高倉龍之介ブログ
有村治子氏 激白! “両院議員総会の衝撃と総裁選前倒しシナリオの全貌”石破茂政権に迫る包囲網「外交・経済より政局が動く日」
2025/08/09(土) 15:23
この国の政治は、静かに腐る。
それは突如として暴風雨のように崩れるわけではない。
熱帯夜に放置された生鮮食品のように、じわじわと、そして気づかぬうちに全体が変質していく。
2024年夏、自民党の両院議員総会が開催された。
一見すれば、ただの党内会議にすぎない。
しかしその実態は、日本政治の屋台骨を揺るがす力学と、派閥抗争、そして党則という見えない鎖のせめぎ合いだった。
森山裕幹事長と石破茂首相――。
その両者が進める政権運営に、不満と不信は党内外で膨れ上がっていた。
参議院選挙での大敗は、国民からの警告であり、政権にとっての警報だった。
だが、その音を真剣に受け止めるか否かは、権力を握る側の意志次第だ。
有村治子。
彼女は参議院選挙で勝ち残った数少ない自民党議員のひとりだ。
そして、この両院議員総会の議長という重責を担った。
党内の空気は重く、誰もが次の一手を計算しながら発言を選び、沈黙をも利用する。
そんな場で「針の穴に糸を通す」ような進行を求められたのが彼女だった。
この本は、あの両院議員総会の全貌を記録し、同時に自民党という組織がなぜこのような意思決定をするのか、その背後にある政治的安定性と権力維持の論理を解剖する試みである。
読者には、この一連の出来事を単なるニュースとしてではなく、日本の未来を左右する政治の現場として読んでほしい。
総裁選の前倒しはできるのか。
有村治子はあの日、議長席で中立を貫いたのか。
そして、この国は「空白を作らない」という大義名分のもとで、時に民意よりも安定を優先するのか。
その答えは、党則の条文だけでは説明できない。
人間の思惑、派閥の論理、そして国家運営という冷徹な現実が交錯する場所にこそある。
これから読むあなたには、その舞台裏を余すところなくお伝えする。
第1章 両院議員総会とは何か―その定義と役割
政治の世界には、一般の人々には耳慣れない言葉が多い。
「両院議員総会」もそのひとつだ。
ニュースで聞いたことはあっても、何をする場なのか、どんな権限を持つのか、正確に説明できる人は少ないだろう。
両院議員総会とは、自民党の衆議院議員と参議院議員、つまり国会議員全員が参加する会議である。
だが、それは単なる顔合わせではない。
党の意思決定機関のひとつとして、議決権を持つ重要な場だ。
2024年8月8日に開催された両院議員総会は、特に重い意味を持っていた。
なぜなら、それは参議院選挙の大敗という現実を受けて、党内の責任をどう取るのか、そして党運営をどう変えていくのかが問われる場だったからだ。
この総会が注目された理由のひとつは、直前の7月28日に行われた「両院議員懇談会」との違いにある。
懇談会はあくまで意見交換の場にすぎず、何らかの意思決定を行う権限はない。
言い換えれば、そこでどれほど厳しい意見が出ても、それは議事録に残り、空気を作るだけで終わる。
しかし、両院議員総会は違う。
ここでは「決める」ことができる。
党則に基づき、議題に沿って採決を行い、その結果を正式な党の意思として動かすことができる。
その議長を務めたのが有村治子だった。
有村は、会議を「針の穴に糸を通す」ように運営したと言われる。
党内には総裁選前倒しを求める声と、それを阻止しようとする勢力が共存していた。
感情が先走れば罵声や中傷が飛び交い、冷静さを欠けば党は分裂する。
その危ういバランスの中で、中立性を保ち、時間を管理し、発言を整理し、議論を着地点へと導く――それが議長の仕事だ。
この役職は名誉職ではない。
むしろ火中の栗を拾うような危険な役割だ。
発言の順序ひとつ、制限時間のかけ方ひとつで、特定の派閥に肩入れしていると見られるリスクがある。
有村はそれを承知で、会議の進行を引き受けた。
総会の冒頭、有村は参加者全員に「発言は簡潔に」と呼びかけた。
これは単なる時間管理のためではない。
言葉が長くなればなるほど、感情が高ぶり、場が荒れる危険性が増す。
議論を前進させるためには、まず秩序を守らねばならない。
1時間の自由討議の後、有村は議論を「臨時総裁選を行うべきか否か」という一点に絞った。
この集約の判断が、総会全体の流れを決定づけたと言っていい。
あらゆる意見を漫然と聞き続ければ、会議は散漫になり、結論には至らない。
議長として、彼女はあえてテーマを絞り込み、全員が同じ土俵で意見をぶつけられるようにした。
こうして、両院議員総会は「動かない」と思われていた空気を変えた。
直接的な決定こそできなかったが、臨時総裁選挙という言葉を現実の議題に押し上げたのだ。
その意味で、この総会は自民党の近年の歴史において特筆すべき一日だった。
2024年7月28日。
自民党は参議院選挙で大敗を喫した。
その衝撃は党本部を直撃し、派閥領袖から若手議員に至るまで、表情は暗く沈んだ。
地方組織からは「責任を取れ」という声が上がり、永田町でも水面下で動きが始まった。
ある者は署名活動を開始し、ある者はメディアを通じて総裁批判を強めた。
しかし、その怒りの矛先は一様ではない。
石破茂首相のリーダーシップを疑問視する声もあれば、森山裕幹事長の党運営に不満を抱く者もいる。
この混乱の中、両院議員総会の開催が求められた。
だが、日程調整は想像以上に難航した。
総会は衆参の全議員が参加するため、首相の日程が最大の制約となる。
石破首相は自民党総裁としてだけでなく、日本国総理大臣としての職務を負っている。
