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【非会員でも閲覧可】為五郎オリジナル小説②『ピース』第7話
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【非会員でも閲覧可】為五郎オリジナル小説②『ピース』第7話

2018-10-15 11:48
     ……俺は一人、『レインボースターロード』に立っていた。
     ここに来るのは、ずいぶん久しぶりのことであった。いや、実際の時間軸からみて、“久しぶり”という表現が適切なのかどうかはわからない。だけど、少なくとも俺の感覚からすると、この道を前回訪れたのは遠い過去であった。
     現在時刻は、夜の八時四十五分。天候は、むかついてしまうくらい快晴。当然、額から流れる汗が目に入ってしまうほど暑い。
     ちなみに、ここは車や人々の往来が極端に少ない道でもあった。もちろん、軽自動車同士でも対向できないほどの幅の狭さや、ほとんど舗装されていない路面状態にその原因を見出すこともできるだろう。しかし実際のところは、単純にここを利用する必要がある人間自体が極端に少ないだけだと思われる。
     なんせ、周りを見渡したところで、広い田んぼと育ちまくった木々しか確認できないような土地なのだ。泉集駅から徒歩で十五分程度、何も知らないでやって来た他所者がいたならば、唐突に変化する、もとい人類の進化に逆行するかのごとくその風景に、戸惑うどころか恐怖を感じてしまうかもしれない。
     さらに夜になれば、その傾向がもっと顕著になる。この道では、駅前の賑やかな雰囲気はおろか、コンビニや信号機といった現代人にとっては日常的な光源の恩恵すら、一切享受できないのだから。田んぼや木々が自ら光を放つような時代にでもならない限り、恐らくこの状況は永遠に改善されないだろう。
     いずれにしても、『寂れた田舎道路』としか形容できないこの道を、『レインボースターロード』と名付けるだなんて、命名者はよっぽど悪趣味な人間だったに違いない。
     ……事実、月川早苗は、悪趣味な人間だった。
     俺はよくこの道を利用していた。その理由は二つある。
     まず、『埴輪公園』へ行く為には、どうしてもこの道を通る必要があったのだ。だから小学生時代、あるいは中学生時代の俺は、毎日のように夕方になると一人でこの道を歩いていた。まるでそれが義務のように。
     なおかつ、月川早苗の実家へ行く為にも、やっぱりこの道を利用する必要があったのである。
     俺がその事実を知ったのは、高校一年生の時だった。それも、向こうから自発的に教えてくれた訳ではない。たまたま埴輪公園に行く時間が遅くなった際に、古墳の森の中から猪のごとく突進してくる早苗の姿を発見してしまったのだ。
     公園での雑談が済んだ後、俺達はいつも泉集駅まで一緒に帰り、そこで解散していた。なので、俺はてっきり早苗の実家が泉集駅近くにあるものだとばかり思っていた。しかし、それは誤った認識だった。彼女は、古墳の森に住む数少ない住人の一人だったのである。そりゃあ、毎日のようにあの公園に顔を出していても不思議ではないってもんだ。
    「……自分の実家を知られるんって、普通に嫌やない?」
     それまでずっと実家の所在地を俺に隠していた理由を、早苗はそう説明した。「ほら、完全に素を、普段の自分を見られるようなもんやんか?」 
     わかるような、わからないような理由だった。感想に困って黙り込んでしまう俺の表情を見て、彼女は少し慌てたようにこう付け加えた。
    「だから、血の繋がってへん人間を実家に招いたことは、今までいっぺんもないねん。それがたとえどんなに仲の良い友達でもな!」
    「そうか……」
     やっぱり、それ以上何も答えようがなかった。抗議するにしては、あるいは謝罪を求めるにしては、騙された期間があまりにも長すぎる。怒りよりも、驚きの方が勝ってしまうくらいに。
     とにかく、それからであった。……俺と早苗が、二人でよくこの道を歩くようになったのは。
     正確に言えば、高校帰りの電車内で偶然出会った場合――偶然といっても、それは二日に一度くらいのペースで発生するまったくありがたみのない偶然だったけど――俺が彼女を古墳の森の入り口付近まで、用心棒のごとく送って行くようになったのだ。
     この行動を、ますます女っぽくなってきている幼馴染の身を案じた俺から発案したのか、ますます周囲の目を気にし始めて近所の公園以外に愚痴を漏らす場所を確保したくなった早苗から発案したのかは、残念ながらはっきりと覚えていない。
     はっきりと覚えているのは、この寂れた道を『田舎道』という正確無比な呼称で呼んでいた俺に対し、食ってかかってきた女がいたということだ。
    「うちが住んでる家に繋がる道を、『田舎道』呼ばわりするやなんて、あんた一体どんな了見してるねんな!?」 
