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野田稔・伊藤真の「社会人材学舎」VOL.8 NO.1
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野田稔・伊藤真の「社会人材学舎」VOL.8 NO.1

2014-09-08 06:00

    野田稔・伊藤真の「社会人材学舎」VOL.8 NO.1

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    コンテンツ

    対談VOL.8
    祐川京子氏 vs. 野田稔

    夢は宣言すると叶う
    そのために必要なのは
    総合病院のような人脈

    第1回 新入社員から、自らの働き方は自分で決めてきた

    Change the Life“挑戦の軌跡”
    自分がありたい姿になるために起業した
    ――株式会社Chrysmela 菊永英里

    第1回 ピアスユーザーなら、誰もがほしかった商品を開発!

    NPOは社会を変えるか?
    第25回 日本政策学校を生んだ2つの課題とは何か?
    ――日本政策学校 金野索一代表理事

    粋に生きる
    8月の主任:「松原智仁」
    第1回 銀線細工を今に受け継ぐアクセサリー作家

    誌上講座
    テーマ8  タスク型OJTを中心とした人材育成の方法論
    野田稔
    第1回 今度はあなたが人を育てる番だ!

    連載コラム
    より良く生きる術
    釈 正輪
    第29回  貧者の一灯ほど力強いものはない



    対談VOL.8
    祐川京子氏 vs. 野田稔

    夢は宣言すると叶う
    そのために必要なのは
    総合病院のような人脈

    本誌の特集は、(社)社会人材学舎の代表理事である野田稔、伊藤真をホストとし、毎回多彩なゲストをお招きしてお送りしています。

    今月のゲストは、祐川京子さん。ベストセラーとなったデビュー作『ほめ言葉ハンドブック』(本間正人との共著)のほか、『キラリと輝く気くばり』『夢は宣言すると叶う』などを著書に持つコミュニケーションスキルのプロフェッショナル。現在は経営層に特化した大手人財紹介会社にてエグゼクティブコンサルタントに従事し、八戸学院大学・八戸学院短期大学地域連携研究センター客員研究員なども務めます。
    そんな祐川さんは新卒で第一生命保険の一般職として入社、 その後、短期間で頭角を現し、法人営業を経て、営業スキルの研修講師として生保レディや異業種の ビジネスパーソン約5000人に講演・研修を実施してきました。この対談では、そうした彼女のこれまでのキャリアにスポットを当てます。それはまさに、「夢は宣言すれば叶う」を実践してきた半生でした。

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    第1回  新入社員から、自らの働き方は自分で決めてきた

    母親の職業に小学生の時から憧れていた
    それが生命保険会社だった

    野田:最初は著作の内容について中心的にお聞きしようと思っていたのですが、実はそれ以上に興味を持ったのが、祐川さんご自身のキャリアでした。キャリアデザインも私の専門なのですが、祐川さんご自身のキャリア開発は稀に見るものだと思えて仕方がないというのが偽らざる気持ちです。
     まずは、大学を卒業するくらいの時から、どんな思いで社会に出て、どんなふうに働いていくうちに、どのような問題意識を持たれたのか。そしてどこかで決断された。そういうプロセスがあると思うのですね。たとえ夢を持っても、大多数の人は実現せずに忘れてしまうものだと思います。しかし、祐川さんは決断して、次のステップに進まれた。そこにどのような強さがあり、手段があったのか。そこを掘り下げたいと思っています。
    祐川:そもそも新卒入社した第一生命保険で、15年間お世話になりました。第一生命保険に入ろうと思ったのは、何と小学生の時でした。小学校の同級生からも、当時から「将来は第一生命に就職するって宣言していたよね。本当に就職してびっくりした」と言われていました。
    野田:小学生が、生命保険会社を知っていたということですか?
    祐川:実は、母が第一生命保険のセールスレディだったのです。日本生命保険も第一生命保険も、二代目、三代目が比較的多い会社だと思います。私の場合は、自分が小学校に上がる前から母がセールスレディでした。だから、家にはノベルティグッズなどがいろいろとありましたし、常に「第一生命保険」という言葉に洗脳されていたわけですね(笑)。
    野田:お母さんがそうやって忙しく働いていると、あまり構ってもらえず、子どもとしてはいろいろと不平不満があったと思うのですが、それでもお母さんの生き方が憧れだったわけですね。そのポイントは何だったのでしょう。
    祐川:まず、身内贔屓もあるかもしれませんが、授業参観などで、明らかに他のお母さんよりイケていたということです。
    野田:なるほど、常に見られている職業ですからね。
    祐川:雰囲気と言うか。特段いいものを着ているというのではないですが、凛としていると言えばいいでしょうか。私は母が36歳のときに生まれた子どもなので、当時としては少し年配の母親でした。つまり他所のお母さんはもっと若いわけです。それでも、贔屓目もあったかもしれませんが、私には自分のお母さんが一番イケていたのですね。シックなスーツを着ていて、明らかに、格好いいキャリアウーマン然としていたわけです。
     もう一つは、親が自分の仕事について愚痴とか不満などを言っていると、だいたい後を継ぎたくなくなりますよね。その点、うちの母はそこを結構格好よく言っていたのだと思います。少なくとも、仕事に関する不平不満を聞いたことはありませんでした。家でよく設計書類の準備をしたりしていましたが、そういった姿を見ていて、子どもながらに会社への愛着といったものを感じたのだと思います。
    野田:よくわかります。僕などは、小学校の時には、最初は最新鋭の潜水艦の艦長になりたくて、次はお定まりのプロ野球選手に憧れて、そんなものは1年で無理だとわかって、その先は原子物理学者になろうと思っていたのだけれども、いつの間にか、そういうことは忘れてしまいました。リアリティがないから忘れてしまう。そういう人が、特に男の子には多いと思うのですが、祐川さんの場合は、最初からリアリティのある憧れであったわけですね。
    祐川:そうですね。もちろん、他の選択が全く思い浮かばなかったわけではありませんが、学生になって就職活動が始まり、職業選択がだんだんリアリティを持ち始めると、やはり第一生命保険に入るという気持ちは変わらず強かったのです。ただそこで、歩合制よりも安定した職を選ぶという観点で、母とも相談して、セールスレディではなく、まずは内勤として就職することになりました。それで一般職を目指しました。ただ、実際に入社できたのはミラクルだったと思います。当時、まだバブル期でしたが、雇用調整で、第一生命保険が2年間、一般職を採用していなくて、3年ぶりにちょうど再開したときだったのです。ラッキーだったと思います。
    野田:他の会社は全く受けなかったのですか?
    祐川:一応受けました。唐突に、『笑っていいとも』に出ていた山本寛斎さんが「町興しをしている」と話しているのを観て、この人、素敵だなと思って、山本寛斎事務所も受けてみたのですが、あっさり落ちました。受けたのはこの2社だけですね。
     実は、私としてはそれこそ保険を掛ける意味で日本生命保険も受けようと思っていたのですが、兄に「業界2位の会社(第一生命保険)に受からないやつが、1位の会社(日本生命保険)に受かるわけがない」と言われて、妙に説得力があって受けなかったです。
     第一生命保険の面接の前夜、兄と母に、「志望動機は何て答えるんだ?」と聞かれたときに、しどろもどろになって回答できずにこっぴどく怒られたのを覚えています。そこから、皆で考えて……夜中まで想定問答をやってもらいました。スパルタでしたね。
    野田:なるほど、それだけでも全然違ったでしょうね。
    祐川:おかげさまで、想定した質問がほぼ網羅されました。

