石のスープ
定期号[2014年4月29日号/通巻No.113]
今号の執筆担当:渋井哲也
巻末にはイベント情報も盛りだくさん!!
去る4月21日、『風化する光と影』の続編として『震災以降/終わらない3.11〜3年目の報告』が出版された。
「震災の話題がつまった雑誌」。見本が届いて、最初に感じた印象だ。雑誌というのは読みたい記事がいくつかあって、それを中心に読み進めていくものだが、他の記事はどんなものがあるんだろう?と思って読んでみると、「あ、そんなこともあったのか」と思えるようなものだ。そうして、関心がなかった問題に気付くことが利点なんだろう。編著者の校正のとき、こういう読み方を私自身がしていた。タイトルでイメージはつかんでいたが、実際に読んでみると、まったく知らなかった出来事にも出会えたえりする。
私の執筆記事を読んでみると、あらためて思うのは、被災者の数多くの言葉によって成り立っている。つまり、多大な犠牲があった東日本大震災だが、そんな中で、どこにも所属しない、そして縁もゆかりもない私に対して話をしてくれた被災者の人たちがいたからこそ、通い続け、取材できた。取材に協力していただいたことに感謝をしたいと思う。そして、震災記事は「売れない」とは言いながらも、発表の場を提供してくれた雑誌(週刊女性、週刊ポスト、週刊フライデー、週刊金曜日、週刊アサヒ芸能、月刊潮、月刊地域保健、月刊高校教育、ニュースカフェ、ジョルダンニュース、ビジネスジャーナル、東京ブレイキングニュースなど)があったからこそ、その都度、発表ができた。
一方、他の執筆陣の記事を読んでみると、みんながそれぞれ被災者とともに時間を過ごし、多くの声を聞き、自身分身もときには傷付きながらも、書いていると思ったりした。これほどの大震災にどう向き合うのか。伝えるという職業を持つ人たちは、どんなスタンスで伝えるべきかを悩みながらも、それでも伝えたいという衝動も感じた記事もある。そんな記事を読んでいると、まだまだ取材足りないこともあると思ったりした。
私自身は写真コラムを含めると10本を執筆した。振り返ると、まだまだ書き足りないことが多すぎる。この文字量であれば、被災者の言葉を使うとしても、他の言葉がよかったのではないか、と今でも自問自答している。そして、こうした雑誌的な書籍では伝えきれないことも多いことを感じている。この10本のうち、一つのテーマは、書籍となる予定になっている。被災者が感じた恐怖や喪失感、失望感、悲しみ、怒りはまだまだ伝えきれていない。一つの現場にこだわったルポを出版する予定だが、そこで十分に表現できるかこれから挑むことになっている。
以下、『震災以降』のあとがきを公開します。まだお読みでない方は、ぜひご購読ください。
◆喪われた者たちの声に耳を澄ませ
太田 伸幸
震災から1年後の今頃、僕たちは「あの時どうしていた?」などと語り合った。3年後の今、そんな話をすることもすっかり減り、僕らの記憶から、ガソリンスタンドに行列を作った事や、ペットボトルの水や卓上コンロのボンベが店頭から消えた事、延々と繰り返された公共広告機構のCMなどが、なにか遠い昔の事のように遠ざかってゆく。
天災の多発するこの国で、忘れる事が明日に向かうための「手段」である側面はあるにせよ、一向に収束しない原発事故、疲弊した一次産業、遅々として進まない被災地域の住宅移転や、現在も16万人を数える避難者の存在を思うと、今、この国を被っているのは、他人の痛みに対する「無関心」であり、その結果としての震災の「風化」ではないだろうか。
僕はまず、「風化」に抗して書き続けている記者たちに、敬意を表したいと思う。
商業的なニーズの減少にも関わらず、被災地で取材を続ける多くの記者たち。彼らを突き動かしているのは、ジャーナリストとしての興味や責任感だけではないだろう。
僕は、この本に収録された記事や写真の中に、その答えを見つけたような気がする。
震災と原発事故は、もともとこの国や地方が抱えていた問題を可視化した。
と、同時に、もたらされた多くの「死」が、生かされた者たちの「生」を可視化したように思う。
