【まえがき】
あなたの一票が、未来を変える。
この言葉に、どこか空しさを感じたことはありませんか?
何度も聞かされ、何度も裏切られ、結局何も変わらなかった。
そう思っている方も多いでしょう。
でも今回は違います。
いや、違わなければならないのです。
いま、日本の政治は歴史的な転換点に立っています。
そして、それは“どこか遠い世界”の話ではなく、あなたの家計、暮らし、子どもたちの未来に、直結しています。
自民党という巨大与党が、根本から揺らいでいます。
保守を名乗りながらも、その実態は官僚支配と財務省の言いなり。
地方の声も、庶民の痛みも、届かなくなって久しい。
そんな中で、青山繁晴参議院議員が放つ一言一句は、まるで“政治の逆流”に抗うような強さと真実を宿しています。
彼は言いました。
「今の自民党は、保守の皮を被っただけの別物だ」
この言葉が意味するのは、自民党が本来持っていた“国家を守る責任感”を、自ら手放し始めているということ。
そして、そんな中で立ち上がろうとしている勢力が、参政党をはじめとした“本気の新勢力”なのです。
この文章では、まず青山繁晴氏が何を見て、何を危惧しているのかを紐解いていきます。
そのうえで、参政党という新しい潮流が、なぜ30代・40代の支持を集めているのか。
なぜ「保守の再生」は彼らによって担われようとしているのか。
また、表面上は“保守”を名乗りながら、実態は国を壊し続けている政治家たち――森山裕氏、石破茂氏といった「偽りの保守」の問題点についても触れていきます。
この国の未来に、本当に必要なものは何か?
どんな政治家に私たちは力を託すべきなのか?
すべての問いに明確な答えを出すことはできないかもしれません。
けれど、まず“考えること”からしか、変化は始まらないのです。
政治とは、私たちの暮らしそのものです。
食卓の値段が上がるのも、子どもの教科書が変わるのも、外交で日本が孤立するのも、すべて政治の延長線上にあります。
だからこそ、私たちは“政治に対して誠実な視線”を持たなければならない。
そしてその誠実さを持つ政治家を、私たちの一票で選び抜かなければなりません。
「誰も変えてくれない」ならば、自分が変えるしかない。
その一歩を、あなたと共に踏み出したいと思います。


【第1章:与党崩壊の足音―青山繁晴が鳴らす警鐘】
2025年7月14日、有楽町。
夏の日差しが街路を照らす中、青山繁晴参議院議員は立っていた。
政治家の演説といえば、応援の拍手、選挙カー、支持者の熱気に満ちているというイメージがあるかもしれない。
しかしその日の青山氏は違った。
聴衆の姿はまばら。
目の前の歩道には人影がまばらで、立ち止まる者すらほとんどいなかったという。
だが、彼は語り始めた。
「これは抗議です。人々は聞く耳を持たなくなったのではない。あえて、聞かないことで意思表示をしている。政治そのものへの、失望の表れです」
そう語る青山氏の言葉には、怒りも悲しみも混ざっていた。
そして何より、それを“他人事”とせず、自分ごととして受け止めている誠実さがあった。
自民党の現場に身を置く彼にとって、今回の参院選は単なる選挙ではない。
それは、政治の本質が問われる“決定戦”なのである。
「いま、党内で語られている数字は“40台”だと言われています。でも、私はそうは思わない。現場での空気、手応え。私が肌で感じているのは“30台”です。つまり、過半数どころか、歴史的敗北になる可能性がある」
青山氏がそう語る背景には、現場を回って見えてくる確かな“実感”がある。
それは単なる悲観論でもなく、メディア受け狙いのパフォーマンスでもない。
彼が危惧するのは、選挙の敗北そのものよりも、「なぜ支持を失ったのか」に対して党内に危機感がないことだ。
選挙の最前線で起きている“異変”
候補者の街頭演説に足を運ぶ人が激減している。
ボランティアも集まらない。
かつては“鉄板”だった地方都市や保守系地盤ですら、「無風選挙」と呼ばれるほど盛り上がりを欠いている。
「首相と閣僚が来れば来るほど、票が減っている」
これは青山氏が肌で感じている“数字に表れない現実”だ。
人々の政治への関心が薄れたのではない。
むしろ、関心があるからこそ“わざと距離を置いている”。
それは「お前たちの言葉など聞く価値がない」という、静かなる抗議なのだ。