     激昂した早苗は、たまに古風な表現を用いたりもした。
    「いやいや、これを『田舎道』以外にどう表現しろっていうねん」
    「そうやなぁ……」
     しばらく沈黙した後、にたぁっと嫌な笑みを浮かべながら彼女は答えた。「……あ、『レインボースターロード』ってのはどうやろ? 夢があってええんちゃう?」
    「まぁ、そんなことはどうでもええんやけどさ。それより……」
    「なぁなぁ! 『レインボースターロード』ってのはどうや? 一気に色彩感が増したと思わへん? それに、いかにも女の子っぽくて、メルヘンっていうか……」
    「昨日の宿題でわからへんところがあってやな……」
    「おいこら、調子乗っとったらイテまうぞ、ワレ!」
     低い場所からいきなり伸ばされた早苗の腕が、俺の胸倉を掴む。「今日からこの道の名前は『レインボースターロード』やからな! わかったか、こら!?」
     二度スルーしても彼女が引き下がらない場合、俺の対応は決まっていた。経験上、何を言っても無駄ってことなのだ。
     要するに、無条件降伏。
    「ああ、俺はそれで全然良いと思うで……」
     かくして、この田舎道の名称は『レインボースターロード』となった。たとえ夜になると七色どころかほぼ二色に色彩が統一されるような道であろうと、たとえメルヘンとは対極にあるような道であろうと、早苗がそう主張する以上は、付近住民にアンケートを取ったり国際法廷に掛けたりするまでもなく、『レインボースターロード』なのである。
     ――そして俺は今、用心棒をほったらかして勝手にどっかへ行ってしまいやがった女が、勝手に名前をつけた道に、立っていた。
     とはいえ、別に郷愁に浸りたいという理由だけでここに来た訳ではない。ちゃんとした動機はあった。
     動機というよりは、使命。
     使命というよりは、指令。
     ……その指令の主は、約束の時刻、すなわち夜の八時半から二十分も遅れて、このレインボースターロードに姿を現した。
    「お待たせして申し訳ございません」
     あいかわらず謝罪感ゼロな表情で、俺に声を掛けてくる田中育枝。暗闇に溶けてしまいそうな黒いワンピース姿である。
    「……よう」
     エセ魔女みたいな彼女の背後で従者のように立っていた西村も、俺の顔を見て軽く手をあげる。
     タンクトップに半ズボンというラフな格好の彼は、それから持っていた荷物を地面に置いて、無言のままチェックし始めた。
     デジタルビデオカメラ、そしてマイク。単体でも結構重いはずなのに、両方とも彼が一人で運んできたらしい。その原因が、田中育枝の命令だったのか、本人の申し出だったのか、まぁ、そのどちらだとしても俺は全然驚かないけど。
    「カメラもマイクもOKや」
     西村が報告する。明らかにその視線は、監督ではなく助監督の方を向いていた。
    「さて、そういうことらしいです、杉田さん」
     しかし、助監督の視線はちゃんと監督の方を向いていた。
    「そういうことって何や?」
    「要するに、後は監督のGOサイン待ちってことですよ」
     ……そう、今日は『シーン2』の撮影日だった。
     なおかつ、今夜集まっているのは、俺と田中育枝と西村の三人だけであった。
     どうしていきなり撮影スタッフが半減してしまったのか――その理由を説明するのに、深く記憶を紐解く必要はない。時計の短針を、三十二回ほど逆回転させればいいだけの話だった。
     つまりは、前日の午後一時くらいのこと。
     意味不明なファーストシーンを撮影した後、田中育枝から手渡された『シーン2』の脚本をパラパラとめくっていた俺は、このままカラオケの場面に続かないのとは別に、もう一つの意外な事実にも気がついた。
    「……しかも、次は夜のシーンなんか」
     早苗の書いた脚本を素直に解釈するならば、『シーン2』に太陽の出番はないみたいであった。「なんや、ずっと昼間のシーンって訳でもないんやな」
    「当たり前ですよ。一応映画なんですから、どの時間帯のシーンがあってもおかしくないでしょう」
     なるほど、田中育枝の言うことは正論だった。なんとなく昼間の撮影しか想像していなかった俺の方が間違っているのだろう。
     だけど、俺にだって吐ける正論はあった。
    「ていうかさ、どうせ夜のシーンなんやったら、今夜中に撮影してしまえばええんちゃうの?」
    「一日に一シーンずつ撮影するというのが、月川先輩の方針でした。……これ以上、説明はいりませんよね?」
     余裕綽々な顔で答える田中育枝。恐らく彼女の頭には、『自分の方が間違っているのかもしれない』だなんて殊勝な発想が一切存在していないのだろう。この辺が十代と二十代の差なのか、あるいは悪魔と善良な一般人の差なのか。「そもそも、今夜は実良も華奈子もバイトがあるみたいなんで、どちらにしろ撮影は無理なんですよ。……残念ですねぇ」
