石のスープ
号外[2013年9月20日号/通巻No.92]
9月16日、「青空文庫」の富田倫生さんが亡くなりました。
インターネット上に書籍のテキストデータを公開し、「電子図書館」サイトとしてすでに多くの利用者を獲得している「青空文庫」の発起人の一人であり、晩年、著作権の保護期間延長に反対を訴えつづけた富田さんでした。肝臓がんのため入院先の病院で死去。61歳でした。
僕は富田さんについて多くを語れるほど知っているわけではありません。「青空文庫」がスタートしたのが1997年。僕が利用し始めたのは2002〜3年頃からだったと思います。
今では市民権を得ている「青空文庫」ですが、しかし当時は、けっして“ウェルカム”という雰囲気だったわけでありませんでした。とくに出版業界は、著作権が切れたとはいえ無料で書籍データが公開されてしまっては、出版社の収益に多少なりとも影響があることは必至でしたし、著者たちはいずれ自分の作品が他人 の好き勝手に扱われることへの生理的な嫌悪感のようなものがあったと思います。今でも同じように思っている出版関係者はいる事でしょう。
そんな富田さんの事や、著作権にことは後述するコラムに譲るとして、富田さんの追悼イベントが9月25日に東京で行われるので、そのお知らせをします。この追悼イベントと並行して、「本の未来基金」も創設されるそうですので、関心のある方は、ぜひこのイベントに足を運んでみてください。
■『富田倫生さん追悼イベント』
http://www.voyager.co.jp/aozora
日時:9月25日(水)、15:00より
場所:東京會舘 ローズルームにて開催。
http://www.kaikan.co.jp/company/access.html
第一部:記念シンポジウム
「青空文庫の夢:著作権と文化の未来」
15:30〜17:30(15:00開場)
[基調スピーチ]
電子図書館の挑戦
長尾 真(前 国立国会図書館長・元 京都大学総長)
青空文庫の歩みと成果
萩野正昭(ボイジャー代表取締役)
保護期間延長問題とは何か
福井健策(弁護士・日本大学芸術学部客員教授)
[パネルディスカッション/アピール発表]
大久保ゆう(青空文庫)
長尾 真(前 国立国会図書館長・元 京都大学総長)
津田大介(司会、ジャーナリスト)
萩野正昭(ボイジャー代表取締役)
平田オリザ(劇作家・演出家)
福井健策(弁護士・日本大学芸術学部客員教授)
第二部:お別れ会
「ありがとう富田さん」
18:00〜20:00(17:30開場)
献花・献杯
関係者スピーチ
富田さん映像・写真上映 ほか
参加費:5,000円
主催:富田倫生追悼イベント実行委員会
共同代表 富田晶子、八巻美恵(青空文庫)
共催:青空文庫
株式会社ボイジャー
一般社団法人インターネットユーザー協会
クリエイティブ・コモンズ・ジャパン
thinkC
さて、富田さんとの思い出について、ジャーナリストの津田大介さんが、ご自身のメールマガジンに掲載されました。詳しく知らない僕が語るより、津田さんの言葉を紹介した方が良いと思いましたので、津田さんに許可をとった上で、この『石のスープ』に転載します。
■「津田マガ」号外より
http://tsuda.ru/category/tsudamag/
青空文庫呼びかけ人・富田倫生さんを偲んで
青空文庫呼びかけ人の富田倫生さんが8月16日正午過ぎ、永眠されました。61歳という早すぎる死に、言葉もありません。
僕が富田さんと初めて出会ったのは2006年、弁護士の福井健策さんに誘われて「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議(現著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム、略称:think C)」を始めるときのことでした。福井さんと僕は、まず趣旨に共鳴してくれる発起人を20人程度集め、それが集まったら正式に立ち上げて記者会見を開き、12月に公開シンポジウムを開催して世論や文化庁に訴えかけるというプランを作りました。
発起人については福井さんと僕のお互いの人脈でいろいろな人を候補に選び、声がけを行いました。青空文庫の富田さんは2004年の時点で著作権保護期間延長に関する明確な反対声明( http://wayback.archive.org/web/20050108094327/http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/001717.html)を出しており、ぜひ一緒に行動できれば心強いと思い、連絡しました。