積み上げられた瓦礫の中には、人々の生活の営みがあった。
失われたその営みは、生かされ、歩みを始めた者たちを照射し、その「生」に輝きを与えている。そう、僕たちは、多くの「死者たち」に生かされているのだ。取材を続ける記者たちもまた……。
喪われた者たちの声に耳を澄ませ。
その中にこそ、希望の歌が聴こえるはずだ。
この本では『風化する光と影』に続き、渋井、村上、渡部の編著者3氏に加えて、多くの記者、ライターの皆さんに記事を提供していただくことができた。渋井氏、渡部氏の現場取材を通じたネットワークと尽力によるものであることを特記しておくと共に、記者の皆さん、制作に協力いただいたすべての皆さんにお礼を申し上げる。
また、震災関連の書籍に対する市場が厳しい中で、販売を引き受けてくださった三一書房にも改めて感謝したい。
どんなに長い冬の後にも、春は訪れるのだと信じながら。
◆避けられない「風化」のなかで
渋井 哲也
4月は旅立ちの季節だ。進学や就職で被災地を離れる人も多いだろう。地震や津波、原発事故などで被災しながらも、希望を持って、新天地に向かう人たちもいる。
一方、消費税の税率が5%から8%になる。新幹線やバス代が値上げされ、高速道路ではETC割の割引率が変更となり、交通費が上がる。取材や支援活動、ボランティアのために自費で行っていた人は、これまで以上に通いにくくなる。
自らを振り返ると、「震災取材は3年」と言っていたが、まだ取材しきれていない実感がある。当初は、3年経てば復興はもっと進むと思っていたが、問題が山積している。その一方で、「津波を見ていない私が、最大の電力消費地に住む私が、本当に取材をしていいのか」と、常に罪悪感に似たものを抱きながら、自問自答をする日々が続いた。
私はジャーナリズム的な事実の掘り起こしは大切だとは思いながらも、「出来事」があった後の人の生活や内面的な変化により関心を寄せていた。事件だとすれば、加害者または被害者のその後の生活や心理状態を気にしていた。「震災以降」も、被災者の生活や心理状態の変化に関心を持ち続けている。
私が積極的に東日本大震災の取材をした動機は、阪神淡路大震災のとき、「途中で震災取材を辞めてしまった」との感覚があったからだ。あのとき小学5年生の女子児童を取材した。数年は年賀状を交換したが、今では何をしているのか分からない。毎年、「1月17日」になるたびに、取材を含めて交流していなかったことを後悔をしていた。そんなときに東日本大震災が起きたのだ。
私は栃木県那須町の出身だ。福島との県境の町である。1998年、那須水害があったものの、実家は被害を受けなかった。しかし、被害のあった場所では不法投棄された産業廃棄物が露呈していた。首都圏で排出されたものだ。今回の震災では実家も地震被害があった。また東京電力・福島第一原発から100キロメートルほどの距離だが、家人曰く、「原発事故後、白い物が降ってきた」。
原発事故との関連は不明だが、近くにはホットスポットもある。町のホームページを見ると、定期的に空間線量を公開している。しかし、福島県ではないため、放射線の問題はそれほどクローズアップされない。
「被災3県」という言葉が使われているが、栃木県や茨城県、千葉県はほとんど取り上げられなくなった。東京都内で地震による死者がいたことを覚えている人も少なくなったのではないか。また「3月12日」に起きた「長野県北部地震」の被災地・栄村の話題もほとんど聞かれなくなった。
たしかに、主要メディアが取り上げるかどうかで、現実問題としての「仕事」が変わってくる。今後、被災地に関する取材・報道の量はこれまで以上に減るかもしれない。
しかし私が取材・執筆してきた、子ども・若者の自殺や自傷行為などのメンタルヘルスの問題や、インターネット・コミュニケーション、表現規制問題などは、もともと主要メディアで「売れる話」ではない。取材すべき「売れない話」が増えただけと思えばいいのかもしれない。