    「残念やな、ほんまに……」
     正論に続いて、諦観漂う溜息を吐く羽目になる善良な一般人であった。世の中とは実にせちがらい。
     ところが、思ってもいない方向から物言いが入った。
    「いやいやいやいや、ちょっと待ってや育枝!」
     吉峰が、焦った様子で我々の会話に割り込んできたのだ。「実良、今夜どころか、夏休み中はほとんど夜にバイト入れてるんやけど!」
    「え……?」
     悪魔が一気に顔を強張らせる。「……ちょっと実良、それはどういう意味やねんな?」
    「つまりつまりとどのつまり、夜の撮影に参加するんはなかなか難しいってことや! いやぁ、まいったなぁ! 実にまいったなぁ! まいるまいらーまいれすとですなぁ!」
     こんな時でもハイテンションで嘆く吉峰に続いて、
    「わたしも似たようなもんやで、育枝」
     里見も言葉を挟んでくる。「夏休みって、学生バイトからしたら一番の稼ぎ時やんか。そりゃ当たり前のことやろ? ……むしろ、いつでも大丈夫って人の方がおかしいと思うけど」
     名指しこそされなかったものの、彼女の侮蔑するような眼差しは明らかに俺の体を突き刺していた。世の中とはせちがらい上に、極めて残酷でもある。
     それから改めて全員で協議した結果、『シーン2』を撮影できる時間帯、言い換えるならば、だいたい夜の七時以降に全員が集まれる日は、少なくともこれから十日以内には存在しないことが判明した。なかなか見事な暗礁への乗り上げっぷりである。
     とはいえ、特に驚くべき事態でもなかった。ド素人が趣味で製作する自主映画のスケジューリングなんて、所詮はこんなもんだろうからな。
     だけど、若干一名程はその事実を受け入れられない女性がいたみたいで、
    「みんな、映画のスケジュールを最優先してくれるって言ったやん……」
     消え入りそうな声で呟く田中育枝であった。「やのに……やのに……」
     眉間に皺を寄せて肩を震わせる彼女からは、普段の強気で横柄で独裁者然とした雰囲気を一切感じ取ることができなかった。
     なんにしても、調子に乗った態度をしとるから罰が当たったんじゃ、ざまぁみろ、いい気味や……だなんて心の中で嘲笑できるほどまでには、俺はまだこいつのことを嫌っていなかったらしい。
    「いや、その、だからさ、育枝」
     吉峰が、憔悴しきっている様子の友人の元に駆け寄る。「実良かって、この映画の為に昼間はずっと空けてたんやで。けどさ、夏休み中ずっと丸一日空けておくってのは、さすがに無理っていうか……なぁ、華奈子」
    「だいたいさぁ、育枝は夜の撮影もあるってことを前もって知ってたんやろ? それやったら、前もってわたしらにもそのことを教えてくれてればよかったのによぉ。じゃあ、みんなも気持ち良くスケジュールを空けられたはずやんけ」
     幼馴染だというのに、あるいは幼馴染だからこその辛辣な台詞が、里見の整った口から発せられる。「この映画は、あんただけで作るんか? そうやないやろ? 六人で作るもんやろ? それやのに、『みんな黙って予定だけを空けておけ』っていうのは、いくらなんでもひどすぎとちゃうか? 秘密主義にも、程があるんとちゃうか?」
    「で、でも、それがあの人の……月川先輩の、方針やったから……」
    「何やねん? あんたはそれを言えば何でも許されると思ってるんか?」
    「許されるとか、そんなんやなくて……」
    「……まぁまぁまぁまぁ」
     いつもの小競り合いとは空気が違うことを察したのだろう。ぎこちない笑みを浮かべながら、吉峰が二人の間に入った。「育枝もさぁ、ちょっと一人で色々と背負い込みすぎなんやって。少しは実良らに相談してくれてもええやん。せっかくのツレなんやからさ。……華奈子が言いたいのも、きっとそういうことなんやって」
    「前から思ってたんやけどさぁ……」
     それでも里見の文句は止まらなかった。「新体制になったんやったら、新しいやり方でやってもええんとちゃうか? 別に、月川先輩のやり方を全部やめてまえってことやないけどさ。もうちょっと合理的なシステムに変更したところで、たぶん月川先輩は怒らへんと思うで」
    「おお、おお、それってめっちゃ良いアイデアかも! そしたら映画も早く完成するやろうから、怒るどころか逆に月川先輩は喜ぶんちゃうかな! そうやそうや! ナイス華奈子! ……ほら、育枝もそう思わへん?」
     恐らくうまい落としどころを見つけたという安堵感からだろう。もう一度田中育枝の方を振り向く吉峰の口調は、極めて晴れやかなものであった。
     しかし当の眼鏡娘は、
    「でも、でも……」
     と、あいかわらず顔を俯けながらうめくように呟いている。微かに確認できる彼女の瞳には、いかにも納得いかないといった心境がありありと表れていた。
