こんにちは、苫米地英人です。昨日の七夕の夜はめずらしく晴れましたね。これから猛暑が続くそうなので、熱中症に気をつけてくださいね。
7月3日の放送は、たくさんの方に見ていただけてありがたかったですね。私のウクレレも楽しんでいただけたようで何よりです(笑)。
皆さんの悩み相談の内容も、バラエティに富んだ良い質問が増えていって、私も拝読するのがたいへん楽しみです。今後もどしどし送ってくださいね。
次回の放送は7月23日(火)予定です。ぜひ予約してください。
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情動を消し去る3つの方法
今回は〝情動〟を消し去る方法についてお教えします。
天災や事故がそうであるように、イヤな出来事が降りかかることは自分の力で防ぎきれるものではありません。
しかし、そのときのことをどう記憶するかは自分の問題です。
当たり前のことですが「こう記憶しなければならない」という法律や規則はありません。それぞれが自分の都合のいいように脳にしまいこめばいいことです。
脳は自分の身体の一部ですから、身に降りかかったイヤな体験や情動を無害なものにすることは、比較的たやすいはずです。自分で受け止め方を変えればいいのです。
それをうまくやる、苫米地式の方法をご紹介します。
イヤな体験に対処するためには、私はまず次の3つの方法論をしっかりと身に付けることが重要だと考えています。
1,高い抽象度で考える
2,イヤな出来事の記憶に「うれしい、楽しい、気持ちいい、すがすがしい、誇らしい」という情動感覚を結びつける
3,脳を自己発火させる
このうち、まずは1についてお教えしましょう。
抽象度を上げれば情動はなくなる
前頭前野は、人間の脳の中で最後に進化した部分と考えられています。
脳は生物とともに進化してきた臓器で、脊椎動物ならばどの生物もよく似た脳の基本構造を持っています。それは、脳幹、小脳、大脳からなっており、異なるのはそれぞれの部分の大きさだけです。
いうまでもなく、人間の大脳が最も発達していますが、なかでも、大脳新皮質と言われる新しくできた部分が大きいという特徴があります。
前頭前野は、大脳新皮質野中でも一番新しく生まれた部分なのです。
別の角度から見ると、この脳の基本構造の違いは、は虫類を底辺としてだんだん高等な生物に上がっていき、最後に人間に進化したということの証拠です。
これは同時に、脳の進化とともに脳が処理する情報の抽象度が上がってきたということを示しています。
つまり、前頭前野を働かせて考えるということは、すなわち抽象度を上げるということなのです。
では、抽象度を上げて考えるというのは、具体的にどういうことでしょうか?
端的に言えば、それはイヤなことといいことの差がないということにほかなりません。
たとえば、私たちはふだんイヤなことが起これば悲しいし、いいことが起これば嬉しいと感じます。
しかし、一つ上の抽象度で考えると、悲しいも嬉しいも、どちらも同じ「情動」です。
そして、それは「情動だ」という認識が生まれれば、悲しいも嬉しいも関係なくなってしまいます。
つまり、喜怒哀楽を超えている、ということになるわけです。
抽象度を上げれば善悪さえもない
抽象度を上げると、あらゆるものを超えた認識が生まれます。
その昔、若い国会議員が母校の高校に招かれて講演しました。
その時彼は、「私は昔、不良だったけれども、今は立派に国会議員になることができた」と生徒達に話して聞かせました。
私は、高校生に悪い影響を与えるから、そんな話はしないほうがいいと諭しました。
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ゴールに向けて活動している自分、自分と周りとの関係そして今、起きている事を、
自分がアナウンサーになった気分で、客観的に分析しながら、みたいな感覚なんだろうか。
記憶の話を聞くと「今という瞬間」が、未来や過去に対する態度や解釈に影響を与え、
そして変化する、という意味が、なんとなく分かりそうな気がする。