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3
あくあがアクアラインの魔女になったのは、先代の魔女が引退したためだった。
代々、アクアラインの魔女は、多摩3賢者のひとり――現在は荒井高緒によって、神奈川在住の魔法少女たちから選ばれる。
それは、かつて神奈川の一部が武蔵国だったころからの慣習――その頃はまだアクアラインはなかったため、相武鎮護の魔女だった――と云われているが、真相は不明だ。
そして、ちょうどそのころ魔法少女だったあくあが、高緒によって選ばれたのだ。
あくあは最初、自分がなぜ選ばれたのかわからなかった。そのため、不躾にも高緒に直接質問したことがある。
「どうしてわたしなんですか? 他にもっと実力のある魔法少女ならいるのに……」
そうすると、高緒は謎めいた笑みを浮かべて、意味深な言葉を告げた。
「アクアラインの魔女は、最初は未熟でなければいけないのです」
「えっ?」
さすがに真正面から未熟と言われると、あくあとしても不満だが、それより「未熟でなければならない」理由が気になった。
なぜ成熟した魔女では駄目なのか――それはアクアラインの魔女の存在理由に関わることに、あくあには思えた。
だが、そう問おうとしたあくあに構わず、高緒は威厳のある口調でこう言った。
「未熟さは可能性の証。可能性は魔女の力の源泉。そして未来を変えうる力。とりあえずは、それだけ覚えていればいいのです」
「あっ……はい……」
あくあは、目の前の少女が、見たとおりの存在ではなく、まぎれもなく多摩3賢者のひとりだと思い知らされた。それだけ、高緒の言葉と態度には強い存在感があった。
だが、高緒はこうも言っていた。
「あなたは自分で自分を縛っている一面があるのです。それが可能性を狭めています。たとえば、傷のある宝石のようなもの――そこから割れてしまわないかが気がかりです」
不吉な予言を残し、高緒は立ち去った。
あくあはその言葉が気がかりでならなかった。「アクアラインの魔女」として積極的に活動している今も、その言葉は心の隅に引っかかり続けている。
――例えば、こうやって居眠りの間の夢に見るくらいには。
「川崎っ!」
「!」
自身が寝ていると判断したあくあが目を覚ますのと、あくあの苦手な数学教師が怒声を発するのとは、ほぼ同時だった。
教師のガミガミ声を聞き流しながら、あくあは高緒の言葉を反芻していた。
「傷のある宝石」「いつか割れてしまう」「自分で自分を縛っている」――なんのことだか、最近はわかってきたと彼女は思う。
あくあの家は、代々吸血鬼に負けたことがないヴァンパイアハンターの家系で、千葉の吸血鬼達とはいわば仇敵にあたる関係だ。
その因縁が、彼女を縛り付け、傷つけていると、高緒は言いたかったのかもしれない。アクアラインの魔女の使命と合わせ、吸血鬼と闘うことにこだわりすぎて、いつか身を滅ぼすのではないかと。
あるいは、もしかしたらありうるかもしれない、吸血鬼と人間との何らかの形での和解という可能性を閉ざしているのかもしれないと、言いたかったのかもしれない。
しかし――彼らと和解することは無理だと、その時のあくあは思っていた。人間を餌としか思っていない吸血鬼と、共存することはできないと。
4
あくあが「事故」で破壊したアクアラインの復旧までの数日間、彼女には若干の余暇ができた。
その間、あくあは久々に休息を取りたかったのだが、ほたるの誘いで、夏の買い物へと出かける約束をしてしまった。
そして、約束の当日。
「ああもう、自分から言い出しておいて遅刻なんて、失礼しちゃうわ」
あくあは昼間のショッピングモール前で、苛立ちまぎれに髪をいじっていた。カンカン照りの日光が暑く、夏を感じさせる。
「暑いわね、まったく……」
そこにようやくバスが止まると、出口からほたるが降りてきた。
「ちょっと、ほたる、遅いよ!」
あくあの怒りを、ほたるは受け流す。
「遅刻常習犯のあくあさんらしくないですよ。それに、その時計5分進んでます」
「えっ」
慌てて時計をショッピングモールの時計と見合わせると、たしかに5分進んでいた。
「いつも遅刻ばかりだから時計を進めてるんですねー。その心がけ、感心しちゃいますけど、実際は無意味じゃないですか?」
「そ、そんなことないよ! 実際今日は遅刻してないし!」
「だったらいいんですけどねー。それより早く早く! せっかくの休みなんだから思いっきり楽しんじゃいましょう!」
ほたるはあくあの背を押すようにしてショッピングモールの中へと急いだ。
そして、ショッピングモールの洋服売り場で、あくあたちは夏物の衣装を探していた。
「ほらあくあさん、これなんかどうですかー」
ほたるが示したのは白いワンピースだった。あくあの好みのデザインで、伊達に長い間の付き合いではないと思わせられる。
「ありがと。これ着てみるね」
あくあは嬉しそうに試着室に入り、ワンピースを着てぐるりと一回転。あくあはこの衣装が気に入った。思わず笑みがこぼれる。
試着室から出てみると、ほたるが目を輝かしていた。
