岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2019/12/14
今日は、2019/11/24配信の岡田斗司夫ゼミ「富野由悠季を語る 〜2010年11月講演感想戦」から無料記事全文をお届けします。
岡田斗司夫ゼミ・プレミアムでは、毎週火曜は夜7時から「アニメ・マンガ夜話」生放送+講義動画を配信します。毎週日曜は夜7時から「岡田斗司夫ゼミ」を生放送。ゼミ後の放課後雑談は「岡田斗司夫ゼミ・プレミアム」のみの配信になります。またプレミアム会員は、限定放送を含むニコ生ゼミの動画およびテキスト、Webコラムやインタビュー記事、過去のイベント動画などのコンテンツをアーカイブサイトで自由にご覧いただけます。
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本日の内容
【画像】スタジオから
こんばんは、岡田斗司夫ゼミです。
今日は11月24日なんですけども、毎月最後の日曜は再放送ということで、今、実はこの映像も録画なんですね。実は今、11月19日の火曜日なんですけれども。
ということで今日は録画でお届けします。今日の再放送は、再放送と言っても、みなさん見たことがない映像なんですね。2010年に大阪で行われた富野由悠季講演を語る、という動画です。
プレミアの方以外はほんとに見たことがないであろう、本当に貴重な映像なんですけども、一番痩せてた時代の僕が登場するので、どうぞ皆さんショックを受けないようにお願いします(笑)
『ガンダム』の監督の富野由悠季さんが2010年に大阪で講演してきたんですけれど、その講演っていうのが定員がたった80人だったんですね。80人だったので、もう倍率、20倍ぐらいの講演会だったんです。で、たまたま僕、そこに応募したら、超狭き門だったんですけど、偶然当たって、それで行ってきたんですよ。
たぶん聞きたくても聞けなかった人がすごく多かったんで、これは面白いなと思って、その富野さんの講演の直後に、富野さんがいったいなにを話したのかっていうのを僕が、岡田斗司夫が説明するっていう、イタコが降りてきたみたいなもんですね(笑)、っていうのを、僕のほうは定員200人で募集したんですよね。定員200人で募集したら、それでもわんさと人が集まって、定員80人の講演で富野由悠季がなにを語ったのかというのを、定員200人の会場で僕が語ったという、そういう動画なんですけれど。
観客の大部分は抽選に落ちた人なんですよ。なので、2時間あった富野さんの講演をできるだけテンポよくまとめたものが、前半です。
古い機材なんですよね、僕の講演の記録っていうのは。今のようにちゃんとしたピンマイクっていうのをつけてないので、音源もちょっと聞き苦しい部分もあります。これはもうほんとにごめんなさい。
これから無料部分で流すのは60分あります。長いです。
富野さんの講演内容を、無料部分は岡田斗司夫の解説を交えながら、富野さんの講演をできるだけ再現してるっていう部分です。
まず冒頭10分、えんえん富野由悠季が愚痴ってるところから始まるので、ほんとにね、冒頭10分、講演で富野由悠季が愚痴ってるだけだったんですね。
続いて、今中国では『ガンダム』がどうなってるのか、中国の若者にどのように受け入れられてるのか、これがけっこう富野さん長く喋ったので、ここらへんをちゃんと説明してみました。
無料だけでさっき言ったように60分あるので、長いです。
後半の質疑応答は有料の、限定動画になりますので、興味ある方は今のうちにドワンゴの岡田斗司夫チャンネル、月額500円の限定ゼミのほうに参加してください。
今日の有料放送の最後に、今これ動画なんですけど、有料放送の最後に生出演しますので、皆さんには夜の9時ぐらい、すでに限定に入ってる方、プレミアムに入ってる方には夜の9時くらいに生放送でお会いすることになると思います。
それでは富野由悠季の講演を解説する岡田斗司夫の過去動画がはじまります。
それではスタート!
富野由悠季講演会で語られた「このままではエラいことに!」
【画像】ゼミ会場から
(動画再生開始)
こんばんは岡田斗司夫です。
今日は、つい先ほどまでありました富野由悠季さんの『NHKカルチャースクール』の講演会を反芻し、それを元に勉強するという会ですね。
今日の会の前半は富野由悠季を語るっていうことなんですけれども。先ほど挙手をしていただいたところ、先ほどの富野さんの講演を聞かれた方が、会場の中には4分の1いらっしゃるぐらいだったので、まず「富野さん自身の講演を振り返って復習する」ということから始めたいなと思います。
では着席させていただきます。
・・・
富野さんの講演を初めて聞いた方もいらっしゃると思うんですけども、あの、すごく笑顔がカワイかったんですよね。
富野さんがあんなに笑う人だとか笑顔がかわいい人だっていうのは、僕も付き合い長いんですけども、最近になって発見して。「なんか最近、笑顔いいなあ」と思ったんですけど。
あれは単にアニメ作る現場から長いこと離れたせいで、富野さんが丸くなったんですよね。昔はニコニコ笑ってたと思ったら次の瞬間には鬼のような表情でキレて怒鳴る怖いおじさんだったんですけど(笑)。
最近は怒鳴らなくなって、いい人になって「普通に丸くなっちゃったのかな?」とも思ってたんですけども。
しかし、講演がいざ始まるとですね、政治を語り、人類を語り、歴史を語るという、熱くなるおじさんでした。
では、その富野さん自身の講演、『這い上がるために』っていうタイトルだったんですけど。そのダイジェストを今からちょっと話します。
・・・
一番最初の富野さんの挨拶が……まあ、観客席を見て、すごいびっくりしてたんですね。で、客層っていうのは、まあ、だいたい今日の皆さんの感じです。
なんか、富野さんにとってみればいつものお客さんだったんですね。言い方は悪いですけれども。
で、富野さんはそれにですね、入って来るなりすごい衝撃を受けてて。「えぇっ!?」ていう顔をしばらく本当にしてて。で、おでこがもう真っ赤になっててですね。一番最初、冒頭の5分ぐらいがこの愚痴でした。
「思ってた客と違う!」という。まるであの『M-1グランプリ』のダメだった時の笑い飯が「思ってたのと違う!」ってコメントをしたことがあったんですけど、あんな感じですね(笑)。
今日、80人以上のカルチャースクールが満員だったんですけど。
富野さん、なんかどうも「NHKの大阪カルチャーセンターだから、今日は主婦がいっぱい来るに違いない!」と思ってたみたいなんですよね。
自分のアニメなんか見たこともない、主婦とかオバサマ、女の人が山ほど来て。なんか、そうは言わなかったんですけど、もうちょっと「ワーワー! キャーキャー!」みたいな感じをですね、予想してたらしいんですけども。
もうね、俺、本当にね、喉まで出かかった言葉っていうのが「いい加減にしろ、富野由悠季! お前が大阪で講演したからといって、主婦が80人も来るわけねえだろっ!」と。
そう思っていたら、講演が終わった後で会場から出てくる人のほとんどが、みんなエレベーター付近で同じようなこと話してたんですよ。「ああ、みんなあそこで引っ掛かったんだな」と思いました(笑)。
・・・
富野さんは、とりあえずその主婦向け、アニメを見ない人向け、サラリーマン向けに作ってきたレジュメを、まあ、1回諦めて。
そこからリカバーするために、北京大学で……つい昨日まで中国にいらっしゃったんですね。で、その時の話から始められて。それが40分ぐらい続きました。
この話は面白かったです。
