――という夢を見た。
 なんてこった。自分がこんなに影響の受けやすい人間だったとは知らなかったね。あんな話を聞かされた直後だからって、ここまで露骨な夢を見るとはさ。どうせなら、次はぜひ美女だらけの楽園で過ごすみたいな内容のDVDを見せてもらいたいもんだ。それだったら心から影響を受けてやるよ。
 そんな訳で、僕はせっかく夏休み前日だというのにひどく憂鬱な気分で大学に向かう羽目になってしまった。とにかく、これからは自分をもっと強く持とう。そして、間違っても宗教の勧誘なんかには聞く耳を持たないでおこう。
 もっとも、そういった殊勝かつ切実な想いは、くだらない授業を受けている過程で、これからの長い休暇を男一人でどう過ごすべきかという卑近な悩みに取って代わられたんだけどな。
 だから、大学から帰ってきて、いつものようにテレビを見ながらコンビニ弁当を貪り、就寝する為に照明を消そうとしてふと窓の外に視線を移したところで、そこに若い女性が浮いているだなんて僕は思いもしなかった。だって、あれは夢だったのだから。
 ……ところが、いた。
 深夜というにはだいぶ早い時間だというのに、彼女は窓の外で、髪の間から恨めしそうな表情を覗かせながら浮かんでいたのだった。
「うわっ! うわっ!」
 近藤勇ばりに口を大きく開けながら後ずさりしたさ、当然な。
 すると、ヤツはケラケラと笑いながら壁をすり抜けて部屋に入ってきやがった。おいおい、初期のファミコンじゃないんだからさ、もうちょっと当たり判定をキッチリしようぜ。
「あんたって、驚かせがいがあるわねぇ」
 彼女は実に晴れやかな笑顔を浮かべながらこう言った。「もう二回目なのに、この大袈裟なリアクション! あたしがもしテレビ局のプロデューサーなら、あんたは年末の仕事に困らないわよ!」
「あ……あれは夢だと思ってたのに……」
 膝を震わせながら僕が嘆くと、
「夢? ……まぁ、こんな美少女が突然部屋に現れるだなんて、夢だと勘違いしても仕方ないでしょうね」
 おまえこそ、そんなに大声で的外れの意見が言えるなら、深夜にやってる討論番組のプロデューサーからすぐにお声が掛かるだろうよ。
「おまえ、ここに何しに来たんだよ!?」
 至極当然の質問だった。だが、彼女の方も至極当然といった口調で、
「昨日も言ったでしょ! 今日からここをあたし達の会合場所にするのよ!」
 そう言い切った。
 なるほど、目の前で高説ぶっているのは、確かに昨夜も我が家に突然現れてひたすら訳のわからないことを言っていた、例の鈴音という少女だった。服装も昨日とまったく同じである。さらに言えば、胸部の血痕までも。
「あたし達って……おまえの他に誰がいるんだよ?」
 自称幽霊だという相手に論理的な質問を投げかけるのも馬鹿馬鹿しいが、とりあえず僕は周囲を見回しながら尋ねてみた。鈴音の他に、その会合とやらに集まっている幽霊が存在する様子はない。言うまでもなく、生きている人間も見当たらない。
「もうとっくにメンバーは集まってるじゃないの!」
 じれったそうに彼女は僕の背後を指差した。「紹介するわ。この人は滝川(たきがわ)さん。元新聞記者だって。なかなかカッコいい経歴でしょ!」
「この人って……うわっ!」
 後ろを振り返ってみて、僕は再び悲鳴をあげた。ついでに、少し飛び上がってしまった。まぁ、知らない間に知らないおじさんが自分の部屋で座っていたんだから、そこまで場違いな反応ではなかったと思うけどさ。
「おいっす! 悪ぃな、勝手におじゃましてさ」
 ノーネクタイのスーツ姿で、ニコニコしながら軽く手をあげたその男性――どうやら滝川さんと言うらしいのだが、彼はまるで久しぶりに会った親戚のおじさんみたいな親しみやすさを全身から漂わせていた。
 いや、そうでもなければ、これくらいの悲鳴だけでは済まなかっただろうね。
 なにしろ、彼の顔面は血まみれだったのだ。
「……ああ、この顔か?」
 僕の視線に気がついたのか、滝川さんは両手で無精髭の残る自分の顔を摩った。「車に跳ねられて死んじまったんだからな、仕方ねぇだろ。俺だって、もっと綺麗な顔で死にたかったぜ」
 唖然としている僕を尻目に、
「滝川さんは、いくつで死んだんだっけ?」
 鈴音があっけらかんとした声で質問する。
「……えっ?」
 何故かちょっと戸惑ったような表情になった後、滝川さんはニヤリと笑った。「ああ、四十八歳だ。働き盛りだって言うのにもったいねぇよな」
 普通、そういうことって葬式で親族が口にする言葉だろ。自分で言ってどうするんだよ。
「そして、横にいるのが雅美(まさみ)さん。どう? 美人でしょ?」
 気がつけば、滝川さんの隣にもう一人、女性が座っていた。ええっと、『一人』で数え方はあってるよな?
