3. X JAPANの今〜「生きた映画」の意味
 
 一週間が過ぎたが、まだまだMSGの記憶は鮮明だ。
 
 あの時間は前回書いた通りまさに「生きた映画」だったし、メンバーは過去ベストの演奏をしていた。運命共同体は夢の実現を7人のメンバーと共に泣きながら喜び、幸せに包まれた。きっと遠い国のオーディエンスも新たな世界的バンドの登場に心を踊らせたはずだ。
 
 そして僕は X JAPANを想う数多くの人たちと一緒に「生きた映画」を見つめながら、新たな真実に気づいていた。

 僕が気づいたその新たな真実は、27年間という年月の重さに形を変えて、僕の心を直撃した。
 
 落ち着いて考えてみると、それは結局、あの時自分が目の当たりにした『「生きた映画」の本当の意味』そのものだった。

 
僕が以前書いた本「すべての始まり」は、X JAPANの復活後、2009年の春に書いたものだ。

 あれから5年・・・。

 今回MSG公演を観ながら気づいた、新たな真実をきちんと綴るためには、本には書いていない、僕の心の中に大切にしまってあった幾つかの光景を、改めて振り返る必要がありそうだ。

 

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 2000年5月

 僕は、ある若いバンドのメンバーと共に、ロサンゼルスにあるYOSHIKIの自宅にいた。