「増税ばかりで減税なし」への怒り
青山氏のもとには、有権者からの怒りの声が絶えない。
「増税だけを繰り返して、減税という言葉は一度も出ない」
「中小企業を潰しているのは政府ではないか」
「物価高なのに年金据え置き。何を見て政治をやっているのか」
こうした声が、地方でも都市部でも、共通して届いてくるという。
青山氏は「その通りです」と断言する。
そして、「だから私はこの国の政治の在り方を問う」と語る。
問題は、与党が“政権維持”という表面的な数字ばかりを追い、「なぜ支持が失われているのか」を直視しないこと。
自民党に残された選択肢
青山氏は語る。
「50議席を割れば、秋には衆院の解散・総選挙が濃厚になる。
それは“詰み”ではない。むしろ、立て直す最後のチャンスかもしれない」
立て直すとはどういうことか。
それは、“本物の保守”による内部改革である。
財務省の言いなりになり、外国人政策では媚びを売り、国民に増税だけを押しつけていく――そうした与党の現状にメスを入れられるのは、もはや青山氏のような真の改革派しかいない。
保守とは、国を守り、家族を守り、地域と伝統を守ること。
その本質を忘れてしまった自民党に、再び“保守の魂”を注入する。
それが青山氏の戦いの根底にある思想だ。
だから「一票」が意味を持つ
この選挙は、もはや与党が何議席取るかという数字のゲームではない。
「誰が残り、誰が消えるのか」―その精査の時代である。
青山氏のように、真正面から国民と向き合い、言葉を濁さず、現場の空気に耳を傾ける政治家こそが必要とされている。
彼がいるか、いないかで、この国の保守政治の未来は大きく変わる。
青山繁晴。
この名前が、次代の日本を守る“防波堤”であることを、どうか忘れないでほしい。
それは、派手なパフォーマンスや人気投票では測れない“本物の政治”への希望なのだから。

【第2章:政治不信という名の沈黙――聞かれなくなった声の重さ】
「もう、何を言っても無駄だろう」
これは、ある主婦のつぶやきだ。
テレビを見ながら、増税のニュースにため息をつき、ため息の向こうにある“あきらめ”を、私は見逃せなかった。
今、国民の多くは声を上げることをやめてしまっている。
かつては新聞に投書し、駅前でビラを配り、SNSで言論を交わしていた人たちが、静かに画面を閉じていく。
それは政治への無関心ではない。
関心があるからこそ、傷ついた。
何度も期待し、何度も裏切られた。
「もう希望を持つのが怖い」
それが、この国を覆う“政治不信”という名の沈黙の正体なのだ。
演説に人が集まらない「真の理由」
青山繁晴氏が語った、“演説開始時に聴衆がゼロだった”という経験。
これは単なる動員不足ではない。
彼はそれを「プロテスト(抗議)」と受け止めた。
聞く価値がない、ではなく、「聞きたくない」という能動的な拒絶。
そして、そんな“拒絶”ですら、実は政治への深い期待と関心の裏返しなのだ。
この沈黙を、政治家がどう受け止めるか。
それこそが、次の時代の政治家の資質を決める。
青山氏は、その“聞かれない声”に耳を澄ます政治家だ。
彼は人々の無言の表情の中に、かすかな怒りと、遠ざかる希望を見ている。
聞き届けられなかった“怒りの叫び”
「増税だけして、減税はしない。これが国家か」
「政治家は、私たちの暮らしを知らない」
「財務省に頭が上がらない議員ばかりじゃないか」
こうした怒りが、有権者の中には満ちている。
だが、それが政治に届くことはない。
選挙になると政治家は街に出るが、選挙が終わればまた“静かな国会”に戻る。
国民の怒りを「民意」として扱う政治家が、どれだけいるだろうか。
多くの議員は、票を「データ」として見る。
でも、青山繁晴氏はそれを「人間の意思」として捉えている。
だから、彼は地方にも足を運び、メディアが見向きもしない農村にも行く。
その土地の空気を吸い、その人々の目を見て、そこでしか分からない“肌感覚”を得ているのだ。
与党政治家の「聞こえないふり」
森山裕氏や石破茂氏といった政治家たちは、よく言えば“ベテラン”、悪く言えば“鈍感”である。
彼らの言葉は理路整然としているが、血が通っていない。
人々の暮らしや叫びを、統計や官僚資料でしか理解しようとしない。
例えば「物価高への対策」として出てくるのは、数千円の一時金や期限付きの給付ばかり。