この時期は特に多忙だ。
8月6日は広島原爆の日――平和記念式典に出席し、演説を行う。
8月9日は長崎原爆の日――同じく追悼行事がある。
その前後は移動や準備に追われ、国会議員全員を集める余裕はほとんどない。
つまり、現実的に使える日程は8月7日か8月8日の二択しかなかった。
これに加えて、お盆前という事情もあった。
多くの議員は地元に戻り、選挙区での活動を優先する時期だ。
支持者への挨拶回り、盆踊りや地元行事への参加、地元メディアの取材――それらを犠牲にしてまで東京に集まる必要があるのか、という心理的なハードルがあった。
外から見れば「わざと人が集まりにくい日に設定したのではないか」という疑念も生まれる。
だが、当事者たちは否定する。
有村治子総会長も森山幹事長も、これは物理的な制約による必然だと説明した。
総会を開く以上、総理が出席できなければ意味がない。
そして、重要な追悼行事の前後を避けるなら、残された日付は限られていた。
政治は感情だけでは動かない。
日程一つを取っても、儀礼と外交、国内の政局が絡み合う。
特に8月は日本にとって特別な月だ。
広島、長崎、そして終戦の日――それぞれが80年という節目を迎え、国内外からの注目が集まる。
その時期に党内抗争を前面に出せば、国民感情を逆なですることになりかねない。
だからこそ、両院議員総会は8月8日という、ぎりぎりの綱渡りの日に設定された。
前日は準備に追われ、翌日は長崎で追悼行事。
その狭間の数時間に、党内の未来を左右する会議を詰め込む――これが現実だった。
政治家は時間の使い方で価値観を測られる。
誰と会うか、どの場に出るか、どの議題を優先するか。
そしてこの8月8日の総会は、「安定を守るか、それとも変化を選ぶか」という二択を突きつけた場でもあった。
8月8日午前。
自民党本部の大会議室には、重苦しい空気が漂っていた。
ざわめきはあるが、笑顔はほとんどない。
参議院選挙での大敗が、ここに集まった一人ひとりの表情を固くしていた。
両院議員総会の議長席には、有村治子の姿があった。
参議院選挙で勝ち残った数少ない自民党議員のひとりとして、この役目は避けられなかった。
それは名誉であると同時に、極めて危険な立場でもある。
議長の一言、一つの仕草が、派閥や支持層から「肩入れ」と見なされる恐れがあるからだ。
この日の議題は二つ――「参議院選挙の総括」と「今後の党運営について」。
だが、この後者が事実上の本丸だった。
なぜなら、「今後の党運営」という言葉の中には、総裁選の前倒しも、臨時総裁選挙の可能性も含まれていたからだ。
つまり、何を議論しても良い。
その自由さは、同時に危険でもあった。
方向性が定まらなければ、単なる感情のぶつけ合いで終わってしまう。
有村は冒頭でこう告げた。
「本日は時間が限られています。発言は簡潔に、そして建設的にお願いします。」
この一言で、場の空気が少し引き締まった。
前回7月28日の両院議員懇談会は、4時間半に及んだ。
発言時間の制限が緩く、議論は迷走し、結論には至らなかった。
有村はその反省を踏まえ、今回は2時間で終えると決めていた。
時間管理は、議長の最も重要な武器であり防御でもある。
ダラダラと続く会議は、党の疲弊を招き、決断力を失わせる。
冒頭の1時間は自由討議に充てられた。
立ち上がる議員たちの多くは、参議院選挙の敗因を厳しく指摘し、責任の所在を問う声を上げた。
「総裁の言葉が聞きたい」
「このままでは国民の信頼を失う」
議場のあちこちから、低くも鋭い声が飛ぶ。
石破首相は当初、発言をためらっていた。
「お口が重かった」という表現が後に残されたが、それは的確だ。
議員たちの視線は一斉に総裁席へ向けられていた。
その空気を感じ取った有村は、議長としての権限で発言を促した。
石破は短く、「それでも頑張っていく」と述べ、政策の方向性に言及した。
しかし、それは自らの進退や責任の取り方を明確にするものではなかった。
議場には失望とも安堵ともつかない沈黙が広がった。
この瞬間、有村は次の一手に移った。
議論を党則第6条第4項――臨時総裁選挙の是非という一点に絞り込むことを提案したのだ。
これは単なる進行ではない。
議題を絞ることで、感情論から制度論へと軸足を移し、議論を現実的な着地点へ導く試みだった。
議長として最も難しいのは、中立性の維持だ。
会議前、有村は誰と会うにも党職員を同席させ、個別の密談や誤解を招く行動を避けた。
派閥のボスとも距離を保ち、特定の勢力と組んでいると思われることを徹底的に排除した。
これは容易なことではない。
政界では、中立を貫く者は「どちらにも属さない者」と見なされ、時に孤立する。
しかし有村は、それこそが議長の責務だと考えていた。
彼女は議長席から見える全員の顔を覚え、その反応を見極めながら、発言者を指名し続けた。
議論が加熱しかけると、静かに手を上げて制止する。
声を荒げる議員には時間制限を告げ、まだ発言していない議員に機会を与える。
その姿勢は、会議が終わった後「非の打ち所がない」と複数の議員に評された。
議論の末、臨時総裁選挙を直接決定することはできないという党則の壁が確認された。
この規定は、森政権時代の低支持率の中で「総裁解職規定」を作らない代わりに設けられたものだ。
総裁選の要求は、両院議員総会ではなく党本部総裁選挙管理委員会に提出する必要がある。
有村は、賛否両論をそのまま「申し送り」として選挙管理委員会に渡す提案を行った。
これは採決を避け、党内対立を最小化するための「知恵」だった。