    やりたいことは、やりたいと言い続ける
    それで自分のキャリアを決めてきた

    野田:最初はどんなお仕事をされたのですか?
    祐川:八王子支社に配属されて、普通に現場の事務職を3年ほどやりました。ただ、営業をやりたいという気持ちがどこかに残っていました。そう思っていたら、一般職の女性活用の一環で、それまでは保険業界では男性総合職の独壇場であったリレーションシップ・マネジメント(RM)を、何と一般職に任せる「一般職法人渉外制度」がスタートしたのです。RMは、大口顧客を担当する営業職ですが、当時は、株主である大企業に対して機関投資家の窓口となる立場でした。それを一般職にやらせようという話です。その後、RMの半数くらいを一般職が占めることになるのですが、そのはしりですね。私はその制度の4期生として選ばれました。
    野田:個人営業ではないけれど、そこも夢がかなったのですね。
    祐川:採用が決まった後の配属面談で、こういう制度を始めたけどやりたいですかと聞かれて、「やりたいです」と答えたものの、その時点では叶わなかったわけですが、その後ずっとやりたいと言い続けていました。
     ただ私は、事務職としての評価は決して高くありませんでした。結構、どん臭くて、ポカが多かったのです。ただ当時の上司が、「この子は外回りがうまそうだ」と感じてくれたようで、営業サポート事務の担当の頃に、「事務担当もお客さんに顔を覚えてもらっておいたほうが何かとうまくいくだろう」という理由で、本来は名刺を持たない一般職であるにもかかわらず特別に名刺を刷っていただき、顧客回りをさせてくれたのです。そういう運命の出会いもありました。
    野田:いい上司の方ですね。でも、そうした運命の出会いを呼び込んでいるのは祐川さんですよ。やっぱり、言い続けていると、叶うのでしょうね。
    祐川:確かに、やりたいことは明確に言いまくっていましたね。
    野田:とんとん拍子ですよね。
    祐川:プロフィール的にはそうなのですが、もちろん、実際にはいろいろなことがありました。事務職には向いていなかったですし、入社半年目には明らかに左遷という部署異動をされたこともありました(笑)。

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    自分の一番の強みに

    実はいつまでも気がつかないこともある

    野田:仕事というのは、実際にやってみないと自分がうまいか下手かって本当にはわからないし、やっているうちにこっちのほうが得意だったということが見つかったりもするじゃないですか。そういう転機があったと思うのですが……。
    祐川:たとえば私は比較的饒舌にしゃべってしまうので、「選挙に出たら」とよく冗談半分に言われます。でも、私はディベートはできないのです。政治家としての知見や意欲のなさは棚に上げておいて、もし私が政治家になるならば、蓮舫さんみたいに「朝まで生テレビ」でも華があり、田原総一郎さんに可愛がられているポジションが理想です。でも、私はディベートができないから、「朝生」には出られないのです(笑)。
    野田:なるほど。自分のことが、すごくよく見えていますよね。大切ですね。それがわからないと自分のキャリアがわからないと思っています。たとえば僕はそこに気がつくのがすごく遅かった。44歳まで本当の自分を知らなかったのです。
     僕は、もともと管理工学という分野で統計学をやっていたので、自分は完全な理系で、数理解析の専門家。ロジック強くて、数学に強い。それが自分の強みだと信じていました。その能力を買ってもらって、コンピュータシミュレーションの専門家として野村総合研究所の研究員という職を得ることまでできたのです。
     ところが上には上がいるわけで、私というこんな小さな人間の中で、しかも数理解析の能力は多分、3番目くらいに過ぎなかった。ところが自分はそれが一番上だと思っていたから、その能力で自分を売り込んでしまった。そうしたら、その場所には、本当にその能力が一番の強みで、しかも僕より圧倒的な巨人がいっぱいいた。なので、入社1年経ったときに、自分のインストラクターに言われたのが、「野田君って意外と数学苦手なんだねって」……。
    祐川:それはショック!
    野田:ショックどころの騒ぎではなくて、……でも確かに天才がたくさんいるのですよ。努力しなくてもできてしまう、わかってしまう人間がいるのですね。「これが現実なのか?」というすごいショックを受けて、でも、すでに野村総研に入ってしまっているので、もう後には引けないわけです。だから自分の強いところは何だろうとそこから探し始めざるを得なかった。結果として僕は定性情報の扱い方がどうも人よりもうまいらしいということがわかってきました。
     簡単に言うとインタビューとアンケートの質問を作るところが明らかに理系の先輩よりうまい。要するに僕は、自分は理系的才能で勝負をかけたかったのだけど、そのフィールドの中では、むしろ僕の文系的才能が抜きに出ていたのです。そこに気がつくまでに3年。それでも、僕は自分の本当に価値のある才能には気づかないでいたのですね。
    祐川:それは何ですか?
    野田:しゃべることです。これ、もしかするといけるのかもしれないと思ったのは、テレビに出始めてからなのです。だから意外と人間って自分の才能に気づくのが遅いこともある。
     考えてみれば大学4年のときに、バイトをやっていたTBSからアナウンサーの試験を受けてごらんといわれたことがあったのですね。その時は断りました。僕は人の書いた原稿など読みたくない。自分の書いた原稿を人に読ませる立場になると天狗になっていたのです。
     要するに意外と気づかないということがある中で、祐川さんは早々に気づき、その気づきをうまく連鎖させてきたのではないかなと思いました。