     堪らなくなってしまった俺が、大声で女性陣の会話に乱入する。
    「あのさ、ちょっと田中さんに訊きたいことがあるんやけど!」
    「え……?」
     さっと顔を上げる田中育枝。「な、なんですか?」
    「ひょっとして、これからずっと夜のシーンが続いたりするんか?」
    「いえ、そういう訳ではありませんけど……」
    「じゃあ、とりあえず『シーン2』を乗りきればええってことやんなぁ?」
    「で、でも……」
    「わかってる。早苗の方針を守る以上、脚本を前もって渡す訳にはいかんから、できれば順番通りに撮影したいんやろ? たとえみんなになんと言われようともさ」
    「それは、その……はい」
     弱々しくとはいえ、田中育枝がそれを認めてくれるならば、
    「吉峰さん。君にも訊きたいことがあるんやけどさ!」
     俺の次のターゲットは、彼女の隣でぽかんとした顔つきになっている童顔チビっ娘だった。
    「は、はい!?」
     意表をつかれたのか、裏返った声で応じる吉峰。「あ、ああ、きょ、今日は、ピンクの水玉であります!」
    「だから下着の色ちゃうわ!」
     いよいよ、俺の変態としての地位も確固たるものになってきたらしいな、おい。「……その君が持ってるマイクって、素人にでも操作できる代物なんか?」
    「このマイク、っすか? ええっとまぁ、実良かってほとんど素人みたいなもんっすから、その、たぶん誰でも操作できるとは思いますけど。……そうですね、例えば、ブルーレイの録画予約が出来るくらいの人やったら、大丈夫やないかと、はい」
    「ああ、それやったら大丈夫やな」
     俺は大きく頷いた。あいにく我が家には、ブルーレイなんてハイテクなアイテムは存在しないんだけどな。「よし、じゃあ『シーン2』は、俺と田中さんの二人だけで撮影しようや!」
    「……あたしと、杉田さんだけで、ですか?」
     唖然とした口ぶりで訊き返してくる田中育枝。
    「ああ、そうや。ほら、脚本を見る限り、このシーンの登場人物は君が演じる『苗子』一人だけやろ? それやったら、俺がカメラとマイクを同時に担当すれば、二人だけでも充分に撮影可能やと思うで」
     カメラとマイクを両方同時に扱うだなんて芸当が、果たして本当に可能なのかどうかはわからない。けどまぁ、カメラは頑張れば片手で持てるほどの重量だし、マイクだって小娘が軽々と天に突き上げられるような代物だから、短時間の撮影ならば全然不可能って訳でもないだろう。俺は勝手にそう推測した。
    「それはそうかもしれませんけど……その、他のみんなは、それでええんですか?」
     実に田中育枝らしくない対応だった。やっぱり、普段の独断専行ぶりが完全に鳴りを潜めている。
     不安げな表情を浮かべながら、おどおどとした口調で周囲に尋ねる彼女は、なんだかまるで年下の可愛い女の子みたいであった。
    「う~ん……まぁ、実良はアリかなと思うで。毎回毎回、絶対に六人全員が集まらんとあかんなんて決まりはないんやしさ。実際問題、それで撮影が進むんやったら、ええんとちゃうかな?」
     意外に冷静な吉峰に対して、
    「別に、わたしもかまわんけど。好きにしたら?」
     里見は、依然として不機嫌な様子だった。見た目に反して大人な吉峰と、見た目に反して子供っぽい里見。なかなか良いコンビじゃないか。
    「あ、おれも、その、それで……」
    「わかりました」
     さも当然のように徳永の意見を聞き流した上で、田中育枝は言った。「では、さっそく明日の夜にでも、あたしと杉田さんの二人で『シーン2』を撮影しましょう」
    「ああ、そうしようや」
     自分の意見が受け入れられて、ほっとする監督代理であった。
     ……と、そこで俺ははたと気がついた。
     どうして自分は、ここまで必死になっているのだろう? この映画の製作を進める為に、ここまで躍起になっているのだろう?
     めちゃくちゃムカついている女の――月川早苗の映画だというのに。
     単純に、『監督』らしいところを見せ付けたかったのかもしれない。あるいは、里見の発言に気に食わない部分があったのかもしれない。もしくは……自分の我侭を貫き通せない女の子を前にして、我慢ならなくなってしまったのかもしれない。
     とにかく、俺はこの映画を完成させようとしていた。それは、紛れもない事実であった。
    「……ちょっと待てや」
     ふいに、西村が口を開いた。「明日の夜に、撮影するんやな? ……それやったら、オレがマイクを担当したるよ」
    「え? 西村さんが、っすか?」
     首を傾げる俺。確かこの男はさっきのスケジュール調整の際、『オレも明日から五日連続で夜にバイトを入れている』と言っていたはずなんだけど。
