月島、佃島、石川島――歴史をたどる埋立地散策
(「東京5キロメートル――知ってる街の知らない魅力」第3回)
【毎月配信】 
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.12.23 vol.760

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「歩いてみることで、東京を再発見する」街歩き企画が、リニューアルして帰ってきました! 普段は気づかない、あんな場所やこんな場所に秘められた歴史だけでなく、各地の新しい魅力にもますます迫っていきます。今回は築地から月島、そして門前仲町まで歩きました。記事のご感想、お待ちしております!

◎協力:白土晴一
◎構成:松田理沙+PLANETS編集部
◎写真:宇野常寛、松田理沙

「東京5キロメートル」過去の配信記事一覧はこちらから。


今回の街歩きでは、下町情緒あふれる東京の湾岸地域を歩きました。東銀座からスタートし、活気ある築地、もんじゃで有名な月島、そして最後は門前仲町までのコースです。

また、リニューアルした今回から、歴史考察のアドバイザーとして、白土晴一さんに参加していただきます。白土さんと一緒に歩いてみると、このエリアには、東京のウォーターフロントとしての壮大な歴史が隠されていることがわかりました…! 今回は、その詳細を解き明かすとともに、下町の中に見つけた癒やしスポットをご紹介していきます。

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▲白土晴一(しらと・せいいち)さん。1971年生まれ。リサーチャーとしてアニメやマンガの設定考証を手掛ける。アニメ『純潔のマリア』『ジョーカー・ゲーム』『ドリフターズ』などの設定考証を担当。マンガ『ヨルムンガンド』『軍靴のバルツァー』に設定協力で参加。

寒さも厳しくなってきたとある休日。私たちは、東銀座駅の近くに集合しました。「東京駅から歩いてきましたよ」と白土さん。お散歩が趣味の一つだそうで、今回の街歩きでご一緒できることに、胸が高鳴ります!

歌舞伎座に向かおうと歩き出したところ、道の途中、うっかり通り過ぎてしまいそうなほどこぢんまりとした神社がありました。立派な狛犬が座っています。

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▲供えられていた油揚げは袋に入ったままで置いてありました。

白土さんいわく、江戸時代、ここには深溝藩主板倉家があり、大名屋敷には中に家内安全・火除けなどの社が多く建立されましたが、明治維新後もこの神社だけが残ったのだそう。江戸時代には流行り神というものがあり、最も流行ったのが稲荷神社なんだとか。だから東京には稲荷神社が多いんだなあと納得しました。


(1)歌舞伎座 屋上庭園

最初に私たちは、歌舞伎座の屋上庭園に向かいました。小さいながらも心が落ち着く屋上庭園。歌舞伎座のビルには、それ以外にもカフェやたくさんの展示がありますが、あまり知られていない場所なのか人気がありませんでした。銀座の真ん中に、穴場スポット発見です!

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庭園から下の階へ下りるとき、歌舞伎座の屋根の瓦を間近に見下ろすことができます。とても貴重な経験でした! 一つ下の階へ下りると、歌舞伎座の歴史に関する展示スペースがありました。

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▲明治時代の歌舞伎座の模型。欧米文化を取り入れようと、外観は西洋風の設計になったそう。

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▲焼失後、1920年代に建て替えられた歌舞伎座。第二次世界大戦前の時代の雰囲気の影響か、反対に日本式を意識したデザインが採用されています。

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▲現在の歌舞伎座(上部に複合ビルを建設する前)

何度も建て替えが行われており、すべての模型が揃っていたので見応えがありました。銀座の人混みに疲れたときに、立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

次は、築地へ向かいます。歩いている途中に、築地川銀座公園がありました。

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白土さんいわく、この公園の下を通る高速道路は、築地川という大きな川を埋め立てて道路にしたもの。1964年の東京オリンピック開催を前にして、首都高をつくりたい、でも土地の買収がなかなかできない、となったときに、買収が不要である川を埋め立てて道路にしてしまったそうです。当時は、貨物の輸送手段が船からトラックなど車に交代した時期だったため、水運の要であった築地川も埋め立てが決まったそう。ほかにも、この地域には川だったところを埋め立てた道路がいくつも存在しているそうです。この周辺を歩くときは、ぜひ探してみてください。

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▲公園の下を通るのは高速道路。昔は川でした。

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▲さらに歩くと、松竹大谷図書館があります。演劇から映画、テレビドラマまで、様々な作品の台本や雑誌などの資料を読むことができます。


(2)築地本願寺

築地本願寺が見えてきました! こちらは有名なお寺ですが、目の前を通るだけで入ったことのない人が多いのではないでしょうか?