あのね、北京大学での富野由悠季の講演会、というか公開講義みたいな形だったそうなんですけど。それは明治大学との共通の講座で『先端アニメ交流会』というような名前で「中国と日本、お互いが持っているアニメーションとかコンテンツビジネスに関しての先端的な講義というのを、それぞれ交換しよう」という話で。
その交流会に日本からは富野さんが行ったんですね。日本から行ったのは富野さんと、あと付き添いで富野さんの奥様もいらして。さらにそのその付き添いで 明治大学側として明治大学の教授の藤本ゆかりさんというマンガ評論をやってるマンガの研究家の方もいらっしゃいました。
この人は奇しくも、皆さんも今手元に持っているだろう、ちくま書房の『遺言』という本の編集者でもあるんですね。だから、北京大学でいったいどんなことがあったのか、また今度、藤本さんからも話を聞けると思うんですけども。
・・・
富野さんは自分の中国での特別講義にすごいショックを受けてらっしゃいました。
なんでかというとですね、600人くらいの教室が一杯になったそうなんですね。5年くらい前に人民大学という、それも中国でわりとトップレベルの大学なんですけど、そこで授業した時にはまだ400人行くか行かないかぐらいだったんですね。それが、600人の会場がほぼ満員になって。で、それも、ものすごい熱心なアニメファンばっかりだった。
北京大学自体が学生数が4万人なんですね。ほんとに巨大な大学なんです。それも「マンモス大学だから偏差値もそれなりなんだろう」というと、そうじゃなくて。いわゆる中国の東大、ハーバードです。まあ人口が多いから。トップ中のトップ、とりあえず経済的にもトップだし、成績とかもトップの人間でないと北京大学なんて入れないわけですね。
その北京大学にアニメ研というのがあってですね、そのアニメ研の人数だけで600人いるそうなんですね。俺ら、そんなの聞いたことないですよね?(笑)
600人って言ったら、第6回か7回の『日本SF大会』の人数と同じです。たぶん昭和40年代、日本中のアニメファンを全て集めても、それくらいしかいなかったんですよ。
北京大学という中国最大のインテリ層で、おまけに北京大学にいくような人たちですから、勉強できるだけでなくてエリート候補なわけですね。産業界とかビジネス界全体のエリート層として期待されて。中国じゅうの田舎とか都会からガーッと北京に集まってくるわけですね。
それが、家の誇りとか名誉とか、一族とか地元の期待というのを背負って北京に来て、北京大学に行ったら、何を間違えたかアニメにはまってしまってですね(笑)。
今や、ビデオ流出事件(注:尖閣諸島付近で起きた中国船籍との悶着を記録した映像が海上保安官によってYouTubeに流出されたという事件。2010年11月)とかで日中関係があやしくなっているところなのに、日本人の講演を聞きに来ている。
これ、あとで富野さんに聞いたんですけれども。
「あの尖閣諸島の事件が起こって、中国と日本とのありとあらゆる文化交流が全面的にほぼストップしてしまった」と。コンサートとかもぜんぶ中止になりましたよね?
で、富野さんの講演会は、それ以降、初めて行われた日本人との文化交流なんだそうです。それぐらい北京大学はこの先端アニメ交流会をやりたがっている。
なぜかと言うと、北京大学というところ自体が……エリートばっかり集まってるから「体制バンザイ! 中国共産党バンザイ!」の組織かというと、そうではなくて。中国の中でもかなり過激な学生運動の拠点でもあるそうなんです。
政府としても「『ガンダム』の富野由悠季を見たいという学生の声を抑えてしまっては、また暴動になる!」という。おそらく、ほんとにそう考えたんですよ。
で、そのおかげで、富野さんが講演する時には、どこか挙動不審な、なにかを隠し持っているかのごとく背広の懐部分が妙に盛り上がった人が、SPみたいに付き添っていたそうなんですね。なかなか面白いなと思いました。
……いや、これは楽屋話だった。やっぱり今のは忘れてください。僕の妄想です。はい(笑)。
・・・
他の大学でもアニメ研というと、だいたい数百人規模だそうです。つまり、中国では、今、エリート層が行く大学の学生数が数万人規模になってきていて。その中でアニメ研というのが数百人。
北京大学4万人のうち600人ってすごいですよね。北京大学の人口の1.5%がアニメ研に入っているということなんですね。
そんなの聞いたことがないですよね。日本でも一番アニメやマンガが盛んだった1980年後半から90年代に入りかけの時でも、「大学生の1%が漫研、アニメ研に入る」なんて話、僕は聞いたことないんですけれども。
だって、漫研、アニメ研に入るってことは、イコール「僕たちは日本の文化が好きです!」と宣言してるようなものだから。ある種、それを北京で宣言するのは危ないことだと僕は思うんですけれども、そういう危険を冒してまで入ってくるし、熱心に富野さんの講演を聞きに来る学生がそんなにいる。アニメ研がそんなに存在してるって、僕、びっくりしました。
これ、中国じゅうの大学が、まあそういう感じなんだそうです。今、漫研、アニメ研に人がわんさか入っている状態で、それを見て富野さんは「なにかが変わりつつある」というふうに考えたそうです。
まず一つ言えるのは、中国では富野由悠季の『機動戦士ガンダム』にしろ『海のトリトン』にしろ『ザンボット3』にしろ『伝説巨神イデオン』にしろ、どの作品も一度もオンエアされたことがないんですね。どの作品もDVDもビデオも売られたことがないはずなんです。
ところが、北京大学の講演会に来ている600人の……一般公開の講座だから大学外の人も来てるんですけども。その人達は全員ガンダムを知ってるし、ガンダムを見てるし、富野由悠季という人を目当てに来てるんですね。
変な話なんです。もし、中国が本当に世間やマスコミで言われてたりするように言論統制がとれていたり、中国共産党によって情報統制がされているとしたら、富野由悠季の名前を知ってるわけがないし、もし名前を知っていたとしてもそれを映像で見ているはずがないんですね。
だけど、来てるやつのほとんどは富野由悠季のガンダムを通しで見たやつばっかりなんですね。
富野さんはそれを見て、「中国における言論統制というのは、実はもうほとんど成立してないんだな」って考えたそうです。
僕らはまだ「中国がネットに関しては抑圧してる」と考えがちですが。そりゃ、抑圧はあるでしょうし国家の制限はあるのでしょうけれども、完全な抑圧なんてできるものではないっていうのがこの一例でわかります。
おそらく、世界で一番厳しい監視下……北朝鮮とかもっと厳しいでしょうけど、北朝鮮はそれ以前にパソコンとかそういうものの絶対数が少ないですから。そういうものが、ある程度は豊富にある国で。国民に対して中国共産党はかなり制限してるはずなのに、もう隠せなくなってる。抑えられなくなっている。
諸外国に対して「中国共産党が情報統制をやっているんだぞ!」という、ジェスチャーとまでは言わないですけれども、そういう虚勢を張ってるだけの状態にジワジワとなりつつあるんだなあ、と。
そういうことを、僕は富野さんの講演を聞いて感じました。
・・・
もう1つ、富野さんが感じられたのは熱意のすごさですね。
で、この熱意のすごさというものについて、富野さんは必ずしもポジティブな意味だけでは使っていませんでした。
「この熱意のすごさ、層の厚さというのを感じると、僕は何とも言えなくなる」って言ってたんですね。
どんなことかというと、彼らの同人誌を見たそうなんです。
同人誌は、今はDTPとかが使えますから、すごくキレイな出来なんですけども。
それを見てわかるのは「彼らがアニメがどれくらい好きか?」「日本のアニメをどれくらい知っているか?」ということ。