    「なんか問題あるんか、監督さんよ?」
     とはいえ、威圧的な眼光で睨みつけられた以上、俺は彼の申し出を受け入れるほかなかった。まぁ別に俺の方は “田中育枝と二人きり”で撮影する点になんかこだわってはいなかったから、ある意味では渡りに舟の提案だともいえるし。
    「では、言いなおします。明日の夜は、あたしと杉田さんと西村さんの三人で、『シーン2』を撮影しましょう」
     律儀に発言を訂正してから、助監督は俺の方に体を向けた。「……ところで、杉田さんにお尋ねしたいことがあるんですが」
    「黒のトランクスや」
    「これは有益な情報を入手いたしました。……しかし、あたしが今知りたいのはそんなことではありません」
     真面目くさった顔で述べた後、「我々が明日、どこで撮影すればいいのかをお尋ねしたかったんです」
    「どこって……そりゃあ、脚本に書いてある場所に決まってるやんか。『レインボースターロード』や」
    「だから、その『レインボースターロード』ってのは、一体どこにあるんですか?」
     そこで俺はようやく、眼前の女性が訝しげな眼差しで見つめてくる理由を察した。
     なるほど、確かに『レインボースターロード』とは、どんな地図にも載っていない場所である。……俺と、もう一人の頭の中の地図以外には。
    「ああ、そういうことか。……『レインボースターロード』ってのはな、この泉集市内にある、しょぼい道のことやねん」
    「やっぱり、杉田さんはご存知なんですね……」
     田中育枝が感心したような、それでいて少し悔しそうな表情を浮かべる。「あたしも泉集市に住んでもう二十年近くになりますけど、残念ながらそんな頭にお花畑――それもケシの花専門の畑がある人間が考えたような名称の道路は、まったく存じ上げないんですが」
     おいおい、君の尊敬する先輩が考えた名称なんやぞ……なんて突っ込んでやろうかと思ったけど、次の瞬間には思いとどまった。その名称をさも一般的な地名のように用いていた俺だって、充分同罪だろうからな。
     代わりに、俺は事細かく説明してやることにした。泉集駅からどのようなルートを辿れば、その『レインボースターロード』に辿り着くのかということを。
     まず最初に反応を示したのは、何故か説明してやった張本人ではなく、その隣にいるちっちゃな女の子の方であった。
    「え、それって育枝……」
    「へぇ、そうやったんですか」
     吉峰の言葉を遮断するかのように、わざとらしく手を叩いてみせる田中育枝。「あの道は、『レインボースターロード』という名前やったんですか。初めて知りましたよ」
    「どうやら、そうらしいで。まぁ、俺もよくわからんけどさ」
     勘の鋭そうな彼女のことだから、肩をすくめる俺を見て、即座に事情を察したのだろう。
    「よくよく考えてみると、とても夢のある名前やと思いますね。なんてセンスの良いネーミングなんでしょう!」
     見事に百八十度意見を変えやがった。「……それでは、明日の夜八時半に『レインボースターロード』に集合ということで、よろしいでしょうか?」
     もちろん、俺に異論はなかった。その中途半端な時間にも、その直接的すぎる集合場所にも、そのあまりにも馬鹿げた名称すらも。
     ――とまぁ、こんな経緯があったというのに、だ。
     それから約三十二時間後の田中育枝は、そこまでフォローしてやった俺を、二十分も待たせた上に、
    「何をぼ~っとしているんですか? 後は監督のGOサイン待ちだと言ってるでしょう」
     むしろ責めるように睥睨してくるのだった。
    「やれやれ、遅刻してきたわりにはずいぶんな言い草やんけ、おい」
    「あら、まさか怒っているんですか? あたしとすれば、もう少し遅れて来た方がよかったかなとすら思っているんですけど」
    「なんでやねんな?」
    「……どうですか? 郷愁には充分浸れましたか?」
     この時ばかりは、ほとんど光源が存在しない周囲の環境に感謝せざるを得なかった。今の彼女の瞳を直視できる自信が、俺にはなかったからだ。
    「とりあえず、さっさと撮影を始めようや」
     これ以上何かを見透かされないように、俺は急いで準備に入った。西村からデジタルビデオカメラを受け取り、夜間撮影モードとやらに設定する。
     その様子を無言のまま見守っていた主演女優も、やがて溜息をつきながら眼鏡を外した。
     強面男がマイクを担いだことを確認した俺が、ファインダーを覗き込む。
     そこには、またもや横目でこちらを睨みつけている裸眼の田中育枝の姿があった。
    「ええっと、じゃあ、いくで」
     残念だったな。昨日と違って今日は周囲に野次馬がいないから、この台詞を吐くのもそんなに苦にはならないぞ。「それでは、『シーン2』……スタート!」
     