    自腹でセミナーに通い、勉強して

    それで社長たちに気に入られるようにした

    祐川:それは、頭がいい人と悪い人(私)の違いだと思うのです。以前、キャリア官僚知人に、「なぜ官僚になったの?」と聞くと、一番難しい試験を受け続けていただけだと言うのですね。それで、なぜ官僚になりたかったのかと突き詰めいくと何もないのですよ。しかも、いざ官僚になってみると、それこそ上には上がいるから次官になれるわけではない。それで、次に何をしようかと結構さまよっている人がいました。
     でも、私は決してお勉強もできなかったので、あまり欲張らずに得意な分野だけで勝負していく。それこそ選択と集中しかないということを、多分、小学生の頃から意識していたのだと思います。社会人になっても結構不器用でした。書類がすぐにできないとか、計算ミスをする。だから自分は事務職に向いていないというのはすぐにわかりました。あるいは上司に媚びることもうまくなかった。営業だったら数字で評価されるから、「やっぱり営業の世界がいいな」とその時は思ったわけです。ところが、実際に営業の世界に飛び込んだらもっとコミュニケーションが大事でしたというオチなわけですが、でもそこは割り切って勉強ができました。それで、どんどん自己啓発オタクになっていきました。平社員で給料がそんなに高いわけでもなかったのに、自腹でいろんなセミナーに行きまくって、年間100万円は使っていました。それが一番の自慢というか、自信につながっていますね。
     そうやって勉強して、そこで得たコミュニケーションスキルを顧客に対して使いましたし、そこで得た知識とか経験が、お客さんと会う時の話のネタとして活用できたのです。
    野田:すごいな。一石二鳥だったわけですね。
    祐川:社長が相手なので、20代の女性が行ったところで、若い女性というだけではたいした差別化もできませんから、何かお土産が必要なわけです。ビジネスパートナーとは言えないまでも、ちゃんと金融機関の人間として、かつ用がなくても会ってくれる人材になるにはどうしたらいいかと考えて、セミナーのネタを話すのがいいと考えたわけです。
    野田:どんなセミナーがネタになると思われました?
    祐川:まず有名人のセミナーですね。だから、たとえば「大前研一さんがこんなことを言っていましたよ」「堀紘一さんがこの間、こんなことを話題にしていました」「最近、コーチングというのが流行り出していて、本間正人先生のこんな本を読んだらおもしろかったです」と話題にするわけです。 
     それでビジネス書もたくさん読み始めて、書店に行って平積みの本を見て、最近流行っているキーワードを仕入れて、それに関する本を読んで頭に入れて、そのうえ、常に鞄に流行りの本を1冊入れておきます。「社長、今、この本が流行っているみたいですね」と使います。同じ社長としょっちゅう会うわけではないので、1冊持っていれば1カ月くらいはもつわけです。セミナーもそうです。一つのセミナーについて何十回としゃべっているから、その話題が自分のネタになっていくのです。
    野田:なるほど
    祐川:それが原点ですね。そうすると社長も私と会うと何かおもしろい情報を持ってくると思ってくれる。保険屋が保険のことを朗々としゃべってもあまり尊敬されない。証券会社の人が証券の話をしても本業だから当たり前でしょう? だから、本業と違うことで、かつ、社長が日頃から興味を持っていることをお土産にしないとダメなのです。
     たとえば人材教育のことは、多くの経営者が悩んでいる。私がキャッシュフロー経営について語ろうとしても無理がありますけど、人材開発や教育には関心があったので、コミュニケーションスキルはどこのセミナーがいいらしいと聞いたら、自分も自腹で受けてみて、実際によければ、そこを社長に紹介する。マージンも入らないのに、いろいろな研修会社のセミナーを売り歩いていたという時期もありました。
    野田:多分、無理をしていたわけでもないし、大きな苦労とも思われなかったのではないかと思いますが、投資もして、努力もして、早くから自分を磨き、売り込み、そして人脈づくりをされ始めていたのですね。

    *次週に続く



    Change the Life“挑戦の軌跡”

    自分がありたい姿になるために起業した
    株式会社Chrysmela 菊永英里

    転職、転身、独立、社内でのプロ―ポーザル……本当にやりたかったこと、これから本気で取り組みたいことのために、アイデアを磨き、自らの生き方を変え、道を変えた、あるいは今、まさに変えようとしている人たちの記録をお届けします。
    今月は、菊永英里さんの登場です。16歳で起業を決意。事業計画を模索するうちに、これまでになかったピアスキャッチを考案し、特許を取得。6年間で18万個を売る株式会社Chrysmelaの創業者です。今週は、ピアスキャッチ誕生の経緯、その前編をお届けしましょう。

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    第1回 ピアスユーザーなら、誰もがほしかった商品を開発!

    「私は社長になる!」そう宣言して、16歳で起業を決意

     子供の頃からの彼女の夢は、社長になることだった。そのために彼女は、銀行マンであった父親に、何度となく事業計画のプレゼンを行い続けたそうだ。そして、その度に、賢明な大人の意見を突きつけられた。

     彼女にとっての「社長」とは、どのような存在だったのかというと、「ルールを作れる人。自分が何かをしたいと思った時に、自分で決断できる人」。

     だから、「社長になる」ことが目的ではない。自分で何かをしたいと思った時に、自分で決められる立場になりたかった。それがイコール社長だと思った。

     父親は硬い職業で、週に6日、朝7時に家を出て行って、夜中の1時くらいに帰ってくる。そんな生活をしていたので、働く人=サラリーマンとはそういうものなのだと思った。それは性に合わない。自分はやっぱり子どもを産みたいけど、かと言って、どうも専業主婦には向いていない。自分で働いて、稼いで好きなこともしたい。

     さらに考えた。資格を取って子どもを生んで、子育てが終わってからもう一度会社に復帰する、あるいは別の形で社会に復帰するというのはどうも難しく感じた。

     自分で会社を持てば、そこは何とでもなる。出産から子育ての期間は、遠隔で社員をコントロールすることも可能だろう。自由度が増す。だから起業するのがいい。

    「母は専業主婦でしたが、すごく真面目な主婦でした。私たち子どもは、決して自分で鍵を開けることがなかった。母はどこにも出かけなかったのではないかという印象です。真っ当な企業戦士とそうした真っ当な専業主婦に育てられて、それは私にはできないと思ったのです」

     16歳で起業を決意すると、自分の年齢と両親の年齢を並べた表を作ったそうだ。人生の目標ノートだ。

     父親が30歳のときに自分は生まれた。そんな父親の欄は79歳、母親の欄は87歳以降を薄い色で塗った。そこは冷静に平均寿命で線を引いてみた。

    「そこまでに、親孝行を満足に終わらせないといけないラインです。いつまでも時間はあると思っていたけど、1年を1行で作った表でみると、思っているより期間があまりないことに気づきました」

     父親は60歳には定年になるであろうから、それまでに出産をして、定年後の父親に自分の仕事を手伝ってもらうのがいい。定年後も、仕事人間の父親には働いてもらったほうが楽しいだろうと思った。つまり、そこまでに父親が雇えるほどに仕事が安定していないといけない。会社を安定させるには4~5年はかかるから、起業は25歳と決まった。

     さらに、その予定表には自分の子どもについても記されていた。30歳で一人、32歳で一人と書いてあった。先の話になるが、一人目のお子さんは31歳の時、そして二人目のお子さんは33歳の時に出産した。

     結婚を飛ばしたが、こちらは予定ではなく、実際の話を紹介しよう。今、経理および管理面で菊永さんの右腕として会社を切り盛りしている洋祐さんとは、菊永さんが28歳の時に出会ったそうだ。洋祐さんは年下で、当時、23歳。

     菊永さんは「私は29歳までに結婚しなければいけないから、結婚を前提として付き合うか、二度と会わないか決めてほしい」と申し出たと言う。強引と言えば強引だが、とは言え彼女は、それほど計画に固執してごりごりと生きてきたわけではない。何ともおっとりとしたふわっとした生き方をする人なのだ。ただし、ここぞと言う要所は攻める。その点については第4回で触れることになる。

     高校に入学してアルバイトを禁止されていた彼女は、自宅でできる「ビーズのアクセサリーをデザイン通りに作ったら一つ250円」という内職を始めた。16歳で彼女は初めて事業計画書を書くのだが、それは、そのアクセサリーづくりを拡大させるという企画だった。当時すでに月に5万円ほどの売上になっていたので、置いてもらう店舗を増やせば売上は上がるという目論みだった。