それは『ガンダム』かも『エヴァンゲリオン』かもわからないし、そのほかのいろんな日本のアニメの作品も載ってたそうなんですけども。「どんなに好きか?」、そして「何かをやろうとしている」のが伝わってきたと。
つまり、「単に好きで同人誌作ってるんです」というのではないんです。
今の日本のアニメファンとかマンガ研究会とかを見たら……僕は自分自身が大阪芸術大学で教授やってるから分かるんですけども。マンガを好きとかアニメを好きだとかいっていても、最近の日本の学生の人っていうのは同人誌活動をあまりやらないんですね。
それは「ブログがあるから」「ネットがあるから」とよく言われるけど、それだけではないです。何かを表現しようとしたら絶対に形に残したくなるんですね。
だから、同人誌とか、もしくはブログにしても「どんどんデータを増やしていって~」ってやりたくなるはずなんですけども。そんなブログを作っている人がほとんどいないし、同人誌活動もアニメファンの数が増えているわりには盛んになっていない。
つまり富野さんから見たら「日本のアニメファンは熱的に徐々に下がってきている」と。
「ファンがヌルくなってる」という言い方よくするんですけれど、そう言うよりも、本当に「熱意全体が持ちにくくなっている」。
たぶん、日本のファンだけ見てたら、それはよくわからないんです。
中国に行って、北京大学の学生を見た時に、あまりに膨大な熱量をバッと浴びて「ああこれだ!」と富野さんは思ったそうです。「二十年くらい前に俺がガンダムやってた時と同じだ!」と。
『伝説巨神イデオン』が終わった時に「アニメの受け手送り手接触キャンペーン」っていうのをやったんですね。富野さん自身も参加した。受け手送り手って何かというと、「アニメを見る側と作る側が対等な立場になって出会おうよ!」という当時のアニメ界ではかなり革新的なキャンペーンをやったんですよ。
当時のアニメ界っていうのは、アニメを作る人とアニメを見る人の間にすごい距離があって。で、アニメのファンの人が業界に入るようなことはほとんど考えられない状態だったんです。
その時代からアニメを作ってこられた富野さんが今、北京に行って「20年ぐらい前のあの当時の熱いアニメファンと同じようなやつらがいる! でも違う! 何が違うのかというと、こいつらは最精鋭のエリートで、おまけにこの大学だけで600人いて、そしておそらくこの国には何10万人といるんだ!」ということに衝撃を受けたそうです。
・・・
富野さんは「これはどうなるんだろう?」と話をしてました。はっきり言って「5年から10年後、日本のアニメ産業は負けるな」というふうに感じたんだと思います。
富野さんも流石にそこでは言葉を選んで、「アニメ産業が負ける」っていう言い方はしていません。「このままではエラいことになる! このまま日本はずっとアニメの先進国で、彼らが作るアニメはチャチで、そして彼らは著作権とかを気にしないでパクリばっかりやっている、そういうふうに笑っていられる事態ではない!」という、すごく回りくどい言い方をされていました。
一方で、講演の他の場所では「そのチャチに見えるアニメーションというのを、テレビでオンエアするためには、どれだけの手間が掛かるのかを僕は知っている。俺が昔作った『鉄腕アトム』を見てみろ! あれはテレビアニメじゃない。テレビマンガだ!」っておっしゃっていた。
テレビマンガっていうのは何かっていうと。アニメは動くんだけど、マンガは止まった絵なんです。つまり、テレビでマンガを見せているだけ。「これが動いていないということは、作っていた当時から自分たちでもわかっていたから、テレビマンガという表現を使っている」って話をされていたんだけども。
「その当時、東映動画の宮崎駿さんや高畑勲さんたちが『鉄腕アトム』をどれだけバカにしてたか」というのが、手塚治虫の伝記小説にはいっぱい書かれているんですよね。
「動いてない!」「アニメじゃない!」「やっぱりマンガ家にアニメは作れっこないんだ!」「毎週一本テレビでアニメなんか作るのは不可能だ!」「あれはアニメじゃない!」「チャチだ!」っていうふうに笑ったって書いてあるんですね。
で、今の中国国内で流れているものというのは、北京大学の大学生すらも「チャチだ!」って笑うようなものなんですけども。富野さんにしてみれば、それを毎週オン・エアーできる状態というのが、そろそろ、どういうことになるのかがわかるんです。
今、中国では、平日、土日以外のウィークデイは夜も朝もアニメやってるそうです。これをもう何年も続けているそうです。この基礎力がずっと続いているっていうことは、日本のテレビ業界でいうと60年代末ぐらいの状態に徐々に徐々に近づいていく。「もうすぐブレイク・スルーが起こるであろう」っていうことは富野さんは自分自身の経験ではっきりわかっている。
なので、ここから5年後、10年後、日本のアニメ界がおそらく負けるであろうということが、富野さんにはだんだん見えてきているんですね。
・・・
もちろん、お話作りとか、内容とかキャラクターのセンスに関しては、日本にまだ分があるかもしれない、日本は勝っているかもしれない。しかし、それはどういう勝ち方か?
僕、自分自身が思いついた例があったので、楽屋で富野さんにぶつけてみました。
1960年代ぐらいにソニーが小型のラジオを作ってアメリカに輸出したんですね。
その時、アメリカ人は感心しながら笑いました。「ああ、日本人は国土が小さいし国民も背が低くてちっちゃいから、ちっちゃい物を作るのが上手いよね。俺たち、こんなちっちゃい物は作れないよ」って。
その当時のアメリカは大型のテレビ、大型のステレオ、大型の冷蔵庫と、ひたすら大きい物を作り、車もひたすら大きく作っていた。なので、日本から輸出されるコンパクトカーとか、もしくは小さいテレビとか小さいラジオを見て、ずっとアメリカ人は笑っていたんですね。
でも、そんな小さい物を作る技術というのは、彼らにはなかったんです。「そんなものは別に必要ないよ。俺たちだっていざとなれば作れるだろ? そんなものは日本に任せちゃえばいいんだよ」と言いながら、徐々に徐々にアメリカの没落が始まりました。
アメリカの家電製品の没落というのは、1970年代から80年代ぐらいにかけて、ついにアメリカの国内でテレビを作れなくなったという事件が起きたんです。
もちろん、作れるんですけども、アメリカで作ったらとんでもなく高くついちゃうし、ブラウン管式のテレビを作る技術者がアメリカにはもういなくなってしまった。
だからもう「テレビみたいなものは日本人に任せればいいんだ!」「アメリカは最先端のパソコンとか科学の先端やればいいんだ!」って。アメリカ人にしてみれば負け惜しみかもわかんない……まあ、今見りゃ負け惜しみなんですけど。その当時は「いや、住み分けだよ」みたいなこと言って。徐々に徐々に撤退していったんですね。
その結果、アメリカの家電業界は1980年後半ぐらいから完全に日本に乗っ取られたような形になりました。現在ではそれがまた逆転してですね、日本が韓国や中国に乗っ取られたような状態になっているんですけども。
おそらく、今、これと同じような状況が中国と日本のアニメ界で起こりつつあるんです。
僕らからしてみれば中国のマンガやアニメというのはもちろん……1960年代当時のアメリカの家電業界の人からみたら、日本製品なんてロクなもんじゃないですよ。壊れやすいし安っぽいし音も割れるかもしれない。安いだけが取り柄で一杯作っている、てなもんですね。
でも、そこからずーっと作り続けて、ずっと研究していったら、10年から15年くらいでアメリカ製品を全部ひっくり返すぐらいの力を持っていた。
