、今はまだ、それになりかけている状態なんです。
     後半の限定放送の方で、この「『千と千尋』の中における神様というのは何なのか?」というのは、ちゃんと定義していきますけども。

     ところが、ハクは千尋のために死んだんですけど、千尋はハクのために帰り道のない電車に乗って謝りに行ったんです。
     そして「帰り道のない電車に乗る」というのは「ハクのために帰れない死の世界に行った」ということなんですよ。
     ここでようやっと「私は誰かのおかげで生きている。私も誰かのために生きよう」というテーマが完結するわけですね。
     千尋がハクのために自分の死を覚悟して「帰り道がないんだぞ?」と言われている電車に乗って、三途の川みたいなものを延々と走って行くシーンは、もう、これは誰が見てもわかるとおり、死の世界に行ってるわけですね。
     つまり、ようやっとここで「かつて自分は誰かに命を救われて生きている。そのことを、自分は気づきもしていなかった。ならば今、私も誰かのために命を懸けよう」ということで、テーマが一巡するんです。
     だけど、この一巡するテーマという肝心なところを、セリフで言わずに、久石譲の感動的な音楽で持って行くもんだから、それがわりとわからない構造になっているんですね。

    ・・・

     『銀河鉄道の夜』の中で、主人公のジョバンニは、最初、幽霊のように生きているんですよ。学校の授業もぼんやり聞いてる。
     それはなぜかと言うと、どうも、お父さんの乗っている船が……ラッコの密猟船なんですけど。お父さんは漁師なんですけど、そのラッコの密猟船がどうも事故に遭ったらしいんです。
     「お父さんは死んでるかもしれない」ということで、ジョバンニは心配で心配で、ずーっと学校でぼんやりしている。生きてるか死んでいるかわからないような状態になっていた、と。
     しかし、カンパネルラ達と銀河鉄道に乗って、そこで他人のために死ぬカンパネルラ、他人のため他の子供達のために、あえて人を掻き分けてまで生きようとしなかったタイタニック号の乗員の話とかを聞いて、ようやっとジョバンニは生きる意思を取り戻すわけですね。
     物語のラストで、ジョバンニは、カンパネルラのお父さんから「カンパネルラは、たぶん、もう助からない」と冷静に告げられるんですけど。それと同時に「君のお父さんに会ったよ。もうすぐ帰ってくる」と言ってくれるんですね。
     たぶん、「ジョバンニのお父さんが、船の事故に遭ったのに生きて帰ってこられた」ということは「誰かのおかげで生きる事が出来た」ということなんですね。
     その結果、ジョバンニは「誰かのために生きる」ということがわかって、生き生きとした少年、明るい少年として復活する。
     これが『銀河鉄道の夜』の全体のお話になっているんですけど。

     これ、『千と千尋』も同じなんですよ。
     『千と千尋』でも、冒頭のシーンでの千尋は、ぼーっと生きていて、生きているのか死んでいるのかわからない、食欲もないような欲望がない状態。カオナシのような状態なんですよ。
     そのカオナシのような、欲望のない、何をしたいのかもわからない状態から、人間になる話なんですね。

     そもそも、千尋たちの一家3人が不思議な世界に引き込まれていったのは「3人とも生きているとはいえない状態だったから」なんですね。
     お母さんは、死んだ長男のために娘と向かい合えない。たぶん、お父さんが引っ越しを始めた理由というのも、そんなお母さんのための気分転換みたいなものなんですね。
     だって、仕事の都合とか、全く言わないんですよ。劇中で彼らが引っ越す理由が全く語られない。少なくとも、千尋が理由ではないんです。じゃあ、お父さんが引っ越す理由というのは、たぶん、「お母さんがずっと塞いだ状態だから」ということで、気分転換しようとしている、と。
     だけど、それによって千尋は、なかよしの友達と引き裂かれて、まあ、絶望している。
     果たして、この3人は、この映画が終わった後、どう生きるのかと言うと。これは、後半の最後で語ろうと思っているんですけど。実は宮崎駿は、この家族に大ハッピーエンドを用意しているんですよ。
     でも、この大ハッピーエンドというのが、やっぱり、わりとわからない構造なんです。

     『千と千尋の神隠し』というのは、宮崎駿が宮崎駿のために作った映画であり、宮崎駿は登場人物を心から愛しているので、全員がちゃんと幸せになるような大ハッピーエンドを用意しているんですけども。
     それについては、ちょっと後半で語ります。

    参考文献

    • スタジオジブリ責任編集『The art of spirited away―千と千尋の神隠し』ジブリ・ジ・アート・シリーズ、スタジオジブリ、2001年
    • 『ロマンアルバム 千と千尋の神隠し』徳間書店、2001年
    • 『「千と千尋の神隠し」千尋の大冒険』別冊COMIC BOX vol.6、ふゅーじょんぷろだくと、2001年
    • 宮崎駿『スタジオジブリ絵コンテ全集13 千と千尋の神隠し』スタジオジブリ、2001年
    • 宮崎駿『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』ロッキング・オン、2002年
    • 宮崎駿『続・風の帰る場所 映画監督・宮崎駿はいかに始まり、いかに幕を引いたのか』ロッキング・オン、2013年
    • 宮崎駿『出発点 1979~1996』スタジオジブリ、1996年
    • 宮崎駿『折り返し点 1997~2008』岩波書店、2008年
    • 鈴木敏夫『風に吹かれて』中央公論新社、2013年
    • 押井守『誰も語らなかったジブリを語ろう』東京ニュース通信社、2017年
    • 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年
    • 宮沢賢治『新編 銀河鉄道の夜』(新潮文庫)新潮社、平成24年
    • 柏葉幸子『霧のむこうのふしぎな町(新装版)』講談社、2004年
    • 『ジブリの教科書11 ホーホケキョとなりの山田くん』(文春ジブリ文庫)文藝春秋、2015年
    • 『ジブリの教科書12 千と千尋の神隠し』(文春ジブリ文庫)文藝春秋、2016年
    • 『ジブリの教科書19 かぐや姫の物語』(文春ジブリ文庫)文藝春秋、2018年
    • 『宮崎駿「千と千尋の神隠し」の世界 ファンタジーの力』ユリイカ8月臨時増刊号、青土社、2001年
    • ニュータイプ編『千尋と不思議の町 千と千尋の神隠し徹底攻略ガイド』角川書店、2001年
    • 『『千と千尋の神隠し』を読む40の目』キネ旬ムック、キネマ旬報社、2001年

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