「あくあさん、それとても似合ってますよ! わたしの見立て通り!」
「そう言ってもらえると嬉しいけど、ほたるはどうするの?」
あくあの問いに、ほたるは困ったような顔をした。
「んー。わたしはちょっと悩んでるんですよねー」
「ならこんなのはどうかな?」
あくあがほたるに指したのは同じ白いワンピース、しかしフリルが一杯付いたいかにもファンシーな代物だった。
「いや、わたしはそーゆーの魔法少女コスで間に合ってますから……」
そう引き気味のほたるに、無理やり衣装を押し付ける。
「絶対似合ってるから! とにかく一度着てみて!」
普段は受け流すほたるだが、あくあの勢いに押されて、しぶしぶ試着室に入った。
そして――試着室から出てきたほたるは、フリル付きの白いワンピースを見事に着こなしていた。
「やっぱりわたしの見込み通りね」
「えー、そう言われると照れますねぇ」
恥ずかしげにもじもじするほたるは、それでもまんざらではないようだ。
「うん。それで決まりだよ」
「勝手に決めないでくださいよー」
ほたるはそう言いながらも、声は嬉しそうに弾んでいる。
「これでお揃いの衣装ですねー。今度一緒に、これ着て遊びに行きましょう!」
「うん、そうしましょう」
あくあの応えにほたるはうなずき。
「あとは水着ですよー」
そう言いながら、あくあを引っ張って水着売り場へと連れて行く。
そこでほたるは、いろいろと派手な水着をあくあに勧める。
「さすがにそれはちょっと……」
一転引き気味のあくあに対し、ほたるは押しの一手だ。
「さっきのお返しです。それに似合ってると思いますよー」
「でもこれ、ほとんど紐だよ……」
ほたるのお勧め水着をしげしげと見て、あくあは呟く。だがほたるはノリノリだ。
「だからいいんですよ! この夏、セクシーでエロスなあくあさんを演出します!」
「勝手に演出しないで! とにかくわたしはブラジル水着とか着ないから!」
「ええー、残念……」
少ししょぼんとした表情を見せるほたるをフォローするように、あくあは別のお勧め水着を取った。
「でも、こっちのビキニならいいかも」
ほたるの顔が明るくなる。
「それいいでしょうー。さっきのよりはおとなしいけど、十分いけてますよ!」
「じゃあ、これにしようかな」
「そうしましょうそうしましょう!」
ほたるは何度もうなずき、満足気な表情を浮かべた。
5
しばしの後。
買い物を終えたふたりは、近場の公園でブランコに座りながら話していた。
「今日は楽しかったね。ありがと、ほたる」
「楽しんでもらえて、わたしも嬉しいですー」
公園では遊具を使って遊んでいる子供たちの姿が見える。その姿は、あくあには微笑ましい。
だが一方で、その子たちも自分が守るべき対象なのだと、見えてしまう。つい、表情が硬くなった。
あくあの表情を見て、ほたるは言った。
「全部ひとりで背負い込む必要はないんですよー。わたしも力になりますから」
ほたるのそんな言葉を聞いたのは久しぶりだった。魔法少女として共に戦い始めた最初の時以来かも知れない。
魔法少女時代は、ふたりで力を合わせながら闘っていた。だからあえて言葉で確認する必要はなかった。
そしてあくあがアクアラインの魔女となってからは、朝の慌ただしい会話以外に交わす言葉はなかった。
あくあは疑問に思う。
「普段のほたるなら、『お努めご苦労さんですー』とかで済ませそうなのに、いったい今日はどうしたの?」
するとほたるは、真剣な顔で思いをぶつけてきた。
「ずっと前から言いたいと思ってました。だけど言い出す勇気がなくて。でも、今日あくあさんと一緒に遊んだ時、気づいたんです。私はあくあさんと一緒にいたいんだって」
「いつも朝起こしてくれるじゃない」
そう応えるあくあに、ほたるは首を振る。「そいうい意味じゃないです」
ほたるはあくあに迫り、切なげな表情を見せる。
「わたしは、あくあさんと一緒に闘いたいんです。今のあくあさんは、ひとりぼっちで闘ってるじゃないですか。それはとても寂しいことだって、わたしは思うんです」
「別にひとりで背負い込んでるわけじゃないよ。フウもいるし」
「ですよねーって、猫じゃないですか! わたしは真面目な話をしてるんですよ!」
思わずノリツッコミで返してしまうほたる。対するあくあは努めて明るく言った。
「まあ、ひとりぼっちなのは仕方ないよ。『アクアラインの魔女』はそういうものだし、それでなんとか務まってるから」
あくあがひとりで闘うのには理由がある。
アクアラインの魔女は、アクアラインにそびえ立つ「風の塔」の霊脈から力を得て、はじめて魔女としての強力な権能を振るえる。
そして、その権利者は、選ばれたただひとりと決まっているのだ。
だが、それでもほたるは言う。
「わたしにも、手助けさせて下さい。まだ魔女にもなれない魔法少女ですけど、お手伝いくらいならできます」
そんなことを言われると、あくあとしても嬉しくなってしまう。――だから、彼女は、ついこう言ってしまった。
「じゃあ、わたしがピンチの時は救けてもらおうかな」
するとほたるは目を輝かせ。
「約束します! 必ず救けに行きます!」
そう、力強い口調であくあに宣言した。