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【対談】吉田尚記×宇野常寛
すべてのコンテンツは宗教である
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.8.11 vol.664

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今朝は吉田尚記さんと宇野常寛の対談をお届けします。「コンテンツ」の本質を伝統的な「宗教」になぞらえて読み解く吉田さんと宇野の議論は、オタクの歳の取り方から、「他者の物語」への共感能力の衰退、さらには物語を生成する二次創作的な環境の問題にまで広がります。運営型コンテンツ全盛の今、物語系コンテンツの想像力の在処を探ります。


▼プロフィール
吉田尚記(よしだ・ひさのり)
1975年12月12日東京・銀座生まれ。ニッポン放送アナウンサー。2012年、『ミュ〜コミ+プラス』(毎週月〜木曜24時00分〜24時53分)のパーソナリティとして、第49回ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞受賞。「マンガ大賞」発起人。著書『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』(太田出版)が累計13万部を超えるベストセラーに。マンガ、アニメ、アイドル、落語やSNSに関してのオーソリティとして各方面で幅広く活動し、年間100本近くのアニメイベントの司会を担当している。自身がアイコンとなったカルチャー情報サイト「yoppy」も展開中。現在、新型のラジオ「Hint」を開発し、 https://camp-fire.jp/projects/view/8696 で9/20までクラウドファンディング続行中。
なお、コミックマーケット90は8/14(日)東地区ポ-45b『練馬産業大学落語研究会』で出展。

◎構成:有田シュン


■ コンテンツを「宗教」として考える

宇野 今日は、アナウンサーの吉田尚記さんをお招きして、これからの物語の可能性、というテーマで議論してみたいと思います。いまエンターテインメントというか、物語と人間の関係は大きく変化している。それは一番わかり易いところで言うと社会の情報化の結果ですね。誰もが自分の物語を発信することができるようになった時代、あるいは現実に存在するおもしろいことを検索して知るコストがどんどんゼロに近づくことによる、虚構の機能の変化という問題に僕らはぶつかっている。
 こうした問題について、一度ふたりでじっくり話してみたい、というか吉田さんの考えを聞いてみたい、というのが今日の趣旨です。

吉田 最近、僕がずっと考えてるのは、「コンテンツは宗教である」ということです。本格的に宗教を信奉・研究されている方がいらっしゃるのを承知のうえで、そう考えると納得できることが非常に多いことに気づきました。
 僕は90年代に、篠原涼子が所属していた『東京パフォーマンスドール』というアイドルグループの追っかけをやっていました。いわば20年来のアイドルオタクです。と同時に、アニメやゲームや漫画好きのオタクでもあります。世の中にはいろいろなオタクがいますが、この両方を併発している人は少数派なんですね。でも、僕はどちらも大好きなんです。このような複数のジャンルのオタクを続けていると、それぞれの共通点や、どんなに人気が出ても天下を取れないものがあるということも、だんだんわかってきます。その中の一つが「グラビアアイドル」です。
 なぜか。「歌」がないからです。AKB48やももいろクローバーZは武道館をいっぱいにできるけど、グラビアアイドルにはできない。歌には商品性を超えて人間の心を動かす根源的な力があるんだと思います。
 その昔、文化人類学者が南の島に蓄音機を持ち込んで、体系的な音楽文化を持たない現地の人たちに西欧の音楽を聴かせるという実験がありました。そのときの写真を見ると、悲しい音楽を聴かせたときはものすごく悲しそうな顔をしていて、楽しい音楽を聴かせたときはものすごい笑顔になっている。知識や文脈と問わず、根源的な感情を揺さぶる力が、どうやら音楽には備わっているらしい。さらには、太古においては言語よりも先に歌があったという説もあります。僕は、歌で表現された感情を因数分解したものが言葉になったのではないかと思う。だから歌は、ただの言葉になった瞬間に根源的な領域から離陸してしまうんです。
 面白いことに、熱狂や興奮の伴うところには、必ず歌がついてきます。映画でもドラマでもアニメでも、当たり前のように主題歌を作りますし、スポーツにも応援歌があります。それくらいに根源的なのが歌です。
 そして今日の文化においても、歌にしか分かりやすい熱狂はないと思います。天下を取るアイドルは必ず「歌」を持っている。それに対して、グラビアアイドルは基本的に歌いません。
 そして、歌は宗教の重要な構成要素の一つでもあります。例えばキリスト教なら聖歌がある。イスラム教にはコーランがある。仏教にはお経がある。三蔵法師が天竺まで命がけでお経を取りに行ったのが象徴的ですよね。自分の好きなアーティストのライブがインドでしか行われないとなれば、必ず行く奴が出てくる。三蔵法師のモチベーションはそれだったんだと思います。
 今よりもはるかに情報量が少なかった時代に「仏陀」という物語がドンと提示される。「面白い!」と思った瞬間にガチオタになる。手に入る経典をすべて読み尽くす。聖地巡礼もする。そして最後には「インドに行っとく?」となる。行ったら行ったで、向こうにある法典を母国語でも読めるように手動でリッピングする。何年もかけて修行して帰国する。そりゃヒーローになるよね。「あいつはすごい!」と歴史に名が残る。今まで宗教的情熱だと思われていたのが、実はコンテンツに対する熱だったとすると、殉教者や信心に厚い偉人のエピソードはすべて腑に落ちる。
 『枕草子』には、清少納言が法事を楽しみにしている話がありますが、これも法事をコンサートやDJイベントと考えれば、全然おかしくない。コンテンツのない暮らしの中で、坊主というMCが来てお経を上げるわけです。『枕草子』には「今日のお坊さんはお経が下手で萎えるわ」という感想が書かれているんだけど、これって完全にバンギャのブログですよね。当時、宗教がコンテンツとしてどのように消費されていたのかよくわかります。
 歌のほかにもうひとつ、アイドルと宗教の共通点があります。それはコンサートです。コンサートをやらないとアイドルは天下を取れません。これはミサや集会に近いものだと思っています。その場合、お経は歌となります。写真集などの本は聖典ですね。
 さらに大事なのが、毎日仏前で読経する「御勤め」です。宗教は必ずこういった自宅での日課を課しています。これについては最近ゲームの登場によるパラダイムシフトがありました。そうです、ゲームは御勤めなんです。AKBには恋愛ゲームがあるけど、あまり上手くいってませんよね。なぜなら音ゲーではないからです。御勤めはお経をあげるのが基本で、『ラブライブ!』が成功したのは、その辺が上手くできているからです。一番最初に御勤めとしてのゲームを生み出したのは『THE IDOLM@STER』です。アイマスのゲームをやっているうちに「この歌を聴きたい」と思い始める。コンサートというミサが始まり、ノベライズやコミカライズによって聖典が発売される。そして、キャラクターはいわば教祖です。そしてその声を当てている声優さんたちは、巫女に近い。
 このようにコンテンツは、宗教になぞらえて解釈すると、腑に落ちるものが少なくありません。特に運営が存在するタイプのコンテンツは、宗教的な形式に上手くはまっているかどうかで、完成度をチェックできると思います。


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