本誌編集長・宇野常寛の連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』は今回が最終回です。これまでの講義のまとめとして、情報化がもたらした〈体験〉優位の時代に〈サブカルチャー=虚構〉に何ができるのかを考えます。(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年7月22日の講義を再構成したものです)
コンピュータによって「世界を変える」ことが再び可能になった
こういった変化をもたらしているのはもちろん情報化です。そして皮肉なことに、情報化によって人々は、〈情報〉ではなく生の〈体験〉のほうに価値を置くようになっていった。この現状を象徴するのが、これまでの講義でもたびたび触れてきた「アニメからアイドルへ」というサブカルチャーの中心の移動です。
今は映像や音声といった情報は溢れかえっている。だからこそ、直接会いに行って話しかけるとか、自分の一票でアイドルの人生が変わるとか、そういうことのほうに関心が移ってしまっているわけです。〈二次元〉から〈三次元〉への移行は、同時に〈情報〉から〈体験〉へということでもある。もうモニターのなかで何が起こっても人間は驚かないし、リアルな体験にしか人は価値を感じなくなっているんですね。モニターの中の他人の物語に感情移入するのではなく、自分が主役の自分の物語を味わうほうに人々の関心は移行している。技術の進化が、人間の欲望を変えてしまったわけです。
そうなると、もうサブカルチャーに価値なんて無くなるんじゃないか、と思えてきます。それは残念ながら、半分は正解です。
逆に言うと、この数十年が例外的にサブカルチャーの時代だったんです。60年代に革命を掲げたマルクス主義や学生運動が敗北していくと、「世の中を変えるのではなく自分の意識を変えよう」という考え方が世界的にも主流になっていく。「どうせ世界が変わらないのであれば、世界の見え方を変えればいい」――そのための手段としてサブカルチャーが浮上していったわけです。
アメリカ西海岸であれば60年代後半以降にヒッピーやドラッグなどのカウンターカルチャーが流行し、その中の一ジャンルとして注目されたコンピューターカルチャーが伸びていった。これらの文化はやはり「世界を変えるのではなく、自分の意識を変える」という思想を持っています。日本であれば、この講義でお話ししたオカルト文化もそのひとつですね。
しかし、この「自分の意識を変える」という思想が西海岸でカウンターカルチャーからコンピューターカルチャーへと受け継がれていくなかで、「サイバースペース」という新たなフロンティアが発見されます。ヒッピーの流れを汲む西海岸のギークたちは、サイバースペースを通じて資本主義をハックする力を得てしまった。それがGoogleやAppleといったシリコンバレーのグローバル企業なわけです。
サイバースペースによって、「自分の意識を変える」ことをしなくても、世界そのものを変えることができるようになった。そうなったとき、サブカルチャーはその役割を終えつつある、ということだと思います。