    「お父さん、私、社長になるわ」と言って、インターネットで探したフォーマットに書き連ねた、その計画書を見せたそうだ。

     父親の意見は、「このビジネスプランは、確かに君の時給を上げるかもしれないけど、時給を超えないプランだね」。

     さらに、コストはいくらか。ターゲット層はどこに置くのか、他社と比較した場合の強みは何か。父親の質問は続いた。結果として、起業のためのレッスンが始まった瞬間だった。

     その後も彼女は企画書を出し続けた。高校生の間に3つ、大学時代にはその数は10を数えた。内容はさまざまだった。人材育成のプランやIT関連の事業、思いついたものをビジネスプランにして父親にプレゼンした。

    「このビジネス、別に、君がやる必要はないよね」が、一番多い父親の感想だった。強みがなかったのだ。

     その度にダメ出しされるのだが、彼女は自分の原動力を「妄想力」だと言う。だからへこたれない。それはいつしか思春期の彼女にとって、大切な父親との会話にもなっていった。もちろんそこから、多くのことを学んだ。

    画期的な構造を持つ、ピアスキャッチの誕生

     菊永さんは大学を卒業後、あるITベンチャーに入社した。起業のためのアイデア探しと、会社経営、ビジネスのノウハウを習得するためだ。3年で独立すると決めていた。営業職で入社し、実際には3年半の間に、さらに役員秘書、新規事業の立ち上げを経験した。

    「2カ月で自分には営業は向いていないと悟りました」

     彼女は無口で引っ込み思案。人と話すのが苦手だった。大学時代にバンドを組んで音楽活動をやるなど、そうした自分を変えようと努力もしてみたが、営業となるとまだまだ縁遠かったようだ。

     とは言え、3年で独立するためには、この会社で貪欲に学ぶ必要がある。そこで、新卒の自分が一番経営に近づける場所として、役員秘書を希望した。もっとも、すぐにはなれなかったので、将来の役員候補と見込んだ営業部長について回ったそうだ。

     そして、徹底的に自分を売り込んだ。「役員になるためには秘書が必要だ」とアピールし、ついに部長秘書に収まった。半年後、その部長が本当に役員に昇進した。彼女と3歳ほどしか年の離れていない人だったが、彼女の人の見る目は正しかったわけだ。

     役員秘書になると、社長にも夜討ち朝駆けを掛けた。そして夢の叶え方やビジネスの考え方などを貪欲に学んだ。実は、「ピアスキャッチ事業」のプランを最初に見せたのも社長だった。それで応援を取りつけ、在社中からピアスキャッチの研究開発に取り組んだのだと言うから、いい会社だ。

     その後、その事業プランは父親にも初めて認められることとなる。特許を出願できる目算があったからだ。特許があれば、強みになる。

    「ピアスキャッチのアイデアが生まれたのは、恋人にもらったピアスをなくして喧嘩したのがきっかけでした。それで24歳の時に『ピアスキャッチを作るぞ!』と宣言して、自分で仕組みを考案して、試作品まで作りました。作ってみたら、『これって特許が取れるのでは?』と思い、弁理士に相談。特許申請可能だというお墨付きをもらったのです」

     ピアスはとてもなくしやすい。だから高価なものは仕舞い込み、安いピアスを普段使いにする人が多い。さらには、「なくすから」と高価なものは購入しないという人が増えていた。独自の1000人調査(2012年)によれば、宝飾品であるにもかかわらず、よく買うピアスの価格帯は3000円以下と答えた人が全体の半分以上だったという。極論すれば、宝飾業界の不況の一因なのだ。

     ピアスには、耳たぶの後ろで留めるキャッチがある。しかし、このキャッチは長い間、軽んじられてきた。コストを掛けずに邪魔にならないキャッチが、単価数円から数十円の付属品として存在していただけだ。売る方にとっては、ピアスはなくしてくれたほうが有難い。買い替え需要になる。それも本音だ。

     キャッチは基本、見えないものだし、何でもいいか……それが消費者心理でもあったのだろう。だから、構造も簡単なものだった。板ばねを両方向から丸めて、その2点のバネの弾力でピアスを留めるという仕組み。当然、簡単に取れてしまう。キャッチが取れれば、ピアス本体を落すのも時間の問題だ。

    「宝石店ではキャッチは表にはあまり出ていませんが、聞けば単品で買うこともできるのですが、たとえばピンの太さが0.7mmと0.9mmとあって、『どちらにしましょうか?』と言われたのです。自分のピアスのピンの太さなど知りませんよね。しかも、そのどちらと決まっているわけでもない。だからどちらがいいのでしょうと聞くと、『お好みですね』などと言われます。お好みじゃないだろうと思うわけです。それでうちのキャッチは1つですべての太さに対応できるものにしようと思ったのです」

     工業系の教育も受けていない菊永さんだが、シャープペンの構造からヒントを得て、三つのボールで留めるという、全く新しいピアスキャッチを開発し、特許を取得した。

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     なぜ、そんなことができたのか。

    「私、図面フェチだったのです。小さい頃から図面が大好きで、それが高じて、何かものを観察する。次に分解する。それで図面を書いて作ることも好きになったのです。もちろん、精密加工品であるとか、電気製品が作れるわけではないですが、洋服も自分でパターンを起こして作りましたし、小さい時、父の仕事の関係でロンドンやシドニーに住んでいたので、日本のおもちゃが手に入らず、家にあった段ボールやティッシュの箱で作って遊んでいました。なので、キャッチの構造を考えるのはそんなに難しくありませんでした。ただ、どの仕組みを選ぶかを悩みました」

     と説明する。いくつもの構造を考えて、その中から選択したというからすごい。

     できたピアスは、つまみを引っ張らない限り、外れることがない。素材は手術器具や、骨折時に体内に埋め込むボルトに使用される「サージカルステンレス」。これは、頑丈で壊れにくいことはもちろん、アレルギー反応を起こしづらいといわれる素材だ。

    http://www.chrysmela.com/


    *次週に続く



    NPOは社会を変えるか?

    NPO、NGOなど非営利セクターの維持拡大は、今後の日本、そして世界の安定的成長に欠かせないテーマでしょう。しかし、特に日本において、まだまだNPO法人などは不幸なままです。ボランティア活動も重要ですが、長く民間発の社会貢献活動を安定的に継続させるためには、通称、NPO法人といわれる特活法人、あるいは一般社団法人や財団法人などがもっともっと力を発揮しなければいけません。では、その世界とは一体、どのような世界なのか。このコーナーでは、さまざまなNPO法人、一般社団法人、財団法人の理事長や理事、事務局の方々にご登場いただき、非営利セクターの今を見ていこうと思います。

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    第25回 日本政策学校を生んだ2つの課題とは何か?