そんな“ばらまき”で生活が変わるわけがない。
人々は気づいているのだ。
政治家が“耳をふさいでいる”ことを。
保守政治家に必要な「共感力」
政治家が言う「共感」という言葉。
それは、どこか空虚に響くことが多い。
けれど青山繁晴氏の共感は、どこまでも実直である。
彼はよく「日本を守る」と言う。
その言葉は、決して“軍事”や“外交”に限らない。
教育や家庭、地域社会の絆を守ること。
孤独に苦しむ若者や、高齢者の不安に手を差し伸べること。
財務省に堂々と反論し、「減税こそが国民への敬意だ」と訴えること。
これこそが、“保守”の本来の姿ではないだろうか。
沈黙を破るのは「対話」しかない
政治不信が広がっているとき、最も重要なのは“対話”だ。
それも、選挙のときだけではなく、日常のなかで積み上げていく信頼である。
青山氏は、YouTubeやブログ、街頭演説を通じて、自ら発信する。
そして、意見をぶつけられれば正面から答える。
逃げない。
それは、政治に関心を持った国民への“最低限の礼儀”だと、彼は考えている。
だからこそ、青山繁晴氏は沈黙に抗い、語り続ける。
その姿は、政治の役割を思い出させてくれる。
「聞かれない声」にこそ、本当の日本がある
テレビに映らない声。
マスコミが取り上げない視点。
世論調査に出てこない気持ち。
それらすべてが、この国の“今”を形づくっている。
そしてそれを拾い上げる政治家がいるかどうかで、日本の行方は大きく変わる。
私たちは、いつしか「政治家なんてみんな同じ」と決めつけることで、自ら期待することをやめてきた。
でも、青山繁晴氏のように、誠実に耳を傾ける政治家が存在する。
その事実を、いま一度、胸に刻んでおきたい。
沈黙の奥にある本当の声を、政治が聞き取る日が来ることを願って。


【第3章:「保守」という言葉の真意――青山繁晴と神谷宗幣の共通項】
「保守とは、国を守ることだ」
そう語る政治家は多い。
だが、その“国”とは何を指すのか。
領土か? 経済か? 軍事か?
青山繁晴氏と神谷宗幣氏の二人は、その問いに対してこう答えるだろう。
―国とは、家族であり、教育であり、共同体である。
保守の本質とは「変えないこと」ではない
日本では、“保守”という言葉が誤解されやすい。
「現状維持」「変化に消極的」「古いものを守る」――そんなイメージを持たれがちだ。
しかし、本物の保守とは違う。
本質的なもの、大切なものを未来に継承するために、時に“今”を変えなければならないという思想だ。
青山繁晴氏は、保守政治家でありながら、「内部改革」を口にする。
党内で睨まれることもある。
財務省や官僚の言いなりになっている体質に、堂々と疑義を突きつける。
彼の言う「守る」とは、何も変えずにじっとしていることではない。
変えるべきものを変え、守るべきものを守り抜く。
それが、彼の“保守”の定義である。
教育と家庭を守る思想――神谷宗幣氏の哲学
参政党代表・神谷宗幣氏もまた、保守思想を根底に持つ政治家だ。
彼が最も強調するのは、教育である。
偏差値や点数至上主義の学校教育を見直し、「子どもが自分の可能性を信じられる社会」を作りたいと語る。
「テストで良い点を取った子だけが“優秀”と言われる。
でも、それって本当に幸せな社会なのか?」
神谷氏のこの問いかけは、教育制度の歪みとともに、価値観の多様性を訴えている。
それは青山氏の信念とも重なる。
青山氏もまた、家庭や地域、伝統のつながりを尊重し、国家の基盤は“教育と家庭”にあると強く訴えている。
自立と誇りを軸に据える保守思想
共通しているのは、“自立”というキーワードだ。
国の自立、地域の自立、家庭の自立、個人の自立。
国防を他国任せにせず、自分の国は自分で守る。
食料もエネルギーも、可能な限り国内で賄う。
地域が自治の力を持ち、家族は支え合い、子どもは誇りを持って育つ。
こうした自立の哲学は、単なる政策論ではない。
国家としての「生き方」である。
青山繁晴氏が「自分の国を、誰かに守ってもらうな」と語るとき。
神谷宗幣氏が「教育を立て直さなければ、日本は滅びる」と訴えるとき。
そこには、表層的な議論ではなく、日本という国そのものへの深い愛がある。
「国家観」の欠如した保守は保守ではない
では、なぜ彼らのような政治家が異端視されるのか?