富田さんへの連絡は僕の担当でした。2006年10月16日に僕はこんなメールを送っていました。
青空文庫 富田倫生様
はじめまして。ジャーナリストの津田大介と申します。
http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/001717.html
上記URLの記事を拝読し、失礼ながらメールさしあげた次第です。
単刀直入に用件を申し上げます。「著作権保護延長を考えるシンポジウム」の発起人にお名前を連ねていただけないでしょうか。
著作権の死後70年保護への延長については、ご存知のとおり、全国紙も軒並み大きく取りあげるようになり、かなり関心も高まってきた気がします。全般には、延長に疑問を投げかける報道が目だつ状態と言えるでしょうか。
知財振興や「通信と放送の融合」議論が注目される中、著作権の保護延長は、私たちの文化や社会にとって、国民的な議論にふさわしい大きな問題になって参りました。単に権利者団体と利用者団体の対立に矮小化されてしまったり、エンドユーザーやクリエイターなど、本質的にこの問題に関係する人抜きで十分な話し合われないままに延長が決まるとすれば、それは残念なことです。
そこで、各界を代表する方々に発起人になって頂き、様々な立場の団体に共催を呼びかけて、年内に保護延長を考えるシンポジウムを開けないかと企画しました。
よろしければ添付の「お願い」をお読みいただき、ご多忙のところとは思いますが発起人にお名前を連ねることをご承諾頂けないでしょうか。まず第一弾として、クリエイター、事業者、研究者、法律家など数十名の方々にお声がけをし、20名程度の方々からご賛同を頂けた段階で発足としたいと考えております。
文中にも書きましたが、発起人の方々に、実務でお手をわずらわせることはありません。ただ、シンポジウムの運営にご意見などを頂ければ、大変ありがたいと思います。また、当然のことながら著作権と関わりが深いご立場で延長問題の是非そのものに対するご意見もおありでしょう。我々も「延長絶対反対」というスタンスではなく、議論なしに決まっていくこの状況に一石を投じたいという趣旨でシンポジウムを立ち上げようと思っております。
ぜひ、ご検討頂ければ幸いです。
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(親書を公開するかたちになるので気が引ける部分もあるのですが、富田さんなら笑って許してくれると思いますので、転載します)
> 単刀直入に用件を申し上げます。「著作権保護延長を考えるシンポジウム」の
> 発起人にお名前を連ねていただけないでしょうか。
青空文庫として、進めたいと考えていることもあります。
シンポジウムでやるべきことがあれば、動きます。
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この瞬間からthink Cと富田さんは運命共同体になりました。富田さんの「心励まされる思いで読んだ」という表現はお世辞ではなく、本心からそう言っていたのだと思います。ずっと自分が手塩にかけて育てた青空文庫とともに、パブリックドメインの重要性を世に知らしめる文化活動を孤独に行ってきた富田さんにとって我々は初めて登場した「フォロワー」であり、援軍だったのでしょうから。
その後think Cプロジェクトは64人の発起人を集め、2006年11月8日に東京国際フォーラムでメディア向けの発足記者会見を行いました。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0611/08/news103.html
この記者会見で初めてお目にかかった富田さんは、とても顔色が悪い状態でした。このときはまだ僕は富田さんが抱えている病気について知りませんでした。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/12/news063.html
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2006/12/11/14206.html
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2006/12/12/14210.html
