お誕生日おめでとう、YOSHIKI。

 初めてYOSHIKIと2人だけでゆっくり話した時から、もうすぐ31年になるんだね。

 あの日、白いシャツの胸に真紅の血が見えた時から、僕にとってYOSHIKIは特別な存在になった。

 何しろ、命懸けのエネルギーで僕に幻覚を見せてしまうくらいだから。

 YOSHIKIはそれまで会った、他の誰とも違っていた。

 誰もできないことを、真剣に実現しようとしていた。

 そして僕は、その真剣さに賭けた。



 あれから、僕の人生は変わった。

 夢を現実にしていく毎日が始まったんだ。

 厳しい闘いだったけど、夢中だった。

 きっとそれは

 「信じていた」からだと思う。

 


 爆音でハイスパートドラムを叩き続ける、決して自分に負けない力強い横顔も、

 心から感動できる曲ができたら死んでもいい、と作曲への想いを訴える挑戦的な瞳も、
 
 一日中リハーサルスタジオに閉じこもってドラムの練習をし続ける、執念に溢れた後姿も、

 バンドの未来を全員で語り合った後、鮮やかな決断でみんなを納得させるリーダーとしての姿勢も、

 張り詰めていた緊張感を、予想できない笑いで一気に壊してしまう、まるで幼児のような無邪気さも、

 みんな大好きだった。

 もちろんメンバーは皆、そんなYOSHIKIを大好きだったし、誇りに思っていた。
 
 だから新参者の僕に、TAIJIもTOSHIも、HIDEもPATAも、自分なりの表現で人生を共に賭けているYOSHIKIのことを、僕に語ってくれた。

 YOSHIKIは天才で、最高のリーダーなんだ、って。

 YOSHIKIがいるから、俺たちは絶対に負けないんだ、って。負けるわけにはいかないんだ、って。




 人生というのは不思議だね。

 共に闘っていたけれど、闘いが愛に変わったのを見届けて、僕は世界へ向かうバンドから離れることを決めた。

 最後に「ART OF LIFE」を一緒に仕上げて、僕の毎日からXが消えて4年経った時、Xというバンドが突然、歩みを止めてしまった。

 そしてその後、信じられない悲しみが襲いかかり、時計の針はもう動かなくなってしまった。



 過去を振り返ることすら、悲しみに包まれてできない日々に、

 僕はXという青春が何だったのか、わからなくなってしまった。

 ただ、ひとつだけ残されていたことがあった。

 それはひとつの光なのかも知れない、と僕は思った。

 

 僕にとって、YOSHIKIが特別な存在だったのは、バッハやベートーヴェンのように100年残る音楽を生み出せる才能を持っていたからだ。

 だからYOSHIKIが生み出した作品は、いつまでも耳を傾けるひとの心を震わせ続ける。

 そんな光り輝く才能と出会えたことが、僕の人生の宝物だったはずだ。



 再びYOSHIKIのそばに戻った僕は、たくさんのファンが見守る中、オーケストラとYOSHIKIのピアノが奏でる音楽に胸を震わせ、天皇皇后両陛下の優しい笑顔に号泣していた。

 YOSHIKIの音楽は、ちゃんと息づいていた。
 
 人目に触れることは少なくなっていたけれど。



 やがて再び遠くから見守る立場となった僕に、再結成したXの元気なニュースが届き始めた。

 僕は未来に少しずつ期待を膨らませていった。

 YOSHIKIが本気で立ち向かうのなら、きっと大丈夫、そう信じて遠くから見守っていた僕は、

 マディソン・スクエア・ガーデン公演を観て、驚いた。

 そこには、世界に通用するYOSHIKIが輝いていた。

 僕が20才から尊敬し続けてきた、ポール・サイモンやポール・マッカートニー、そしてスティービー・ワンダーと同じように、音楽で世界に向かって輝くYOSHIKIがいた。

 それは、バッハやベートーヴェンのように100年残る音楽を生み出せる才能を持つYOSHIKIが、悲しみと苦しみに包まれたXというバンドの歴史を、もう一度、光り輝かせ始めている姿だった。
 
 HIDEに続いてTAIJIまで失くした悲しみと苦しみを背負いながら、Xというバンドが音楽の力で世界中のファンを再び救い始めた、その底力を僕は大切に受け取った。

 音楽家となった僕にも、何か力になれることがある、そう信じた僕は、YOSHIKIの稀有な才能と魅力をきちんと伝えることを始めた。

 そして、映画『WE ARE X』の制作を進めるキジャック監督に、僕の心の中にある「Xという物語」をすべて伝え、託した。

 もう、僕の目には「光り輝くX JAPANとYOSHIKIの未来」が見えていた。

 だから、2年前のちょうど今頃、YOSHIKIと再び会った僕は、きちんとお願いをしたんだ。

 これから、映画への出演だけでなく、僕にできることはやりたいんだ、って。

 YOSHIKIが快く歓迎してくれて、僕は安心した。

 そして何より僕が嬉しかったのは、無邪気にピアノの話をするYOSHIKIの顔が、そして僕と2人の会話が、一緒に闘っていた、あの懐かしい頃と何も変わっていなかったことなんだ。

 

 
 以来、僕はYOSHIKIの様子を見守りながら、その時々に気づいた大切なことを、伝えてきた。

 音楽が時を超えるという事実と、まさにX JAPANがそれを見事に成し遂げていること

 どんなに予期せぬことが起きても、ちゃんと未来に向かって人の気持ちが動いていくのは、そこにいつもYOSHIKIの生み出す音楽があるから

 YOSHIKIがとうとう、時を超えることのできる音楽の力で、過去と今、そして未来すら、「ひとつ」にしてくれたこと

 

 20年前、僕が思ったことはやはり本当だった。

 過去を振り返ることすら、悲しみに包まれてできなかった日々を、

 100年残る音楽を生み出せる才能で、YOSHIKIは輝く光で包んでくれた。

 すべてを「ひとつ」にして、ファンの心を未来へ向かわせてくれた。

 30年も前からYOSHIKIのことを見続けてきた僕にとって、こんなに嬉しいことはないよ。





 YOSHIKI、最近僕は思うんだ。

 もう、YOSHIKIは音楽そのものになったんじゃないかな・・・って。

 5日前に会った時にはね、あえて言わなかった。

 もう少しこの想いをあっためてね、次に会った時に話そうと思ってる。
 
 楽しみなんだ。大切なことを2人でゆっくり話すのが。

 まだまだ先は長いしね。

 そうそう、だから本当に身体に気をつけてね。

 

 この前、最後に伝えた通り、僕は

 いつでもYOSHIKIのそばにいるからね。

 いつでもYOSHIKIのことを見守っているからね。


 世界の音楽のために、生まれてきてくれてありがとう。

 その人生を、音楽を、心から誇りに思うよ。
 
 よっちゃん、お誕生日おめでとう。


          2018年11月20日 津田直士