「夢? ないなあ」

15161718歳の男の子と女の子が怪訝そうな顔を僕に向ける。

シカゴ、オークパークリバーフォレスト高校、あのヘミングウェイが卒業した学校でもある。僕はここで長年日本語のクラスを担当するYoko先生の計らいで特別講師を勤めることに。「夢」を叶えるにはどうしたらいいか? を議題に1時間の講義を学校のオーディトリアムで行っていた。

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「例えば、具体的でいい。宇宙飛行士になりたいとか、大学で何かの研究室に入りたいとか?」僕は言葉をつなげる。しかし彼らは「検討もつかない」という顔で首をかしげるのみ。数ヶ月前アトランタの中学で似たような授業をやった時は、おしなべて嬉々とみんな夢を語ってくれた。しかしあの時は主に121314歳の子供たちだった。

マイクを向けても答えにくそうにする顔を見て一瞬途方に暮れたけれど、そういえば自分だってこの年齢の頃に「夢を聞かせて」と言われ、素直に人前でそれを言葉にできただろうかと思い直す。

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僕の15161718は複雑だった。16の誕生日、もう自分の旬は過ぎたと悲しみ、17の誕生日には夢を実現するには全てがすでに遅すぎると嘆き、18には誕生日が訪れたことすら覚えていない。諦めの境地というやつだ。それでも恥を晒して生きていくしか道は見つからず、自意識の強すぎる自分をひたすら呪い、暗黒のエセ青春を抜け出そうともがき苦しんでいたことを思い出した。そうだ、「美しい青春の思い出」など数える程しかなく、葛藤の多い日々だった。誰かに「今からもう一度戻りたいか?」と尋ねられたら即答で迷わず「御免なさい」と答えるだろう。それほどドロドロで魑魅魍魎な日々を溺れそうになりながらもがいていた。

「夢でなくてもいいよ。今自分が一番充実しているなと思える瞬間を教えてくれるかな?」

僕は尋ね方を変え、なんとか会話を始めようと躍起になる。額には汗が滲み始める。

「バスケットかな」「ダンスも好きだし」「日本語は楽しいよ。上達のプロセスがわかるし」徐々に子供たちの反応が返ってくる。

「それを将来の仕事にしようって考えたりしないの?」畳み掛けるように聞くと「うーん。わからないな」とはぐらかすように隣の友達とクールに笑う。

「じゃあ、日本語は? 日本語の何が楽しい?」反応のあったモチーフをピンポイントで質問を続けると「そうだな、日本のアニメに興味がある」「日本語は発声が全然違うので面白い」「文字に深い意味があって覚え甲斐がある」など口々に述べ始める。うんうん。その調子。他にも教えて欲しいな、君は? あなたは?日本語をどんなふうに感じるの?

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オークパークリバーフォレスト高校のYoko先生からメールを頂いたのは、僕が12月の頭に今年2回目のシカゴでのライブを行うとSNSで告知したすぐ後だった。