森山幹事長もこの方針を了承し、拍手多数で承認された。
こうして、直接的な結論は出なかったものの、臨時総裁選に向けた歯車は確かに動き出した。
有村の進行がなければ、この一歩は踏み出せなかっただろう。
政治には「動かせるもの」と「動かせないもの」がある。
政局の報道を追っていると、あたかも何でも議員たちの意志で決められるように見えるが、実際はそうではない。
特に自民党の総裁に関しては、揺るがせない規定が存在する。
それが、党則第6条第4項だ。
この条項は、一見単純に見える。
総裁の任期満了前に、党所属の国会議員と47都道府県支部連合代表の過半数が要求すれば、総裁選挙を行うことができる――。
しかし、ここに決定的なポイントがある。
それは、この要求は「両院議員総会」ではなく、「党本部総裁選挙管理委員会」に対して行うと明記されていることだ。
8月8日の両院議員総会で、多くの議員が「臨時総裁選をやるべきだ」と主張した。
だが、有村治子総会長も森山裕幹事長も、事前にこのルールを全議員に共有していた。
理由は明確だ。
この総会は議決権を持つが、総裁の解職や総裁選の実施を直接決定する権限はない。
できるのは、意見をまとめて「申し送り」することまでだ。
この制限があるからこそ、有村は議論を集約する方向に舵を切った。
もし「やる」「やらない」の挙手や採決を行えば、ルール違反になるばかりか、党内分裂の火種を作る。
制度を理解していない者からは「なぜ決めない」と批判されるが、それを敢えて受け入れるのが議長の覚悟だ。
ではなぜ、自民党は総裁を解職する制度を持たないのか。
これには過去の苦い経験が影を落としている。
2000年代初頭、森喜朗政権は支持率が低迷し、内外から退陣を求められた。
その時、党内で検討されたのが「総裁解職規定」だった。
しかし、結局それは採用されなかった。
理由は単純だ。
自民党の総裁は、多くの場合、日本国の総理大臣を兼ねる。
つまり、党内権力闘争で簡単に総裁を引きずり下ろせる仕組みを作れば、日本の総理が短期間で何度も変わる危険性が生じる。
これは政治の安定性を損ない、国際交渉での信頼を失わせる。
相手国から見れば、「どうせ来年には別の総理が来る」と思われ、長期的な交渉が不可能になる。
実際、1990年代から2000年代初頭にかけて、日本は総理が頻繁に交代し、外交の継続性が損なわれた。
その反省として、自民党は「総裁の任期中はよほどのことがない限り続投させる」という制度設計を守ってきた。
臨時総裁選はあくまで例外であり、発動には高いハードルを課している。
この制度は、表向きには政治の安定性を守るためのものだ。
確かに、頻繁なトップ交代は混乱を招く。
だが同時に、このルールは現職の総裁を強固に守る「鎖」にもなる。
どれほど支持率が落ちても、党内に不満が渦巻いても、解任への道は限られている。
森山裕幹事長は、この条項を盾に「ルールに基づく運営」を強調した。
岸田文雄総裁(当時)も同じ認識だった。
ルールを変えない限り、両院議員総会での直接的な決定はできない――その事実が、この日の会議の枠組みを決定づけていた。
議長である有村治子は、この制度の限界を誰よりも理解していた。
だからこそ、議論を「臨時総裁選の是非」に絞り、その意見を選挙管理委員会に申し送る形にした。
これは「できる範囲の中で最大限の前進」を引き出す方法だった。
結果として、総会は直接的な結論を出さず、意見集約という形で幕を閉じた。
だが、それは無意味ではなかった。
この「申し送り」が、後の総裁選前倒し論議の火種となり、岸田総裁の不出馬表明へとつながっていく。
8月8日午後、両院議員総会は予定通り2時間で終了した。
議長の有村治子は、会議の終わりにこう告げた。
「本日出された意見は、党本部総裁選挙管理委員会に申し送りといたします。」
その瞬間、議場には拍手が広がった。
それは賛同の拍手というよりも、議論を収めたことへの安堵の拍手に近かった。
拍手の音はやや控えめで、緊張と疲労の色がにじんでいた。
この日の総会は、臨時総裁選挙の実施を直接決定する場ではなかった。
党則第6条第4項の制約により、その権限は総会にはない。
しかし、だからといって意味がなかったわけではない。
むしろ重要なのは、「臨時総裁選挙」という言葉が、党内の公式な議題として扱われ、選挙管理委員会へとバトンが渡されたことだ。
これは単なる意見交換や雑談ではなく、正式な党内プロセスに組み込まれたことを意味する。
政治において、こうした手続きの一歩が持つ重みは計り知れない。
多くの国民にとって、この結果は「何も決まらなかった会議」と映ったかもしれない。
だが、永田町の内情を知る者からすれば、この「申し送り」は明らかな前進だった。
有村は、議長として最初から「穏やかに終わらせる」ことを意識していた。
採決による白黒の決着は、必ず多数派と少数派の分断を生む。
今の自民党にとって、それは致命的なリスクだった。
参議院選挙の大敗で党勢は落ち込み、地方組織や支持団体の不満は高まっていた。
ここで党内対立を激化させれば、さらに求心力を失う。
だからこそ、有村は「申し送り」という、曖昧だが柔らかな着地点を選んだ。
森山裕幹事長もこの方針を了承した。
森山は、ルールと前例を重んじる政治家だ。
彼にとっても、党内を割る採決は避けたい選択肢だった。
この二人の意思が一致したことで、総会は爆発することなく閉幕した。
総会の翌日から、政治評論家やメディアはこの会議の評価をめぐって割れた。
ある保守系の論客は、「有村治子は自民党の空気を変えた」と賞賛した。