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▲築地本願寺。お寺と聞いて思い浮かべる建築とはかけ離れています。

現在の築地本願寺の本堂は、伊東忠太さんという建築家がデザインしたもの。明治時代に新たな建築を探ろうと、当時の常識の西洋留学とは反対に「それならまずはシルクロードを遡ればいいんだ!」と、中央アジアあたりを参考にしてしまった変わった人なんだとか。そのため、アジャンター様式という、古代インドの建築様式が取り入れられています。

そして、伊東忠太は怪物が大好きな人だったそうです。たしかに、あちこちに見られる動物の像は全て一味違いました。本願寺を訪れるときには、そこにいる動物たちにも注目してみてください。

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▲伊東忠太流の怪物(牛?)。とても愛らしいです。

本堂を出ると、敷地の端に、言われなければ気づくことが難しそうな石碑がありました。「これは説明しないと誰もわからない碑です(笑)」と言いながら、白土さんがこんな話をしてくれました。

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▲凱旋釜。エピソードを一緒に聞いた瞬間、ただの石碑にしか観えなかったものがとても面白いものに見えました。

「この石碑は、日露戦争のときに参謀総長だった児玉源太郎と、夢野久作のお父さんである政界のフィクサー・杉山茂丸という二人の親友のお茶目なやり取りの痕跡です。源太郎が戦争に行くとき、茂丸が『勝ったらお前の好きなものをなんでも買ってやる』と言いました。源太郎は『良いお茶の釜が欲しい』と言い残し、無事戦争に勝利して帰って来ました。そこで茂丸は約束を果たしますが、『お前が欲しかった釜はこれだろう!』と源太郎にプレゼントしたのは、豆腐屋さんが大量に大豆を煮る用の、家一軒分くらいの大きな釜だったんです。源太郎はせっかくもらったんだけれどもどうしようもないから、それを本願寺に奉納したと。戦争から帰ってくることを『凱旋』と言うので、これは『凱旋釜」と言うんです」

お茶用の釜が欲しいと言ったら家一軒分ほどの大きさの釜をプレゼントされ、その出来事がいまもこうして築地本願寺の敷地内に記されているとは、スケールが大きすぎて笑ってしまいました。そんなに大きな釜を奉納された後、本願寺が釜をどう処理したのかも気になります。築地本願寺には、明治時代の軍人と政界のフィクサーとの、ちょっとしたお茶目な逸話も隠されていたんですね。


(3)築地魚河岸

すぐ近くには、豊洲に市場が移転したあとも築地に活気を残していく…という目的だった商業施設「築地魚河岸」がありました。ちょうどこの街歩きをした日が施設のプレオープン当日だったため、多くの人で賑わっていました。

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▲迫力の赤身!


(4)かちどき橋の資料館

築地市場から海の方へ歩いていくと、勝どき橋の入り口付近に、「かちどき橋の資料館」があります。資料館は入館無料の施設で、小さい場所でしたが多くの人が訪れていました。

勝どき橋の歴史や、はねあげ橋(橋の真ん中が開いて、船が通れるようになる仕組みの橋)として活躍していた時代の機械がたくさん展示してあります。普段立ち入ることのできない橋脚内を見ることができるツアーも受け付けているようでした。

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▲はねあげ橋のモデル。

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▲とても大きな発電機や、動力機械。橋をはねあげるための装置です。


(5)勝どき橋

そのまま私たちは、橋を渡って歩きました。勝どき橋は、昭和15年に開催予定だった万博博覧会のメインゲートとして利用するために、日本では数少ないはねあげ橋として計画されたのだそうです。日中戦争により、いったん建設は中止になったものの、1940年には無事に完成しました。

どうしてこの場所かというと、近くには石川島播磨重工(当時・石川島重工)の造船ドックがあり、工業の発達した一帯だったから。白土さんによると、月島はまさに近代日本のテクノロジーが生まれるところだったそうです。埋立地ゆえに土地の利権者がおらず、非常に安い土地だったために新興の鉄工所などがたくさんできて、工場で働くというライフスタイルが生まれた地域でもありました。

かつて、この隅田川は渡し舟で行き来していました。今ではこの橋のおかげで行き来しやすくなった銀座と月島ですが、昔はすごく遠い街だったんですね。

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▲開発が進む月島、勝どきの街を一望。昔は工業の発信地でした。

橋から対岸の月島や勝どきエリアを眺めると、続々とタワーマンションが建っている様子がわかります。明治以来、工場労働者層の住む地域だった月島が、いまではニューリッチ層の街に変わったことがわかる景色です。なんだか歴史の変化に思いを馳せてしまいます。

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▲ここから往来する船の様子を見て、橋の開け閉めを指示していたそうです。

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▲真ん中から下を覗くと川が見えます…!

橋のちょうど真ん中に立って下を覗くと、川の水がゆらゆら揺れているのがわかります。この橋は、二つのパーツが組み合わさったはねあげ橋なのだと実感できます。車が通ると振動がとても大きくてびっくり。あの振動は、皆さんにも体験していただきたいです……! 立ち止まらずに渡ってしまうと気づくことのできないポイントでした。


(6)月島西仲通り商店街

勝どき橋を渡り、月島に入ると、街並みが一気に直線的になります。月島は、埋め立てられた新しい土地であるため、明治以降の、きれいに整備された区画であることがわかります。

「もんじゃストリート」の異名を持つ月島西仲通り商店街は、その名の通りもんじゃ屋さんがたくさんありましたが、それだけではありませんでした。

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