
【まえがき】
沈黙の国、日本。
いや、沈黙させられた国と言うべきか。
政治は、メディアの審判にさらされる演出になり果て、保守は臆病な傍観者と化した。
そして今、国土が奪われ、家族が壊れ、歴史が塗り替えられていく中で、一人だけ真正面から「それは違う」と声を上げ続ける政治家がいる。
杉田水脈という存在だ。
彼女の名前を出しただけで、空気が凍る場所がある。
テレビが、新聞が、知識人が、声を揃えて「危険人物」と決めつけた。
だが私は問いたい。
誰のために危険なのか。
そして、誰にとって都合が悪いのか。
この文章は、杉田水脈という政治家の言葉と行動をもとに、この国の歪んだ構造を撃ち抜く試みである。
これは彼女を讃える賛美歌ではない。
むしろ、その行動を通して、我々が何を忘れ、どこで立ち止まっているのかを突きつける鏡だ。
国家とは何か。
政治家とは何か。
そして、国民とは何を許し、何を拒絶するのか。
この国がまだ、生きているなら。
私たちは、目をそらしてはいけない。


【第一章】
■切り売りされる祖国――外国資本に買われた風景の中で
杉田水脈は、目をそらさなかった。
日本が静かに奪われていく現場を、彼女は確かに見てきた。
北海道の山々が、中国系の投資家に買われていく。
水源地が、リゾート開発という名の下に売られていく。
都市部のタワーマンションが、香港やシンガポールの資本によって根こそぎ押さえられている。
だが、それを報じるメディアは少ない。
なぜか。
それが「不都合な真実」だからだ。
杉田氏は、2012年の初当選以来、一貫してこの問題に取り組んできた。
野党時代、自民党の保守系議員と連携し、実地調査を重ねた。
視察を繰り返し、法案を作り、議論を起こした。
結果として成立した「重要土地等調査規制法」。
だが、彼女は満足していない。
この法律はまだ骨抜きである。
都市部、水源地、港湾、そして農地――すべてが抜け落ちている。
外国資本の巧妙な手口は、名義貸しや法人偽装など、いくらでも抜け道がある。
彼女はその先を、見ている。
「日本が日本でなくなる前に、止めなければならない。」
その言葉に、扇動性はない。
ただ、現場を見た者の警告として、重く響く。
だが、彼女を支えるのは政党でも団体でもない。
一票一票の、国民だ。
ここに至って、我々は気づかなければならない。
これは政治家個人の闘いではない。
国家の領土が、誰の手にあるかという、根源的な問いなのだ。
そしてその問いに、答えようとした政治家が、これまでどれだけいたか。
いや、今もいるだろうか。
杉田水脈の孤独な戦いは、国土という言葉の意味を、私たちに思い出させる。
【第二章】
■国家の脆弱性に挑む――防衛国債と予算の覚悟
杉田水脈は、防衛を語るとき、目の奥が変わる。
柔らかく話していた声が、低く、重くなる。
そこには、政治家ではなく、「日本という船の乗組員」の覚悟が宿っている。
防衛とは何か。
平和を守るという曖昧なスローガンではない。
国民の生活を、明日も続けられるようにする“物理的な保証”だ。
台湾有事、北朝鮮のミサイル、中国の領海侵犯。
それらはもう、絵空事ではない。
明日、起きるかもしれない現実である。
だが、防衛には予算が要る。
そして日本の予算は、財務省が牛耳っている。
「だから、防衛国債しかない。」
杉田氏は言い切る。
安倍元総理が構想しながら、果たせなかった政策。
それを引き継ぐのが、自分の役目だと信じている。
日本の防衛費はGDP比でまだまだ低い。
にもかかわらず、増額には「財源はどうする」と騒ぐ声が溢れる。
だが、外交も教育も、すべては国があってこそ成り立つ。
国を守る金が惜しいという国に、未来はない。
彼女の言葉は、激しいようで、実は静かだ。
それは、叫ぶ必要がないほどに、切迫しているからだ。