    今、日本政策学校という新たなプラットフォームに注目が集まっています。同校の金野索一代表理事は、ソーシャルメディアの力を活用して、幅広い“知”を結集、官僚機構に対抗し得るシンクタンクや政治家そのものを生み出していきたいと言います。
    第1回は、金野氏が考える、現在の政治にある大きな2つの問題点について紹介します。

    国会議員の6割が公共セクター出身者で占められる

     日本政策学校は、3.11後、2011年11月26日に開校した。同校は一般社団法人としてそれに先立つ8月に設立されたが、創設者であり代表理事である金野索一氏は、開校式の冒頭で、「こういう学校が必要のない社会にしたい」と語ったのが印象的であった。

     では、なぜこうした学校が今、必要なのか。それは日本の政治や行政の現場が危機的な状況だからだ。もっとも、そうした事態は、ずっと以前から始まっている。55年体制の崩壊とともに、そうした実態が日の光の中にさらされた。

     そこからさまざまなことがあったが、本質は何も変わっていない。既得権益を守り、革新を拒む官僚依存体質が根強く残ってしまっている。官僚一人ひとりが悪いのではない。官僚組織というものに依存している政治に問題がある。

     地盤、看板、鞄という“三ばん”のない人は、なかなか政治家になれない。国会議員の3分の2は、地方議員、政治家秘書、国家公務員、政党職員の4つの職業出身者で占めている。これが1つ目の問題点だ。

     衆議院議員の出身職業別のデータを見ると、2012年の選挙前も総選挙後も、どちらも傾向としては同じだ。以下、全体のうち、何%を占めるかだが、都議・地方議会議員が12年は27.5%(13年は25.2%)。政治家秘書が16・2%(15.8%)。中央官庁出身が11.2%(14.4%)、都職員・地方公務員が1%(1.7%)、政党職員が2・3%(4.0%)。

     これらを総称すると、公共セクターとなろうか。つまり、そもそも政治・行政周りにいた人間が国会議員になる比率であり、これを足すと、58.2%(61.1%)。ほぼ6割となる。逆に、企業・民間出身者は2割にも満たない。

     12年の総選挙では、候補者総数は1504人と現憲法下で最多となった。このうち新人候補は953人と、現行制度で二番目に多かった。候補者総数に占める割合は63.4%だ。特に日本維新の会は大多数が新人だった。もっとも、その内訳を見てみると、新人といっても、企業経営者や役員出身者が全体の18%を占めたが、首長や地方議員、公務員、議員秘書出身者などが多いことに変わりはなかった。

     首長や地方議員からの転身が多いのは、自民党や民主党も同じだ。候補者の主な経歴を比較すると、3党とも、この比率が最多で、いずれの党でも3割弱を占めていた。なお、民主、自民両党で2番目に多かったのが議員秘書である。全体の14~15%を占めていた。加えて、党本部や各県連事務局の職員といった政治団体の役員出身者も多かった。自民党で一番多く、全体の9%を占めた。

     公共セクター中心という構図は今もなお変わっていない。唯一、官僚OBは3党とも全体の1割弱であった。

     また、昔から問題といわれた世襲議員はどうであろうか。こちらは12年の総選挙の候補者のうち、全体の1割を占めた。自民党に限って言うと、全体の3割弱であった。ちなみに、この自民党の世襲候補は、そのほとんどが当選した。

     政治家も特殊な職業だ。選挙によって選ばれなければなれない職業であるから、それなりの準備もお金もコネクションも必要になる。いまだに三バン(地盤、看板、鞄)が必要といわれるのであるから、全体の6割が公共セクター出身であることが、正直、私は奇異だとは思わない。国会議員になるために、まずは秘書になる、政党職員になるといったステップも必要だろう。公務員出身者がとりたてて多いとも思わない。

     しかし、こうした考えには実は落とし穴があるようだ。

    民主主義の本質である多様な民意が反映できない

     まずは、この比率は世界的に見てどうかという問題がある。国際比較によく使われるデータがある。国立国会図書館政治議会課調べとされる1980年代後半の比較データで、『公務員が日本を救う』(榊原英資著・PHP研究所)から引用されることが多いようだ。それによると、それぞれのお国柄がある。

     米国は法律専門職とビジネス・金融を合わせて全体6割強を占める。政治家・公務員は全体の18%に過ぎない。英国の場合は実業界、教師、弁護士、労働者でやはり6割弱を占め、政治家・公務員は合せても10%に満たない。ちなみにフランスの場合は教育界が3割弱を占める。またドイツは上級国家公務員が32・2%と圧倒的に公務員天下だ。

     どこの国の比率が素晴らしいというわけではないが、民主主義を端的に標榜する米国・英国は日本とは逆で民間出身者が全体の6割を占めるわけであるから、日本の比率が常識的だということはできない。

     その上で、金野氏は考える。

     現状がよくない以上、この比率にも問題があると考えるのが妥当だ、と。

     民主主義を志向するのであれば、極論を言えば、国会議員の出身職業の比率は、日本の職業分布と同じ比率になるのが理想と言える。そうであれば直接選挙、直接政治の形に近い。もちろん、これは暴論かもしれない。何もそうした比率を望んでいるわけではないが、議員や公務員でなくとも、秘書であっても公共セクターにいる期間が長く、政治や行政のプロになればなるほど、民意とはかけ離れていく傾向にあるという仮定も成り立ちそうだ。

     問題はどうやら日本人の弱さにあると思える。公務員にせよ、政党にせよ、組織にいると、個性がどんどんそぎ落とされていく。大企業のサラリーマンと同じように、「ならぬものはならぬ」「それはあり得ない」「もっと立場をわきまえろ」といった言葉に打ちひしがれる。そうやって、組織の自己防衛能力にも感化され、国民感情とは違う常識を植え付けられていくのだ。

     どんな組織であるにせよ、血の入れ替えは必要だ。そうでないと、どうしても淀む。だからこそ、国会議員総体、ないしは政党所属議員の総体の一定割合は、選挙の度に入れ替わり、また民間からの参加が必要なのだと思う。

     金野氏は日本政治の機能不全の元凶がここにあると見ている。民主主義の本質である多様な民意が反映できない、議員の家業化・職業化が進み、一部の人間の食い扶持になっている、政治が国民から離れ、国民は政治に多大な期待をしない、それどころか無関心になっている、というわけだ。

    立法府ならば、議員立法がもっとあっていいはず

     もう1つ大きな問題が、立法府という以上、より良い法律を作るのが最大の仕事であるはずの議員がほとんど法案を作っていないという点だ。法案の8割以上は官僚主導で作られたものだ。少し古いデータになるが、日本の成立法案(93年~07年)において内閣立法(政府提出)が全体の73.7%で、議員立法は全体の26.3%に過ぎないという。

     日本は議院内閣制だから、内閣の主たる構成者は議員である。しかし、内閣立法というのは、内閣を構成する政治家が作っているわけではない。多くは、生産者や業界団体などのニーズに応え、官僚が作成し、内閣がそれを承認して国会に提出している。

     これに比べて議員立法の場合は、生活者や中小企業のニーズに応えて、国会議員が発議し、提出するケースがほとんどだ。たとえば日本のNPOの成立を後押しした、特定非営利活動促進法や改正NPO法、あるいはB型肝炎特別措置法、ストーカー規制法、そして児童買春・児童ポルノ防止法などがその代表例だ。いかに議員立法が時宜を得た消費者や中小企業寄りの法律かがわかると思う。大変に重要なのだが、そうした議員立法があまりに少ないというわけだ。