      夜、レインボースターロードにて。
      ゆっくりとした足取りで歩きながら、不機嫌な様子で呟く苗子。
      
    苗子「なんかめっちゃムカつくなぁ……ふざけとるわ、あいつら。うちに対するあてこすりのつもりか、アレは?」

     どうやらヒロインの独り言癖は健在らしい。……いや、時系列的に考えれば、ラストシーンだけではなく、『シーン2』からその傾向が始まっていたようだ、と表現した方が正確か。
     ちなみに俺は、というよりカメラは、そんなヒロインの横顔をずっと捉えていた。別に俺が女性の横顔フェチだからではない。『カメラは苗子と一緒に歩きながら、横顔を捉え続ける』というト書きに、忠実に従ったまでだ。

      ふいに、カメラが立ち止まる。
      しかし、なおも歩き続ける苗子。
      カメラよりも五メートルほど先に進んでから、苗子も立ち止まる。
     
     あいかわらず、よくわからない指示である。このカメラワークに、一体どんな意味があるっていうんだ? 
     どうも前任の監督、というより脚本家は、少々変わったカメラワークを好んでいたようだ。
     
     
      三十秒ほど無言になった後、苗子はカメラの方向に振り向いて大声で叫ぶ。

    苗子「何やねん、それ! あかんあかんあかんあかん! ……そんなん、絶対にあかんからな!」

      カメラにずかずかと近づいてくる苗子。声のトーンも一段と高くなる。

    苗子「そんなん、絶対に認められへんからな! やり直しや! ……もう、一体何を考えてるねん!」

     在学中の大学だなんていう最高級に恥ずかしいシチュエーションではないせいか、それとも多少は場慣れしてきたのか、とにかく田中育枝は昨日よりもかなり自然な演技を見せていた。
     あるいは、吹っ切れたのかもしれない。その証拠に、脚本では指定されていない大袈裟な身振りまでつけている。カチコチだった前回の彼女からは考えられない行動だろう。

      やがて苗子は踵を返し、今度は早足でレインボースターロードを進み始める。
      (遠ざかる苗子の後姿を、立ち止まったまま写し続けるカメラ)