杉田水脈が防衛国債を訴える背景には、単なる財政論ではなく、国家としての矜持がある。
「自国を守れない国は、独立国ではない。」
その事実を、忘れかけている日本人に、彼女は言葉を突きつける。
戦争を煽っているのではない。
戦争を避けるために、力を持つ必要があるのだと。
その覚悟を、国会の中で語れる議員は、いったい何人いるのか。
杉田氏は、いつも真正面から踏み込む。
そして、黙ることを拒絶する。
それが、政治家としての彼女の証明である。

【第三章】
■保守という名の孤独――自民党を中から変えるという決断
日本の保守は、崩れている。
右か左かのレッテル遊びに明け暮れ、改革か伝統かの不毛な対立に陥っている。
その中で、杉田水脈は、極めて現実的な選択をした。
「中から変える」。
その決断は、単なる戦略ではない。
安倍晋三元総理の遺志を継ぐ、政治家としての“筋”である。
安倍元総理は言ったという。
「党を割ってはいけない」。
それは、保守がバラバラに分裂したとき、左派が笑うという現実を知っていたからだ。
杉田氏は、その言葉を信じ、自民党という“矛盾の塊”に残る道を選んだ。
党の中にはリベラルもいる。
理念を持たず、風見鶏のように票を追う議員もいる。
だが、だからこそ中にいる意味がある。
「自民党の中から保守を育て、広げ、守る」。
それは、彼女が引き受けた孤独な作業だ。
保守政党を新たにつくるのは簡単だ。
だが、それで何が変わるか。
国会の議席配分、委員会の構成、法律の提出権――
結局、自民党を変えなければ、この国は変わらない。
彼女はその現実を直視し、あえて“中で闘う”ことを選んだ。
保守の大同団結とは、見せかけの連帯ではない。
理念を同じくしながら、政党の壁を越えて共闘することだ。
杉田氏は、参政党、国民民主党などと、保守のラインで連携しようとしている。
彼女にとって重要なのは、「誰と組むか」ではなく、「何を守るか」だ。
そして、それを実現するためには、自民党という“巨大な泥船”に残るしかない。
泳いで逃げるのではなく、船底から水をかき出す。
それが、杉田水脈の選んだ政治のかたちだ。
裏切り者と呼ばれても構わない。
彼女が守りたいのは、自身の名誉ではなく、国家の骨格である。
保守とは何か。
その問いに、真正面から答える政治家が、今、どれほど残っているだろうか。
【第四章】
■言論を封じる者たちへ――オールドメディアとの対決
テレビが政治を殺す時代が、とうに始まっていた。
だが、ほとんどの政治家はそれを受け入れ、従う道を選んだ。
なぜなら、逆らえば「潰される」からだ。
杉田水脈は、違った。
彼女は“報道の恐怖”に、最初から屈しなかった。
ニュースは、事実を伝えるふりをして、印象操作をする。
切り取り、文脈を外し、断定する。
「暴言議員」「ヘイト発言」「問題人物」
そうやって、言葉ではなく“ラベル”で人を殺す。
杉田氏は、そのターゲットにされた。
朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、共同通信、北海道新聞。
大手メディアはこぞって彼女を異端扱いした。
だが、彼女は逃げなかった。
「メディアが潰したい政治家が、本物だと思っている。」
そう語る彼女の顔には、疲労の色はあっても、怯えはなかった。
出陣式でのテレビカメラ。
彼女がどれだけ正論を述べても、それは一秒も使われなかった。
都合が悪ければ、「報道しない自由」で握りつぶされる。
杉田水脈にとって、今回の選挙は「メディアとの闘い」だった。
「私が勝てば、メディアは政治家を潰せないという前例になる。」
「私が負ければ、メディアは今後も自由に政治を操れる。」
その戦いの構図を、彼女は冷静に、明確に理解していた。
そして、戦うことを選んだ。
なぜなら、これは自分ひとりの名誉の問題ではない。
「メディアを恐れずに、真実を語れる政治家を、次に続けるために。」