この討論のなかで富田さんは芥川龍之介の「後世」の文章「けれども私は猶想像する。落莫たる百代の後に当つて、私の作品集を手にすべき一人の読者のある事を。さうしてその読者の心の前へ、朧げなりとも浮び上る私の蜃気楼のある事を」を引用し、「作品が将来にわたって残り、誰かの目と心に触れることこそが作家にとって重要」と語りました。多くの聴衆の心をつかむ力強いメッセージでした。
この第1回シンポジウム、僕は完全に裏方で自分の持ち時間を超えてしゃべる人がいたときに討論テーブルの上においたフラッシュライトを点灯する係をステージ脇でやっていたのです。熱く語る富田さんは勢い持ち時間を超えて語ることも多く、僕も苦渋の思いでフラッシュライトを何度か点灯させました。
芥川龍之介の話が熱く展開しているときだったでしょうか。フラッシュライトの点灯を横目で見た富田さんはおもむろに「えいっ!」と言って、手でそのフラッシュライトを覆い隠しました。「持ち時間がどうとかじゃなく、今大事な話してるんだからもっと話させてくれよ」というメッセージでした。冗談っぽく笑いながらフラッシュライトを隠す富田さんの姿を見て、会場からは笑いが漏れ、一気に緊張した場の空気が和らぎました。僕はフラッシュライトの点灯を消し、富田さんの話に耳を傾けました。富田さんは間違いなくこの日の議論におけるMVPだったと思います。
シンポジウム終了後、富田さんからお礼と謝罪を言われました。「あのときフラッシュライト隠しちゃってごめんね。でも話させてくれてありがとう」と。富田さんはどんな状況に置かれてもユーモアを忘れない素敵な人でした。
程なく僕と福井さんは富田さんの病状を知ることになります。富田さんご本人も「恐らくもう長くは持たないだろう」と僕らに言いました。
福井さんは富田さんと同じ病気で父親を亡くしていたそうで、快復の見込みが非常に厳しいということを知っていました。「これが最後に世に訴えかけるメッセージになる」という強い覚悟があったからこそ、富田さんの発言は人の心を打っていたのだと思います。富田さんは文字通り命を賭けて発言していました。
think Cのシンポジウムは文化庁に大きな影響を与えました。翌2007年春からこの問題について話し合う審議会が新たに設けられ、そこに僕を含むthink Cのメンバーから3人を送り込むことができました。
著作権保護期間問題に希望の光が見え始めたことが、富田さんの生きる希望にもつながります。第1回シンポジウムを開催したあとも、何度か入退院を繰り返しつつthink Cの活動をさまざまなかたちでサポートしてくださいました。そして2008年6月、富田さんは新たな決断をします。一縷の望みをかけた臓器移植手術を行い、無事生還されました。
富田さんが移植という闘いをされているさなかの2008年9月18日、大手メディアが「延長見送り」と報じました。我々にとっては2年間の、富田さんにとっては4年間の長い戦いに1つの区切りがついたのです。「負け戦」だと思っていた戦争に正攻法で勝つことができた瞬間でした。
その後もthink Cは定期的に懇親会と称する飲み会を開催しました。移植から戻ってきた富田さんは以前より元気になり、じっくりと話す機会も増えました。ある飲み会で富田さんから「福井さんや津田さんたちと出会う前に死ななくて良かった。あなたがたと会えたから、いまこうして僕もここにいられるんだと思う。本当にありがとう」と言われ、照れくさくもうれしい気持ちになったことを今でも昨日のことのように思い出します。富田さんともっともっと著作権や文化、本の未来について話したかった――。
think Cで勝ち取った保護期間延長保留は、TPPという外圧によって危機に瀕しています。完全に政治的な判断によって議論を経ず物事が進むことに富田さんは心を痛めていました。そして保護期間をめぐる状況悪化とリンクするかのように富田さんの病状も再び悪化の一途をたどっていきました。
2013年6月29日に開催されたthinkTPPIPシンポジウム『日本はTPPをどう交渉すべきか〜「死後70年」「非親告罪化」は文化を豊かに、経済を強靭にするのか?』が、公開シンポジウムにおける富田さんの最後の出演機会になりました。
https://www.youtube.com/watch?v=OsmeGmy0WuU
このとき、富田さんの体調はかなり悪くなっていたようです。恐らく2006年12月11日の第1回think C公開シンポジウムに出演したときと体調的にも「ラストメッセージを伝えたい」という覚悟の意味でもほとんど同じだったのではないでしょうか。ぜひ皆さんお時間のあるときに動画を見ていただき、富田さんからの最後の言葉を受け取ってもらえればと思います。
