野田稔・伊藤真の「社会人材学舎」VOL.8 NO.3
コンテンツ
対談VOL.8
祐川京子氏 vs. 野田稔
夢は宣言すると叶う
そのために必要なのは
総合病院のような人脈
第3回 大事なのは潮目、そして時代を読む眼力
Change the Life“挑戦の軌跡”
自分がありたい姿になるために起業した
――株式会社Chrysmela 菊永英里
第3回 「そうだ、東京を離れよう!」と始めた2年間のトライアル
NPOは社会を変えるか?
第27回 3つのセクターをつなぐ人材を生み出す
――日本政策学校 金野索一代表理事
粋に生きる
9月の主任:「松原智仁」
第3回 報酬は、お金以上に心で受け取る作家冥利
誌上講座
テーマ8 タスク型OJTを中心とした人材育成の方法論
野田稔
第3回 タスク型OJTを成功させるための4ステップ
連載コラム
より良く生きる術
釈 正輪
第31回 僧侶がやるべきことは何か
…………………………………………………………………………………………………………
対談VOL.8
祐川京子氏 vs. 野田稔
夢は宣言すると叶う
そのために必要なのは
総合病院のような人脈
本誌の特集は、(社)社会人材学舎の代表理事である野田稔、伊藤真をホストとし、毎回多彩なゲストをお招きしてお送りしています。
今月のゲストは、祐川京子さん。ベストセラーとなったデビュー作『ほめ言葉ハンドブック』(本間正人との共著)のほか、『キラリと輝く気くばり』『夢は宣言すると叶う』などを著書に持つコミュニケーションスキルのプロフェッショナル。現在は経営層に特化した大手人財紹介会社にてエグゼクティブコンサルタントに従事し、八戸学院大学・八戸学院短期大学地域連携研究センター客員研究員なども務めます。
そんな祐川さんは新卒で第一生命保険の一般職として入社、 その後、短期間で頭角を現し、法人営業を経て、営業スキルの研修講師として生保レディや異業種の ビジネスパーソン約5000人に講演・研修を実施してきました。この対談では、そうした彼女のこれまでのキャリアにスポットを当てます。それはまさに、「夢は宣言すれば叶う」を実践してきた半生でした。
第3回 大事なのは潮目、そして時代を読む眼力
自分でやりたいことを創る!
そのために半年かけて論文を書いた
野田:祐川さんは第一生命保険の中で、セールスパーソン向けの研修講師をされるようになりますが、ご自分が中小企業向けのビジネスコンサルタント的な営業をやられていたところから、この講師までというのは、どんな道筋だったのでしょうか。
祐川:まだ営業をやっているときに、たまたま本間正人先生の著作『入門ビジネス・コーチング』(PHP研究所)に出会い、それでコーチングに興味を持ちました。当時の人事課長にその話をしたら、企業派遣でPHPのコーチング研修に行かせてもらうことができたのです。3日間×2回でした。
その際の研究講師が小野仁美先生で、本間先生の友人でもある方でした。この研修で、自分のやりたいことを決めて、プランづくりをするというワークがあったのです。そこで考えてみると、営業成績で一番を取った後でもあり、これを継続する気力とか、次にやりたいことがなかったのですね。
しかも、俗にいう「転職35歳限界説」というのを信じていたので、転職も意識している自分に気がつきました。営業成績がよかったので、調子に乗ってもいたのだと思います。しかも当時、人材紹介会社の友人が誘ってくれたりとか、ベンチャー企業から誘われたりもしていました。じゃあ実際にそのベンチャー企業に転身するかというと、そこまでの覚悟もなかったわけです。それでも、大企業のサラリーマンですから、そうやって経営者から口説かれるのは実際、嬉しかったです。
野田:一度は市場価値がないとショックを受けたわけですからね。
祐川:はい。そこでまた高城幸司さんに相談したのです。そうしたら、「でも、君は健全な努力が報われないと嫌でしょう?」とズバリ指摘されました。「ベンチャー企業の経営は、一歩間違うとすぐに倒産するリスクが高いし、営業もきれい事では済まない場面も多いよ」「第一生命保険という大企業の看板に守られているから、きれい事で仕事ができるのだよ」と言うわけです。
だから、「わざわざ今、第一生命保険でうまく行っているときに、無理に辞めることはない」「ただ、せっかくだから、今のいい状態のときに、何かチャレンジしたらどうだ」と言われました。
野田:高城さんは本当に祐川さんのことをよく理解しているのですね。
祐川:そう思います。それで、よく考えてみると、私は第一生命保険の中にもうやりたい仕事がないと思っていたから辞めたいと思っていたわけです。それならば、私自身が第一生命保険でやりたい仕事を作ろうと思いました。
野田:私も、自分の愛され方を自分で会社に提案しようと言っています。必要なことですね。
祐川:そこで考えたのが、戦略営業部隊の創設です。せっかく第一生命保険というブランドとかパワーがあるのに、それを活かさずに営業をしている営業マンが少なくない。私はいろいろなネットワーキングなどをやって、うまく数字も上がっていました。そういうことのできる営業部隊がほしいと思ったのです。目端の利いた人たちが集まった部隊です。それで、提案をしたいと思ったのですが、その方法がわからない。
今度は第一生命保険の人事部にいる同期のところに相談に行きました。すると、論文を出せというのですね。