答えは簡単だ。
今の“自民党主流派”や“既存野党”には、明確な国家観がないからである。
森山裕氏に国家観はあるのか?
石破茂氏に日本人の誇りを守る気概はあるのか?
財務省の数字しか見ない政治家に、家庭の現実は見えない。
外資の顔色ばかり伺う政治家に、地域の伝統は守れない。
青山氏も神谷氏も、それを痛いほど分かっている。
だから、敵も多い。
マスコミからは危険人物扱いされ、党内では煙たがられる。
だが、だからこそ、彼らは本物なのである。
共闘か、孤高か―二つの“保守”の立ち位置
青山繁晴氏は、自民党という“大きな器”の中で戦う。
神谷宗幣氏は、参政党という“新しい旗”を掲げて闘う。
アプローチは違っても、彼らの目的は同じだ。
この国の“本質”を守るために、既存の政治に抗うこと。
だからこそ、青山氏は神谷氏を認めている。
そして神谷氏もまた、青山氏の誠実さに敬意を表している。
参政党は、「自民党の別動隊」と批判されることがある。
しかし、実態はまったく逆である。
彼らは、自民党が失った“保守の魂”を取り戻そうとしているのだ。
それが既存政党にとっては、最も“都合の悪い存在”に映るのである。
日本を守るために「保守を再定義せよ」
「保守」を名乗る政党や候補者は多い。
だが、そのほとんどが“名前だけの保守”に過ぎない。
消費税増税を主導し、移民政策を推し進め、国防では曖昧な答弁を繰り返す――。
そんな政治家たちが「保守」を語る資格はあるのか?
保守とは、行動で証明される思想である。
青山繁晴と神谷宗幣。
この二人の存在が、「保守」の本来の意味を再び世に問い直している。
そして、私たち国民もまた問われているのだ。
本物の保守を選ぶか。
偽物の保守に騙され続けるか。
その選択のときが、迫っている。


【第4章:変わり始めた民意――若者が参政党を選ぶ理由】
変化は、静かに始まっていた。
テレビが報じる数字だけを見ていても、気づけない。
でも、現場を歩けばわかる。
―確実に、民意が動いている。
2025年、参政党が各地で支持を拡大している。
特に目を引くのは30代・40代の支持率の高さだ。
かつて「政治に無関心」とされた世代が、今、参政党という旗の下に集まり始めている。
SNSで火がついた“共感の輪”
参政党の支持拡大は、従来の政党とは異なるルートをたどっている。
新聞やテレビではなく、SNSやYouTube。
公式の情報発信だけでなく、支持者自身が“発信者”となって、共感の輪を広げている。
とりわけ、神谷宗幣代表が行う街頭演説の動画は、YouTubeで数十万回再生されることも珍しくない。
その演説に共通しているのは、“正直さ”だ。
耳障りの良いことだけを言うのではない。
時に耳が痛い話でも、率直に伝える。
「自分のことを本気で考えてくれている」
そう思わせる熱量が、画面越しにでも伝わる。
そしてそれが、現役世代の心を突き動かすのだ。
若者が「自民党」に感じた限界
なぜ、これほどまでに若い世代が参政党に魅力を感じるのか?