SNSは、彼女にとって武器であり、盾だった。
X、Instagram、Facebook。
デジタル空間の中で、彼女は国民と“直接”対話を始めた。
テレビでは伝えられない現実を、SNSが映し出す。
メディアの切り取りに対して、本人の口から語られる全容が、人々の目を開かせる。
そして、気づき始めた人たちが、少しずつ彼女の背中を押し始めた。
テレビが沈黙させた政治家が、ネットで再び言葉を取り戻す。
それは、ただの情報戦ではない。
言論の自由を、国民の手に取り戻す戦いだった。
杉田水脈が、黙らなかったからこそ、我々は今も「声を上げていい」と信じられる。
言論は、権力を監視するためにある。
だが今、監視されるべきは“報道”そのものだ。
杉田氏の闘いは、その矛先を、正確にそこへ向けていた。
それは、政治家としてではなく、一人の国民としての、最も純粋な怒りだった。

【第五章】
■利権としがらみを断つ――草の根からの政治革命
杉田水脈の選挙戦は、他と違う。
ポスターを並べ、看板を立て、支援団体の会合に顔を出す。
そんな“従来の選挙”とは、無縁の戦いだ。
彼女には、組織票がない。
JAも、郵便局も、労働組合も、連合もいない。
彼女が持っているのは、ただ国を思う「国民の一票」だけだ。
それは不利なのか。
常識的には、そうだ。
だが、その不利を彼女は、武器に変えてきた。
「しがらみがないから、誰にも忖度しないで済む。」
「利権に縛られないから、腐敗を切れる。」
彼女はそれを、“誇り”と呼んだ。
政治に染まらなかった政治家。
それが、杉田水脈の異質さであり、清潔さでもある。
有権者に媚びない。
それでも選ばれる。
それが、真に支持されているということだ。
組織票ではなく、“志の連鎖”で広がる支持。
一人ひとりが、五人に伝え、十人に声をかけていく。
草の根のネットワークが、かつてない規模で動き出す。
SNSを通じて繋がる支持者たち。
口コミ、手渡し、ボランティア。
選挙は“運動”になる。
杉田氏の事務所には、名刺を自作して配る人。
自腹でポスターを印刷する人。
駅前で一人で演説ビラを配る高齢者までいた。
それは、感動ではない。
怒りの結晶だった。
この国を守りたい。
その一点で繋がった市民たちが、彼女を動かし、彼女によって動かされた。
利権を断ち切る政治とは、そういうものだ。
何もないところから始まり、誰かを通して広がり、組織を超える。
「利権のない政治家は、長く続かない。」
そう言われてきた。
だが、それが変わろうとしている。
杉田水脈の存在は、それを証明する試金石だ。
腐敗した権力よりも、目の前の“正直な怒り”。
その怒りが、選挙を変え、政治を変え、やがて国を変える。
彼女は言う。
「私はあなたの“代弁者”ではない。
私は、あなた自身です。」
その言葉は、政治という舞台に立つ者として、極めて異例である。
だが、だからこそ、人々の胸に残る。
彼女の戦いは、もう“代わりに戦ってもらう”政治ではない。
一人ひとりが、“自分の国を自分で守る”政治への回帰だ。
それは、静かなる革命である。
【第六章】
■未来を守る教育と家族――杉田水脈の政策哲学
国家が崩れるとき、最初に壊されるのは「家族」だ。
そして次に、子どもの「教育」が歪められる。
それは戦争よりも静かで、クーデターよりも確実な崩壊の兆候である。
杉田水脈は、それを早くから見抜いていた。
「選択的夫婦別姓」――この響きだけを聞けば、リベラルな自由の象徴に思えるだろう。
だが、その実態は、家族という“単位”の解体である。
日本という共同体を支えてきた最小単位は「家」であり、「戸籍」であり、「つながり」だった。
それを法制度でバラバラにしようという動きに対し、杉田氏は正面から異を唱える。
「自由の名を借りて、国家の土台を壊しているだけです。」
