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THE LAST ROCKSTARSのライブを会場で2回観た。
過去、経験したことのない時間だった。
新たなオリジナル作品も、それぞれのメンバーが自分達のホームグラウンドで伝えてきた作品のカバーも、ステージパフォーマンスも、皆とてつもなく素晴らしかった。
その様子に、僕は世界が動くことを確信した。
今回この記事を書くにあたって僕は、聴けばわかる音楽の素晴らしさを文章にする必要を感じなかった。
聴けば世界が動くことを容易に想像できるからだ。
それより、僕がライブを観ながら感動のあまり呆然とした、とても大切なことをきちんと書きたいと思う。
僕はこれまで「Xという物語」をずっと書いてきているが、自分が過去プロデュースに関わっていた頃の記憶や今のメンバーの様子からこれだけ長く文章を書き続けることができているのは、Xというバンドがメンバーの人生そのものであり、それがファンの人生と混ざり合いながら一つの物語となっているからだ。
Xというバンドが単なるエンターテインメントだったら、僕はわざわざ文章を書く必要はなかっただろうし、「Xという物語」も存在しなかったはずだ。
だが、Xは単なるエンターテインメントではなくてドキュメンタリーだ。
命のある生きもののように「Xという物語」に関わるすべてが生きている。
そして一方、THE LAST ROCKSTARSでYOSHIKIを支える3人のメンバーは、Xの再結成まで「Xという物語」に登場していたわけではない。
だけど今回、僕がステージを観て凄まじく感動したのは、3人のメンバーが、YOSHIKIへの友情・愛情・尊敬、そしてYOSHIKI同様に日本を背負って世界に存在を問いかけることのできる圧倒的な才能で、YOSHIKIの人生と交じり合い、新たな未来を創り始めていた。
つまりTHE LAST ROCKSTARSというバンドもまた、エンターテインメントではなく正真正銘のドキュメンタリーだったのだ。
友情と愛情と尊敬によってお互いの人生を支え、4人の才能が一つになってファンと共に世界に向かう様子を目の当たりにする・・・そのような心揺さぶるドキュメンタリーだったのだ。
自らのバンドの中心でありながらX JAPANをしっかりと支えてきたSUGIZO、狭い日本を飛び出し厳しい世界の舞台で活躍してきたMIYAVI、そしてロックするYOSHIKIを全開にするバンド結成を導き出したカリスマアーティストHYDE。
僕には、そんな3人がそれぞれの角度でYOSHIKIの凄さと孤独を理解し、支えているようにすら見えた。
もちろん、実際にはごく自然に4人が新しいバンドを始めることになったのだろうと思う。
ただ、記者会見でHYDEが話したバンドのきっかけでわかるように、今、ドラムを叩くYOSHIKIがロックするためには、THE LAST ROCKSTARSというバンドの存在が必要だった。
そこに僕はYOSHIKIの人生を見て、感動するのだ。
また4人が今、ごく自然に新しいバンドを結成し活動する姿に、僕は世界に向かう日本人アーティストの持つ凄みを感じた。
世界に挑戦することのリスクを軽く撥ね飛ばすような、笑顔と確信に満ちた無敵の表情。
それを見て、4人は素晴らしいものを手にしている、と僕は思った。
10代のロックキッズのような輝きと共に、今という時代に日本人アーティストとして堂々と世界へ挑戦状を叩きつける、自信に溢れた喜びだ。
だからきっと、4人はTHE LAST ROCKSTARSによって新しい人生を切り拓いているのだと思う。
THE LAST ROCKSTARSのない人生も素晴らしいだろうけれど、敢えて新たな挑戦を始める。
そうやって人生を切り拓いて未来を創るところに、本当のロック魂があるのだろう。
その姿は、僕が以前ツイートしたようにマンネリや予定調和の対極にある。
そういったものを、僕はステージから痛いほど感じ取った。
圧倒的なアーティストとしてのこれまでの音楽人生を、4人が4人とも全てステージに懸けているのだ。
さらに、そのエネルギーと衝動が、THE LAST ROCKSTARSというバンドの存在、音楽性、そしてステージのあり方を、とてもわかりやすくしていた。
だからある意味でとてもシンプルな印象だった。
あまりにシンプルで潔く「THE LAST ROCKSTARS」だけが届いてくるので、これは個人的な感覚だが、僕はそのステージに「X JAPAN」も「LUNA SEA」も「L'Arc〜en〜Ciel」も「MIYAVI」も感じなかった。
それぞれのレパートリーを演奏しても、伝わってくるのはそれぞれのホームグラウンドではなく、その経験で得た4人一人ひとりのカリスマ性と世界に通用する力強さだった。
揺るぎなくバンドだった。
そんな「THE LAST ROCKSTARS」しか見えないステージは、SUGIZOに余裕としなやかさを、MIYAVIにバンドのギタリストとしての輝きを、HYDEに世界的なパフォーマーとしての貫禄を感じさせてくれていた。
そして僕が何より強く感じたのは、そのステージがYOSHIKIを見えない鎖から解き放っている、ということだった。
その見えない鎖の存在というのは別にネガティブなことではない。
YOSHIKIがその類まれなる強い責任感が生み出す、YOSHIKIの生きかたそのものだ。
YOSHIKI自身が責任感ゆえに背負ってしまい、YOSHIKIを縛っていた鎖から、THE LAST ROCKSTARSというバンドがYOSHIKIを解き放ち、新たな角度から世界へ向かうことを可能にした。
奇跡だ。
YOSHIKIがステージで「奇跡だ」という発言をした通り、それは奇跡なのだ。
だからYOSHIKIは新たな自由を手にした。
過去を自由に選び
今を気兼ねなく自分で満たし
未来を仲間と分かち合える
そんな自由を手にした。
今回のステージには、そんなYOSHIKIの笑顔と奇跡への感謝が溢れていた。
世界へ向かうTHE LAST ROCKSTARS。
その音楽の魅力は、YOSHIKIの音楽性の凄さを深く理解する音楽家の僕がわざわざ語る必要もないほど明確だ。
だから僕は敢えてTHE LAST ROCKSTARSのもう一つの強い魅力を言葉にしようと思う。
それは、決して今の世界の音楽シーンにおいて中心にあるとはいえないロックのバンドでありながら、とても新しい可能性に満ちた、今という時代ならではの魅力だ。
それは「ジェンダーレスな日本人の美しさ」だ。
過去、日本の魅力というのは、残念ながら世界の音楽シーンにおいて中心には存在しなかった。
だが、THE LAST ROCKSTARSのメロディーと4人のメンバーの美しさは日本人の美しさそのものだ。
ロックバンドの男性はマッチョな男性性が目立つ中、4人のメンバーが皆、ジェンダーレスな独特の美しさを放っている。
どちらも世界という舞台のロックバンドにおいては新鮮な魅力だ。
しかもそれらは、4人のメンバーが自らの人生で豊かに築き上げた本物の魅力だ。
その4人が放つ音楽と繰り広げるステージ、そしてメッセージと存在そのものは、マンネリや予定調和の対極にあるドキュメンタリーの持つ凄みに満ちている。
THE LAST ROCKSTARSというバンドが、常に本物の快感と興奮を求めている世界の人々から歓迎されることを、僕は確信している。
そしてその刺激的なドラマに、YOSHIKIという大切なアーティストの人生が懸かっていることに、僕はとても感動している。
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音楽プロデューサー 津田直士の 「人生は映画 主人公はあなた」
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