答えのひとつは、長年続いた“自民党の限界”にある。
就職氷河期を経験し、消費税増税、非正規雇用の拡大、教育費高騰――そうした時代を生きてきた30代・40代にとって、自民党は「安定」ではなく「停滞」の象徴に見えている。
いくら与党が「実績」を語っても、それが実生活に結びついていないと感じる。
むしろ、生活は苦しくなっている。
一方で、参政党の政策は「庶民目線」だ。
教育改革や家庭重視、食の安全保障、医療の自由化など、どれも“現場”に寄り添ったテーマである。
そして、その語り口は押しつけではなく、“対話”である。
だから若者は聞く。
耳を傾ける。
「投票に行く若者」を生んだ参政党の言葉力
これまで、「若者は選挙に行かない」と言われてきた。
だが参政党の登場以降、この構図は崩れ始めている。
街頭演説を見て、初めて選挙に行った。
動画を見て、政策に関心を持った。
そんな若者が増えているのだ。
理由はシンプルである。
「自分の言葉で話す政治家が、初めて現れたから」
官僚の原稿を読むのではなく、自分の信念を、熱を込めて語る。
質問に対して真正面から答える。
失敗も認め、前を向く。
この誠実さが、若者の心を動かす。
自民党・立憲民主党との「熱量の差」
現在の主流政党は、“党内の力学”ばかりが目立っている。
自民党は財務省との距離感。
立憲民主党はイデオロギー闘争。
その中で、「この国をどうしたいか」という本質的な議論がほとんど聞こえてこない。
一方、参政党の演説は熱い。
言葉が生きている。
神谷宗幣氏はこう語る。
「戦争なんて絶対にしてはいけない。そのために、日本は自立した国でなければならない」
青山繁晴氏もまた、こう語る。
「日本は、日本の手で守らなければならない。米国依存ではいけない」
この二人に共通しているのは、“自立”という哲学だ。
若者たちは、そこに「未来」を見ている。
支持層の拡大と“脅威”とする勢力
参政党は、もはや“泡沫”ではない。
情勢調査では、30代で22.2%、40代で19.3%という支持率を記録。
50代でも16.1%と、自民党を上回る地域も出始めている。
これに最も焦っているのは、保守の皮をかぶった既存勢力だ。
日本保守党や立憲民主党が「参政党は自民の別動隊」とレッテルを貼るのも、それだけ脅威に感じている証拠である。
しかし、神谷氏は明確に否定する。
「自公と組むことはあり得ない」
「本当の意味での政権交代を起こす」
この姿勢が、さらに参政党への信頼を高めている。
民意は変わった。次は「結果」で示す番だ
支持が広がった。
共感も得た。
だが、選挙は結果がすべてである。
参政党が改選1議席から、複数議席を獲得できるか。
政権を担うにふさわしい人数と内容を備えられるか。
そしてその背後にあるのは、国民一人ひとりの決断だ。
「既存の政治に、もう任せられない」
「今度こそ、新しい政治をつくりたい」
その一票が、いま現実の力に変わろうとしている。
変わり始めた民意は、決して一過性ではない。
それは、未来を変える“意思”として、確かに芽吹き始めているのだ。


【第5章:「偽りの保守」と「覚悟の保守」―あなたが選ぶべきは誰か】
「保守」という言葉が、あまりに軽く使われるようになった。
財務省の言いなりで増税を繰り返す政治家が「保守」を名乗り、グローバル企業の要求をそのまま政策に落とし込む者も「保守」を掲げて選挙に出る。
それは、果たして本当に“保守”なのか。
森山裕氏と石破茂氏の「偽りの保守」
まず、森山裕氏。
彼は自民党内で重鎮とされ、長く政調会の中心にいた人物だ。
しかし、その政治姿勢は保守と呼ぶには程遠い。
例えば、消費税の増税に際して、彼は「安定財源が必要だ」と何度も繰り返した。
だが、国民生活の困窮には口を閉ざし、減税の議論は“財政規律違反”として退ける。
これは、国を守る政治ではない。
国家財政という“数字”を守っているだけだ。
また、石破茂氏。
彼は自民党総裁選にも名乗りを上げるなど、保守の代表格とされることもある。
だが、彼の発言を精査すれば、国防に対して極めて中途半端な姿勢が浮かび上がる。
米中対立が激化する中で、「対話が必要」と繰り返すばかりで、実質的な安全保障の議論からは逃げ続けている。
さらに移民政策についても、「労働力不足は深刻だから」として、外国人労働者の受け入れ拡大を主張。
その背後にある地域社会の崩壊や、治安悪化には目をつぶっている。
これが保守だと言うなら、それは「偽りの保守」に他ならない。