そして「この、日本が家電製品でやったようなことを、中国はコンテンツ・ビジネスでやろうとしているのではないか?」っていうのが、富野さんの読みです。
だからこそ、北京大学の、最高学府の学生達が数百人アニメ研に入るような事態になっている。
そして、彼らが5年後10年後……なんせ中国の東京大学、中国のハーバードですから、現場に入るんじゃないんです。彼らはプロデューサーになり、映画会社の重役になり、そして、それらを輸出するようなビジネスマンになって、中国のコンテンツ産業に参加してくるわけですね。
で、「ははあ、なるほど! こういうふうに考えればいいんですか?」と富野さんに聞いたら、「そうです」って富野さんはおっしゃいました。
・・・
今の中国のアニメっていうのは、たぶん、中国の宇宙開発と同じようなもんなんですね。
国策として、一気に先進国に追いついて追い越そうと考えている。だから、「世界最速のコンピューターを中国が作る!」「世界最高の宇宙開発も中国がする!」と。そして、「そのうちコンテンツ・ビジネス、マンガやアニメでも世界最高のものを中国がやる!」というような意志がある。
これは逆説的に聞こえるかもわからないですけど。主語として「中国が」って言ったんですけども、そうでないほうが恐ろしいと思うんです。「彼ら国民一人一人がやりたくてやっている」というのが、この恐ろしいところなんですね。
つまり、さっき言ったように北京大学のような場所自体が、全共闘時代の東京大学みたいなもんですから、学生運動の本場でもあるんですね。反体制で頭のいいやつが集まるところでもあるんです。だからこそYouTubeとか見まくって『ガンダム』を知ってるやつばっかりが集まるわけですね。
そんな状況の中で富野さんは講演されてきた。
これが「国策としてアニメを作ろうとするだけ」ならそんなに恐ろしくないんですよ。「国家をあげてアニメを作ろう!」なんて言われたら「そんなもんができるかよ!」って思うぐらいの反骨心は富野さんもまだお持ちなんですけど。
そうでなくて、「ああ、こいつら一人一人が本当にアニメが好きなんだ。おそらく宇宙ビジネスも好きだろうし、おそらく世界最速のコンピューターも好きなやつらなんだ。そして、そういうやつが何100万人、何1000万人といて、その母集団の中で最優秀のやつらを集めてるのと同じ事なんだ」って。
そういう意味で「自分たちが作っているアニメビジネス自体の足下が本当にグラッとするのを感じた」っておっしゃってました。
日本という国が第二次大戦後、急激に工業化しましたよね。それまで農業やってたり、もしくは家内制手工業とか、あとは小さい町工場にエンジンが1台か2台あってそこで動力を回してたところから、日本中に一斉に小さい工場がいっぱいできて、戦後の日本の工業化、復興というのがあったんですけども。
かつての日本が工業化したのと同じように、中国はものすごい勢いでコンテンツ化しようとしているというふうに、僕には見えました。
なぜ日本のアニメーションがどんどんダメになったか
【画像】ゼミ会場から
あと、面白かったのが「サブカルチャーのバブル」という言葉を富野さんが使ったんです。これも面白かった。
そんなふうにおっしゃっていないんですけど、たぶん、これが富野さんのオタクの定義なんです。
オタクというのは何かって言うと。「日本にはバブルが2つあった」と。1980代と90年代ですね。
1つ目は「経済のバブル」。それは僕たちの社会にいまだに尾を引いて被害を起こしている。まあ、被害と言ったら悪いことだけに聞こえるかもわかんないけど。
僕たちは豊かさを経験することによって色んなものが見えるようになったんだけど、やっぱりそこで「儲けなければいけないような気がする」とか「お金がなければ幸せになれない気がする」とか、あとは農業から急激に人が引いてるとか、色んな被害を受けたはず。それがバブル経済の被害です。
同じように「「サブ・カルチャーのバブル」もあったのではないか? それがオタクなのではないのか?」ていうふうに、おそらく富野さんは考えています。
・・・
でも、それについて僕は、楽屋では聞けなかったんですね。
聞けないのには理由があって。あの、富野さんの講演を聞きたかったのは純粋に「聞きたかった」だけであって、終わった後で楽屋に入れたのはほんとに偶然だったんですね。
富野さんの知り合いにたまたま会って、で「中に入りますか?」って言われて、ご挨拶して、ってことだったので。
僕はあんまりそこで答え合わせをしたくなかったんですね。
っていうのも、昔、僕が富野由悠季さんに初めて会った時に「僕、ガンダムが大好きです!」って言ったら、富野さんは間髪入れず「あなたはガンダムなんかが大好きなの? 僕はガンダムなんか大キライ!」ていうふうに……まあ、あの、今も時々出てくるオネエ喋りです(笑) 。それでビシっと返されて。
で、その時に「この人なんなんだろう?」って思った疑問がいまだに僕の中でずっと続いている。これが「富野由悠季をわかりたい」っていう原動力なんです。
その時から僕は勝手に「俺は富野由悠季の弟子だ!」っていうふうに自分自身に言ってるんですけど。今日も、まあ、本人の前で「いや僕はあなたの弟子ですから!」って言ってきたんですけど。
僕は昔、富野さんにそういうふうに言われて「この人なんでこんなこと言うんだろう?」って。「もし強がっているんだとしたら、なんで僕みたいな若造の前で強がらなきゃいけないんだろう? なんでこの人はこんなにねじれちゃってるんだろう?」っていうのが謎で。
その謎っていうのを解き明かすではなく、本人から教えてもらうのではなく、僕は勝手に解釈して。「あ、富野さんてこういう人なんだ!」イコール「人間てこうなんだ!」イコール「ガンダムってこうやって作られているんだ!」イコール「人間にとって物語とは何なんだ!」……っていうふうに、富野さんを起点に色んなものが解きほぐれていく。
これが、師匠と弟子の関係だと思ってるんですね。
・・・
なので、あんまり答え合わせみたいなことはしたくなかったんですけども。
富野さんが一生懸命話してた「中国が今すごいんだ! そして、そのすごいっていうのは何かとんでもないことで、僕たちにとっては怖いことなんだ!」っていうのを聞いて「富野さん、それはかつての日本のトリニトロンテレビがアメリカに与えた衝撃みたいな話ですか?」て言ったら、「そう! それそれ!」って楽屋で言われたんですよね。
だから、「俺は答え合わせができたし、富野さんは今後、講演する時にこの言葉を使ったらラクになるだろうなあ」っていう。お互いにいい取引だったんですけど(笑)。
そういうことがあるんで、あんまり答え合わせしたくないんです。話はズレますけど。
だから、講演とかで、よく質疑応答をするんですけど……後で質疑応答大会やるから、こんな話をしたらやりにくくなるかもわかんないんですけども。質問っていうのは「自分に対する質問だ」と思った方がいいですね。
「これを聞きたいんですけど」と聞く時は「前に立っている人が答えてくれる」のではなくて。「前に立っている人がヒントみたいなものをくれるから、それを元にして、5年がかりか10年がかりで自分で答えを見つければいい」っていうぐらいの考え方が一番楽しいと思います。
ごんめんなさい、ちょっと話が横に流れました。
【画像】ゼミ会場から
で、なんかね、「ちょっと怖いなあ」と思った話。
(ホワイトボードに図説しながら)
かつての米国と日本の関係を考えると、アメリカは先端技術で家電製品を作ったわけです。ゼネラル・エレクトロニックの冷蔵庫とか、そういうのは日本人の憧れだったわけですね。