「風化させない」「忘れてはいけない」──。共感できる言葉だ。もちろん当事者が語ることでケアをされる場合もあれば、忘れることで癒しを得られることもある。しかし日々置かれた状況により、心理的に余裕がないこともある。他の社会問題に関心を寄せているのかもしれない。風化は絶対的なものだ。
そんななかで、被災者や読者とともに私ができることを考えたい。
◆心捻じれるとも、心折れず
村上 和巳
「誠に艪舵なき船の大海に乗り出せしが如く、茫洋として寄るべきかたなく……」
中学の歴史で習い、頭の片隅に残っていた杉田玄白らによる日本初の解剖書「解体新書」前文にはそう書いてある。知識も不十分なままオランダ語の解剖学書の翻訳に取り組んだ杉田らの戸惑いを表した一節だ。この3年間、私は何度もその言葉を思い起こした。
東日本大震災の取材を始めた私は、当初は職業病でもある「歴史に残る事態をこの目で見る」という単純な動機から飛びついた。しかも、被災地の1つ宮城県亘理町は故郷で実家も家族も無傷。取材者としてこんな好都合はないとすら考えた。
だが、その安直な考えは、震災後初めて異様なまでに人気のない仙台市内のアーケード街に降り立った瞬間に瓦解した。「私たちは負けない」と書かれた横断幕を見た瞬間、人目もはばからず声をあげて泣いた。地方の退屈さを嫌って四半世紀前に上京したはずの自分の性根はやはり東北人だったのだ。
その後は馴染みのある亘理町沿岸部を皮切りに津波、原発の被災地をひたすら歩き回った。今まで目にしたこともない光景とそれを形にする困難さに直面した時に思い出したのが、冒頭で触れた解体新書の前文だ。
3年を経た今も私の中の暗中模索は続いている。被災地に溢れる悲哀、怨嗟を耳にしすぎ、「こんな悲しいことばかりを書くために物書きになったわけではない」と自暴自棄になり、初めてこの仕事を辞めたいと思ったこともある。しかし、最近では復興が停滞しているからこそ、光明が見えるまで続けねばという思いが上回っている。
そんな気持ちに至れたのは、私の取材に協力してくれた多くの被災者の方々や周囲の存在をなくして語れない。皆さん、本当にありがとうございました。今後もこの取材を続けます。私も負けない。
◆端くれの意地
渡部 真
震災に関する報告の場が確実に減っている。それは、そのまま社会のニーズが減少しているという事なのだろう。雑誌も、webのニュースサイトも、記事を書いても反応が薄い。昨年、NHK「あまちゃん」に関する取材機会をいただいたので、何とかそれに絡めて記事を書くと割りと反応はあったが、それ以外ではほとんど需要がなくなったように感じる。
前作『風化する光と影』を企画したのは、震災から半年過ぎた頃の秋だった。その企画書を持って発行してくれる出版社を探している際、某大手出版社の編集者から言われたのは「震災ルポはもう売れない」という言葉だった。震災から半年という目処で、9月11日前後にはメディアから震災関連の情報が溢れた。しかし、意外と反応が鈍かったらしい。どの出版社でも、企画内容以前に震災関連書籍の出版には思ったより慎重な姿勢だった。まして、本書のようなルポ集はほとんど求められておらず、ドラマ性や感動的な話、あるいは原発に特化するなど専門性を求められた。
本書を作るにあたっても、また同じだった。「皆が貴重な取材をしているのは理解しているけど厳しい」「何とか力になりたいが、今の状況では難しい」「○○さん(著名人)は参加しないの?」……そう言われた。編集者の〝端くれ〟として、その言葉は理解もできる。災害や事件は次々と起こり、それも伝えなければならない。そもそも書籍自体が売れない。
結果的に、僕が年末に入院してしまい、予定していた今年3月の発行は1か月以上遅れた。関係する皆さんには迷惑かけて本当に申し訳なかったが、却って良かったかなとも思う。情報が溢れる3月に出版しなかったからこその価値が、本書にあると考え直した。
「売れなくても、売ろうよ」
もう一度、本気でそう問いかけたい。
最後になったが、本書発行に協力してくれた皆さんと、3年間、取材に協力してくれたすべての皆さんに、心からお礼を言います。
ありがとうございました。
■4月21日発売!!