“覚悟の保守”が語る本当の政治
一方、青山繁晴氏の政治姿勢はどうか。
彼は、自民党に属しながらも、党の主流派におもねることはしない。
財務省と真っ向から対立し、官僚政治を厳しく批判する。
「減税なき国家に未来はない」
「国民が苦しんでいるときに、増税を語る政治家は国家の敵だ」
こうした発言は、メディアからも党内からも煙たがられる。
しかし、青山氏は一歩も引かない。
それは、彼が“選挙のため”ではなく、“国家のため”に発言しているからだ。
覚悟ある保守とは、耳に心地よいことだけを語る者ではない。
不都合な真実を正面から告げ、なおかつその解決の道筋を示せる者である。
「利権の保守」と「理念の保守」
森山氏や石破氏のような政治家は、既得権益とのつながりが深い。
利権団体との癒着、官僚との密な関係、財界からの圧力。
それらを背景に、“保守”を名乗りながら、本質的な改革を避けてきた。
一方で、青山繁晴氏や参政党の神谷宗幣代表は、理念で動いている。
誰かに媚びるわけでもなく、政治的な得よりも、信念を重んじる。
「国民が苦しんでいるなら、議員歳費をカットすべきだ」
「政治家が犠牲を払わずに、どうして国民に協力を求められるのか」
こうした姿勢は、一部から“理想主義”と揶揄される。
しかし、国を正すには理想が必要なのだ。
本物と偽物を見極める視点
選挙において、有権者が最も問われるのは“見極め力”だ。
候補者の言葉だけでなく、その行動、過去の実績、人となりを見る。
メディアが作る“イメージ”に惑わされず、自ら判断する。
青山繁晴氏は、常に「言行一致」を貫いてきた。
言ったことはやる。
やれないことは最初から言わない。
これは、当たり前のようでいて、今の政治では極めて稀だ。
なぜ“偽物の保守”が蔓延るのか
それでも、“偽りの保守”が当選し続ける現実がある。
理由は簡単だ。
・組織票がある
・テレビに出ている
・知名度が高い
・「現職だから安心」と思われている
しかし、これらはすべて“幻想”にすぎない。
現職であっても、国を壊しているなら退場すべきだ。
知名度があっても、理念がなければ看板倒れだ。
私たちは、そろそろ「名前」ではなく「中身」で政治家を選ぶ時に来ている。
選ぶのは「あなた」だ
最後に問いたい。
あなたは、“どんな保守”を望みますか?
・財務省と癒着し、庶民の生活を顧みない保守
・口だけで何もしない保守
・既得権益とズブズブの保守
それとも、
・減税を訴え、国民と向き合う覚悟の保守
・国家観を持ち、家庭・教育・地域を守る保守
・圧力にも屈せず、真実を語る保守
選挙で選ばれるのは、単なる候補者ではない。
その背後にある“価値観”であり、“国のあり方”だ。
青山繁晴氏を選ぶことは、覚悟を選ぶことだ。
それは、私たち自身が覚悟を持って、この国の未来に責任を持つという宣言でもある。
あなたの一票が、“偽り”を打ち砕き、“本物”を照らす力になる。


【第6章:声を上げる勇気――青山繁晴が見つめる国の未来】
日本人は「我慢」に長けた国民だと言われてきた。
それは美徳でもあるが、時に政治においては“沈黙の容認”になってしまう。
増税に次ぐ増税。
生活保護の切り捨て。
地方の切り捨て。
それでも私たちは、黙ってきた。
「しかたない」「誰がやっても同じだ」と。
しかし、いま本当に問われているのは――
「あなたは、まだ黙っているのか?」ということだ。
青山繁晴の“孤独な声”
青山繁晴氏は、その問いに誰よりも早く立ち向かってきた政治家である。
自民党に所属しながら、党の中枢にいる議員たちの“見て見ぬふり”に背を向けてきた。
そして、権力に対して堂々と異を唱えてきた。
「国会の空気がどれだけ鈍感でも、現場の国民の声は真剣です」
彼のこの言葉には、国会の中にいても国民のそばに立ち続けようとする強い意志がある。
「声を上げる」ことは、政治そのものだ
政治は、政治家だけのものではない。
選挙に行く。
SNSで意見を発信する。
街頭で声を上げる。
署名を集める。
どれも、れっきとした“政治”である。
青山氏は、それを何よりも大切にしている。
演説が終わった後、足早に帰るのではなく、最後の一人の声にまで耳を傾ける。
「立場の弱い人の声こそ、政治家が聞かなければならない」
その姿勢は、いまの政治に最も欠けている“倫理”そのものだ。
忖度しない勇気が、空気を変える
日本の政治空間では、「空気を読む」ことが重視される。
波風を立てない。
権力に逆らわない。
多数派に乗る。
だが、その“同調圧力”がこの国を窒息させてきた。