     いわゆる三権分立について、ほとんどの日本人は知っていると思う。立法、司法、行政である。国会はこの三権のうち、何を担っているか。当然、立法だ。だから国会を立法府と呼ぶ。しかし、成立する法律の7割強は、実際には官僚が作っている。国会はそれを承認するに過ぎない。

     もちろん、委員会や国会の場で、提案された法律を拒否したり、修正したりすることができる。しかし、果たして、そうした機能が最大限発揮されているであろうか。またそこでも、族議員なる言葉が生まれたように、業界団体や大企業など生産者や提供者の論理を優先し、彼らの利益ばかりを考えて、生活者や中小企業のニーズを蔑ろにしてきたという苦い歴史を私たちは知っている。

    「大久保利通らが明治維新に際して官僚組織を作ったそのままの常識、仕組みがほとんど今に受け継がれています。つまりは価値観が単一で、欧米を追いかけて成長に拍車をかけることが求められた時代の論理で今の役所は動いているのです。たとえば文部科学省は、学生や児童のためを考えるだけではなく、むしろ先生や学校経営者の立場を代弁する役所であるわけです。同じく、厚生労働省は患者のための役所というだけでなく、医者や医療経営者、病院のためを考える役所でもあるわけです。すべて同じです」

     一番顕著なのが農林水産省だろう。これは、農協を筆頭に、生産者団体のための役所という印象が強い。

     もちろん、日本が高度成長を遂げるまでは、この仕組みが十二分に機能したことは確かだ。しかし、その存在は、市場が成熟し、このままでは衰退していくであろう今の状況にはフィットしない。生活者のニーズ、つまりは民意が十分に反映されないのだ。その点が、官僚支配の最大の欠点なのである。

     ましてや、立法府でありながら、議員立法という、生活者のニーズを反映した立法が非常に少ないという状況が果たして正しい姿かという問題がある。

    参加民主主義の実現に向けて、この学校は設立された

      こうした点が、金野氏が日本政策学校を作ろうと思った原点となる動機だ。より良い政治家や、政治起業家を増やそうとしている。政治起業家とは、政治家、端的に言えば議員にならずとも、ビジネスやNPOの活動などさまざまな場所に軸足を置いたうえで、政治・行政に参画し、変革することはできる。そうした志を持ち、行動する人たちを指す。公共セクター、企業セクター、非営利セクターという3つのセクターを超えた、新たな人材ビジョンだ。前回登場いただいた佐藤大吾氏のジャパン・プロデューサーにも通じる。

     日本政策学校は、参加型民主主義社会の実現に向けて、そうした政治起業家を増やしたいというのが、その設立趣旨だ。

     そのために、最大の特徴として、主義主張・政党を超えた多くの講師陣が集まり、自由な議論を展開している。

     だから講師陣も多彩だ。数が多いので、全貌は同校のホームページで確認してほしいが、たとえば政治家では鳩山由紀夫、管直人、安倍晋三、福島瑞穂、長妻昭、長島昭久、塩崎恭久、野田聖子、渡辺喜美、江田憲司、細野剛志の各氏、行政の長では、吉田雄人横須賀市長、上田清司埼玉県知事、河村たかし名古屋市長、桜井勝延南相馬市長、保坂展人世田谷区長など、またジャーナリストの佐野眞一氏、田原総一郎氏、津田大介氏、堀潤氏。さらに、堺屋太一氏、金子郁容教授、田坂広志教授、原武史教授、ムハマド・ユヌス氏、伊藤真氏、またコーチングの専門家である五十嵐立青氏、ファシリテーター出身の氷見市長、本川裕次郎氏など多くの専門家も名を連ねる。

     イデオロギーや立場を超え、政治とはいかなるものなのかを学ぶ場として秀逸だ。この場から金野氏は、政治家のほか、政治を動かす新たな人材として、政策研究員、社会イノベーターといった政治起業家を生み出そうとしている。

     実際に、すでに議員や首長になった卒業生も少なくない。

    http://j-policy.org/


    *次週に続く



    粋に生きる

    9月の主任:「松原智仁」

    このコーナーでは、芸人、職人、アーティストの世界の住人にご登場いただきます。プロとして生き、極める心構えと葛藤などについてお聞きするとともに、それぞれが極めようとしている世界について語っていただく。そんなコーナーです。
    今月ご登場いただくのは、銀線細工の作家、松原智仁さん。銀細工を生業とする作家、職人は多い。若手の作り手でも、銀を主体とする人は後を絶ちません。しかし、伝統を受け止めつつ、独自のセンスで銀線細工を今に生かす作家はほとんどいません。彼はなぜ、この道を歩き始めたのでしょうか。
    今週は、彼の作品をまずはじっくり見ていただきたいと思います。

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    第1回  銀線細工を今に受け継ぐアクセサリー作家

    0.2ミリの銀線を巧みに操る独学の作家

     銀線細工の作家は数少ないと述べた。どのくらい少ないかというと、多分、日本にはほんの数人しかいない。

     銀線細工は、読んで字の如く、線状の銀を細工していく技だ。具体的には、0.2ミリの銀の線を2本合わせて撚る。そして、少しだけローラーで潰したものを主な素材として使う。それをやっとこで巻いたりして細工していく。

     たとえば写真の「白詰草」は松原氏の銀線細工の代表作の1つだが、銀線細工の代表例の1つと言えよう。

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     銀線細工のルーツは定かではないが、フィリグリー、あるいは平戸細工などともいわれる。長崎の平戸に、オランダ人が持ち込んだといわれているが定かではない。その後、江戸幕府の政策によって、平戸港が閉鎖され、長崎の出島に銀細工職人も移り住んだといわれるが、その後の消息はよくわかっていない。

     そしていつしか、銀線細工は秋田県指定の伝統工芸品の1つとなった。秋田県には銀山があり、時の藩主が奨励したという理由があるようだ。

     そして今、この銀線細工であるが、その技術を受け継ぐ人が少なく、それこそ松原氏は、銀線細工の可能性を私たちに魅せてくれる貴重な存在と言える。

    「私の知っている限りでは、秋田のほかには京都に一人、いらっしゃいますが、それだけです。素晴らしい技術だからもったいないと思うのですが、扱っている人は増えないですね。2012年に、秋田公立美術工芸短期大学の教授で、地元の銀線細工について調べてらっしゃる方の取材を受けたことがあります。その際にお聞きしたのですが、秋田にも銀線細工を扱う店はもう数軒しかなくて、中には輸入品を扱っているお店もあるということでした」

     銀線細工職人が多いのは、スペインやポルトガル、トルコ、ギリシャ、インドネシア、フィリピンなど。透かし中心の民芸品が多く、オリジナリティのある、いわゆる作家もの然としたものは残念ながら少ない。

     だから唯一と言っていいのが松原氏であるわけだが、彼には師はいない。どうしても銀線細工がやりたくて、この道に入り込んだわけでもない。さらに言えば、今や松原智仁と言えば銀線細工と言われるほど、それは彼の特徴なのだが、銀線細工だけで彼の作品が成立しているわけでもない。