その言葉は、あまりに直線的で、そして不器用だ。
だからこそ、伝わる。
教育に関しても同じだ。
杉田氏は、教科書問題に真正面から踏み込んだ政治家の一人である。
「日本は悪い国だった」
「侵略国家として反省しなければならない」
そんな自虐的な視点ばかりを刷り込まれる教科書。
子どもたちは「自国を嫌うこと」からスタートし、「誇りを持てない国民」に育てられる。
杉田水脈は、それに激しく反発する。
「歴史に誇りを持てない国は、未来も創れない」
彼女の教育政策の原点は、そこにある。
歪んだ戦後の価値観を是正し、事実に基づいた歴史教育を。
日本人として誇りを持って生きられる土台を、再構築する。
そして、もう一つ。
「結婚支援」や「家庭政策」への重視も、彼女の信念の中核にある。
少子化という言葉に慣れすぎた社会は、もう危機に対して鈍感になっている。
だが、彼女は言う。
「子どもを産み育てたいと思える社会を作ることが、最大の安全保障です。」
結婚に希望を持てる。
家庭を築くことが損にならない。
国が“家族”を応援してくれる。
それが、国家としての本来のあり方だと彼女は信じている。
彼女の政策は、どれも“票になりにくい”ものばかりだ。
だが、票にならなくても、未来にはなる。
杉田水脈は、そうした「未来の土台」を、議会の中で語れる稀有な存在である。
改革とは、制度の話ではない。
子どもたちが、自分の国に誇りを持ち、安心して家庭を築けること。
それこそが、真の意味での“保守”であり、最大の“進歩”なのだ。
彼女の語る教育と家族の再建は、過去にしがみつくものではない。
未来を築く勇気そのものだ。

【あとがき】
この文章を書きながら、私は幾度となく考えた。
なぜ杉田水脈という政治家は、ここまで執拗に攻撃されるのか。
なぜ彼女の言葉だけが、切り取られ、歪められ、燃やされるのか。
答えは...
彼女の言葉が、本質を突いているからだ。
そして、それが“都合の悪い真実”を暴いてしまうからだ。
杉田氏が語ってきたことは、誰もがうっすらと感じていながら、口にできなかったことばかりだ。
外国人による土地買収、国防の空洞化、メディアの腐敗、歴史の歪曲、家族の解体。
私たちは、それらに向き合わず、日常の中に埋もれていた。
だが彼女は、そこから目をそらさなかった。
むしろ、凝視した。
そして、その言葉の代償として、名誉も、地位も、メディアの評価も失った。
それでも、彼女は立ち続けている。
なぜか。
それは、国を想うということが、彼女にとって“信仰”に近い感情だからだ。
政治家である以前に、一人の日本人として、それを引き受けている。
私は、彼女を“理想の政治家”として描きたいわけではない。
完璧ではない。
時に激しすぎる。
敵を作ることもある。
だが、間違っていない。
少なくとも、守ろうとしているものは、間違っていない。
この国には、まだ“声を上げる”という行為に意味がある。
そう思わせてくれる存在が、一人でも国会に必要だ。
杉田水脈という名前が、いつかこの国の「転換点」として語られる日が来ることを、私は願っている。
沈黙と諦めの時代に、声を上げた者として。
この国を、もう一度“守るに値する場所”に戻すために。
その最前線に立つ彼女に、私たちは一票という“矢”を託せる。
それが、民主主義という名の、最後の防衛線である。
(了)
◆YouTube:https://www.youtube.com/@RyunosukeNews
◆NOTE:https://note.com/ryunosuke2025
◆MAXIM-龍之介バンド:https://tinyurl.com/278vkn2h
◆X(旧Twitter):https://twitter.com/RyunosukeOnline
※高倉 龍之介(政治フリージャーナリスト・映像クリエイター)