6周年記念から一週間くらいしてから敢えてブロマガを書くことにします。
今回は非常にまじめな記事です。

2009年の7月、とある男が友人に騙されて実況動画を投稿します。
クソみたいな動画です。ここには貼りません。見るな。

私が実況動画というものを知ったのは2007年。
当時はゲーム実況動画が細々と人気を伸ばしている頃であり、
私もkanekonさんという方の実況動画(彼の動画はちゃんとした実況動画)を見て
へぇ、こんなのあるんだ。やってみたいなぁと思ったのがキッカケでした。



これ。投稿日時を見て貰えばわかるけど本当に初期の実況動画。
最古の実況動画と言われてる新感覚冷やし系魔法少女ヒャドさんの動画が2007年の3月に
アップロードされていて、古参実況者のキリンさんや囲炉裏さんが2008年に入ってから
動画をアップロードされてるので、実は私はニコニコ動画でのゲーム実況の歴史の始まりから見ていたことになります。


ただ、kanekonさんは当時から生放送でゲーム中継及び実況を行っていて、
これに影響を受けた私もゲーム生放送がやりたい!と考えていたのですが、
当時はまだ便利なツールや細かく解説してくれているサイトもなく、完全手探り状態。
また私も実家暮らしだったので、いつかやりたいなぁくらいの気持ちでした。

やがて、生放送は機材の関係で難しいことがわかり、実況動画が盛り上がり始めていたので
せっかくだから私も動画上げてまずは見てもらえる視聴者をまずは増やそうと考えます。
その結果、最初に単発動画、続いてシャドウゲイトのシリーズ動画をアップロードします。


まぁ伸びなかった。
なんでこんな伸びないの?伸びろよ。見ろよお前ら私の動画を。砂かけんぞ。
マジで一週間で30とか40とかの再生数でした。われ泣きぬれてカニと戯むれました。
こんな伸びないのかと。こんなにかと。

ただ、マイリストコメントはちょいちょい頂いてたのです。
こんな言い方するのもアレですけど、当時から既に有名実況者はけっこういて、
逆に全然伸びない当時の私みたいな実況者もかなり数が増えていた頃でした。
そんな中でも私は数は少ないけれども確実に見てくれて面白いと言ってくれている人がいたのです。


当時から私は、いつか伸びる自信がありました。
自分の動画が面白かったからです。伸びないワケがない、今は下積みだとけっこう楽観的な気持ちで動画を上げ続けていました。
これは今でも思っていて、撮ったはいいけど面白くないから没にした動画はけっこうあります。

さて、キャプチャーボードやらゲームパッドやら、機材はどんどん充実していくのに
なかなか再生数に反映されない日々。ランキング動画ばっかり見てました。
絶体絶命都市が確か、この頃に一週間で再生数が1000を越えるくらいになっていて、
4桁乗った!勝った!とひとりはしゃいでいたのを覚えています。

また、ニコニコ生放送がまだ存在していない時代だったので、
この頃はJustin.tv(現在のTwitch)でよく遊んでいました。
牛沢さん、谷口タカヲさんと知り合ったのは実はこの頃です。
また、牛沢さんとSkype人狼を初めてやったのも実はこの頃です。先見の明ありすぎ。モテそう。