長らく触れられなかった「臨時総裁選」という議題を公式に取り上げ、手続きを進めた功績は大きいという。
一方で、批判的な視点からは「結局は骨抜きだ」との声もあった。
採決を避けたことは、責任回避であり、国民の期待を裏切ったという論調だ。
しかし、政局の現場にいた議員の多くは、有村の進行を高く評価していた。
「非の打ちどころがない」
「全員に公平だった」
そんな声が複数の派閥から聞かれたのは珍しいことだ。
政治の世界では、全員を満足させることは不可能だ。
だが、この日の有村は「全員を敵に回さない」という絶妙なラインを保った。
申し送り先となった総裁選挙管理委員会は、党内でも特別な位置づけを持つ。
委員長は相澤氏――ベテランで、派閥のしがらみに縛られにくい人物だ。
委員会の役割は、衆議院・参議院の全議員と47都道府県支部連合代表の意見を集約し、その結果に基づき手続きを進めること。
つまり、この瞬間から「臨時総裁選挙」の是非は、より広範な党員代表の問題へと拡大した。
国会議員だけでなく、地方組織の声も無視できなくなる。
これは、石破首相や森山幹事長にとっても重圧となる。
地方組織は選挙での現場を担い、国民の反応を肌で感じている。
その声が臨時総裁選に傾けば、執行部は無視できない。
この日の総会を振り返ると、「何も決まらなかった」のではなく、「決めるための歯車がかみ合い始めた日」だったと言える。
議場の空気は、終盤になるにつれてわずかに軽くなっていった。
緊張の糸が切れたわけではない。
むしろ、次の局面に向けた準備が整ったような、静かな熱を帯びていた。
後にある議員はこう語った。
「有村さんが議長じゃなかったら、この総会は爆発して終わってた。あの人はギリギリのラインで舵を切った。」
政治は劇的な瞬間だけで動くわけではない。
制度の壁を理解し、その中で最大限の動きを引き出す。
この日の有村の判断は、その典型だった。
両院議員総会が終わった直後、ある若手議員が小声で漏らした。
「結局、自民党はいつもこうだ。急がない。壊さない。ゆっくり動く。」
この一言に、戦後日本政治における自民党の生存戦略が凝縮されている。
自民党は、政権与党としての座を失わないために、時に民意よりも「安定性」を優先してきた。
その背景には、派閥政治の構造、制度の縛り、そして「政権交代は悪」という無言の哲学がある。
自民党の党運営は、まるで巨大な油圧機構のようだ。
衝撃や急激な変化を吸収し、機構全体を壊さないようにする。
この「ショックアブソーバー」の役割を果たすのが、総務会、選挙対策委員会、総裁選挙管理委員会、そして両院議員総会といった組織である。
これらの組織は、単なる会議体ではない。
権力構造を守るための「緩衝材」であり、急激な権力交代を防ぐための安全装置だ。
総裁交代の是非をめぐる議論も、この油圧機構を通すことで、党内の衝突が一気に表面化するのを防ぐ。
結果として、国民から見れば動きが遅く、歯切れが悪く映ることも多い。
しかし、その遅さは党内の結束を守るための計算された遅さだ。
今回の8月8日の総会も、この「安定優先」の論理の上に成り立っていた。
参議院選挙での敗北を受け、党内には石破首相の責任を問う声が渦巻いていた。
それでも森山裕幹事長は、臨時総裁選挙の即時開催には慎重だった。
理由は明白だ。
今この瞬間に石破を降ろせば、総裁選の混乱と派閥間の衝突で、党全体が分裂しかねない。
その結果、次の衆議院選挙や外交交渉に致命的な影響が及ぶ可能性があった。
森山は記者団に「党の安定が最優先」と繰り返した。
その発言は一部メディアから「保身」と批判されたが、彼の頭の中には政党運営の冷徹な計算があった。
安定性とは、単に波風を立てないことではない。
選挙資金の流れ、地方組織の動き、国会運営のスケジュール――これらすべてを制御し続けることを意味する。
自民党は過去にも「急ぎすぎて」失敗した事例をいくつも持っている。
1993年、宮澤喜一内閣の不信任決議が衆議院で可決された時、党内の動きは急だった。
竹下派の分裂、小沢一郎の離党、新生党の結成――これらが一気に噴き出し、自民党は38年ぶりに政権を失った。
あの時の教訓は、「内部抗争が露骨に国民の前に出れば、政権は終わる」というものだった。
2009年の麻生政権末期もそうだ。
党内から「麻生おろし」の声が上がり、総裁選の前倒しが議論されたが、結局は総選挙で歴史的大敗を喫した。
これもまた、急激な動きが党の求心力を削いだ例だった。
だからこそ、自民党は学んだのだ。
急激な交代は避ける。
時間をかけ、手続きを重ね、外から見れば遅すぎるくらいのペースで進める――それが政権維持の鉄則だと。
しかし、この「安定優先」には副作用がある。
それは、民意とのズレだ。
国民は選挙を通じて意思を示す。
参議院選挙の大敗は、明確に「石破政権への不信」を突きつけた結果だった。
それでも党が総裁交代を急がないとき、国民は「自民党は自分たちの声を聞かない」と感じる。
この乖離が続けば、政党の支持基盤はじわじわと侵食される。
特にSNS時代、世論の動きは早い。
党が「安定」を理由に動かない間に、支持率は急落し、野党に攻撃材料を与える。
森山や石破の計算は、党内の秩序維持には有効かもしれない。
だが、国民との関係修復には、別のアプローチが必要になる。
このジレンマの中で、有村治子は独自の舵取りをした。
彼女は党内融和を壊さない範囲で、臨時総裁選の議題を公式プロセスに乗せた。
これは「安定」と「変化」のバランスを取る難しい仕事だった。
議長席から見れば、総会は嵐の前の静けさだった。