「あら、鈴音ちゃん、今日は物凄く元気なのねぇ」
 その女性は意味深な笑みを鈴音に放ってから、僕の方を向いた。「はじめまして。突然おじゃましてごめんなさいね」
 色っぽい声だった。それもそのはずで、雅美さんは妙齢の美女であった。やけに派手な服装なのが気になるが、こちらは顔に目立った損傷もないようなので、彫りの深い目鼻立ちがはっきりと判別できる。たぶん、年齢は三十歳前後だろうが、その辺についてはあまり詳しく訊かない方が良さそうだね。たとえ生きてようが死んでようが、さ。
「最後に、あそこにいるのが後藤(ごとう)さん。後藤……なんだっけ?」
「……信也(しんや)や」
 鈴音の指が示す方向を見て、そこに面識のない若い男がいたところで、僕はもうほとんど驚かなかった。きっとこの現象に慣れつつあったんだろうよ、悲しいことにな。 
 その男は、どういう訳かみんなとは少し離れた場所に、一人で立っていた。鈴音も含めた他の面々が、早くも自分の家のように僕の部屋でくつろぎ始めているというのに、だ。年の頃は二十代半ばくらいだろうか。細身の長身、黒いTシャツに黒いジーパン、整ってはいるものの影を感じる表情と、ようやく『いかにも幽霊』といった印象の人物であった。
 目線が合うと、後藤さんは伏し目がちに甲高い声で、
「うぃっす」
 とだけ挨拶してきた。
「で、ここで馬鹿みたいに口を開けているのが、この部屋の住人、ザクロコブラ俊介よ」
 崎ヶ原俊介だ。そんな悪役プロレスラーみたいな名前じゃねぇよ。「苗字は呼びにくいから、俊介でいいわ。みんな、俊介と仲良くしてあげてね!」
 引っ込み思案な転校生を紹介する女教師のように全員を見渡す鈴音だったが、
「……いやぁ、待て待て、待ってくれよ!」
 ここでやっと少し現実に戻る僕だった。何なんだよ、この異様な展開と光景は!? 「じゃあ、何か、こいつらは……この方達は、みんな幽霊だって言うのか?」
 一応、年長者が多そうなので呼び方を改めておいた。
「そういう旨の発言を行った覚えはないけど、まぁ、その通りだわ」
 涼しげな表情で答える鈴音。
「幽霊なんて本当にいるのかよ!?」
「あんたも変なこと言うわねぇ」
 鈴音は呆れ顔で僕を見つめてきた。どう考えても、この場面で呆れるのは僕の役回りだろうに。「あたし達を前にしてそういうことをほざくなんて、水族館の中で『本当に魚なんているのかよ!?』と言うようなもんよ」
 いやいや、断言してやってもいいが、魚はいるぜ。百科事典に載ってるし、今日の晩飯は紅鮭弁当だったし、そもそも学校でちゃんと習ったからな。
 でもさ、幽霊の存在なんて習った覚えがないぞ。
「まぁまぁ。彼が信じられないのも無理はないわよ」
 苦笑するような顔で鈴音に声を掛ける雅美さん。「わたしだって、死ぬまでは幽霊の存在なんて信じてなかったもの」
「俺もだぜ。生前は先祖の墓参りもロクに行ってなかったからなぁ。あ、だから罰が当たったのかもな、ははは」
 血まみれの顔で言われてもまったく笑えません。
「やっぱりここは、後藤君から説明してあげるのが一番いいんじゃない?」
 雅美さんが、あいかわらず部屋の端でつまらなさそうに立っている黒ずくめの男の方を向いた。「ね、あなたの出番よ」
「え? オレ?」
 途端に彼が困惑気味の表情を浮かべる。「……嫌やわ。つい最近も鈴ちゃんに同じ説明をしたばかりやのにさ。だいたい、オレは人に説明することが大の苦手やねん」
「何言ってるのよ、説明が趣味な癖して!」