社内に年1回の懸賞論文制度があるのですが、それに応募したらどうかと勧められました。それが一番の正攻法だと。そこでまた素直に「そうか!」と思って、論文を書くことにしました。
半年かかって、ものすごい苦労をして、新規事業部創設の論文を書いたのです。論文執筆にあたっては、自腹でビジネスコーチを雇い、毎週日曜日の夜に電話でコーチングを受けました。そこで、次の1週間の宿題を決めたり、前週の進捗報告をしたりしました。1週間分の宿題を決めても、結局平日は手つかずになるだろうと見込み、土日でその宿題をこなし、日曜日の夜にコーチング。そうやってコーチにペースメイクしてもらって、論文を完成させて応募したら、162篇中3位になりました。一般職としては初の応募で、初の入賞です。
だけど、いい順位を取ったからと言って、そのアイデアが自然に実現されるというわけではありません。私以外は全員が総合職で、どちらかと言えば箔付けのために出す人が多いイベントでした。
ところが、私の場合は提言内容を具現化したかったので、その論文を持って、いろんな部署に売り歩いたのです。私が誰か知らないような部長さんのところにも行って、「私はこれがやりたいのです」とプレゼンをして回ったのです。
そうしたら、第一生命保険の新規事業をやり続けている部長が率いる、総合FPコンサルティング部の担当部長が、「これおもしろい」と言ってくれたのです。実は、彼らの中にもちょうど、そういう専門野武士集団みたいなものを作りたいという構想があったので、そのペーパーはある意味、渡りに船だったわけです。それが機縁で総合FPコンサルティング部に異動になって、戦略営業チームのモデルづくりをやり始めました。しかし、半年もしないうちにこれは無理だなと感じてしまいました。
野田:どうしてですか?
祐川:ビジネスマッチングとかアライアンスコーディネート云々というのは、公私問わず、プライベートの時間も仕事の延長のように、貪欲に情報収集したり、人脈を構築していないとダメなのですが、大企業のサラリーマンにはそのマインドを持った人は多くないですから、これを洗脳するのはかなりハードルが高いと感じました。全国を探せば何人かはいるだろうけど、組織化は難しいと思ってしまいました。
セールスレディの研修を担当
「センエツ」と呼ばれてもめげずに頑張った
野田:挫折しましたか?
祐川:その件に関しては挫折しかけたわけですが、実は、総合FPコンサルティング部に異動した直後に、会社のエレベーターホールで副社長とお会いし、声を掛けられていたのです。
「君、おもしろい営業をやっていたんだって? どうだ、セールスレディの前で話してくれないか」と言われて、それで5月の連休明けに、全国から300名ほど参加する3年目選抜営業研修で、数あるプログラムの前座として、15分もらったのです。しかも、「遠慮しなくていいから、皆を圧倒してやってくれ」といわれたので、気合が入りました。「内勤でもこんなにやっている」という話でセールスレディに刺激を与えてほしいというオーダーでした。
そこで頑張って、今まで取り組んできたことを15分にまとめました。読み原稿を書いて、事前に100回以上の音読練習をしました。とにかく盛り込みたかったので、息継ぎから何から計算して、言い淀むことがないように、言い回しも推敲を重ね、完璧な原稿を作って、青年の主張をイメージして体験談を話したら、とても好評でした。
セールスレディの人たちが、「本社の一般職の子がおもしろいことを話していた」「あの子の話、よかったですよ、支社長!」みたいな感じで現場に戻って話題にしてくれたのです。セールスレディには拡散力があるから、それで「うちでも講演してくれ」という展開になりました。それから各支社で研修の機会が増え、持ち時間も15分ではなく、30分、1時間、それ以上と、どんどん伸びていきました。
そもそも自己啓発オタクなので、研修はいくらでもできるわけですよ。ネタはいくらでもある。それを吸収して自分なりのオリジナルに変えていって、祐川流のコミュニケーションスキルの研修をだんだん完成させていったわけです。
野田:本職が、企業内研修の講師になっていったようなものですね。
祐川:その調子で半年くらいした頃に、不遜にも今度は、自分の部長に「祐川塾がやりたい」と進言しました。さすがに、「自分の冠つけたいなんて本当に僭越なやつだ」といわれて、それから部内では「センエツ」といわれるようになりました(笑)。
ところが実は、部長たちはFPスクールを始めようと考えていたのです。首都圏で、次世代の幹部候補生の人材(セールスレディ)だけを10人程度を集め、半年間かけて、徹底してさまざまな勉強をしてもらう。法人税の勉強とか、提案力を高めるための演習とか。その1コマに私のコミュニケーションスキルの授業も入れてもらえることになったのです。
野田:すいごいな。実現力がありますね。
祐川:それで実際に行ったわけですが、お陰様でFPスクールのコンテンツの中で一番評判がよかったのです。その状態で1期生が修了したので、2期生からほとんど私が仕切るようになって、それを4期生までやりました。最初は半年だったのが2期目から1年間、しかも東名阪でやりました。大阪は100人、名古屋が20~30人という感じです。
その際に、後に本に書く内容もブラシュアップされていきました。