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 ふと手を休めて、その少女――二本松智恵子は気配がした方角を見た。
 時はおりしも、夕飯時。彼女はほかほかの白ご飯と醤油につけた刺身を、同時にやっつけようと思ったところである。
 気配はそんな彼女が座している、ダイニングの右手側からした。
 そこには、智恵子にとって馴染みの深い面々が立っていた。
「あなたたち……」
 智恵子は不思議そうに首を傾げた。
 腰までのばした長い髪が、さらりと流れる。
 少しつり上がった大きな目が、銀縁眼鏡の奥で人形たちを見据える。瞳の輝きは紫水晶で、鋭い知性の光を宿していた。
 まつげも長く端麗なそれは、白いリボンでまとめた絹糸のような黒髪、身につけている純白のワンピースと相まって、まるで人形のような美しさを彼女に与えている。
 しかし、それでも目の前の気配の主に、彼女は勝てないだろうと思われた。
 美しさが、ではない。
 人形らしさが、である。
 フローリングの床の上に立っているのは、全長三十センチほどの、本物の人形であった。
 その数およそ数十体。全員が侍のような格好をして、帯刀までしている。
 彼らは何やらプラカードをかかげていて、はちまきをしているものもいた。一様に思い詰めたような表情で、智恵子を見つめている。
 智恵子はそのプラカードに書かれている文字を読んで、眉間にしわをこしらえた。
「……ストライキ?」
 見れば、確かにはちまきにも「春闘」と書かれていて、その様子はストライキデモ以外の何ものでもなかった。
 智恵子はさらに首を傾げて、九十度にまで曲げた。納得がいかなかったのである。
 そのまま、ぼそりとつぶやく。
「どうして、あなたたちがストライキを? 何が不満なのですか?」
 人形たちは答えた。

 東北は、少しばかり変わった観光地として人気を博していた。
 この地に開いた、異世界へと繋がる数々の「ゲート」が、その文化や、住人たる魔物などを含む「超越存在」を招き入れ、独特の観光事業を生み出したのだ。
 そして、この地にもたらされたのは、観光名所の生み方だけではない。
 異世界に存在する技法や秘術などが、戦うための術として人間たちに伝えられたのだ。
 その代表たるものが、「超越存在」と「契約」を交わす「召喚者」である。
 彼らは「超越存在」の、文字通り人間を超越した力を借り、使役して戦うのだ。
 二本松智恵子は、「超越存在」と「契約」を交わしてはいないが、ある意味では「召喚者」に近い存在と言えよう。
 ただし、彼女が使役するのは人形である。
 しかも彼女の地元である二本松市の名産品「菊人形」であり、それらは彼女が手ずから作ったものであった。
 普通なら何の変哲もない人形で納まるはずの彼らが、まるで自分の意志を持つかのように動くのは理由があり、それは一重に異世界の技術を使用しているからだ。
 簡単にいえば魔法の力を用いたそれは、人形に魂を吹き込むことを可能とする。
 さらに、繋げた糸により使役者の意志を明確に伝えることも可能で、意図を伝えられた人形は、自身の判断によりそれに沿った行動を行えるのだ。
 自分の意志で動く彼らはまさに生きた人形――「リビングドール」と言えよう。
 思考能力を持つ彼らは、人形遣いが一から動かさなくても複雑かつ柔軟な対応が可能なため、他の人形より優れていると言えた。
 ただ、一つの欠点を除いては。
 それは、彼らに自我があるため、時々融通が利かなくなるということである。

「そういうわけで、ほとほと困っています」
 智恵子はつぶやくとストローをくわえ、言葉とは裏腹な無表情で、ズズッ、とアイスコーヒーをすすった。
 学校のすぐ近くにある(とは言っても歩いて十分近くかかるが)コンビニエンスストアは、店内で飲食が可能であり、放課後の生徒たちの格好のたまり場となっていた。
 テーブルの対面側で、智恵子と同じ学校指定のセーラー服を身につけている少女が、ソフトクリームをなめながら、ややボーイッシュにつぶやいた。
「人形がストライキ、ねぇ。本当かよ」
 その隣でやはり同じ格好をしている三つ編みの少女が、気弱そうな顔に苦笑を浮かべて智恵子に尋ねる。
「一体何が原因なの、智恵子ちゃん」
「さぁ……原因はわかっているのですが、どうして不満なのかは」
 智恵子は目を閉じながらつぶやくと、目の前の少女二人――同じ学校の級友だ――に、首を振ってみせた。
「理解できかねます。飾り菊の出自だけで、あそこまでへそを曲げるとは」
「飾り菊の出自?」
 智恵子が使役する菊人形は、菊だけで形成される従来の「菊人形」とは少し赴きが違う。
 手のひらサイズの小さな人形に、飾りとして菊の花を数枚つけているのだが、その菊に不満があるのだと彼らは訴えたらしい。
「ひゃー、それくらいでストライキ起こすんだ。面倒くさい話だね」
「ええ」
 仰天するボーイッシュの少女に智恵子はうなずき、言葉を続けた。
「……予算不足で食用菊を使ったくらいで、何もそこまで怒らなくても……」
「それは怒るよ!?」
 三つ編み少女が、ショックを受けたように叫んだ。隣の娘が首を傾げる。
「何だ、その食用菊って」
「食品に飾りとして使う花だよ。専門用語で言うと、『刺身に乗せるタンポポ』」
「ああ、あれか……って、まさか智恵子、自分が食べてきた刺身用のそれを、全部そいつらにつけたのか?」
「いえ、そんなわけありません」
 智恵子はしっかりと首を横に振った。
「……私一人が食べる量では、食用菊の個数には限りがありますから。学校の友人や近隣の住人、その他色々な人に頼んで、取っておいてもらったのをつけました」
「そういう問題じゃないだろ!?」
 結局は、廃物を利用したということである。それは人形たちも怒る。
「まぁ、それでも足りないんで……いくつか通販で業務用のものを買ったのですが」
 弁解がましくつぶやく智恵子に、しかし気弱な少女は首を横に振った。
「智恵子ちゃん、ちょっとは人形たちの気持ちにもなってあげなよ。可哀想だよ」
「おう、そうだそうだ!」
「刺身などに使われる『つま菊』は、青森県八戸市の特産だよ? それが使われるなんて、福島県二本松市名物の菊人形としては、屈辱なんじゃないかな」
「い、いや、そういう問題でもないぞ!?」
「…………! 私、間違っていました」
「智恵子もそんなことで目を覚ますな! それ以前に人として間違っているところがあるだろう!」
 真面目な顔でボケ倒す友人二人に、ボーイッシュは忙しくツッコミを入れる。
 と、智恵子は少し気落ちしたような表情でつぶやいた。
「でも、実際予算が少ないのは確かなんです。私の小遣いじゃ、全員ぶんの菊を用意するのはなかなか厳しくて……」
「まぁ、うちら学生だしな」
 ボーイッシュが相づちを打つように宙を仰ぐ。彼女も欲しいものが多い年頃だ、共感はできるのだろう。
 ふと三つ編みの少女が思いついたように両手を打ち鳴らした。
「あ、それなら智恵子ちゃん。アルバイトしてみない?」
「アルバイト?」
「うん、うちのお父さんがちょうど困っていてね、智恵子ちゃんに力を貸して欲しいって言っていたんだ」
「え……私に、ですか?」
 大人が、一介の学生に何の用なのだろう。
 智恵子の疑問に答えるかのように、級友の少女はにこりと笑みを浮かべると、
「実はね、うちのお父さんね」
 その内容を切り出した。


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