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自分のライブがあったり体調のトラブルがあったりして1ヶ月経ってしまったけれど、1月5・6・7日は東京ドーム3Daysの30周年だった。
ちょうど3年前に「BLUE BLOOD」30周年をイベントまで開催しながら祝って以来、どこかで30年前のあの頃を常にどこかで感じながらとうとう東京ドーム3Daysに辿り着いたわけだ。
30年前を感じながら送る毎日からこのMemoriesという連載が生まれ、30周年というきっかけごとに僕は雑誌「ヘドバン」のインタビューに答えてきた。
こうやってリアルタイムで3年間を感じると、意外に短い期間で濃密な時間を駆け抜けたんだな、と思う。
もちろん「Xという物語」はまだまだその後も長い年月をかけて進んでいくのだけど、僕が1988年の初頭に漠然とイメージし、その実現を願ったビジョンは、メンバーのとてつもないエネルギーと命懸けの毎日によって想像以上の広がりを見せながらたった3年間で実現し、東京ドーム3Daysが無事終わった時に僕の中で共闘は終わりを告げた。
そのステージが刻まれた映像作品「VISUAL SHOCK Vol. 4 破滅に向かって」のライナーノーツに「闘いは、愛に変わっていた」と書いた背景にはそんな理由もあった。
そう。
1992年春、Xというバンドがソニーミュージックとの契約を終え、海外進出に向けて新たな旅立ちをすることになり、僕は東京ドーム3Daysを最後に現場を離れることになった。
ちょうどTAIJIがXを離れるのと同じタイミングで。
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コメント
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ありがとうございます。
一番知りたかった事、他のメンバーは納得した(TV番組より)ようですが、タイちゃん本人には知らされていなかったみたいですし、よっちゃんの言う約束を簡単に破った、と言うことはずっと謎ですね。
時代が違っていたら、別の形でエックスは存続していて、48みたいに世界が各国にエックスがたくさん…だったら良かったな〜
タイちゃんとhideちゃんがいなくて本当に寂しいです。
💖豊か💞NA💓お時間💕 NO💗中❤️DE💞すべての始まり💓出来たんだNE💕*॰ْ✧ً︎ଞව̐ ˒̫̮ ව̐ଞ*ْ✧ं︎॰*💗
💖突然❤️不鮮明🧡NI💞なっっTA💓記憶💕津田直士💗ど NO❤️よぉNAっっ💞お気持ち💓だっったのかNA💕⁉️💞(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾💗