僕の中で最近ちょっとしたPATAブームが起きている、ということを自分のTwitterで呟いている。

 きっかけは僕の知らないPATAをある動画で観たことなのだが、そんなちょっとしたPATAブームは、このシリーズ「Memories」の主旨にも適っていてなかなか気に入っている。
 
 僕がこれまで書き続けてきている「Xという物語」についての文章で、PATAについて書いている内容は結構少ない。
 
 その理由を、僕は「すべての始まり」の中でこう書いている。
 
 変わらないPATAのおかげで他のメンバーは変わっていけるし、スタッフも、安心して集まるのだ。
そんな理由から、進化するエックスのストーリーを綴る上で、その魅力と大きな存在意義を、一度解説してしまうと、PATAについて触れる必要は、もうないのです。しかも・・・。それは同時に、エックスが順調に進化を続けている、という証しにもなっているのです。すごい、恐るべきPATA。やっぱ中心じゃん。
 
 我ながら言い得て妙だ。
 
 この文章では1988年から始まった「Xの進化」について書いているので進化という言葉を使っているが、進化を変化に替えてもいい。
 
 PATAの不動がXの変化を促し、守っている。
 
 素晴らしい真実だ。
 
 これぞバンドだ、とも言える。
 
 ドキュメンタリー映画『WE ARE X』を思い出して欲しい。
 
 とても印象的な「そんなヤワじゃねぇ、アイツは」というPATAのセリフ。
 
 メンバーでない僕が、YOSHIKIの体調が極限状態であったことを妙にシリアスな低い声で語ったり、YOSHIKIの胸に真紅の血を見た超常現象をジャスト・イマジネーションなどど意味のわからない英語で説明したり、HIDEのことを想ってあろうことか泣き出したりと、まとまりのない様々なことを幾度も登場しながら語り散らしているのと違い、PATAはたった一言でXが紛れもなく一枚岩のバンドである、という素晴らしい真実を観る人に伝えているのだ。
 
 PATAの本質が見事に表れている。
 
 本当に大切なこと以外は全て手放して生きてきた、PATAの人生そのものが投影された言葉だと言える。
 
 重要なのは、このPATAの生きかたが、周りの人間に良い影響をもたらすところだ。
 
 それはXというバンドの価値が高いからこそ活きる。
 
 周りの人は思うだろう。
 
 伝説のバンド、X JAPANのギタリストPATAという立場なら、色々なことができるだろうに、なぜPATAは静かにしているのだろう。
 
 そして世界の舞台で行われるX JAPANのライブで堂々たるプレイをするPATAを見て、気づくだろう。
 
 そうか、PATAってただひたすらにX JAPANのギタリストであり続けているんだ。
 
 さらに、理解の良い人は気づくだろう。
 
 それほどにX JAPANというバンドは素晴らしいのか。
 
 また別の人は思うだろう。
 
 音楽をやり続けられるというのは、きっとすごく素敵なことなのだな。
 
 これらのように、PATAの姿が気づかせてくれることは、みな正しい。
 
 正しいけれど、それを実践できるミュージシャンやアーティスト、そしてバンドは少ない。
 
 驚くほど少ない。
 
 そこに揺らぐことのない幸せがあるにもかかわらず。
 
 
 
 ここであの頃たまに聞いた、YOSHIKIのつぶやきを思い出してみる。
 
 自分はPATAは似ているのだ、という言葉だ。
 
 どこがどう似ているのか、僕にはわからないけれど、YOSHIKI本人が言うのだからそうなのだろう、とずっと思っていたあの言葉。
 
 今回書いているPATAの姿を元に、その真意を考えてみる。
 
 そうすると突然鮮やかに、明らかになることがある。