荻上チキの αシノドス
“α-Synodos” vol.286(2021/4/15)
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“α-Synodos”
vol.286(2021/4/15)
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〇はじめに
いつもαシノドスをお読みいただきありがとうございます。編集長の芹沢一也です。最新号のvol.286をお届けします。
最初の記事は、伊藤隆太さんの「科学と理性に基づいたリベラリズムにむけて――進化的リベラリズム試論(1)」です。昨今、「科学的に正しくあろうとすること」と「政治的に正しいことをしようとすること」とのあいだに鋭い緊張が生ずる場面がしばしば観察されます。そして、理性的な対論によってこの緊張を解消するよりも、政治的な正しさを優先させるために、対立する言論を排除しようとする傾向が強まっています。昨年アメリカで起こった「ピンカー除名騒動」もまさにこうしたケースのひとつでした。連載一回目の本記事では、この事件を振り返るとともに、そこでいったい何が問題になっていたのかを解説します。
つづいて、井上弘貴さんの「逆襲のトランプ?――水面下で打たれるさまざまな布石」。米議会襲撃事件をひとつのピークに、トランプに関する報道は日本ではほとんどみられなくなっています。日本にいるとすでに過去の人のような気がしますが、実際のところはどうなのでしょうか? 本記事をお読みいただければ、トランプが決して過去の人でないことがよくわかるでしょう。共和党の政治家と保守思想家の間では、現在、熾烈なヘゲモニー争いが行われており、そこでトランプの影響力はいまだ確固たるものがあるのです。
次の記事は、崔紗華さんの「朝鮮籍があることの意味-―国籍取得の議論を超えて」です。みなさんは「朝鮮籍」という言葉を聞いたことがありますか? あるいは、それをどのように理解していますか? 少なくない方が「北朝鮮国籍」だと思っているのではないでしょうか。「朝鮮籍」とは事実上の無国籍状態を意味するカテゴリーです。この記事では、このようなカテゴリーが生まれた歴史的・政治的経緯を解説しつつ、決して普遍化することのできない国家に帰属するという現象、あるいは国民国家をとらえ返すように迫ります。
ついで、池田隼人さんの「哲学の誕生 万物の根源とは何か?――高校倫理から学びなおす哲学的素養(3)」。哲学の歴史の学びなおし、いよいよ本格的に議論がスタートします。最初はもちろんギリシア哲学から。奴隷制が発達していたアテネにおいて、市民が「余暇」(閑暇ἀρχή(スコレー)。ちなみに、ラテン語で学校を意味するschola(スコラ)のもとになり、ここらかschool(学校)という言葉が生まれます)を手にしますが、この余暇が哲学の誕生を促すのです。そして彼らが問うたのが、「存在するものの根源とは何か?」という問いでした。本記事を読まれた後、ぜひ何か一冊、ギリシア哲学の著作を手に取ってみてください。
次の記事は、松村智史さんの「「学習支援によるケア」が、子ども・親・学生にもたらすもの――子どもの貧困対策の現場の調査から」。「子どもと貧困」というイシューは、その存在を指摘する啓蒙的な時期はすでにすぎ、いかに解決するかという実践的な時期に入っています。そこではさまざまな実践が営まれていますが、代表的なもののひとつが「学習支援」です。そして、この実践はたんに貧困世帯の子どもに学習機会を与えるだけでなく、人としてもっと重要なもの、つまり「自己肯定感」を与えるものであることが、松村さんの調査によって明らかにされています。
最後は、河本のぞみ「モノ言う当事者、口閉ざす当事者――重度障害者が築いた暮らしは、なぜか要介護者には届かない」です。人はみな、生まれるときと死にゆくとき、介護される存在となる、つまり人はみな障害者である、と言われます。しかし、もともと健常者であった要介護者と障害者とはやはり違う。しかしこの国には、重度障害者が命懸けで切り開いてきた「方法」があるのであって、そこには健常者が、つまりやがて要介護という障害者になる健常者が学ばねばならない経験があるはずです。この記事はぜひ時間をかけてゆっくりと読んでみてください。
次号は5月15日にお届けします。お楽しみに!
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