第1回目のシンポジウムで僕はフラッシュライトの点灯係でした。今回のシンポジウムでは僕が司会を務めました。途中、富田さんが「津田さん、もっとしゃべらせてもらっていい?」と尋ねる場面があり、僕は司会をしながら「あれ? これってなんかデジャブ感があるぞ」と思いながら存分に富田さんに話してもらいました。今思えば、あれが富田さんの覚悟だったんだなということがよくわかります。
富田さんから我々が受け取ったものはあまりにも多くありすぎて、はかりしれません。文化を守る戦いがいかに厳しいものかということも富田さんから教えてもらいました。トップランナーとして走り続けてきた富田さんは、第一走者としての役割を終え、自分より下の世代である我々にバトンを渡したのでしょう。我々がしなければならないのは、受け継いだバトンを落とさないように戦い続け、「富田倫生というすごい第一走者がいたんだよ」ということを第三走者以降の「後世」に伝えていくことなんだと思います。
まずはその一歩目として、生前の彼の足跡を振り返り、遺志を継ぐべく9月25日(水)東京會舘で『富田倫生追悼イベント』を開催いたします。最後のお別れとなる会ですし、できるだけ多くの方にご参集いただければありがたいです。
http://www.voyager.co.jp/aozora
富田さん、お疲れさまでした。これからも天国から我々の活動を見続け、時には発破をかけてくださいね。いつになるかはわかりませんが、またお会いできる日まで僕も頑張ります。
津田大介 つだ・だいすけ
1973年、東京生まれ。ジャーナリスト/メディア・アクティビスト。大学で講師などを勤める傍ら、ラジオ、テレビ、インターネット番組でパーソナリティを勤める。一般社団法人インターネットユーザー協会(MIAU)代表理事。メディア、ジャーナリズム、IT・ネットサービス、コンテンツビジネス、著作権問題などを専門分野に執筆活動を行う。ソーシャルメディアを利用した新しいジャーナリズムをさまざまな形で実践。主な著書に『ウェブで政治を動かす!』(朝日新書)、『動員の革命』(中公新書ラクレ)、『情報の呼吸法』(朝日出版社)、『Twitter社会論』(洋泉社新書)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ)ほか。
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◆A5版176ページ/1470円
「石のスープ」編集部から、読者の皆さんに、「あまちゃんファンブック」と、先日の久慈取材のお土産「まめぶ汁」をセットにして、合計3人の方に抽選でプレゼントすることになりました。
まめぶ汁は、先日もプレゼント企画を実施しましたが、その後、久慈から新たに追加で送っていただいたので、セットにして再びプレゼントさせていただきます。
もちろん、景品表示法違反などはしておりません。ちゃんと用意しておりますのでご安心ください。
■9月4日(水)発売
『半七捕物帳〈年代版〉』第5巻
謎深き幕末江戸の事件――腕を組む半七
著 者:岡本綺堂
発行元:まどか書店
版 型:四六判336ページ 上製本
定価:1,600+税
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激動する幕末の江戸を舞台に、難事件や奇怪な事件を解決する岡っ引きの半七が活躍する岡本綺堂の傑作時代小説の「半七捕物帳」。いわゆる「捕物帳」のパイオニアとしての作品で、短編推理時代劇です。
著者である岡本綺堂は明治初年の生まれ。江戸を肌で知る人達のなかで育った故、『半七捕物帳』は江戸の情緒を豊かに感じる時代小説として、今も多くのファンがいるのです。この〈年代版シリーズ〉は、各編を事件発生順に収録しました。江戸の絵図、註釈、年表、舞台となった場所の現在の写真などを添え、半七が生き、躍動した江戸を浮かび上がらせます。散見される多くの難読字にはルビをふり、読みやすさも考慮しています。
渡部真が、本シリーズ全巻の装幀デザインを担当しています。また、3巻〜4巻では編集も担当。原作各編が読みやすくなるように解説や資料などを加えています。第5巻では、装幀、本文組版、一部の写真撮影などを担当しています。
短編集ですからどの巻から読んでも、気軽に読めます。ぜひご一読よろしくお願いします。
■渋井哲也 好評連載中
ジョルダンニュース!「被災地の『記憶』」