「ついでに言えば、こいつは小難しい理屈をこねるのも好きな男だからな。典型的なオタクだよ」
「散々な言われようやなぁ……」
 そうは言いつつも、後藤さんはしぶしぶといった様子で僕に視線を向けた。「ええと、俊介君、やったっけ?」
「あ、はい」
「……君は、人間と他の動物との相違点がわかるかい?」
 これはまた、いきなり凄い命題を突きつけられたな。人間と他の動物との違い、だって? 今まで深く考えたこともないよ。
「そういえば、人間は笑うけど、動物は笑わないんですよね」
 それでもなんとか答えを紡ぎだした僕だったが、
「ああ、そう来たか。そういった、正解は正解だけど自分が求めていたのとは違う解答って、ある意味一番困るんよなぁ」
 そんなことを言われてもねぇ。だったら前もって台本くらい渡しておいてくれよ。「確かにその通り。他にも色々な違いがあるなぁ。人間は文字を操れるけど動物は操れないし、人間はアニメを観るけど動物は見ない。もちろん、動物はオレみたいに『声優のキャラソンって、演じている時と歌声が全然違うやないか!』なんて憤りを感じたりもしないやろうね。まぁ、これはあんまり関係ない話やけど」
 “キャラソン”ってのは、たぶんキャラクターソングのことなんだろう。本気でこの人はオタクみたいだな。
「だけど、もっと根源的かつ決定的な違いが、両者の間には存在している」
 何やら急に難しいフレーズが出てきたぞ。「それはすなわち、他の動物と違って人間は、自分の生命活動が永続的でないという運命をはっきりと認識している――つまり、『死』なるモノの概念を理解しているという点や」
「……本当にあなたって、もってまわった言い方が好きなのね」
 皮肉交じりに呟く雅美さんを無視して、後藤さんの説明は続いた。
「昔のえらい武将は『人生五十年』って言ったけど、科学や医学が発展した現代となっては『人生八十年』くらいが妥当な表現なんやろうね。……それでも短すぎるよな。この年月は、たった一つのことを極めるにしても足らないくらいの時間や」
 そうか? 現在十九歳の身にとっては、まだ六十年近く人生が残されているという計算になるから、途方もなく長い時間に感じられるのだが。もっとも、それは僕がまだ何かを極めようとしていないからなのかもしれない。
「一億年以上地球を支配していた恐竜ですら遠く及ばないほど高度な知能を手に入れた人類は、それと同時に己の『死』という存在を知り、そして絶望した」
 なんだか台詞がSF小説のプロローグみたいになってきたな。僕が聞きたいのは恐竜の話じゃなくて、幽霊の話なんだけどさ。「要するに、いくら努力しようが一個体としては百年も存続できないという現実を知ってしまったってことやな」
「はぁ……」
 一方的にベラベラと喋る後藤さんを前にして、僕はますます現実感を失いつつあった。部屋に突然見知らぬ人達が現れただけでパニック状態なのに、なおかつその中の一人が電波系みたいな話を始めるだなんて展開、受け入れるには僕の脳のキャパシティが小さすぎるってもんだぜ。
「ところが、やがて画期的な出来事が起こった。様々な試行錯誤の結果、一部の人間は肉体が滅んだ後も存在を維持し続ける方法を編み出したんや。あ、この『試行錯誤』については、説明すると物凄く長い時間になってしまうし、そうするとオレの好きな今夜の深夜アニメが観れなくなる恐れがあるから、ここでは割愛させてもらうわ」
 おいおい、この人は典型的どころか末期のオタクみたいだな。よくわからないけど、それってめちゃくちゃ重要な部分じゃないのか?