それを日本人が作るようになった。そしたらアメリカ人は、もう生産する手段を失ってしまった。で、どうなったかっていうと、「じゃあ、企業の買収だけしてればいいや!」ってことでここでマネーゲームに行った。
じゃあ、「日本が生産を独占していて、アメリカは金融経済だけ発達していたのか?」っていうと、そういうわけでもなくて。徐々に徐々に形が変わり続けていく。やっぱり、マネーゲームだけでは国というのが成立しないので、こっからアメリカは徐々にIT化の方に動きました。
で、日本も同じくIT化のほうに動いたはずだったんですね。まあ、日本の場合はマルチメディア化っていうのが80年代ぐらいに言われていました。
では、このマルチメディア化をやった結果、今、どうなっているのかと言うと。
日本ではソニーなり富士通なりが、パソコン作ったり、スパコン作ったり、あとゲーム機作ったり、携帯電話を作ってたはずなのが、これがいつの間にかガラパゴス化っていうふうになってきた。ガラパゴス……カッコイイですね。宇宙怪獣ガラパゴスみたいで(笑)。
で、その間、アメリカがどうなったのかと言うと、プラットホーム化するようになってきた。プラットホームっていうのは何かっていうと、ネットとかのインフラを作る、もしくはそのインフラの中の仕掛けそのものを考えることですね。
だから、今、アメリカは、この「マネーゲーム → IT産業 → プラットホーム化」という形で産業形態を変えている。ネット上の仕掛けや仕組みというもの、もしくは、そこで行われる「どのようにして情報を交換するのか」っていう情報交換のルールを決めることによって、ネット上における事実上の法体系を決めてしまったわけです。
これは、ネットがアメリカ人の大好きな法社会になったということです。
ところが日本はその中でガラパゴス化しちゃったから、こっからもう一回、産業界のネットワークに入ろうとしたら、どうしてもアメリカのプラットホームに乗らざるを得ない。
なので、日本のコンテンツ産業は作っても作っても作っても作っても、アメリカのプラットホームにお金を与えるだけになってしまった。
では、家電はどうなったのかっていうと、今や中国や韓国が作るようになってしまった。かつてのアメリカを日本が追い落とした時とまた同じ構図ですよね。
そうなると、日本というのは、真ん中で抜かれちゃっている状態なんですね。かつてお金を稼いでくれた家電は中国や韓国のほうに奪われて、そしてマルチメディアとかで情報立国になるはずだったのが、それはプラットホームという形でアメリカに抜かれて、真ん中で何もない状態になっている。
「でも、その中でもまだコンテンツビジネスだけはあるよ!」って。つまり、「ソフトだけはあるよ!」「マンガとアニメはあるよ!」って言ってるんですけど。
だけど、ピクサーぐらいの規模でアニメ作品を作られたら、CGアニメのほうはアメリカに抜かれるし。そうじゃないような、日本人がやっている手作業のアニメっていうのでも、中国が本格的にやりだしたら、北京大学のアニメーション好きの学生が研究とかやり出したら、「これ、10年先はどうなるかわかんないぞ」っていう話なんですね。
「本当に僕らは何にも無くなっちゃうんじゃないのかな……?」っていうのが、おそらく富野さんが感じていた恐怖だと思います。
・・・
で、まあ、ここらへんでですね富野さんの、ちょっと良い発言が出てきて。
「アニメーションっていうのはね、色んなものを持ち込まなきゃダメなんだ!」と。で、なんで日本のアニメーションがどんどんダメになったかっていうと「アニメを見ているようなやつがアニメ界に入ってきたからだっ!!」っていう、富野さんが昔から言っている、僕や庵野君に対する悪口がまた始まるわけですよ(笑)。
「お前らみたいにアニメだとか特撮とかを見て、それをもう一回アニメ界でやりたいとか言うやつらが入ってくるからダメになるんだっ!!」っていう。まあ、おっしゃる通りなんですけど。
別にアニメに限らず、あらゆるメディアとかエンターテイメントというのは総合的な芸術であるから。他の色んなもののファンが集まって……プロレスファンから、釣りファンから、F1レースのファンから、スポーツファンから、山登りが好きなやつから、色んなヤツが集まって、自分が知っている面白いことっていうのをちょっとずつ乗っけて総合的に作らないと、みんながビックリして感動するようなものが作れるはずがない。
「なのに、アニメーションを見て、好きで、それをアニメでやりたいっていう縮小再生産では、成立するはずがない!」と。そういうふうに富野さんは考えてたんですよ。
そこで富野さんが言っていたのは「だから! 色んな人材が入らなければダメなんですよ! 例えば自衛隊の人が入ってきたり……自衛隊って言ったら危険かな? じゃあ、例えばゲイバーの人が入ってきたり~」って(笑)。
そういう時の例えとして、急に自衛隊とゲイバーを出したりするから、俺みたいな人間にツッコまれるわけですよ。
富野さんにとって「多様な人間が必要だ!」ってなると、いきなり自衛隊とゲイバーなんですよね。つまり、富野さんの中では色んな人間、今のアニメ界にいない必要な人材というのは、マッチョかオカマかのどっちかなんですよ(笑)。
「面白れえなあ、このおじさん」って。本人も流石に「自衛隊とゲイバー」って言いだした辺りで、慌てて色んなことを言い出したけど。「例えば主婦とか!」って、なんか言い訳みたいに言うとこもかわいかったです。
ロリアニメは女の子の「恋愛不全」の原因?
【画像】ゼミ会場から
そういう話の辺りで、ちょっと気になったフレーズが出てきました。
富野さんがその時に話してたのが、最近の女の子が見ているアニメ。あの『プリキュア』みたいなやつです。「そういうふうなものが、はたして子供が見るに適しているのかどうか?」と。
「6歳とか8歳の女の子が、ああいうスピード感のあるものを見て、本当に楽しいと思うのかな?」、もしくは「6歳8歳の子供にあんなスピード感のものを見せて、他に見せるものとのバランスとかを考えているのか?」って話をしてたんですね。
まあ、富野さんのこの話は、最近のアニメに対する批判なんですけども。僕には、それを聞いて「あっ!」って、頭の中にひっかかったことがあったので、楽屋に行った時に富野さんに話したんです。
大阪芸大だけではないと思うんですけど、最近、学生、特に女の子の学生からの相談で「私はバイです!」とか、もしくは「私は同性愛かもわからない」っていうカミングアウトがすごく多いんですね。
これがね、この5、6年間ぐらいで、本当にどんどん激増してきてるんですよ。5、6年前まではまだ、彼女たちもそれで悩んでたりしてたんですが、最近は「だから彼女を作りました!」とか「彼氏はいらない。彼女がいれば」みたいな話があったり、あと「○○は俺の嫁!」っていうのが、もう、最近は女の子同士で言うようになっている。
これは、ひょっとしたら当たり前かもしれないんですよ。昔から、センスが先端的なところに、同性愛の人とか、もしくはヘテロだけでない人が集まるのは当たり前のことで。僕もそう思って解釈してたんですけども。
「あれ?」って思ったんですね。というのも、女の子が女の子を好きになるという場合、彼女たちから同時に出てくる話っていうのをまとめると、どうも「恋愛不全」っていう現象が起こっているような気がしたんですよ。
僕たち男はですね、ついつい男性の恋愛不全現象ばっかり考えてしまうんだけども、実は今の20歳ぐらいの女の子を中心とした恋愛不全現象ってかなり深刻じゃないかな、って考えました。
で、その原因の一つが、いわゆる『プリキュア』などのロリアニメではないのか?