賛成派も反対派も、最後は有村の「申し送り」という言葉に従った。
それは彼女が単に中立だったからではない。
彼女は党内の力学を読み、どのタイミングでどこまで踏み込めば組織が壊れないかを知っていた。
この日の総会は、自民党の伝統的な「安定優先」の哲学を体現しつつも、変化への小さな扉を開いた瞬間だった。
政治の世界では、日付は単なる数字ではない。
日程の一つひとつが、戦略であり、メッセージであり、時には武器にもなる。
8月8日に開かれた両院議員総会も、その開催日が決まるまでに、目に見えない駆け引きがあった。
その背景をたどれば、単なるスケジュール調整ではなく、党内力学の縮図が浮かび上がる。
まず、この日付には二つの意味があった。
一つは、参議院選挙からのクールダウン期間としてちょうど良い距離を置ける日程だったこと。
選挙結果という熱を冷ますためには、最低限数日が必要だ。
あまりに早く総会を開けば、感情的な発言が飛び交い、冷静な議論は不可能になる。
もう一つは、盆休み前というタイミングだ。
国会議員も地方議員も、盆は地元活動のピークであり、政治活動における重要な節目。
その直前に総会を開くことで、総会の結論や空気感を地方組織に持ち帰りやすくなる。
こうした表向きの理由は、記者会見や報道でも語られた。
だが、実際にはもっと複雑な「読み合い」が存在していた。
自民党において、両院議員総会の日程は総裁や幹事長が自由に決められるわけではない。
党則上は、総会を求める署名が提出されれば、開催義務が生じる。
だが、その「いつ開くか」については、幹事長の裁量が大きい。
森山裕幹事長は、この裁量を最大限に活かした。
彼は総会開催の要請を受けた後、すぐには日程を確定させなかった。
その間に、派閥領袖や主要ポストの議員たちと非公式会合を重ね、反石破派と現政権支持派のバランスを測ったのだ。
もし反石破派の勢いが予想以上に強ければ、日程をさらに後ろ倒しして時間稼ぎをする。
逆に石破支持派が弱っていると判断すれば、前倒しで開き、勢いを封じ込める。
これが「日程戦術」と呼ばれる自民党独特の権力操作である。
反石破派の中には、この日程調整を「時間稼ぎ」と受け取った議員も少なくなかった。
彼らは森山が石破政権を延命させるため、総会を遅らせると疑った。
そのため、非公式に「8月8日以降は認めない」というラインを引く動きもあった。
一部の若手議員は、メディアに匿名でこう漏らしている。
「日程が1週間遅れるだけで、党内の空気はガラッと変わる。
石破おろしの勢いも、世論の熱も冷めてしまう。」
実際、過去にも同様の事例がある。
2007年の安倍第一次政権末期、参院選大敗後の総会開催が遅れた結果、安倍退陣の声が弱まり、結果的に任期途中まで延命した。
その教訓を反石破派はよく知っていた。
8月8日という日付が持つ意味は、党内外への「シグナル効果」もあった。
反石破派に対しては、「求めに応じて開催するが、すぐではない」というメッセージ。
現政権支持派に対しては、「落ち着いて体勢を整える時間を与える」という保証。
さらに、この日程設定はメディア戦略としても計算されていた。
総会を平日午前に設定すれば、昼のニュースから夜の報道番組まで、1日中トップニュースとして扱われる。
翌日には各紙の一面を飾り、全国に総会の存在感を印象づけることができる。
森山はこれらの効果を狙い、日程をあえてメディア露出のピークに重ねたのだ。
議長を務める有村治子にとっても、この日程は重要だった。
あまりに早すぎれば議論が感情的に流れる。
遅すぎれば「議長が現政権を守った」と批判される。
彼女は中立性を保つため、森山や各派閥領袖との調整に加え、無派閥のベテラン議員にも意見を聞いた。
その結果、「最も反発が少ない日付」として8月8日が浮かび上がった。
総会当日、有村は開会の挨拶でこう述べた。
「本日は、党内のさまざまな意見を率直に交わし、未来に向けての道筋を模索する場といたします。」
その言葉には、日程調整という見えない作業を経て辿り着いた、微妙な均衡がにじんでいた。
政治史を振り返れば、たった一日の違いが政権の命運を変えた事例は多い。
日程の一日延長が党内クーデターを未然に防ぐこともあれば、一日短縮することで政権交代を引き起こすこともある。
8月8日の両院議員総会もまた、その日付の選択が持つ意味を痛感させる出来事だった。
日付は、歴史を変える。
それは戦争の開戦日や選挙の投票日だけの話ではない。
党内総会という一見地味な出来事にも、同じ力が宿っているのだ。
両院議員総会は、形式的には党内の意思疎通の場に過ぎない。
だが、この場で総裁が発する一言は、国会審議や外交交渉の場以上に、党の命運を左右することがある。
8月8日の総会で石破茂総裁が語った言葉も、その例外ではなかった。
総会が始まると、まず議長である有村治子が淡々と議事進行を読み上げた。
出席者は緊張感を帯び、記者団もシャッター音を控えめにして場の空気を壊さないようにしていた。
石破は席に深く腰を掛け、両手を組み、視線を落としていた。
開会から数分後、彼がゆっくりとマイクの前に立った瞬間、空気が変わった。
まるで体育館に置かれたピアノの鍵盤が、誰かの手で初めて叩かれる瞬間のように、場の緊張が一点に集中した。
石破は冒頭でこう切り出した。
「私は、引き続き総裁としての責任を果たす決意でございます。」
この言葉が発せられた瞬間、反石破派の議員たちはわずかに顔を歪め、記者たちは一斉にペンを走らせた。
参院選での敗北を受け、多くが予想していたのは「進退に関する言及」だったからだ。
