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「新しい学校はどうだった?」
「担任が幼女だったよ」
「……頭でも打ったの?」
「信じられないけど、本当なんだ」
何事もなくヌードデッサンが終了し、昼食時に帰宅した零次は、冷蔵庫から出したジュースを飲みながら、今日あったことを姉の沙羅に話した。別に話すつもりはなかったが、聞かれてしまったからには答えるしかない。零次は嘘をつけない性格だった。
メルティとの出会い。隣の席の美少女。ノリがよくて明るいクラスメイトたち。ロリ嗜好の非常に高めな、たくさんのマイナー同好会……。メルティが魔女であることと、美術部でのヌードデッサンのことは言わなかった。あえて一部の事実を隠すことは、嘘ではない。
話し終えると、すこぶる微妙な気持ちになった。本当になんなのだろうか? あの教師は。
「見た目がちょっと幼いっていうんじゃなくて?」
「うん、マジモンの幼女」
「なんで?」
「……さあ」
「たとえば、成長できなくなる難病? 前にテレビで見たけど、ものすごいスピードで老化するっていう珍しい病気が紹介されたじゃない。それの逆とか」
「ああ、うん、詳しくは聞いてないけど、そうなんじゃないかな」
「なるほどねえ。そういう難病を抱えた人たちって、すごく苦労しながら、それでも健気に人生を生きているよね。零次、あんたその人を応援しないといけないよ」
「わかってるよ」
いい具合にごまかせて、零次は少し落ち着いてきた。
「それで、その先生っていい人なの?」
「……問題なかった。というか、今まで出会った先生の中で一番親切だったかも」
いくら転校生とはいえ、わざわざクラブ案内を買って出るというのは、相当の親切と言えるだろう。あのロリ攻勢だけは勘弁してもらいたかったが。
美術部での件が終わると、メルティは零次にこう言った。
「魔法使いというものを、あまり怖く考えないでね。少なくとも私は、君に危害を加えることはないから。平凡な日常に、ほどよい刺激が加えられたと考えればいい。謎のロリ魔女ティーチャー! 萌えるでしょ?」
さすがに魔女とかありえない……と出会った当初は思っていた。
しかし、これはこれで、ひょっとしたらいいかもしれない。本当に危険がないなら、なかなか面白い新生活になるかもしれない……そう考えを修正する。教師という人種にこれといった思い入れのない、普通の学生生活を送ってきた零次にとって、様々な意味でメルティの与えたインパクトは大きく、一種の魅力があるのを否定できなかった。
はじめに拒否反応を覚えていたのも、ひとえにメルティの得体が知れなかったからだ。だが少なくとも、零次を害しようとは考えていないらしい。ならば、そこまで警戒する必要もなさそうだった。
「で、姉さんのほうはどうなの、仕事」
「順調よ。フリーの在宅だから引っ越ししたって何の影響もないし。近々新作をリリースできるわ。それより、早くごはん作ってよ」
「はいはい」
零次の生活は、世間一般の高校生とは少しばかり違う。両親は健在だが、姉の沙羅とふたり暮らしなのだ。七歳年上の沙羅は、大学時代に趣味で制作を始めた携帯アプリが話題を呼んだのをきっかけに、本格的なプロ制作者の道を歩んでいる。今では年収五百万を超える人気クリエイターだ。
そんな彼女が、一家の転居に伴って独立を宣言。安定した収入を得ているので両親は何も異論はなかったが、沙羅は弟の零次も同居させたいと言い出した。彼女は家事が決定的に苦手だった。そんなものを覚える暇があったら仕事に情熱を傾けたいから家のことはあんたがやれと半ば強引に零次を引っ張っていった。
昔から姉には逆らえない零次は渋々承諾し、両親の新居とそれほど離れないマンションでふたり暮らしをすることになったのだ。零次は姉とは違って、料理も含めて一通りの家事はできる。今時は男も家事ができなければいけないという母親の教育によるものだ。なぜその教育を姉にも施さなかったのだろうと疑問である。
野菜たっぷりの焼きうどんをチャッチャと作り、インスタントのコーンスープも加えて、あとはパックの豆腐にかつおぶしをかけ、零次と沙羅はいただきますをする。
「ふふん」
「どったの姉さん」
「いやさ、姉と弟でふたりきりの新生活。ムラムラしない?」
「実の姉に欲情なんかしない。そんなもん、フィクションの中だけの話だ」
「お父さんとお母さんには黙ってろって言われたけど、実はあたしたち血は繋がってないの」
「義理の姉に欲情することも現実にはありえないから」
「もー、つまんないわね。こんな美人を捕まえて失礼よ」
よほど腹が減っていたのか、手早く焼きうどんをかき込んでいく。
沙羅はさっぱりとした中性的なルックスで、学生時代からそれなりに人気があったらしいことは知っている。しかし昔からこういう行儀の悪さがあるので、何気ない仕草に思わず見とれるなどのシチュエーションは、いまだかつてなかった。
「僕は普通に恋愛する! そういうわけで姉さんもそろそろいい人見つけなよ。人気クリエイターっていったら聞こえはいいけど、ほとんど外に出ないで自宅作業だろ? その出不精がたたって、ずるずると三十路に突入しちまいかねないぞ」
契約先とのやり取りも、ほとんどメールやネット電話で済ませてしまうらしい。クリエイター業は天職だと言って憚らない沙羅だが、仕事以外の生活面でちょっと心配になる。
「うっさいわねー。あたしのことはどうでもいいのよ。あんたはまさか、そのメルティとかいう教師に惚れたりしないでしょうね」
「ないない、それはない。僕はグラビアアイドルみたいなナイスバディの女の子がいいんだ」
「このおっぱい星人め」
ちなみに沙羅の胸は非常に残念なレベルである。
「でも、クラスにそういう子はいないんでしょ」
「……」
思わずニヤけていた。
「ちょ、何よ、いやがるの? あ、さっき言った隣の可愛い子ってやつ?」
零次の脳裏に、あのクラス委員長が浮かんでいた。
崇城朱美。あくまで目測だが、確実に90センチ以上はある。美少女でかつ胸が大きいというのは、なんという最強コンボだろう。
「巨乳など全女性の敵! 巨乳好きの男もまたしかり! ロリコンのほうがいっそ清々しいわ!」
「見苦しいな、姉さん」
「うるさいうるさい」
コーンスープを水のように飲み干すと、沙羅は途端に機嫌をよくしてふふんと笑う。
「そうだ、周りはみんなメルティ先生に夢中なんでしょ? あんただってそうなるんじゃないの」
「ならんって」
「いいや、なるべきよ! 合法的ロリ、最高じゃない」
「他人事だと思って勝手なこと……を……」
あれ? と疑惑が湧き上がる。
それは、今さら気づいたことだった。
生徒から、そして教師からも何の不自然もなく慕われ、過剰なまでに愛でられているメルティ。学校全体に張り巡らせた誘惑の結界の効果だと、彼女が教えてくれた。
なら……。
どうして自分は……その誘惑にかかっていないんだ?