http://news.jorudan.co.jp/
ニュースサイト「ジョルダンニュース!」では、渋井哲也さんが東日本大震災の取材報告をしています。
■10月19日(土) 渋井哲也トークイベント
「地方の時代」映像祭 高槻フォーラム
“つながりの文化”の描き方──若者と同時代メディアをとらえる視点──
http://regionalism.jp/guide/event.html
日 時:10月19日(土)14時〜17時30分
会 場:関西大学高槻ミューズキャンパス西館5階 ミューズホール
主 催:「地方の時代」映像祭実行委員会
[上映作品]
「ちかごろトモダチ事情」(毎日放送、テレビ山口)
「震災シューカツ3.11─とある就活生の場合─」
(東京大学大学院情報学環・学際情報学府「東京3.11の記録」プロジェクト)
「日常をジャックせよ」(東京大学大学院情報学環教育部)
ゲスト:石田英司さん(毎日放送)/渋井哲也(ジャーナリスト)
コーディネーター:岡田朋之さん(関西大学総合情報学部)
ツ イッター、フェイスブック、LINEといったソーシャルメディアの広がりにともなって、新しい人間関係やつながりのあり方が注目されています。しかし、今から20年近く前の1990年代半ば、まだ携帯電話やインターネットがそれほど普及していなかったころから、人間関係の変化は着実に芽生えはじめていました。今回のフォーラムは、当時の実態に迫ったドキュメンタリー番組と、現代のソーシャルメディアを介した社会現象を大学生自身でとらえた番組とをそれぞれとりあげ、若者のつながりの中で変わったもの、変わらないものは何かを考えてみたいと思います。
■10月26日(土) 渋井哲也講演会
フォト+トーク
「被災地の記憶ー私が見た東日本大震災」
http://gokafa.blogspot.jp/2013/08/1026.html?m=1
会 場:東京経済大学 2号館 3階B301
主 催:東京経済大学「五感とファインダー×東日本大震災」委員会
問合せ:東京経済大学コミュニケーション学部
川浦康至研究室(ykawa [at] tku.ac.jp)
または広報課(042-328-7724)
申込み:事前の申込みは不要/定員400人
渋井哲也さんが、これまでの取材成果について写真とトークで報告する講演会です。津波で母親を亡くした岩手県宮古市の山根りんさん(現在大学一年生)も一緒に登壇します。
■「風化する光と影」の発行人・太田伸幸さんが、新しい本を上梓されました!
竜二漂泊1983
〜この窓からぁ、なにも見えねえなあ
著 者:谷岡雅樹
発行元:E-lock.planning / 販 売:三一書房
版 型:四六判408ページ 上製本
定 価:2,600円+税
アマゾンにジャンプ→ http://p.tl/gNEM
『竜二』は最後の孤塁であった。
あの映画はいったい何だったのか……。現在も語り続けられる『竜二』の伝説。
その系譜を「俺たちの旅」「とんぼ」に辿りながら、1983年という時代の熱を活写する。
1983年、一本の自主制作映画が、日本の映画界を震撼させた。『竜二』は、金属疲労を起こしていたそれまでのヤクザ映画を過去の遺物にし、新しい風を巻き起こしながら、ヤクザ映画に見向きもしなかった層からも熱狂的な支持を受ける。しかし、撮影時からガンを患っていた主演、脚本の金子正次は、公開の最中に世を去り、たった一本の映画と共に伝説となった。
本書は、突然現れた奇跡のような作品を通じて、映画と、あの時代の熱を活写すると共に、幻の「吉田監督版」と完成版(川島透監督)との比較を通じて、『竜二』の何が新しかったのかを子細に浮かび上がらせてゆくだけでなく、現在の映画・芸能界と市民社会を挑発する「最後の映画評論家」谷岡雅樹、渾身の檄文。
「石のスープ」では、読者の皆さんからの質問を募集しています。電子メールで、「●●さんに質問!」と件名に書いて送ってください。いただいた質問の回答は、「石のスープ」の中で発表します。
また、「東北のこの場所が、どうなっているか教えてほしい」「今度の取材先で、●●というお店を通ったら、ぜひグルメレポートを!」なんてご要望もお待ちしています。
東日本大震災と関係ない質問でもどうぞ。本人には直接聞けない内容だとしても、編集部が質問をしてくれるかも知れません。できるだけ質問には答えていきたいと思いますので、どうぞご遠慮なく!
電子メールの送り先は、「石のスープ」編集部宛に
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