石のスープ
定期号[2014年3月31日号/通巻No.111]
今号の執筆担当:渡部真
■謙虚さが失われていないだろうか?
3月27日、48年前に起きた殺人事件で死刑判決を受けていた袴田巌さんの再審請求が、静岡地方裁判所で認められた。いわゆる「袴田事件」は、冤罪事件の疑いが濃いとして長く再審が求められながらも、ようやく認められた再審決定だったが、静岡地方裁判所の村山浩昭裁判長は「DNA鑑定の結果から5点の衣類は犯人が着ていたものではなく、捜査機関によって後日ねつ造された疑いがある。極めて長期間、死刑の恐怖のもとで身柄を拘束され続けてきた。これ以上勾留を続けることは正義に反する」と、かなり厳しい指摘をした。袴田さんは、死刑執行と勾留が停止され、即日に保釈された。48年ぶりに勾留が解かれて、(制限があるとはいえ、ある程度)自由の身になった。
これを受けて、ジャーナリストの江川紹子さんは村山裁判長らの再審決定を「英断だった」と評価した。
[Twitter]2014年3月27日
https://twitter.com/amneris84/status/449179770824060928
この江川さんのつぶやきに端を発し、「裁判官達に感謝の手紙を送ろう」という流れになり、江川さんも賛同したのだが、これが議論になった。江川さんは「素晴らしい提案!」と評価したが、弁護士など司法関係者達が批判したのだ。
この批判を、かなり大雑把にまとめれば「司法は法治主義であるべき。裁判官に感謝の手紙を送るような行為は、人治主義に陥る可能性があるので危険である」という事だ。
「司法や行政など国家の運営は、法の秩序や規範によって行われるべき」という弁護士達の主張はもっともである。江川さんの言動が、本来の議論から脱線したこともあり、この話は、江川さんの主張がほぼ全面的に否定されて有耶無耶になった。
[Togetter]
http://togetter.com/li/648692
上記のサイトの掲載されている弁護士の言い分は十分に理解できるのだが、本当にそれだけでいいのだろうか……という強烈なモヤモヤ感が残る出来事だ。
たぶんそれは、そこに登場する司法関係者達から、謙虚さや誠実さが感じ取れないからだ。
否、それぞれの弁護士達の活動を知るわけではないので、中には、世間感覚からあまりにもかけ離れた司法への批判に対して、真摯に対応しようとしている人もいるのかもしれない。あるいは、たぶん実際に改革へ向けて行動している人達もいる事だろう。ただ、一般の人達から見える司法関係者の「感覚」は、司法関係者が思っている以上に一般的な感覚とは離れているのではないだろうか。
僕は江川さんの主張に同意する立場ではないが、では、江川さんを批判した司法関係者達が、この議論をキッカケに「司法と世間の感覚のズレ」のような議論に発展しているようには思えない。その事が残念だと感じた。
さて、別に僕は、司法関係者の感覚を批判するために記事を書こうと思ったわけではない。
この一連の流れと同じような出来事が、僕のいるメディア業界でも起きているとしばしば感じる。そのことを書きたいと思ったのだ。