ところが、その予想を裏切る形で、石破は続投を明言した。
続けて彼はこう述べた。
「選挙結果は真摯に受け止めます。しかし、この結果をもってただちに政権を投げ出すことは、国民への責任放棄と考えます。」
一見、筋の通った理屈に聞こえる。
だが、この言葉は二つの異なる受け止め方を生んだ。
石破支持派は、この発言を「指導者としての責任感」と捉えた。
「ここで辞めれば、政権は空白になる。外交も経済も混乱する。石破さんはそれを防ごうとしている」
と、ある若手議員は記者に語った。
一方、反石破派は真逆の解釈をした。
「国民が下した不信任のメッセージを無視している」
「結局、自分の椅子にしがみつきたいだけだ」
と、あるベテラン議員は吐き捨てるように言った。
同じ言葉が、まるで光と影のように正反対の意味を帯びる。
これこそが政治言語の恐ろしさであり、総裁の発言が持つ二面性だ。
石破はさらに「党内の一体感」を何度も強調した。
「この困難な時期こそ、一丸となって国政に臨むべきです」
その声は一見力強かったが、実際には党内の分裂が深まっている現実と乖離していた。
一体感を呼びかける言葉は、往々にして現場の不満を覆い隠すために使われる。
そのギャップを肌で感じている議員ほど、この呼びかけに冷ややかな視線を送った。
総会終了後、テレビや新聞は石破の「続投」部分を大きく報じた。
見出しは「石破首相、続投を明言」「退陣論を一蹴」。
一方、演説の中で彼が触れた「地方創生」や「防衛政策」への言及は、ほとんど扱われなかった。
報道の影響力は計り知れない。
発言全体ではなく、切り取られた一文が世論の印象を決定づける。
その結果、世間では「石破は民意を無視して居座っている」というイメージが強まった。
この発言は党外、特に野党や海外メディアにも波紋を広げた。
立憲民主党の幹部は「首相が責任を取らないなら、我々が国会で徹底的に追及する」と発言。
海外メディアは「日本の首相、選挙敗北後も続投宣言」と報じ、政治的安定性への疑問を呈した。
投資家や経済界も無関心ではいられない。
一部の企業経営者は「政権が不安定なら、政策の長期見通しが立たない」と懸念を示した。
政治家の発言は、一度放たれれば二度と消えない。
石破の「続投」発言は、党内での人事交渉や派閥力学においても、常に前提として立ちはだかることになった。
もはや「辞める可能性」は限りなく低いとみなされ、その前提で動く議員が増えた。
これは、言葉が持つ「自己拘束力」だ。
一度「やる」と言った以上、やらなければ信用を失う。
しかし、やり続ければ世論の反発を買う可能性も高まる。
政治家は常に、この二律背反の中で身動きを取れなくなる。
総会における石破の発言は、彼の政治生命を延ばすための布石であると同時に、自らの動きを縛る鎖にもなった。
沈黙を選んで曖昧さを残す道もあっただろう。
だが、彼はあえて明言した。
それが賢明だったのか愚策だったのかは、歴史が判断する。
ただ一つ確かなのは、この日放たれた言葉が、これから数カ月の政局を決定づける大きな分岐点になったということだ。
両院議員総会での「続投宣言」は、一瞬の出来事のようでいて、その後の政治スケジュールと党内のパワーゲームに深く影響を及ぼした。
ここから先の数カ月は、日本の政権運営にとって極めて重要な時間となる。
石破が総裁の座を守り抜くのか、それとも予期せぬ形で退陣に追い込まれるのか。
その答えは、複数の分岐点の先にある。
本章では、可能性の高い三つのシナリオを軸に、今後の展望を分析する。
最も現実的とされるのが、石破が任期いっぱいまで総裁を務め、来年9月の総裁選まで政権を維持するというシナリオだ。
この場合、石破は参院選の敗北を「痛恨の極み」と位置づけつつ、閣僚人事や党役員人事を通じて不満勢力の懐柔を試みる。
森山裕幹事長や他の主要ポストに、反石破派からも人材を登用し、形だけの「挙党一致」体制を演出するだろう。
加えて、外交日程を利用する手もある。
秋には米国との関税交渉、中国との首脳会談、ASEAN首脳会議などが控えており、これらを政権の「実績作り」の舞台にできれば、続投の正当性を補強できる。
しかし、このシナリオには弱点もある。
参院選の敗北による求心力低下は容易に回復しない。
政権延命のための人事や外交が「パフォーマンス」と見られれば、逆効果になる危険性も孕んでいる。
党則上、両院議員総会には総裁を直接罷免する権限はない。
しかし、総会で「総裁選の前倒し」を議決すれば、それは事実上の解任に等しい。
仮に反石破派が署名を集め、総会開催を再度求めた場合、年内にも「前倒し選挙決議」が可決される可能性がある。
その場合、石破は「自ら身を引く」形で退陣するか、あるいは党内対立を激化させながら選挙に臨むことになる。
このシナリオの実現には、党内の力学が大きく関わる。
旧安倍派(清和会)や茂木派、無派閥の保守系議員がどれだけ足並みを揃えるかがカギだ。
さらに、世論調査で「石破退陣」を求める声が高まり続ければ、反石破派の動きは加速する。
最も不安定で予測不能なのが、衆議院解散による政権崩壊だ。
石破が解散権を行使し、党内反対派を一掃しようとする可能性はゼロではない。
しかし、この賭けは極めて危険だ。
参院選で敗北した直後に衆院選を行えば、与党の議席減はほぼ確実であり、場合によっては単独過半数を割り込む恐れもある。
その結果、連立与党が分裂し、政権交代が現実味を帯びる。
一方で、解散をちらつかせることで反対派の動きを抑える「脅し」として使う手もある。
実際、過去にはこの手法で党内クーデターを未然に防いだ首相も存在した。
