議員秘書時代は選挙区であったこともあり、それはさらに顕著だった。仕事の終わりには先輩秘書たちに呼び出され、「ムラ」(当時銀座をそう呼んでいた)に集まり、一日を終えるのが半ば強制的な習わしとなっていたのだ。
それはニューヨークタイムズに入ってからも変わらず、フリーランスのジャーナリストとして独立してからも続いた。
銀座から徒歩圏内に住んでいるということもあるのだろう。私にとっての銀座は、特別な観光地でも商業地でもなく、単なるご近所に過ぎなかった。
実際、夜の旅が終われば、みな駅やタクシー乗り場に揃って向かうところを、私一人が「では、おやすみなさい」と反対方向に踵を返し、自宅に向かう小路を歩き出すのだ。
それは、一種の優越感とともに私自身の日課ともなっていた。
だが、そんな生活に終止符を打ってからすでに4、5年が経とうとしている。いまは晴海通りを自家用車で通り抜けるのみが、私にとっての「銀座」になっている。
銀座では多くの人々と出会った。いまなお変わらぬ付き合いの人もいれば、疎遠になってしまった人もいる。大臣になった人もいれば、刑務所の塀の反対側に行ってしまった人もいる。
そして、その日の夜も、私は、銀座の街をおそらくアルコールの匂いを若干強めに放ちながら、いつもの夜と同じように旅をしていたにちがいない。そんな情景が記憶の淵に引っかかっている。
ただ、これから書くことは何も特別な「事件」のことではない。いつもの銀座の夜と変わらぬ時間を過ごしていた。
ただ、その夜は少しだけ違ったのかもしれない。不思議なことに行く店、行く店で知り合いに会うのだった。