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アッキさん のコメント

私もそばにいて応援していきますよぉ~X JAPAN全員をYOSHIKIさんが作ったグループも見守っていきたいと思っています
No.1
73ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 お誕生日おめでとう、YOSHIKI。  初めてYOSHIKIと2人だけでゆっくり話した時から、もうすぐ31年になるんだね。  あの日、白いシャツの胸に真紅の血が見えた時から、僕にとってYOSHIKIは特別な存在になった。  何しろ、命懸けのエネルギーで僕に幻覚を見せてしまうくらいだから。  YOSHIKIはそれまで会った、他の誰とも違っていた。  誰もできないことを、真剣に実現しようとしていた。  そして僕は、その真剣さに賭けた。  あれから、僕の人生は変わった。  夢を現実にしていく毎日が始まったんだ。  厳しい闘いだったけど、夢中だった。  きっとそれは  「信じていた」からだと思う。    爆音でハイスパートドラムを叩き続ける、決して自分に負けない力強い横顔も、  心から感動できる曲ができたら死んでもいい、と作曲への想いを訴える挑戦的な瞳も、    一日中リハーサルスタジオに閉じこもってドラムの練習をし続ける、執念に溢れた後姿も、  バンドの未来を全員で語り合った後、鮮やかな決断でみんなを納得させるリーダーとしての姿勢も、  張り詰めていた緊張感を、予想できない笑いで一気に壊してしまう、まるで幼児のような無邪気さも、  みんな大好きだった。  もちろんメンバーは皆、そんなYOSHIKIを大好きだったし、誇りに思っていた。    だから新参者の僕に、TAIJIもTOSHIも、HIDEもPATAも、自分なりの表現で人生を共に賭けているYOSHIKIのことを、僕に語ってくれた。  YOSHIKIは天才で、最高のリーダーなんだ、って。  YOSHIKIがいるから、俺たちは絶対に負けないんだ、って。負けるわけにはいかないんだ、って。  人生というのは不思議だね。  共に闘っていたけれど、闘いが愛に変わったのを見届けて、僕は世界へ向かうバンドから離れることを決めた。  最後に「ART OF LIFE」を一緒に仕上げて、僕の毎日からXが消えて4年経った時、Xというバンドが突然、歩みを止めてしまった。  そしてその後、信じられない悲しみが襲いかかり、時計の針はもう動かなくなってしまった。  過去を振り返ることすら、悲しみに包まれてできない日々に、  僕はXという青春が何だったのか、わからなくなってしまった。  ただ、ひとつだけ残されていたことがあった。  それはひとつの光なのかも知れない、と僕は思った。    僕にとって、YOSHIKIが特別な存在だったのは、バッハやベートーヴェンのように100年残る音楽を生み出せる才能を持っていたからだ。  だからYOSHIKIが生み出した作品は、いつまでも耳を傾けるひとの心を震わせ続ける。  そんな光り輝く才能と出会えたことが、僕の人生の宝物だったはずだ。  再びYOSHIKIのそばに戻った僕は、たくさんのファンが見守る中、オーケストラとYOSHIKIのピアノが奏でる音楽に胸を震わせ、天皇皇后両陛下の優しい笑顔に号泣していた。  YOSHIKIの音楽は、ちゃんと息づいていた。    人目に触れることは少なくなっていたけれど。  やがて再び遠くから見守る立場となった僕に、再結成したXの元気なニュースが届き始めた。  僕は未来に少しずつ期待を膨らませていった。  YOSHIKIが本気で立ち向かうのなら、きっと大丈夫、そう信じて遠くから見守っていた僕は、  マディソン・スクエア・ガーデン公演を観て、驚いた。  そこには、世界に通用するYOSHIKIが輝いていた。  僕が20才から尊敬し続けてきた、ポール・サイモンやポール・マッカートニー、そしてスティービー・ワンダーと同じように、音楽で世界に向かって輝くYOSHIKIがいた。  それは、バッハやベートーヴェンのように100年残る音楽を生み出せる才能を持つYOSHIKIが、悲しみと苦しみに包まれたXというバンドの歴史を、もう一度、光り輝かせ始めている姿だった。    HIDEに続いてTAIJIまで失くした悲しみと苦しみを背負いながら、Xというバンドが音楽の力で世界中のファンを再び救い始めた、その底力を僕は大切に受け取った。  音楽家となった僕にも、何か力になれることがある、そう信じた僕は、YOSHIKIの稀有な才能と魅力をきちんと伝えることを始めた。  そして、映画『WE ARE X』の制作を進めるキジャック監督に、僕の心の中にある「Xという物語」をすべて伝え、託した。  もう、僕の目には「光り輝くX JAPANとYOSHIKIの未来」が見えていた。  だから、2年前のちょうど今頃、YOSHIKIと再び会った僕は、きちんとお願いをしたんだ。  これから、映画への出演だけでなく、僕にできることはやりたいんだ、って。  YOSHIKIが快く歓迎してくれて、僕は安心した。  そして何より僕が嬉しかったのは、無邪気にピアノの話をするYOSHIKIの顔が、そして僕と2人の会話が、一緒に闘っていた、あの懐かしい頃と何も変わっていなかったことなんだ。      以来、僕はYOSHIKIの様子を見守りながら、その時々に気づいた大切なことを、伝えてきた。  音楽が時を超えるという事実と、まさにX JAPANがそれを見事に成し遂げていること  どんなに予期せぬことが起きても、ちゃんと未来に向かって人の気持ちが動いていくのは、そこにいつもYOSHIKIの生み出す音楽があるから  YOSHIKIがとうとう、時を超えることのできる音楽の力で、過去と今、そして未来すら、「ひとつ」にしてくれたこと    20年前、僕が思ったことはやはり本当だった。  過去を振り返ることすら、悲しみに包まれてできなかった日々を、  100年残る音楽を生み出せる才能で、YOSHIKIは輝く光で包んでくれた。  すべてを「ひとつ」にして、ファンの心を未来へ向かわせてくれた。  30年も前からYOSHIKIのことを見続けてきた僕にとって、こんなに嬉しいことはないよ。  YOSHIKI、最近僕は思うんだ。  もう、YOSHIKIは音楽そのものになったんじゃないかな・・・って。  5日前に会った時にはね、あえて言わなかった。  もう少しこの想いをあっためてね、次に会った時に話そうと思ってる。    楽しみなんだ。大切なことを2人でゆっくり話すのが。  まだまだ先は長いしね。  そうそう、だから本当に身体に気をつけてね。    この前、最後に伝えた通り、僕は  いつでもYOSHIKIのそばにいるからね。  いつでもYOSHIKIのことを見守っているからね。  世界の音楽のために、生まれてきてくれてありがとう。  その人生を、音楽を、心から誇りに思うよ。    よっちゃん、お誕生日おめでとう。           2018年11月20日 津田直士
音楽プロデューサー 津田直士の 「人生は映画 主人公はあなた」
音楽プロデューサー/作曲家の 津田直士が、その経験から得た、「主人公という生きかた」をもとに、① 人生の悩みや迷いへの答えを分りやすく答える『その答えは』 ② 世間の話題や素晴らしい作品、アーティストプロデュースや音楽制作などあらゆるテーマで自由に綴る『本能が吠えるまま』 ③ 伝説のバンド X JAPANと共に過ごした記憶が瑞々しくリアルに綴られた著書「すべての始まり」に記されなかった舞台裏とプロデュースの原点を新たな視点で描く『夢と夕陽』 ④ 自分らしい人生を積極的に生きている人にインタビューをして、生きかたのヒントを見つける『ある人生 』といったブログを定期的に展開します。