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amandaさん のコメント

ありがとうございます。
一番知りたかった事、他のメンバーは納得した(TV番組より)ようですが、タイちゃん本人には知らされていなかったみたいですし、よっちゃんの言う約束を簡単に破った、と言うことはずっと謎ですね。
時代が違っていたら、別の形でエックスは存続していて、48みたいに世界が各国にエックスがたくさん…だったら良かったな〜
タイちゃんとhideちゃんがいなくて本当に寂しいです。
No.1
34ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 自分のライブがあったり体調のトラブルがあったりして1ヶ月経ってしまったけれど、1月5・6・7日は東京ドーム3Daysの30周年だった。    ちょうど3年前に「BLUE BLOOD」30周年をイベントまで開催しながら祝って以来、どこかで30年前のあの頃を常にどこかで感じながらとうとう東京ドーム3Daysに辿り着いたわけだ。    30年前を感じながら送る毎日からこのMemoriesという連載が生まれ、30周年というきっかけごとに僕は雑誌「ヘドバン」のインタビューに答えてきた。    こうやってリアルタイムで3年間を感じると、意外に短い期間で濃密な時間を駆け抜けたんだな、と思う。    もちろん「Xという物語」はまだまだその後も長い年月をかけて進んでいくのだけど、僕が1988年の初頭に漠然とイメージし、その実現を願ったビジョンは、メンバーのとてつもないエネルギーと命懸けの毎日によって想像以上の広がりを見せながらたった3年間で実現し、東京ドーム3Daysが無事終わった時に僕の中で共闘は終わりを告げた。    そのステージが刻まれた映像作品「VISUAL SHOCK Vol. 4 破滅に向かって」のライナーノーツに「闘いは、愛に変わっていた」と書いた背景にはそんな理由もあった。    そう。  1992年春、Xというバンドがソニーミュージックとの契約を終え、海外進出に向けて新たな旅立ちをすることになり、僕は東京ドーム3Daysを最後に現場を離れることになった。    ちょうどTAIJIがXを離れるのと同じタイミングで。  
音楽プロデューサー 津田直士の 「人生は映画 主人公はあなた」
音楽プロデューサー/作曲家の 津田直士が、その経験から得た、「主人公という生きかた」をもとに、① 人生の悩みや迷いへの答えを分りやすく答える『その答えは』 ② 世間の話題や素晴らしい作品、アーティストプロデュースや音楽制作などあらゆるテーマで自由に綴る『本能が吠えるまま』 ③ 伝説のバンド X JAPANと共に過ごした記憶が瑞々しくリアルに綴られた著書「すべての始まり」に記されなかった舞台裏とプロデュースの原点を新たな視点で描く『夢と夕陽』 ④ 自分らしい人生を積極的に生きている人にインタビューをして、生きかたのヒントを見つける『ある人生 』といったブログを定期的に展開します。