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俺の棒銀と女王の穴熊〈5〉 ~史上最躍の棋士~ Vol.6
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俺の棒銀と女王の穴熊〈5〉 ~史上最躍の棋士~ Vol.6

2015-02-09 18:00
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         ☆

    「では、記事は元旦に掲載されますので」
    「そんな縁起のいい日に自分なんかが載って、いいんですかねえ」
    「あなたのことを知って、勇気の出る人は多いはずですよ!」
     大熊と同じ歳だという記者は、にこやかに微笑んだ。
     誰もが知る大手新聞社の取材。連盟経由で打診されたとき、思わず八重子にどうしようかと相談した。一生に一度あるかないかのことなんだから受けたほうがいいと、当たり前のような回答をもらって今日に至る。
     大熊は今月二度目となる連戦のために上京していた。わざわざ高知まで来てもらうのは申し訳ないので、こうして都内の喫茶店で落ち合ったのだ。つくづくこっちの喫茶店はレベルが高いなどと感じながら、大熊は求められるがままに己の現状を語った。
     崖っぷちの棋士が、いかに這い上がるのか――そんな内容になるらしい。はたして新年にふさわしい記事なのか、反響を聞いてみるまではわからない。いずれにせよ、ファンを楽しませるのが棋士の務め。需要があるのなら、可能なかぎり対応したい。来年度以降も。
    「今夜はクリスマスフェスタっていうのがあるそうで? 後輩も将棋好きなんですがね、完全にプライベートで楽しんでくるっていうんですよ」
    「それ、私も出るんです。告知はされてないんですが」
    「そうなんですか! ファンには嬉しいサプライズでしょうね」
    「まあ、楽しんでもらえるように頑張りますよ」
     喫茶店を出て記者に別れを告げる。クリスマスフェスタの開会まであと数時間。とりあえず本屋に行って暇を潰すことにした。
     地元には大きな書店がないので、普段はもっぱらネットに頼っているが、東京の書店はさすがの品揃えだ。将棋のコーナーも充実しており、今をときめく人気棋士たちの最先端研究や詰将棋本がずらりと並ぶ。
     ――自叙伝を執筆しませんか。先ほど記者から、まだ企画段階だと前置きされた上で、そう打診された。ゴーサインの条件は無論、フリークラス脱出を果たしたら、である。
     世間はよほど、どん底からの脱出劇に飢えているらしい。大熊自身、そういうのは好きなほうだ。しかし自分が当事者となると、どうにも複雑な気持ちになる。そこまでの価値がある人間とは、とても思えない。
     それでも、本屋に自分の作品が並ぶとしたら。あの記者が言うように、誰かを勇気づけられるのだとしたら。
     プロになったばかりの頃は、本をどんどん出せるほどの棋士になるのだと意気込んでいた。十三年経っても、ただの一度も依頼はない。もうとっくに諦めていた。
     ……こうなると、欲のひとつも湧いてくる。当たり前で切実な感情が心の内に溜まっていく。
     胸を張って、執筆依頼を受けたい。妻や教え子たちの喜ぶ顔を見たい。現役のプロとして、まだまだ活動していたい。だから今夜は、ファンからたくさんの元気をもらうべきだろう。
     開演のちょうど一時間前、クリスマスフェスタの会場に向かった。モノレール線沿いに位置する、イベントに特化した飲食店だ。いつもは芸能人やミュージシャンが多くの客を集めているという。一昔前は、こんなお洒落な店で将棋のイベントが行われるとは、想像もできなかったろう。間違いなく、若者や女性ファンが増えた影響だ。
     その原動力の中心とも言える男が、ホール前の受付に立っていた。大熊は思わず一瞬固まってしまった。
    「来ましたね、大熊さん」
     伊達名人は赤と白のサンタ帽をかぶっていた。暗色のスーツとのギャップが激しすぎる。
    「まさか、君が受付をするのか?」
    「ええ、この子と一緒に」
     伊達の隣には、清楚な黒髪の少女がたたずんでいた。同じくサンタ帽をかぶっているが、淡いピンク色のドレスとの相性が抜群だった。わずかに頬が紅潮していた。
    「はじめまして。神薙紗津姫と申します」
    「大熊です。いや、お会いできて光栄です」
     なるほど、これはアイドルだ。そっちの方面には詳しいわけではないが、ルックス、スタイルともに、世間を賑わすトップアイドルと遜色ないのではないだろうか。久しぶりにいいものを見た、と正直に思った。
    「大熊先生がいらっしゃると聞いて、とても驚きました。私の後輩に、先生のファンになった男子がいて」
    「ありがたい話です。でも今日は来れないでしょう? 高校生じゃ気軽に参加できそうにないし」
    「お年玉の貯金を崩して、来るって言っていました」
    「……それはまた」
     会費は一万二千円。どう考えても余裕のある大人向けのイベントだが、なけなしの貯金をはたいて参加しようという学生も、少なくないのだろうか。急に自分の責任が重大になった気がした。
    「じゃ、大熊さんはサプライズなんで、うっかり人目につかないようにお願いします」
    「ああ」
     男性用の控え室に足を運ぶと、出演棋士たちが勢揃いしていた。
    「おお、本当に来た!」
     驚きの顔を見せる面々の中で、真っ先に声をかけてきたのはA級棋士の山寺行成八段。大熊にとっては同門の先輩に当たるが、故郷に転居してからは交流も途絶えがちだった。最後に会ったのはいつだったか覚えていない。
    「お久しぶりです」
    「本当に名人は強引だよなー。どうしても君を出演させるって言って」
    「二度とないことかもしれませんので」
    「そんな自虐的なこと、言うもんじゃないぜ。お互い、今はファンを楽しませることだけを考えよう。今年はすごいぞ。応募が殺到して、たった一日で募集を締め切ったって。やっぱり神薙さん効果かな」
    「あの子は素晴らしいよ。あんなに美人で、将棋も強いというのは。アマ女王戦の棋譜を見たけど、たいしたもんだよ」
    「将棋界の救世主かもしれないですよね」
     他の棋士たちも、すっかり浮ついた顔をしている。
     美人と呼ばれる女流棋士も近頃はちょくちょく増えたが、やはりアイドルとは違う。純粋に魅力的なルックスという観点では、神薙紗津姫に軍配が上がるだろう。あとでサインをお願いしてみようか、などと俗っぽいことを考えてしまった。
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