• このエントリーをはてなブックマークに追加
神の目と天の声 先行き不透明な「新聞」よ
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

神の目と天の声 先行き不透明な「新聞」よ

2012-09-19 08:00
  • 1

「――と見られる」「――と思われる」
これらは、日本の新聞のみで確認される珍奇な表現の一例だ。
まず主語がない。いったい誰が見るのか、思うのか、わからないところがいっぱいで、そうした意味で読者の好奇心を脱力的に刺激してくれる。
「見られる」「思われる」という受身形の表現からも、「見て」、「思っている」のが記者でないことだけは確かだ。では、いったい誰が……?

 
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
ニコニコポイントで購入

続きを読みたい方は、ニコニコポイントで記事を購入できます。

入会して購読

この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。

コメント コメントを書く

日本語の独特な構造も関係あるかな?I am, I think が最初に明確にする言語と比べ、日本語は誰が何を、を抜きにやろうと思えば何ページも書けますからね。

No.1 141ヶ月前
コメントを書く
コメントをするにはログインして下さい。