     以上で、『シーン2』はおしまいだった。
     ……そう、たったこれだけの場面であった。時間にして、約三分。今回は一度しかNGが出なかったので、実質的な撮影時間も約五分。そりゃあ、六人全員が集まらなくてもほとんど問題はないってもんである。
     俺が撮影終了を告げると、背後で西村がボソッと呟いた。
    「ヒステリックな育枝ちゃんも珍しいけど、ヒステリックな月川さんの演技ってのもちょっと見たかったな……」
     心配しなくても、それは演技ではなく完全に素だ。少なくとも、俺は毎日のようにヒステリックな月川さんとやらを見ていたぞ。撮影中に妙な既視感を覚えてしまったのも、きっとそのせいだろう。
     なんにしても、親しかったはずの人間からこんな反応が出るあたり、どうやら早苗は大学でも、何故か干支に選ばれなかったポピュラーな動物を憑依させていたということらしい。まったくご苦労なこった。
     助監督と雑用係が撮影した映像を確認し始める最中、俺は不毛な考察を繰り広げていた。
     すなわち、この『シーン2』の意味について、である。
     苗子はどうしてここまで憤慨しているのだろう? いや、昼間の和太と佳奈のいちゃいちゃぶりに対して不満を感じているってところまではなんとかわかるんだけど、それなら『やり直し』って台詞にはどういう意味があるんだ? 
     あるいはこの苗子という女は、和太のことが好きなのかもしれない。そしてこれは、『和太と佳奈が付き合う前に戻ってやり直す』という宣言なのかもしれない。つまり彼女は、時間を戻す能力を持っているのかもしれない。
     ……俺のこの推測をアホらしいと切り捨てる人間は、月川早苗の良く言えば奇想天外、悪く言えば支離滅裂な作品群を全然知らない人間でもあるのだろう。まぁ、それはすごく幸せなことでもあるんだけど、そんな幸福な方の為に補足すると、彼女の創造した世界では、隣人が宇宙人だとか、幼馴染が魔法使いだとかいう設定が、ごく当たり前のように登場しやがるのだ。
     だから俺は、この後のシーンで苗子がタイムトラベルを敢行する場面が出てきたとしても、まったく驚かない。もちろん、おおいに呆れはするけどな。
     いずれにしても、一人で夜道を歩きながら昼間の出来事を愚痴るヒロインなんて、到底好感を抱けそうにもないということだけははっきりとしていた。
    「お疲れさまでした、杉田さん」
     いつの間にか俺の真正面に移動していた田中育枝が、そう声を掛けてきた。言うまでもなく、とっくに眼鏡をつけている。「今回も、なかなか良い映像でしたよ。やればできるやないですか」
    「普段はできへんキャラみたいに言うなや」
     無駄だとわかっていながら、俺は彼女に訊いてみた。「ところでさ、この映画って、一体どんなストーリーなんや?」
    「見たまんまのストーリーですよ」
     予想通りの返答が返ってくる。彼女はあくまでも、早苗の秘密主義方針を堅持するつもりらしい。がっかりする反面、少し安心する俺でもあった。
    「それにしても、やたらとカメラ目線の多い映画やなぁ。まぁ、あいつのことやから、『観客に訴えかけたい』やとかなんとか抜かすんやろうけどさ」
    「訴えかけたいのは事実でしょうね。ちなみに、杉田さんは推理小説をお読みになったことがありますか?」
    「ちょっとだけやったらな」
    「じゃあ、推理してください。……月川先輩が、この映画に込めた意味を」
     思わせぶりな口調で述べる眼鏡娘。完全に戸惑う俺の反応を楽しんでいるご様子だ。
    「……それやったら、もっとヒントをくれっちゅう話やわ。これでも足りん脳で一生懸命考えてるつもりなんやけどな」
     推理小説マニアなのだろう彼女を相手に、俺は早々と何も書かれていない旗を掲げた。なおかつ、一番わかりやすいであろうヒントを求める。「とりあえず、『シーン3』の脚本を見せてくれよ」
    「ええっと、その、『シーン3』の脚本なんですけど……」
     ふいに田中育枝が表情を曇らせた。
    「どないしたねん? ひょっとして、持ってくるのを忘れてもうたんか?」
    「いえ、ちゃんと持ってきましたよ。でも……『シーン3』を撮影することは、果たして可能なんでしょうか?」
    「どういう意味やねん?」
    「その……『シーン3』は、全員が集まらんと撮影できへん場面なんです」
     そう言ってから、彼女はすぐに視線を明後日の方向に移動させた。