青山繁晴氏は、その空気を壊す。
財務省にも真正面から疑義を突きつける。
メディアにも、「偏向報道だ」と正面から批判する。
党幹部にも、「それは国民を見ていない」と臆せず言う。
忖度しない。
遠慮しない。
その姿に、私たちは“本当のリーダー像”を見出す。
「言葉」を武器にする政治家
青山氏の演説を一度でも聴いたことがあるなら分かる。
彼の言葉には「熱」がある。
それは原稿を棒読みする政治家の言葉とはまったく違う。
失望を突き破る力がある。
眠っていた理性を呼び起こす力がある。
「黙っていたら、何も変わらないんだよ」
この一言で、多くの人が動き出す。
そういう言葉を持っている。
“未来”に責任を持つとはどういうことか
青山氏は「未来」という言葉を頻繁に使う。
だがそれは、単なるスローガンではない。
子どもたちに何を残せるのか。
10年後、20年後に日本はどうあるべきか。
その視点から今の政策を厳しく見つめ直す。
「短期の利益ではなく、長期の国家像を持たない政治に、未来は託せない」
この発言こそ、今の日本政治に欠けている“未来責任”を象徴している。
「立ち上がれ」と言う前に、自らが立っている
青山繁晴氏は、国民に「声を上げろ」と命じることはない。
まず、自分が声を上げる。
自らが、最前線に立つ。
だからこそ、彼の言葉は響く。
政治家が国民の背中を押す時代は終わった。
政治家自身が国民の背中に手を当て、共に歩む時代なのだ。
結びに―あなたの「勇気」が政治を変える
“声を上げる勇気”とは、デモに行くことだけではない。
家族と政治の話をすること。
一票を真剣に考えること。
SNSで「自分の意見」を書くこと。
そのすべてが、政治を変える一歩になる。
青山繁晴氏の存在は、それを私たちに思い出させてくれる。
「この国を、黙って見捨てるわけにはいかない」
そう思うなら、あなたの声が必要だ。
静かで、しかし確かな“国民の声”が、今こそ政治を動かす原動力になる。
覚悟の政治家と、覚悟の有権者が出会うとき。
それは、日本再生の第一歩になるのだ。


【あとがき】
この記事を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ここまでお付き合いくださったあなたは、すでに“傍観者”ではなく、“当事者”として政治を見つめている方だと思います。
いま、この国の政治は、確実に曲がり角を迎えています。
それは政権与党の崩壊という形で、あるいは若者の民意のうねりという形で、あるいは静かな抗議という沈黙の中にあらわれています。
そしてその中心に、たった一人で旗を掲げ続けている人物がいます。
青山繁晴。
彼は、言葉を濁しません。
敵も多い。
党内での立場も、決して強くはない。
それでも彼は、言うべきことを言い、やるべきことをやってきました。
そんな政治家が今の日本にどれだけいるでしょうか?
参政党の神谷宗幣氏もそうです。
彼もまた、忖度を拒み、思想を掲げて闘う政治家のひとりです。
この本で繰り返し語られてきたのは、「保守とは何か?」という根源的な問いでした。
そしてその問いに対する答えは、決して一つではありません。
でも一つだけ、明確に言えることがあります。
保守とは、“守る”だけではなく、“立ち向かう”ことであるということです。
子どもたちの未来に胸を張れる国を残せるのか?
家庭、教育、地域社会といった「日本の土台」を次世代に引き継げるのか?
そのために声を上げる勇気が、私たち一人ひとりに求められています。
もちろん、政治は簡単ではありません。
完璧な政治家などいません。
政策にも、思想にも、賛否が分かれることはあるでしょう。
けれども、それでも、考えることをやめてはいけないのです。
情報を鵜呑みにせず、自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の心で選ぶ。
その営みこそが、民主主義の根幹であり、保守という思想の真髄でもあるのです。
この国には、まだ希望があります。
そして、その希望は“私たちの中”にしかありません。
どうか、あなたの声を未来へとつなげてください。
最後に――。
この文章が、あなたにとって「考えるきっかけ」になったのなら、筆者としてこれ以上の喜びはありません。
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※高倉 龍之介(政治フリージャーナリスト・映像クリエイター)