「その現象が起こったのは、今から約一万二千年前のことと言われている。ここでは便宜上、肉体が滅んだ後の状態を『精神体』と呼ばせてもらうわ。まぁ、『魂』とかいう言い方もあるけどさ。とにかく、それから徐々に遺伝子レベルの伝達によって、無意識ながら死後も存在し続ける『精神体』が増えていった。これは、異例なほど高度な進化を遂げた人類やからこそ、為しえたことなんやろうね。……ここまでは理解できるかな?」
 はっきり言おう。全然理解できん。
「けれど、まだその時点では精神体にあんまり自覚みたいなものがなかった。要するに、自分がどういう状況なのかすらわからないまま、漂っているだけの存在やった。なおかつ受け皿っていうか、精神体が行くべき場所なんてもんも存在してなかったから、しばらくは混沌とした状態が続いたって訳や。いわゆるカオスってやつやな」
 今の僕の頭の中がカオスです。
「そこに、再び革命的な出来事が起きた。正確に言うと、革命的な人物が現れたんや。彼は、それまでまったく秩序が取れていなかった精神体世界に、確固たる体制を提示した。いや、創りあげたって言った方がわかり易いかな。早い話が、彼の出現によって現在のようなシステムが完成したんや」
「システム? ……どんなシステムなんですか、それは?」
 僕が訊くと、
「色々な呼び方があるけど……まぁ、我々は日本人やから、こう呼ぼうか。つまり、『天国』や『地獄』が創られたんや」
 得意げな顔で後藤さんが答えた。
 天国と地獄、ねぇ。我々一般人には、運動会の時くらいしか馴染みのない代物だな。
「さらに、彼によって全ての精神体は自覚を持たされた。長い間、せっかく存在を維持していたのに、ただ存在しているということだけが存在理由になってしまっていた精神体が、初めて当初の目的を達成したって訳や。それが、今から約二千年前のことやねん。ちなみに我々は、彼のことを『神』と呼んでいる。冗談半分でやけどね」
 やれやれ、とうとう神様の話まで及んだよ。一体、いつになったら本題――幽霊の話になるんですかね?
「今では遺伝子レベルによる伝達が行き届いて、ほぼ全ての人間が死んだ後も精神体として残れるようになった。そんな中、神は有能な精神体を集め、世界規模の組織を立ち上げた。彼らによって、精神体は天国か地獄に振り分けられるようになったんや。なおかつ、驚くべき方法を編み出した者も現れた。それは、再び新たな肉体を持つという方法やった。これもどんどんと浸透していって、今では誰でも出来るようになったねん。もっとも、残念ながらその場合はほとんど記憶が失われてしまうんやけど……これが、俗に言う『輪廻転生』ってヤツや」
 お、ようやく話が幽霊っぽくなってきたぞ。
「ほら、よく『輪廻転生はありえない。何故ならば、世界の人口は昔からどんどんと増加する一方なんだから、とっくに魂の数が足りなくなっているはずじゃないか』なんて物知り顔で言う人もいるけど、そりゃあそうやって話やで。基本的に人類といえども動物の一種なんやから、輪廻転生なんかしなくても勝手に生まれてはくるんや。精神体になるのはその後の話であって、別に数が合わなくても不思議ではないねん。だから、世の中には大半の新しい生命と、少しの輪廻転生された生命があるっていうのが、正確な表現になるわ」
「なるほど、ねぇ……」
 そう軽く頷いた僕だって、実のところはちっとも理解していないのでご安心を。ただ、たまに相槌を打たないと息がつまりそうだったっていうだけなんで。
「天国や地獄に振り分けられる際の査定基準ってのがあって、これがめっちゃ面白い上に考え込まされるようなものやから、今度時間があったら詳しく説明してあげたいくらいなんやけどさ。まぁ心配しなくても普通に生活していればまず天国に行く権利は得られるわ」