     恐らく、自分の弱さを俺にあんまり見て欲しくなかったんだろう。さっきの質問だって、できれば発したくなかったに違いない。……他のみんな、特に里見がちゃんと撮影に参加してくれるのだろうか、なんて弱気な質問を。
    「次も、夜のシーンってことはないよな?」
    「ええ、そういう訳やありませんけど」
    「なら大丈夫や。……だって、君らは幼馴染なんやろ? そんなに簡単に関係が切れたりはせえへんよ」
     自分でも虫唾が走ってしまいそうな台詞だった。……だけど、それは偽らざる本音でもあった。
     すると一瞬だけ、田中育枝の能面みたいな顔に柔らかな笑みが生じた。
     かと思えば、次の瞬間にはクールな声で、
    「それでは、『シーン3』の脚本をお渡ししますね」
     そそくさと自分の鞄から黄色いファイルを取り出す彼女であった。
     恒例行事のように、俺が手渡された脚本をパラパラとめくっていると、
    「じゃあ、あたしは用事があるので、この辺でお暇させていただきます。今夜はお二人とも、ありがとうございました」
     軽く頭を下げてから、田中育枝は俺に背を向けて歩き始めた。
    「おい、ちょっと待てや!」
     慌てて呼び止める俺。「どこへ行くねんな? そっちには、森と寂れた公園しかないで」
    「え……?」
     彼女が、古墳の森の方向に向けていた顔を振り向かせる。その表情は、明らかに強張っていた。「……ああ、実はですねぇ、ちょっとこれから月川先輩の家を訪問せなあかんのですよ」
    「早苗の家? 何の為に?」
     驚いた俺が尋ねると、
    「それは、その……先輩のご家族に挨拶する為ですかね、はい」
     なんとも歯切れの悪い答えが返ってきやがった。
    「もしかして、君は早苗の家に行ったことがあるんか?」
    「……まぁ、一応」
    「そう、なんか……」
     それ以上、俺は何の言葉も発せられなかった。
     さっきも述べた通り、以前俺は、たまたま下校途中に出会った幼馴染を、古墳の森の入り口付近まで送っていた。裏を返せば、その場所までしか彼女を送っていかなかった。
     理由は簡単である。……早苗がそこから先に俺が立ち入ることを拒んだからだ。
     口に出して断られた訳ではない。けれど、森に入る直前になると、あいつは決まって満面の笑みを浮かべながらこう言ったもんだ。
    「じゃあ、また明日な!」
     それは要するに、『これ以上ついて来るな』という宣告でもあった。少なくとも、自分の家を見られるのがたまらなく嫌だというポリシーの彼女から発せられたその言葉に、俺はそれ以外の意味を見出すことができなかった。
     だから、俺はあいつの家にとうとう一度も辿り着けなかった。
     もちろん、辿り着こうと思えばそれほど難しいことでもなかっただろう。こっそりと一人で見つけ出すことも可能だったはずだ。
     だけど、俺はあえてそうしなかった。そんなことをすれば何かが――それが、『俺達の関係』なのか、あるいはもっと具体的に『俺の頬骨』なのかはわからないけど――壊れてしまいそうな気がしたからだ。 
     なのに、である。田中育枝は、何度か早苗の家に呼ばれていたという。俺の知らない間に早苗の方針が変わっていたのかもしれないし、この眼鏡少女は方針を覆すに値する後輩だったのかもしれない。
     いずれにしたって、田中育枝が俺の辿り着けなかった場所に到達していたのは、事実のようである。
    「気をつけて行ってきいや。……まぁ、犯罪者予備軍の田中さんやったら大丈夫やろうけどさ」
     それでも、俺は作り笑顔を浮かべながら憎まれ口を叩くのであった。自分の弱さを他人に見せたくないのは、別に十代の娘だけに限ったことじゃない。「とはいえまぁ、用心するに越したことはないで。なんせここは、光がまったくあれへん真っ暗な道やからな」
    「何を言ってるんです」
     田中育枝は、真顔で反論してきた。「光なら、ちゃんとあるやないですか」
     なるほど、確かに彼女の眼鏡は輝いていた。
     厳密に言えば、反射していた。
     ……今夜も我が物顔でレインボースターロードを照らしている、でっかい月の光を。
     
     
     






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