これ今日、僕が富野さんの講演を聞いてる最中に「あっ!」と思いついた仮説です。こう考えるとかなり色んな事が説明つきます。
・・・
ロリアニメっていう言い方をしたものがつまり何かっていうと、「女の子はかわいい!」「女の子は素晴らしい!」「少女らしくあることは良い事だ!」、そして「女の子というのを愛でたい!」というアニメのことですね。
日曜の朝とかにやってる……まあ、日曜の朝じゃなくてもいいんですが。そういう女の子向けのアニメというのは二重構造になっています。
一重構造は「小さなお友達向け」ですね。つまり女の子がみて「かわいい!」とか言って、憧れたりするようなお話になっています。
しかし、二重構造目としては「大きなお友達向け」になっている。大きなお友達ってのはなにかっていうと、まあ、オタクなお兄さんであるとか、お姉さんであるとか。もしくは、娘と一緒に平和な顔してアニメを見ているパパが、実はヨコシマな心で見ている。そういう二重構造ですね。
で、そういうアニメを作る人間も売る人間もこの二重構造のことをよくわかっているんです。そして、「この二重構造は子供にはバレない」と思っているんです。
でも、富野さんがその後、講演のクライマックスの『海のトリトン』の話の中で「本気で作ったものは必ず子供に伝わる!」っていう話をされていたんですね。
それと合わせて考えると、このロリアニメが持っている二重構造も、本来、子供には隠しているはずの「女の子っていうのはかわいいんだ! そして、愛でるのがいいんだ!」っていう部分が、子供に伝わらないはずがないんです。
なぜかと言うと、その二重構造の二重目の部分にこそ、物を作る人間なりアニメーターなりシナリオライターの本気度が強く掛かっているからですね。
つまり、子供向けの部分はいわゆる外側のガワ構造であって。まあ、ちゃんとは作ってるんですけども。より熱量が高い、本気度が高いものっていうのは、そのロリアニメのロリの部分なんですよ。
結果、それを大量に見た女の子たちが十数年後、今、20歳になって恋愛不全現象を起こしている。
僕がショックだったのは、これまで「ロリアニメみたいなものがはたして社会に対して害毒かどうか?」っていう表現の自由とかそういうのを考える時に、青少年の性犯罪っていうことを中心に考えてたんですね。
つまり、「ロリアニメによって男の子の心は破壊されて、幼女に対する性的衝動を覚えるかどうか? それで犯罪を起こすのかどうか?」っていう部分ばっかり語られているんだけども。
ひょっとしたら、それよりも遙かに大きくて、そして、今まで僕たちに見えないところで進行してきた事態というのが、今の女の子の恋愛不全という現象ではないのかな、と。
こういうふうに考えると、今、僕が大学でみんなからレポートをもらいながら「あ、こんな現象が起きてるんだ」って思うことにピッタリあてはまるんですね。
・・・
それを思い切って楽屋で富野さんにぶつけると、富野さんは絶句して「それしかあり得ないよぉ!」って、メチャクチャショックを受けてました。
たしかに、富野さんのような作っている人からしたら「自分たちが本気で作っているもののメッセージは子供達に伝わっちゃっている」ってのが理解できるんですね。
で、それを20年ぐらい前から、作る側は「どうせ子供にはバレない」と思って、それを無自覚にやっていて。それが男の子に対する被害だったら自分たちもあらかじめ計算してたし、そういう事件も何度も起こってるからわかってる、許容範囲のつもりだった。
ところが、女の子に対して自分達は何かとんでもなく酷いことをしてたんだ……いや、酷いかどうかわかんないですけども、その人が幸せだったら構わないと思うんですけど。
でも、現実に恋愛不全という現象を引き起こしてまで、ああいうアニメを作り続ける意味や価値が道義的に正しいのかどうか? それに関して、僕たちは何も考えなかったっていうことなんです。
そんなことを考えて、ちょっと「おおっ!」と思って。
富野さんに楽屋で話したら、富野さんも「おおっ!」ってなって。
で、富野さんの奥さんも「おおっ!」ってなった、と(笑)。
天才と「雇う側が本当に欲しい人材」の関係
【画像】ゼミ会場から
そこから、富野さんの昔話に入って。
日大芸術学部を卒業して就職先がないので虫プロのアニメの演出になったっていう話ですね。
「仕上げのお姉さんたちに直に頭下げないと仕上げをやってもらえないんだよっ!」っていう。まあ、わりと昔話でした。
まあ、昔話でありながらも、富野さんがすごく伝えようとしてたのが、リアルな人間関係ってやつですね。
虫プロでは、同じフロアに全スタッフがいるんです。そこで、アニメ原稿の仕上げをするお姉さんたちに富野由悠季という人は嫌われていたそうですね。
嫌われるとどういうことが起きるのかというと、本当に『鉄腕アトム』の富野さんの担当する話の色を塗ってくれなくなるんですね。目に見えない形のいじめみたいなもんではなくて、富野さんの担当カットのカット袋が積み上がって減らないわけです。
で、富野さんはその自分を嫌っているとわかっている20人ぐらいのグループのお姉さん一人ひとりに会って。本当に具体的に頭を下げて「やってください!」とか言ったら、ものすごい文句言われたり、「何でこんな事を~!」とか「 だいたいアンタは~!」みたいな、言ってもしょうがないことを言われて。それでも、頭を下げてでも、無理言ってでも仕事してもらう、と。
こういう誰かに仕事を頼むっていう時、その人が怒ってたり機嫌がよかったりするのは、必ずしも合理的な理由なだけでなく理不尽なこともあって。
そういう場合でも何が何でも頭を下げてまでやってもらわなければいけない立場っていうのが、演出とか制作進行の立場で「こういうふうなことを君たちはわかってるのかっ!?」みたいなことも言うんですけども。
富野さんの言うことは、別に『海のトリトン』の時代だけでなくて、僕がアニメを作ってた時代もそうなんですけど。
富野さんの危惧は、それが東南アジアの下請け会社にネット経由で仕事を流して行って、断られた。断られたら「でも、もっと安い値段で受けてくれるところがこの国ではある」っていうふうに他所に頼む。そうやって、分散すれば分散していくほど、他人に頭をさげてやってもらうということがなくなってしまう、と。
つまり、仕事っていうのは、値段とか条件とかでやってもらえたりするんだけども、「そういう、やってもらえないという理不尽な状況を前にして、具体的に目の前の人に頭を下げるという行為なしに、人は大人になれるのかっ!?」みたいな、問いかけをするんですね。
富野さんの話ってね、自分のアニメの面白い経験談と、そういう説教が合体してるから、聞いてる僕も、もう、面白がっていいのやら、申し訳なく聞いていいのやら、わかんないですけども(笑)。
・・・
あと面白かったのは、富野さんが言ってた「アニメは映画であるということを早い段階から発見した」って話。
アニメは映画であるというのは何かっていうと、例えば『鉄腕アトム』のように、止まっている絵を見せるしかないような作品であっても、そのコマを、止まっている絵を何秒も何秒も見せる、つまり、「見る側に時間を強要している限り、それは映画である」ていう話をしていました。
そして、もう一つの特性は「ストーリーがないとアニメ作品というのは成立しない。映画というのは成立しない」と。
絵に関しては、実はどうにでもなる。絵に関しては上手いやつっていうのはいるし、上手くないやつが集まっても何とか作品っていうのはできるんだろうけども。
ただ、物語をつくる、お話をつくる、ストーリーを語るっていう才能は希有であって、いまだに富野さんは「やっぱ教えられない」って言ってます。
北京大学で講演をする時も「そこの部分を教えてくれ!」と言われて、誠意を持って考えたんだけども、やっぱり教えられない。「希有な才能である」と。