 ず~っと意味不明な解説を聞かされている僕は、すでに軽く地獄状態に思えるんですけど。
「基本的に、地獄に行くような人間は死んですぐ、問答無用で組織の人間が連行することになってるねん。とはいえ、中には例外もあるけどさ。……で、問題はそうじゃない人間の場合や」
 この部分だけで、もうややこしい。問題が特になくて天国に行けるような人間の場合が問題って訳か。ああ、ややこしい。
「そういう人間は、死んだ後、すなわち精神体になった直後、二つの選択に迫られる。そのまま天国に行くか、それとも転生するか、や。……ただ、実際にはもう一つ選択肢があってさ」
「もう一つの、選択肢?」
「そう。それは、精神体のまま現世に残るという選択肢や。……長々と説明してきたけど、つまりそれが『幽霊』って訳やねん」
 はぁ、やっと『幽霊』って単語が出てきたよ。ここまで来るのにずいぶん回り道をしたような気がするな。まるで悪徳タクシーに乗せられたような気分だね。
「月並みな言い方になっちゃうけど、現世でしか出来ないようなことをやり残した人間や、あるいはなんらかの未練を残した人間が、『幽霊』という選択肢を選ぶケースが多いな」
「俺達もそうだって訳さ」
 久しぶりに滝川さんが口を開いた。「……それにしても、あいかわらずごっちゃんの説明は長ったらしいよなぁ」
「おうおう、けしかけといてひどい言い方やな。これでもだいぶはしょったつもりやで」
 後藤さんが肩をすくめる。「おかげで、よくわからん説明になってしまったわ」
「それは、あなたの力量不足のせいだと思うけど」
 冷ややかな雅美さんの声にかぶさるように、
「でも、後藤さんってやっぱり頭が良いっぽいわね!」
 鈴音が楽しそうな顔でそう述べる。
「ぽいが余計や、ぽいが!」
 すかさず突っ込む後藤さん。
 ……なんだかんだ言って、彼らは結構仲が良いらしい。
「どう、俊介。これで幽霊が実際に存在するってことがわかったでしょ!?」
 ふいをつくように、鈴音が今度は僕に居丈高な声で問い掛けてきた。おまえが偉そうにしてどうするんだ。まったく説明に加わっていなかっただろうが。
「え? ……ああ、まぁ、なんとなくはな」
 そうだな、バッティングセンターで最後の一球だけかろうじてチップできた時につかんだ打撃のコツくらい、なんとなくはわかったさ。
 要はこういうことだろ。一万二千年くらい前に、人類は死んだ後も存在を残す方法を編み出した。どうやって編み出したかについては、惜しいことに日本のアニメ業界が優秀すぎるから聞き逃してしまったけど、とにかくそれによっていわゆる死後の世界ってヤツが出来た。さらに二千年前、神様みたいな人が現れて、あの世のシステムを完成させた。天国や地獄はその時に創られたらしい。で、天国にも地獄にも行かずにこの世をブラブラしている、死後の世界におけるフリーターみたいな奴らが、幽霊って訳なんだな。
 ……神様が人類よりも後に現れただなんて話は、タマゴでもニワトリでもなくフライドチキンが先なんだって説明くらい突飛に思えるけどさ。まぁひとまず、幽霊の存在は認めてやってもいい。だって現にこうやって目の前にいるんだからな。この世のモノじゃないって言うわりには、やけにはっきりと目視できる点が若干気になるけどね。それでも少しだけ地面から離れている各々の様子を目にしたら、嫌でも彼らが常識外の存在だってことは認識できる。未知の宇宙人って言われるよりは、まだ地球人の幽霊の方が安心できるってもんだし。
 だがな、あいにく今の僕はもっと根本的かつ即時的なことを訊きたいんだ。それはすなわち、
「だけどさ、どうしてみんな俺の家に集まるんだよ!?」
 ようやくこの抗議を口にすることができた。