「震災以降
終わらない3.11〜3年目の報告」
amazon→ http://t.co/zsBbnD2ZYs
発行元:EL.P
販売元:三一書房
定 価:1400円+税
「石のスープ」でお馴染みのメンバーが中心となり発行した『風化する光と影』の続編が、いよいよ発売されました。今回は20人以上の記者達が参加してくれ、それ ぞれの見つめた東日本大震災について取材成果を報告してくれています。こうした震災ルポ集は、すでに売れない状況になっていますが、それでも本にまとめる 意味があると確信しています。ぜひ、ご購読をお願いいたします。
■5月14日(水)
トークイベント
「これから僕たちにできる事」
http://www.loft-prj.co.jp/schedule/lofta/23507
出演:渋井哲也/村上和巳/渡部真(司会) ほか
ゲスト:土橋詩歩(専門学校生/岩手県釜石市出身)
場所:阿佐ヶ谷ロフトA
時間:5月14日(水) open 18:00/start 19:00
『震災以降』の出版記念イベントの第一弾です。
前半は、渋井、村上、渡部最新の取材報告。震災から4年目の5月に入って、東北3県の現状はどうなっているのか。福島、岩手、宮城それぞれのパートに別けて報告します。
後半は、釜石市で被災体験をした専門学生を交え、当事者目線から見る被災地と東京のギャップなどを考えながら、これから自分達に何ができるのか、という事を考えていきたいと思います。土橋さんは、地元釜石市の鵜住居地区で震災を体験したあと上京し、現在は専門学校に通っています。会場からの質問や意見にも十分に時間を使って、みんなで一緒に考えていくイベントです。
会場には、『震災以降』で使われた写真や、渋井・村上・渡部の最新の取材写真を展示しますので、早めに会場に来た方は、ぜひ会場の写真も見てください。
■5月22日(木)
ニコニコ生放送
「メディアはこれから、どう伝えていくのか?」(仮題)
http://ch.nicovideo.jp/sdp
出演:亀松太郎(司会)/岸田浩和/渡部真
時間:5月22日(木) start 21:00
現在、とくにwebメディアを中心に活躍している亀松さんを司会に、『東北まぐ』の岸田さんを迎えて、これからメディアが東日本大震災をどう伝えていくのかを探っていきたい思います。
岸田さんについては『震災以降』でも紹介していますが、記者・カメラマンではなかったのにも関わらず、震災を機に取材を始め、「缶闘紀」というドキュメンタリー映画を完成させました。現在は『東北まぐ』の編集・執筆者として活躍中。亀松さん、渡部と、それぞれ媒体も職能もスタンスも違う3人が、どんな思いを抱えながら取材を続けているのか……。
■5月30日(金)
トークイベント
「被災地の子ども達はいま」(仮題)
http://mainichimediacafe.jp/
出演:渋井哲也/村上和巳/渡部真(司会) ほか
ゲスト:土橋詩歩(専門学校生/岩手県釜石市出身)
出演:中嶋真希/渡部真 ほか
場所:毎日メディアカフェ(東京・竹橋)
時間:5月14日(水) start 18:30
『毎日小学生新聞』記者の中嶋さんと一緒に、被災地の学校や子ども達の現状を報告します。もう一人、震災の中で子ども達を取材している記者も迎える予定です。
また、当日はお昼頃から、同会場にて「震災の中の子ども達」をテーマに写真展も開催予定です。中嶋さん、渡部のほか、『震災以降』の執筆者の中で子どもの事を取材している記者達の写真も展示される予定です。
詳しくは、5月1日頃に「毎日メディアカフェ」のサイトで発表されます。
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渋井哲也 しぶい・てつや
1969年、栃木県生まれ。長野日報社記者を経てフリーライター。自殺やメンタルヘルスやネット・コミュニケーション等に関心がある。阪神淡路大震災以来の震災取材。著書に「自殺を防ぐためのいくつかの手がかり」(河出書房新社)など。
[Twitter] @shibutetu
[ブログ] てっちゃんの生きづらさオンライン