その才能は「何かを語りたい!」という意志や、語るべきことが自分の中にないとどうしても生まれてこない。その意味では、物語を語る才能、お話を作る才能っていうのは、すごく希有なもので。
それは、8歳から10歳ぐらいまでに、何か習った時に「なんでこうなの? もっとこうすればいいのに」とか「ああ、君たちみんなはこういうの好きなの。でも僕はこっちのが面白いと思うけど。とりあえずこの話聞いてくれない?」っていうような、自分の状況に対する疑問と、それに対する再提案みたいな習慣が、子どものうちに身についていないと無理だ、って言ってます。
で、そういう話を、会場中の、みんなオーバー30くらいの男達が聞いているわけですけど。「そんなこと今更言われても……」みたいな(笑)、 ちょっと面白かったです。
・・・
じゃあ、アニメーションというのは、そういうすごい才能の人ばっかり集まってやるのかっていうと、決してそんなことはない。
「アニメーションていうのは、虫プロに自分が入れたことでわかる通り、中途半端な才能でも充分作れる」と。まあ、富野さんは卑下して言うんですけども。
そんな中で「まあ、宮崎駿とか大塚康生は、ちょっと、もう別格なんだよ」って話をしていて。
富野さん自身が、昔、宮崎さんや大塚さんの引いた鉛筆の線を見た話というのをしてました。あの話は良かったです。
僕も、上手いアニメーターの引いた線って見たことがあるんですけど。
上手いアニメーターが引いた線ってね、別格なんですよ。鉛筆で描かれたものなんですけど。普段、「鉛筆で描いてペンで清書しない」っていうのは欠点にしかならないんです。だけど、上手いやつが描いた鉛筆画っていうのは、色がついてたり仕上がったりしてるものよりも、見てる側の想像力を喚起する、すごい力を持ってるんですよね。
で、富野さんがそれに対して言ってたのが「上手いアニメーター、もう、宮崎、大塚レベルが描いた原画とか線は、消しゴムが掛けられない! こんなものにどうやって消しゴムを掛けたらいいかわからないから、もうそのままいただくしかない!」って話をしてたんです。
これね、すごくわかるんです。
で、「そんなスタッフがアニメ界に存在することが良いことかと言うと、必ずしも良いことばかりではない」っていうお話をしてました。
なぜか? アニメというのは数十人の共同作業で作るんですね。数十人の共同作業で作る時には、全員のレベルが均一に高いというのはすごく良いことなんです。あるいは、全員のレベルがある程度バラバラというのも良いんです。上手いやつが下手なやつを教えられるから。
でも、その中にものすごく上手いやつが一人いたら? それを見た全員が萎縮しちゃうんです。
宮崎さんとか大塚さんがいた当時のアニメ界ではそういうことがよくあったそうです。彼らの絵を見たら、それは原画かもしくはレイアウトですから、アニメーターがその上に線を乗っけて動画に落としていかなければいけないんだけど。誰も怖がって出来ないんですよ。
大塚さんの絵に自分の絵を乗っけて、間を作画で割っていく……割るっていうのは、間の動きを補完することですね。手を振るシーンだったら、原画家の大塚さんは振り始めと終わりの絵だけを描くんです。その途中の何枚かの絵を割っていかなきゃいけないんですけども、これがもう割れない。
「大塚さんの絵を殺しちゃうから私はできません!」って言って、結局、スケジュールが遅れることになっちゃう。
天才とか才能のものすごくある人っていうのがアニメーションのレベルを上げるのかっていうと必ずしもそうではないんですね。
アニメというのは、ダメなスタッフがいたらレベルが落ちるんだけど、すご過ぎるスタッフがいたらスケジュールが遅れるんですよ。
面白いですよ。確かにその通りなんです。……ああ、経験ある経験ある(笑)。
・・・
じゃあ、そんな中で富野由悠季という人間がどのようにして『鉄腕アトム』という作品を作って生き残ってきたか? 「それは富野由悠季という人間が一度たりとも締め切りを破ったことがないからだっ!」ってふうにおっしゃってました。
つまり、「実は一回もコンテとかで褒められたことがないんだけども、絶対に締め切りを破らずに納品していた」と。
当時のアニメ界では絵が上手いということは、今言ったように祝福だけでなく呪いでもあるわけですね。福音ではないんです。
絵が上手いやつが一人いると、それによってスケジュールがくるっちゃう。絵が下手なやつがいたら、クオリティが下がっちゃう。
じゃあ、どんな人間が当時のアニメ界で一番ありがたがられていたかっていうと、一番ありがたがられるのは、絵が上手いやつでもなければ、もちろん絵が下手なやつでもなくて、単に、スケジュールを守るやつが一番偉かったんですね。
ここから、富野さんは「今、みんな、なかなか就職とかが上手くいってない人が多いけども、何が一番大事かと言うと、おそらく人柄だろう」という話をはじめました。
どんな専門学校であろうと、どんな資格試験であろうと、会社という現場、仕事という現場でそんなのが通用するほど、試験というのは上手くできていない。
例えば、アニメの専門学校へ行って3年とか4年やったとしても、アニメーション作る現場に入って2ヶ月とか3ヶ月してから「あっ! やっと仕事がわかってきた!」ってなるわけですね。まあ、これは別に大学から企業入った人でもわかると思うんですけども。オン・ザ・ジョブ・トレーニングっていうか、企業で実際に働かないと、絶対に仕事ってわからないんですね。
だから、実は雇う側の人間が欲しいのは才能ではないんですよ。人材としてのスキルでもなければ能力でもなくて、人柄であると。人柄がよければ、そこでもうほとんどOKで。
あとは中学・高校レベルの理解力ですね。例えば、「スポーツで国体を目指す」ということがどういうことか知っている。国体を目指してサークル活動をやるっていうことは、国体に出た経験があるかないかじゃないんですよ。「国体を目指すんだったら、練習はこれくらいしなきゃいけないな。キャプテンはこれくらいのことしなきゃいけないな」っていうことがなんとなくわかっているというレベル。文化系のクラブで言えば、「県のコンテストを狙う」ですね。
そういうふうなことがわかっているくらいの理解力があれば、人柄プラス中高生程度の理解力があれば、それで充分働けるし、「それ以上の人材というのはもう望まれてないはずなんだけどな」っていう話をしてました。
・・・
なんかね、この辺、面白かったんですよ。
というのも、僕たちはよりよい社会っていうのを作るのに、どうしてもシステムで考えちゃうんですよね。
僕は2ヶ月ぐらい前に、東京の六本木で『国民スナフキン化計画』って話をしたんです。
今の日本人がだいたい思っている「家を持たなきゃいけない!」とか「家族を持たなきゃいけない!」とか「結婚しなきゃいけない!」、もしくは、さっき話した恋愛不全にも出てきたんですけども「恋愛しなきゃいけない!」「誰かと友だちにならなきゃいけない」ということ。
この辺のプロテクトを外して人間関係、家族関係、あとは住む所っていうのをもっと拡張型にしていって。お互い縁もゆかりもない者同士がルームシェアするところから始まって、最終的にはネットカフェみたいなところで国民が暮らすような社会でも別に構わないんじゃないかなって話をしたんです。
その時に、同時に僕が、自分では強調したはずだと思ってたのが「それはおそらく人格者文明になるであろう」という話でした。
つまり、国民全員がスナフキンのように生きていくということは「ネットカフェをどういうふうに整備するのか?」「ベーシックインカムをどのように整備するのか?」っていうシステムの問題ではなくて。
そこで生きている人間、構成員一人ひとりが人格者であったり、もしくは、人柄的にいいやつでないと、そんな社会成立するはずがないんですね。
「どこへ行っても何をやってもそれなりに生きて行ける」ってことは「それだけ好かれる人だ」ってことなんです。