 そうそう、思えば最初からこれが言いたかったんだ。ここに集まっているメンバーが、どれだけこの世にやり残したことがあるのかは知らない。生きていても特にやりたいことがない僕からすれば、死んでからも何かをやろうとする精神は、なかなか大したもんだとも思うよ。
 けどさ、勝手に我が家を溜り場にされるとなると話が別ってもんだぜ。
「この場所にやり残したことでもあるのか!?」
 重ねて僕が強い口調でそう尋ねると、
「そうじゃないけど……」
 バツの悪そうな顔で鈴音が答えた。一応、自分達があまり礼儀正しくない行動を取っているという自覚はあるらしい。それなら余計にタチが悪いとも言えるが。「とりあえず、ここは凄くレイコウが良い場所なのよ」
 またそのフレーズか。
「なんだよ、その『レイコウ』ってのは。アイスコーヒーのことか?」
「あのねぇ、そんな言葉今時誰も使わないし、そもそもあれって関西限定の表現じゃなかったっけ? いかにも関西人が使いそうな下品な略語だわ!」
「下品で悪かったな」
 拗ねたように顔をしかめる後藤さん。
「そうじゃなくって、幽霊の霊に気候の候で、『霊候』よ。そうね、幽霊にとっての気候、みたいなものかしら」
 そのまんまの説明だな。昔、母親に『リモコンってどういう仕組みなの?』と質問して、『ああ、遠いところからでもテレビを操作できるのよ』と答えられたことを思い出したよ。
「霊にとってそこがどれほど過ごしやすい空間なのかを表す、バロメータみたいなもんやな」
 僕の顔を見て心情を察したのか、後藤さんが説明を付け加えた。「どうしてこんな現象が起きるのかはまだはっきりと解明されてないんやけどな。なんにしても、霊にとって居心地の良い土地と悪い土地っていうのが存在するのは確かなんや」
「何か、過去の因縁でもあるのかねぇ。まったく、幽霊ってよくわからねぇな」
 滝川さんが他人事のように小声でボソッと呟いた。あなたがわからないのなら、生きている僕がわかる訳もありません。
「ほら、よく心霊スポットみたいのってあるじゃない。あれって、ほとんどが霊候の良い場所らしいわよ」
 ごめんなさい、雅美さん。僕は心霊スポットの存在自体よく知らないんです。なんせ、つい昨日まで幽霊の存在などまったく信じていなかったんだからさ。
「俊介かって、砂漠で会合を開くよりは、冷房の効いた喫茶店で集まった方がいいやろ?」
 それはそうだ。高校の同窓会がサハラ砂漠で開催になった暁には、たとえ男子が僕一人しか参加しないと知っていても丁重にお断りするだろうよ。せめて鳥取砂丘にしてくれ。
「こんなに霊候が良い場所は初めて来たわ。なんて心地がいいのかしら!」
 鈴音が、クラシック音楽を嗜むように穏やかな表情で目を瞑った。悔しいけど、なかなかサマになっているね。意外に、生前は上品な家庭で育ったのかもしれないな。
 ……いやいや、そんなことに感動している場合じゃないぞ。それよりもなんたることだろう。家主が変な名前を付けたせいなのかどうかは知らないけど、たまたま僕が引っ越してきたアパートは、日本でも有数の心霊スポットだったらしい。そりゃあ、家賃も安くなるってもんだ。
「じゃあ、他の部屋に行けよ。ここはもう俺が住んでるんだよ!」
 儚い抵抗を試みる健気な僕であったが。
「だから、この部屋が一番霊候の良い場所なのよ! 試しに今日行ったところ、他の部屋もなかなかだったけどね」
 さっきとは一転して、獲物をまったく手に入れて来なかったオスライオンを叱責するメスライオンみたいな顔で僕を睨み付ける鈴音。「だいたいさ、あんたみたいにあたし達がはっきり見える人間ならまだしも、たまにしか幽霊の存在を感じることが出来ない人の部屋なんかで集まったりしてごらんなさい。……その人はたちまちノイローゼになってしまうでしょ。それは可哀想じゃない!」
