愉快だった。いやある意味では不愉快だったといえる。
なにしろ、取材者の苦労や厳しさをもっとも知っている人物たちである。前の世紀から取材と執筆の苦労をともにし、少なくとも日本の雑誌ジャーナリズムの一翼を担ってきた人々である。
ジャーナリストとして共通の言語と体験を前提とした会話は楽しくないはずがない。実はあの時の取材はこうだったとか、あの記事の失敗の原因はあれに違いない、などと話すだけで、厳しいながらも豊かな時間に戻れることができたのだ。
私自身で言えば、橋本、小渕、森、小泉、安倍、福田、麻生、鳩山、菅政権の9政権(野田政権以降は休業に入っている)、15年近くに及んだ政治取材活動は、確実にその後の活動の基盤になっている。
たとえば、メディアカンパニーNOBORDERの活動基盤は、まさしく当時の人脈や経験の延長線上にあり、彼ら編集者たちから学んだことが良きエッセンスとして生きている。
一方で、編集長たちに共通の感覚として日本の出版ジャーナリズムへの不安が大きくなっていることもわかった。