     つまり彼は伝統を受け継いでいるわけではない。本や作品に学び、独学ですべての技術を習得してきた。だから、自由なのだ。自らの自由な発想を実現するために、必要に応じて銀線細工も利用している。

     だからいわゆる伝統工芸や民芸品とは一線を画した作品が出来上がる。彼が編み出す作品は、銀線細工の作品ではなく、必要に応じて銀線細工を取り入れた、作家ものの作品群であるわけだ。

    「昔は透かしものなどもいろいろ試したのですけど、透かしを多用すると、どうしても野暮ったくなると思えて、今のようなスタイルになってきました」

     そんなふうに伝統を受け継ぐ者がいることは、素晴らしいことだと思う。松原氏は、自分は職人ではないと言う。技術や技法よりも大事なのはデザインだ。何を作るのか、そのために必要な技術は何かと考える。

     文化も芸術も時代とともに変わるものだ。変わらぬ技術は、変わりゆくデザインを裏で支えるものだろう。だから、技術や技法が先に立ってはダメだといわれる。「ああ、こんなふうに銀線細工が使われたのか」、それでいい。もっと言えば、私も含め、多くのユーザーは、それが銀線細工かどうかなどわからない。何であれ、かっこいいとか、美しいとか、かわいいと思う。素敵だと思えばそれでいい。

     知識やうんちくは、後からついてくればそれでいい。

    小さな帯留が表現する、洒脱な世界観がたまらない

     もう少し、松原氏の作品を見てみよう。すべて帯留である。

     この写真は「菊十六輪」。白詰草と同じ、銀線細工の手法で、これらが松原オリジナルとして有名な花のシリーズだ。花というモチーフで密集していて、少しだけ立体感がある。そのために銀線細工の技法が必要だった。そうしたシリーズだ。

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     次にいくつかお見せする作品群は、これとはがらりと変わる。

    「BEER」は、新作の帯留。浴衣に半幅帯などでも似合う、カジュアルな帯留だが、銀線細工の特徴がよくわかる。撚り線を使って、細かな表面のニュアンスをよく表している。

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    「撚り線を透かしでどんどんと巻いていくので、透かしも撚り線もあまり目立たない。だけど、あそこまで密接につなげていくと、何と言うか、粒粒感が際立って、ちょっとおもしろい雰囲気になるわけです」

    「ふたつひさご」は、ひさごが2つ連なっているが、ひょうきんでもあり、美しくもある。一方が銀線細工で、もう一方が板からの打ち出し、だからよく見ると素材感がまるで違う。光の加減やよく見ないとわからないところがミソ。

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    「まんげつ と しろもち」。これはシンプルなフォルムでおもしろく見せられるものを作りたかったという。「しろもち」は、お月見と対になる白餅=団子と、城持ち大名の城持ちをひっかけている。いわゆる言葉遊びだ。

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    「以前に、掛詞、二重の意味っておもしろいなと思って、何か作りたいと温めていたものです」

    「もも くり かき」は、「桃栗3年柿8年」の語呂が気持ちよかったから。それだけと言えばそれだけだが、完成した作品はどれも美しい。1つでもいいが、できれば3つ並べてつけるのがいい。

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     これらの作品は、2013年から作られ始めた。

    「それまでとは違うイメージのものも作りたいという気持ちはもちろんあったのですが、もう1つ、理由がありました。それは、私自身の考えとは違って、花のシリーズの帯留をご購入いただいたお客様が、特別の時にしかつけないものだと思い込んでいる節があったのです」

    「僕としては銀だし、確かに細かな細工ですが、金属ですからヤワではない。しっかりと作っていますからね。どんどん使ってほしい。大事にしまってほしくはないのです」

    「そこで、そうしたイメージを変える意味でも、もっとデザイン的にポップでカジュアルなものも作ろうと思いました。どんどん使ってください!というメッセージでもあるのです」


    http://matsubara-jewelry.com/

    *次週に続く



    誌上講座

    今月のテーマは「人材育成」。実は日本はOJTもOFF-JTも形骸化している。それが日本のパワーをそいでしまった一因でもある。改めて人材育成の重要性と、効果的な育成の方法論について考えたい。漫然とした育成には、もはや意味はない。

    テーマ8  タスク型OJTを中心とした人材育成の方法論

    野田稔


    第1回 今度はあなたが人を育てる番だ!


    誰もが組織に育てられている。今度はあなたの番だ

     組織の中で、グループリーダーや係長、あるいは課長など、ミドルと呼ばれる立場になって一番困惑するのは多分、部下の育成だろう。それも名プレイヤーほど、人を育成するということについては興味もないし経験もないものだ。

     かく言う私もそうだった。もちろん、名プレイヤーかどうか、この場合は自己評価だ。名プレイヤーだった人がだいたい考えることは、「僕は誰にも育てられていない。もちろん上司に育てられた覚えもない」ということだろう。私もそうだったからよくわかる。

     しかし、冷静に思い出してみるよ、ほぼどこかで、絶対育てられているはずなのだ。もちろん、それは丁寧に質問に答えてもらったとか、手取り足取り教えられたというような、学校の延長のようなやり方ではない。

     たとえば、自分自身は嫌だった修羅場経験が実は、育成目的であったり、放置プレイかと思った現場体験も“任せてみる”という育成であって、実は結構用意周到に用意された修羅場であったりするケースもある。そんなふうに、結構育てられているのだけど、本人はその自覚がないということも多い。

     もちろん、実は用意周到でも何でもなくて、ただ任せっきりの場合もあるかもしれないが、それでも結局、あなたが育ったとすれば、それも放任主義という立派な育成手法と言えなくもない。反面教師が人を育てることもある。上司の不在が部下を育てることもある。

     いずれにしても、あなたがある程度以上、優秀なビジネスパーソンであれば、あなたは絶対に組織によって育ててもらったはずだ。

     何が言いたいかと言うと、第一に、自分も後進や部下を育てなければいけないという意識を持つこと。次に、人を育てた経験があればすぐにわかることだけど、人が育つのを見るのは、めちゃめちゃ嬉しいものだということ。

     つまり、人材育成というのは、義務でもあり、権利でもある。「こいつが育ったら嬉しい」という期待を持って、とにもかくにも人材育成というものに積極的に取り組んでほしいと思う。

    バブル崩壊以降、日本は人材育成に手を抜いてきた

    「人は石垣、人は城」という言葉がある、これは武田信玄の考え方といわれるもので、勝利の礎を意味する、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵」という言葉からきている。大事なのは城ではなく、人の力だ。

     しかしながら、日本という国は実は、人材育成にかなり手を抜いている国だということも、お伝えしておく必要があるだろう。

     たとえばOFF-JTに投資している金額で言うと、OECD参加34カ国中、下から3番目というから驚く。日本より下にはポルトガルとスロベニアだけしか存在しない。日本はそれだけOFF-JTに手を抜いている。言い方を変えると、他国はもっと真剣にお金を使っている。

     この話をすると、「いやいや、日本の人材育成はOJTだから」と言う人も少なくない。ところが、そのOJTが機能しているかというと、これも怪しい。

     確かに、1990年代の前半までは機能していたと言ってもいい。ただし、それも新入社員からミドルマネジャーに上がるまでに限られる話だ。しかも、バブルが弾けるまでの話だ。その後は、現場からは人が抜かれ、塩漬けも当たり前になってしまい、実はOJTがあまり機能しなくなってしまった。つまりは多くの会社では、OJTが形骸化しているのだ。