 僕だって充分可哀想だと思うけどな。
「とにかく、あたしは決めたのよ。ここをこれから会合場所にするって!」
 さて、このような理不尽な決定に対しては、果たして直接言葉で抗議すべきなのか、それとも文書にまとめてからにすべきなのかということを思案していると、雅美さんが僕の耳元でこう囁いてきた。
「ごめんなさいね、鈴音ちゃんも悪い子じゃないのよ。ただ、今はテンションがとても上がってるだけなの。それに、集まるのは夜だけみたいだから、哀れな幽霊のお願いだと思って、少し我慢してくれないかしら?」
 ウインクしながら上目遣いで頼み込んでくる雅美さんに、僕は少し見とれてしまった。大人の色香ってのには、とんと縁がないからな。まぁ、同年代にも色目なんて使われた記憶がないけど。
 ……しかし、やがて僕の視線は雅美さんの魅力的な顔から別の箇所に移った。一見、目立った傷がないと思われた彼女に、初めて見受けられた傷。
 ――雅美さんの手首には、大きな切り傷があったのだった。
「まぁ、あんたが拒否したところで、勝手に集まるだけの話だけどね! でも一応、許可は取っといた方が穏やかに済むってもんでしょ」
 ショックで無言になっている僕に対して、追い討ちを掛けるような鈴音の発言。こいつは完全に交渉の方法を間違えているね。『交渉人鈴音』って映画があったら、二分でエンドマークだな。
「残念ながら、鈴ちゃんの方に分があったみたいだな」
 ニヤニヤしながら滝川さんが言った。「少年よ、覚えておくがいいさ。男ってのは一生女に頭が上がらない生き物なんだ」
 少年って言われても僕はもう十九歳だし、そもそも “生き物”ではない人に言われたくはないんだけど。
「ね! どうなのよ! 男ならはっきりしなさい!」
 目の前で夏の新季語になりそうなくらい眩い笑顔を放っている鈴音の自信が、どこから湧き出てきているのかはわからなかった。この女なら、地球上どこを掘っても温泉を見つけ出しそうだな。
 じっと見つめてくる大きな瞳から目線を外しながら、僕が大きく溜息をつく。そろそろ睨めっこは終わりにしよう。
「……わかったよ。この部屋を会合場所に使ってもいい」
 元々、勝つ見込みのない戦いではあった。『幽霊が僕の部屋を占拠していて困っているんです』なんて市役所に相談したところで、幽霊とまではいかなくても病院に幽閉されてしまうのは目に見えている。そもそも悲しいことに、僕には部屋を訪れてくれる愛しい女性はおろか、友人すらほとんど存在しないからな。さして不都合はあるまい。ちょっと外見が物騒で存在が不気味なルームメイトが沢山できたと思えばいい。まぁ、何かの暇つぶしにはなるだろうよ。
 ……ああそうさ、僕は根っからのお人よしかつ楽観主義者なんだ。
「ただし、最後に一つだけ質問させてくれ」
「何よ? 俊介って質問が多いわねぇ」
 このような状況に立たされて、何の事情も聞かずに全て受け入れるような人間だったら、僕はとっくにノーベル平和賞を頂いてるだろうね。まぁ、あれって選考基準そのものが怪しいけどな。
「さっきから鈴音はずっと『会合場所』って言ってるけどさ。一体、何の会合なんだよ?」
 施設提供者として、当然の質問だった。
 どうせ、おおかた『心霊写真にみんなで写ろう』とかいうくだらないテーマを話し合うつもりなんだろ。おっと、誰かを呪い殺す為の会合だなんて言い出さないでくれよ。今からでも、もう一度必死に抵抗を繰り広げてみせるぜ。
 ――ところが、返ってきたのは意外な言葉であった。
「決まってるじゃない!」
 まさしく太古の昔から決定づけられていたかのように断定調な声で、鈴音は言い放った。「あたしを殺した犯人を見つける為の、会合よ!」