だが、石破の場合、党内基盤の脆弱さゆえに、その脅しが効くかは疑問が残る。
これら三つのシナリオのどれに進むかは、次の三要因が大きく作用する。
1.世論の動向
支持率が急落すれば、延命シナリオは急速に弱まる。
特に内閣支持率が20%を割り込めば、党内でも「選挙に勝てない総裁」との見方が定着する。
2.派閥間の取引
森山幹事長が石破続投のためにどこまで根回しできるか、あるいは自ら距離を置くか。
派閥領袖たちの判断次第で、政局は一気に動く。
3.外交・安全保障環境
外交危機や安全保障上の脅威が発生すれば、「政権交代より安定」を求める声が強まる可能性もある。
逆に外交失敗が重なれば、退陣圧力は倍増する。
メディア報道では「石破が辞めるか否か」ばかりが焦点になるが、もっと重要なのは、この政局が日本の政策運営に与える影響だ。
政治空白が長引けば、経済政策も安全保障政策も停滞する。
外交交渉では、相手国が「日本は今、内政で手一杯だ」と見なし、譲歩を引き出そうとするだろう。
つまり、政局は単なる「権力争い」ではなく、日本の国益に直結する問題なのだ。
石破に残された最大の資源は「時間」だ。
任期満了までの時間を使って支持率を回復し、党内基盤を立て直せれば延命できる。
しかし、同じ時間が、反石破派にとっては「包囲網を固めるための猶予期間」にもなる。
この政局は、時間を巡る争奪戦でもある。
そして、勝者は時間を味方につけた方だ。
自民党の両院議員総会が開催されるわずか数週間前。
参院選の結果が確定し、有村治子は再び国政の舞台に立つ切符を手にした。
滋賀選挙区での再選は、単なる個人の勝利ではなかった。
それは、保守の理念を守ろうとする有権者と候補者の、粘り強い信頼関係の結晶だった。
参院選の戦況は、自民党にとって決して楽なものではなかった。
石破政権下での参院選は、全国的に「与党不信」の空気が漂い、都市部では保守候補が苦戦を強いられた。
滋賀も例外ではない。
相手候補は野党連合の支援を受け、SNS戦略と街頭演説を駆使して勢いを増していた。
そんな中、有村は選挙区をくまなく歩いた。
炎天下でも、冷たい雨の日でも、街角に立ち、地元の声を自らの耳で聞き取った。
農家の高齢者が口にした「年金だけじゃ、もうやっていけない」という切実な声。
子育て世代の母親が漏らした「外国人労働者の増加で保育園が足りない」という不安。
これら一つひとつを胸に刻み、有村は選挙演説に織り込んでいった。
有村の演説は、単なるスローガンでは終わらない。
「私は、この問題をこう解決します」と、具体的な政策案を示す。
たとえば外国人土地取得の規制強化についても、単なる反対論にとどまらず、法改正の必要条文や他国の事例まで提示した。
有権者にとって、それは単なる政治家の言葉ではなく、具体的な「道筋」に見えた。
彼女の説得力の源泉は、過去の政策実績にある。
男女共同参画や教育改革、外交安全保障分野での活動は、派閥や立場を超えて評価されてきた。
そして何より、政治家としての軸がぶれない。
どれほど党内の空気が変わろうと、国益と国民生活の安定を最優先する姿勢を崩さない。
両院議員総会での有村の役割は、単なる議事進行役ではなかった。
それは「党内民主主義の守護者」という立場だった。
総会開催に至るまでには、多くの圧力や根回しが飛び交った。
「今回は見送るべきだ」という声もあれば、「開催しても形だけになる」という諦めの意見もあった。
だが有村は、議員一人ひとりが意見を述べられる場を確保することこそ、党の健全性を保つ最も重要な行為だと考えた。
実際、総会当日も、発言希望者が多数にのぼった。
その一人ひとりに発言の機会を与え、時間配分を調整しながらも、議論が空中分解しないようまとめる――。
これは並大抵の議事運営能力ではできない。
有村は淡々と、しかし毅然と、その任を全うした。
今回の参院選での再選と総会での存在感により、有村は保守派にとって象徴的存在となった。
彼女の存在は、石破政権に批判的な議員たちにとって、一つの「旗印」だ。
同時に、党執行部にとっても無視できない存在感を放っている。
なぜなら、有村は単に「反石破」ではないからだ。
彼女は党の理念と国益を軸に是々非々で判断する政治家であり、石破政権下でも必要な政策には協力を惜しまない。
この「中立的な信念」が、彼女を一層信頼される存在にしている。
総会後の記者会見で、有村は静かに、しかしはっきりと語った。
「自民党は、国民政党としての原点を忘れてはいけません。
どんな立場の議員であっても、自由に意見を述べられる場を守りたい。
それが、国民の声を政治に届ける唯一の道です。」
この言葉は、単なる抱負ではない。
党の進むべき方向への提言であり、同時に覚悟の表明だった。
有村は今後、国会質問や委員会活動を通じて、総会で出された意見を政策に反映させると明言している。
つまり、総会は終わりではなく、次の戦いの始まりなのだ。
有村の存在は、今後の党内の均衡を微妙に変えるだろう。
彼女は派閥色を極力薄めながらも、保守系議員とのネットワークを広げている。
これが将来的に「保守横断型」の新たな勢力として結実すれば、総裁選の行方にも影響を与える可能性がある。
石破政権にとって、有村は味方にもなり得るし、最大の障壁にもなり得る。
その鍵は、今後数カ月の政策運営と党内調整にかかっている。
総裁選は本来、任期満了に合わせて淡々と行われる――それが自民党の慣例だった。
だが、今回その「予定調和」が崩れかけている。
7月の参院選敗北を境に、党内の空気は急速に変化し、総裁選の前倒しを求める声が、静かに、しかし確実に広がり始めたのだ。