     だから、OFF-JTにもお金をかけず、頼みの綱のOJTもろくすっぽやっていないというのが今の日本の人材育成の現状で、だから諸外国に負けても仕方がないというのが本音だ。

     それでも誰でも教えられてきたはずだと言い切れるのは、それこそ一人一人の上司や先輩の努力や工夫によるところが大きい。

    戦略を実行できる人間を育てるのが育成の基本

     大学までで学んだことで一生食っていけると思うのは、あまりに楽観的すぎる。どう考えても、何回も学び直しを繰り返して自分を磨き続けない限り、リーダーにはなれないし、世界にもついていけない。ましてや、大学までで真剣に学んでこなかった学生が多いのだから、「何をか言わんや」だ。人材大国日本というのは、もはや幻影であるということを全員がしっかりと認識するところから我々はスタートするべきだと思う。

     では、これから心を入れ替えて、人材育成を真面目にやろうと思ったときに、そもそも人材育成は何のために行うのかを考えるところから始めたい。簡単な話だ。企業で行う人材育成は、人道主義的にやるべきものではない。極めて目的的にやるべきものだ。

     人材育成の目的で、一番の王道は何かというと、組織には目的があって、その目的を完遂するために新たな戦略が立案される。その戦略を実行することができるスキルや知識、経験を持った人材を育てることだ。

     戦略を実行するのは人だ。その人が物足りないと思ったら、外から採用するか、あるいは育てる、または鍛えるしかない。外からできる人間を採用したとしても、すぐに使えるとは限らない。組織に対するアダプテーションという人材育成が必要になってくるので、どっちみち人材育成は必要になる。

     つまり、新たな戦略を立案して実行しようと思ったら、もれなく人材育成がセットでついてくると思ったほうがいい。そのくらいに人材育成とは、目的的で戦略的なものなのだ。

     ちなみに、人材育成の目的は3つで、後、2つある。1つは、今、営業ならば営業のマンパワーが足りないので、短兵急に現有戦力の能力を上げないといけないという場合。もう1つは、新しい経営手法や技術が導入されたので、勉強し直さなくてはならなくなったという場合。

     しかし、やはり王道は戦略立案に伴い、その実行を担保するための人材育成だ。もちろん、新人から育成するということも重要な育成テーマだが、その場合も、漫然と旧態依然とした方法で行うのではなく、この戦略に沿って、教える内容も変わっていかないといけない。

     まず、その人に何をやってもらいたいのか、どういう役目を担ってほしいのかという目的を必ず先に持つこと。

     その目的から逆算して、それでは、どのような能力をどのレベルでつけてもらうのか、また、どんなマインドセットを持ってもらわないといけないのかということを決めて、そのための方法論を決めていく。

     そんなところから、人材育成は個別に、目的的に組み立てていってほしい。

    *次週に続く



    連載コラム
    より良く生きる術
    釈 正輪

    あらゆる宗教の垣根を超え、平和と人々の幸福を祈念する世界的ネットワークを築く。千日回峰行により見性を得た老師が説く。

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    プロフィール
    四大老師に師事、禅(臨済宗・曹洞宗)・真言・天台の三宗を兼学する。中部の霊峰高賀山で「千日回峰行」を達成、大阿闍梨となる。形骸化した僧界に疑問を抱き、普遍的根源を求め、世界宗教の聖地巡礼を行う。中でもヨルダン川での洗礼や、イスラムの聖地、マッカ大巡礼は偉業と言われている。さらに、マザー・テレサの信仰実践とダライ・ラマ十四世の宗教的覚醒に触れたことが、宗教活動に大きな変化をもたらした。
    眞日本法(まことのやまとわほう)宗家。
    http://www.syakusyorin.com/

    著書 「死ぬのに適した日などない」 ソフトバンククリエイティブ社
       「3.11後を生きる術」 フォレストメディア社(電子書籍)
        http://www.forestmedia.co.jp/bookinfo/0001/

    第29回  貧者の一灯ほど力強いものはない

     少し、時間は遡りますが、今年も多くの方々がお墓参りにこられました。その檀信徒のお一人で、古くから寺に足繁く通われる老婦が、今年も私を尋ねてこられました。齢90歳を超えるであろう老婦は、腰もしゃんとし、きれいな白髪でいつもお化粧をされ、とても素敵にお年を召しておられます。

     その方は18年前にご主人を亡くされ私が葬儀を致しましたが、長男長女も20代の頃に続け様に病気で亡くされており、今は施設で一人お暮らしになってみえます。老婦は決して裕福ではありません。いや、むしろギリギリの年金生活だと思います。

     しかし老婦はこの時期、必ず私に盆供養のお布施を持ってこられます。のし袋には決まって3万円が入っています。老婦の事情を知っている私は当初、布施をいただくことを躊躇いたしましたが、老婦は私にこのようにいわれました。

    「これは『貧者の一灯』です」

     それ以来私は、この尊いお布施をありがたくいただくことにさせていただいています。

     さて、これはお釈迦様と女乞食の話です。

     お釈迦様の説法を聞き、生きる意味を知らされた女乞食は、何とか釈尊に灯明を布施したいと、足を棒にして歩き回り、ようやく、ある老婦人から施しを受けることが出来たのです。その老婦人からの財施を手に、やっと見つけた油屋でこう言いました。

    「一灯分の油をわけていただけませんか」

     しかし女乞食のお金では、一灯分の油には足りませんでした。

     そこで女は、
    「私の束ねた黒髪がお金になるのであれば買っていただけませんか」

     油屋は聞きました。
    「なぜ、そこまで熱心に油を求めるのか」
    「お釈迦様に一灯を布施したいのです」

     その訴えを静かに聞いていた油屋は、
    「釈迦牟尼というお名前は聞いたことがある。そんなに大切なことを教えておられるお方ならば、足りない分は私が布施させてもらいましょう」

     女は心から礼を述べ、素早く釈尊のもとに駆けて行きました。

     翌朝、精舎では弟子の目蓮が、灯火の後始末をしていました。大方の火はすでに消えていましたが、ただ1つだけ、夜が明けてなお明るく輝く灯明がありました。目蓮は道具で覆って消そうとしますが一向に消えません。不審に思った目蓮は釈尊に尋ねました。

    「昨夜の灯火に1つだけ、依然として煌々と燃え続けるものがございます。いくら消そうとしても消えません。これは一体どうしたことでしょうか」

    「それは難陀(なんだ)という女乞食が布施した灯火である。その灯はとてもそなたの力で消すことはできない。たとえ大海の水を注いでも、燃え続けるであろう。それこそ、一切の人々の心の闇を照らそうとする、空よりも広く、海よりも深い、広済の心から布施された灯なのだ」

     そう釈尊は答えられたといわれます。

     布施は心掛けが大切なのです。「長者の万灯より、貧者の一灯」とお釈迦さまは教えられているのです。


    合掌


    *次週に続く

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