でも、それを講演で話したり、あと、ネットとかでそれの感想言ってる人を見たら、みんなやっぱりシステムのことを気にしちゃうんです。
「そのためには社会をどういうふうにすればいいのか?」、もしくは「その財源はどうするのか?」と、システムの方を気にしちゃって「それを構成する自分達自身がどういうふうに変わると、そっちに行くのか?」っていう話にはなかなかいかない。
なんか「富野さん人柄の話が、ここらへんで自分の考えてることにつながってきたなあ」と思いました。
・・・
で、ここら辺りから富野由悠季が熱を帯びてきて。
『海のトリトン』の頃の話で「子供達に向けてテレビでオンエアする作品として、本気で作った!」って仰ってましたね。
『青いトリトン』っていう手塚治虫の原作をアニメ化する時、富野さんは途中から呼ばれた監督だったんですね。
その時には、もう企画書は仕上がっていて、企画書を作ったのは、あの悪名高い……ってことはないですけど、こないだ死んじゃった西崎義展さん。あの人が、虫プロを倒産させた張本人と言われてるんですけども(笑)。
『トリトン』という作品をやることになった時に、一応、原作で決まってる設定と、そして人間関係がもう、西崎義展さんの描いた絵図で決まっていた。
どんなのかっていうと、「主人公は15歳の少年」で「真っ赤っかのマントを着ていて、なんかショートパンツみたいなのをはいてる」と。で、「なぜか白いイルカに乗ってる」と。「友だちとして3匹イルカがいて、おまけにガールフレンドが一人いて、そいつらと海をさまよっている話だ」っていうふうに言われて。
「こんな、どうにもならないような原作を与えられて、どうしようっていうの?」って。
だけど、その中で富野さんは、なんとかそれでも、子供達に「人生とは何か?」「俺が今生きている本気っていうのは何か?」っていうのを伝えようとしたんですね。
・・・
で、その当時、ちょうど同時期に放送されていたテレビドラマが『木枯し紋次郎』って時代劇の作品でした。富野さんはこの話をしていません。僕は覚えてるんですけど。
それは何か、どんなものかっていうとアンチヒーローだったんですね。
それまでの時代劇のヒーローっていうのは「悪いヤツがいたら成敗する。困ってる人がいたら助ける」っていうものでした。でも、木枯し紋次郎っていうのは、口に楊枝をくわえて、困っている人がいて頼られても、「あっしには関わりのねえことです」とか「いや、僕には関係ないからやめてください」と言って逃げるようなヒーローだったんですね。そういうのが描かれていた。
つまり、その当時は日本という国が大きく舵をかえていた時代だったんですね。
1970年代半ばあたりのことです。宇宙戦艦ヤマトのちょっと前ぐらい。そこでは、大人が見るような番組でも、木枯し紋次郎のような「ヒーローでないヒーロー」を描くようになっていた。
じゃあ、子供が見るような番組では何を描くべきかと言うと、「なぜ、人は木枯し紋次郎になるのか?」「なぜ、人間はアンチヒーローになるのか?」「なぜ、私たちはヒーローでないのか?」っていうのを描くべきだと、おそらく、富野さんは考えた。
この辺は『海のトリトン ロマンアルバム』のインタビューで、昔、富野さんもちょっと答えてるんですね。
でも、その話はそれを読んだ当時の20歳ぐらいの僕には全くわからなくて。数年前、『BSアニメ夜話』でトリトンをまとめてとりあげる時にもう一回読んだ時、当時30歳くらいの富野さんの言葉を、50手前ぐらいの僕が見て「うわあっ!」と衝撃を受けたんですけど。
「トリトンで描きたかったのは青春の挫折だ!」って書いてあったんです。
「少年っていうのは、何か取り返しのつかないことをして、失うことによって青年になる。彼はポセイドン族を全滅させるという原罪を背負うことによって、ようやく青年になれた。青年になった彼がさまようところから、彼の人生は始まるんだけど、それは我々の描くべき物語ではない」と、そう言い切っているんです。
つまり、「子供に見せるものはなにか?」について「子供が青年になる話を見せよう!」というのが富野さんの考えだったんです。
青年とは何かと言うと、「取り返しのつかないことをして傷ついた状態」で、そして、その傷を癒やす方法は彼自身に任されている。そして、それは「でも、なんとかなるだろう」と無責任に観客が見られるようなものではない。
じゃあ、青年になった彼らはどうなるのかっていうと、おそらく、木枯し紋次郎のように「あっしには関わりねえことです」って言って、スネて生きていくしかない。そんな、アンチヒーローとして生きていくしかないような時代である、と。
これが富野さんが考えた、1970年代という時代のとらえ方と、その中でまじめに作られた子供向けアニメの全貌なんです。
・・・
で、こんなものを全部込めて作っちゃったから、『海のトリトン』はトラウマアニメとしてすごい有名なんですね。
というのも、面白いもんで。こんな理屈が子供に伝わるはずがないんです。
それはもう、富野さんも認めてます。大人がすごくまじめに説教しても、子供には「なぜか?」は伝わらないんですね。でも、「なぜか?」は伝わらないんですけど、「本気だ!」という部分だけは伝わるんです。
「それでいいんだ! 本気だっていう部分さえ伝われば、なぜかは子供が大人になった頃に考えるから、それでいいんだ! 大人の役割というのは、そんななぜの部分を、子供が理解しなくてもいいから、本気で伝えることだ!」って仰ってます。
で、これが、さっきの『プリキュア』の話に掛かってきちゃうんですけども。
『プリキュア』というのは、これを無意識にやっちゃったわけですね。子供にバレないだろうと思って、本気で「いやあ、ロリっていいよねっ!」ってやっちゃったわけですね(笑)。
で、それを、もう、まともに子供が受け取ってしまったっていう……。
だから、楽屋でも「富野さんの話を応用すると、ロリアニメの与えた影響っていうのはこういうことになりますよね?」って話したんですけど、富野さんは「もう言わないで! 言わないで!」ってなってました(笑)。
・・・
富野さんの講演会をザッとまとめるとそんな話でした。
その後は「地球がこれから戦争になるのかどうか?」みたいな質問が出たのに対して、面白い返し方をしてましたね。「もう今の地球上では、戦争ができるほどエネルギーが豊かではない」と。
私たちはすでに1944年の第二次大戦直前、世界中が産業革命を起こして、世界中に工場ができて石炭をモクモクモクモク炊いてた時代の8倍のエネルギーを、平和な状態で使用している。
1944年ていうのは戦争をガンガンやってた時代なんですよ。その時よりも、現代の戦争も何もやってない状態のほうが8倍も多くエネルギー使ってる、と。
だから、ここから先は、そんなエネルギーを無駄使いするような戦争なんか、出来るはずがない。具体的に言えば、どこかの国が戦争やろうとして、その為に戦車や船とか動かしたら、あっという間に石油原価が跳ね上がって、それぞれの国が戦争という経営ができなくなるに違いないと考えられます、と。
これは、確かにそうだと思います。
で、ここから先、富野さんは「世界人口は6億ぐらいが適切だよね?」とか言い出して(笑)。
その真意を聞きに、後で僕は楽屋へ行ったわけでありまして。
以上、第1部、富野由悠季講演会の解説でした。
この後は質疑応答。大質問大会ってことで、今回の富野さんの話でも構いませんし、なんでも構いません。今日のイベントの本番はここからです。
今の話を題材にして、富野さんを考えてもよし。ガンダムを考えるでもよし。日本と中国の文化を考えるでもよし。アニメの将来を考えるでもよし。ロリアニメを擁護するでもよし(笑)。何でも語っていきましょう。
それでは10分間の休憩です。お疲れ様でした。
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