石破茂首相は、総裁選を予定通り来年秋に実施する方針を崩していない。
表向きは「政権の安定」「外交交渉の継続」を理由に掲げている。
特に、米国との関税交渉や防衛費増額の議論が続く中、「政権交代による混乱は避けるべき」という論理は、一部の議員や有権者にも一定の説得力を持つ。
しかし、その土台は脆い。
参院選での敗北は、石破政権が民意を失いつつある証拠として受け止められた。
さらに、両院議員総会で噴出した不満は、単なる一時的なガス抜きではなかった。
「このままでは衆院選での敗北は避けられない」という危機感は、与党議員の間に根を下ろしつつある。
興味深いのは、この前倒し論が特定派閥だけでなく、複数のグループから同時多発的に出ていることだ。
森山裕幹事長に批判的な中堅・若手議員。
有村治子氏をはじめとする保守系の参院議員。
さらには旧安倍派の一部も、この動きを探っている。
その背景には、衆院選を控えた議員たちの「生存本能」がある。
落選の恐怖は、派閥の結束よりも強い力を持つ。
仮に今の内閣支持率低迷が続けば、政権交代の可能性すら現実味を帯びる――その危機感が、派閥を超えて議員たちを動かしているのだ。
前倒し派は、表立って石破降ろしを叫んではいない。
むしろ、党内外の空気を慎重に読みながら、「総裁選はあくまで自然な流れ」という形を装っている。
その一方で、党則の解釈や臨時総裁選の前例を研究し、複数のシナリオを水面下で共有している。
中でも有力なのは、両院議員総会や党大会に合わせて総裁選前倒しを提案し、賛同署名を集める手法だ。
この方法なら、石破首相に正面から挑む構図を避けつつ、合法的に日程を動かすことができる。
一方、石破側も手をこまねいてはいない。
人事権を武器に、重要ポストの入れ替えを検討しているとの情報もある。
特に、前倒し派の動きに同調しそうな中堅議員を、副大臣や党役職に起用することで、包囲網を緩めようという計算だ。
さらに、外交日程を立て込み、「今は総裁選どころではない」という印象を国民に与える戦術も駆使している。
米中関係、北朝鮮情勢、そして米国大統領選――これらを理由にすれば、世論の一定数を説得できる可能性はある。
しかし、どれだけ党内戦術を巡らせても、最後の決め手は世論だ。
もし今後数カ月で内閣支持率が急落すれば、石破続投の大義名分は一気に失われる。
逆に、外交成果や経済指標の改善が見られれば、前倒し派は動きづらくなる。
前倒し派が注目しているのは、秋に予定される内閣改造後の支持率推移だ。
このタイミングで数字が回復しなければ、一気に「総裁選前倒し」の声が噴き上がる可能性が高い。
結局のところ、総裁選前倒しの可否は、次の二つの未来を分ける分水嶺となる。
1.続投シナリオ
石破政権が任期満了まで持ちこたえ、外交・経済で一定の成果を上げた上で、総裁選に臨む。
この場合、石破は再選の可能性を残すが、党内の不満を完全に抑え込むことは難しい。
2.刷新シナリオ
参院選敗北と支持率低迷を理由に、党内外からの圧力が高まり、前倒し総裁選が実現。
新たな総裁のもとで衆院選に挑むことで、与党の求心力回復を狙う。
どちらの道を選ぶか―その判断は、今後数カ月の政局の流れ次第だ。
政治の世界には、二つの時間が流れている。
一つは、公式のカレンダーに刻まれた時間。
党則に記された総裁任期や、選挙のスケジュール。
もう一つは、民意と政局の空気がつくり出す「もう一つの時間」だ。
今回の両院議員総会で見えたのは、後者の時間が加速している現実だった。
石破茂首相は、公式の時計を守ろうとしている。
だが、民意と党内の空気は、それを待ってはくれない。
両院議員総会は、本来、党員全員が同じテーブルで議論できる場だ。
しかし、その制度的な力は限定的で、総裁の続投を止める法的拘束力はない。
それでも、今回の総会が大きな注目を集めたのは、党内民主主義の象徴的な舞台だからだ。
有村治子議長の巧みな議事運営、各議員の率直な意見表明――それは、制度の限界を超えて「意思表示」の場を成立させた。
この意思表示が、今後の総裁選や党の方向性を変える可能性がある。
石破政権の是非を超えて、私たちが直視すべき問いがある。
それは「次のリーダーは、何をもってこの国を導くのか」ということだ。
外交での立ち位置。
経済政策の方向性。
そして、何よりも国民との信頼関係をどう再構築するか。
単なる人気取りではなく、国家戦略を描ける人物でなければならない。
この国の政治は、待ったなしだ。
経済格差の拡大、外交環境の緊迫化、少子高齢化の加速――いずれも時計の針を止めることはできない。
その中で、政権の求心力が低下したまま時間を浪費すれば、日本の国際的地位は確実に低下する。
総裁選の前倒しか、予定通りか――その選択は単なる日程調整ではない。
国家の舵取りを誰に託すのか、未来の世代にどんな国を残すのかという、極めて本質的な問いなのだ。
私は、今回の一連の動きを「政局ゲーム」として消費するつもりはない。
むしろ、ここにこそ日本政治の病理と可能性が凝縮されていると考える。
もしあなたが、この国の未来に関心を持つなら、政治を遠い舞台の芝居だと思わないでほしい。
政局の一手一手が、私たちの生活、そして子どもたちの時代に直結している。
そのことを忘れずに、次のニュース、次の選挙、次の政治決断を見届けてほしい。
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※高倉 龍之介(政治フリージャーナリスト・映像クリエイター)