今朝のメルマガはPLANETS CLUBで開催された、家入一真さんと宇野による対談の前編をお届けします。Twitterで繰り返される誹謗中傷、偽情報によるGoogle検索結果の汚染なと、近年インターネットではさまざまな問題が顕在化しています。その根源にある「プラットフォームの思想」の誤りと、それを超克する「遅いインターネット」について語り合いました。
本記事はPLANETSCLUB第7回定例会の内容を記事化したものです。PLANETS CLUBへの入会はこちらから!
Twitterでの組織的な攻撃にどう立ち向かうか
宇野 家入一真さんには『PLANETS vol.10』巻末座談会にも参加いただいて、「遅いインターネット」を実現するための具体的な施策について議論しました。今日はあの場では語りつくせなかったビジョンについて話していきたいと思っています。よろしくお願いします。
家入 よろしくお願いします。宇野さん、なんか炎上してましたね?
宇野 炎上っていうか完全に組織的な嫌がらせだよね。あるコミュニティがこれを機会に宇野を潰してやろうみたいな。
家入 宇野さん、そういう目によくあいますよね。
宇野 ここまでの悪質さをもって、あるコミュニティがまるごとガッと来たのは、人生で2回目。すごく悪質で、「ここまできたか」と思った。
そもそもアニメや特撮、マンガなどのオタク業界って、社会学とか文芸批評といった外部からの評論を嫌う文化があって、僕だけじゃなくて宮台真司さんや大塚英志さんなんかも嫌われているんだよね。
僕がNHKの『100分 de 名著』っていう番組に出て、自分で言うのもなんだけど結構活躍したんだよ。彼らの動機としては、まずそれが面白くないっていうのがあるわけ。あるひとりが、僕の発言をほとんど捏造と言っていいレベルで悪意を持って脚色して流し、「これ幸い」とばかりにコミュニティ全体で襲いかかってきた。
こうしたことは何回か経験があるけれど、ここまで大きいのは初めてで、今回は戦わなきゃいけないなって思ったんだ。「遅いインターネットが大事」と言っている人間だからこそ、戦わなきゃいけないって。
相手の発言を捏造して拡散するって、言わば犯罪じゃない。ちゃんと謝罪しなければ裁判にするとまで言い、もともとの発言者にも最初に拡散して支援した人にもきっちり謝らせたんだよね。
拡散を支援してた人は番組すら見ていなかったらしく、結構ひどい話なんだよ。ただ、途中で「それはまずい」と気づいてくれたみたいで、最後はすごく丁寧に謝ってくれた。
ところが、ここから先が終わってる話で、もともと僕の発言を捏造してデマを拡散した人は特撮の助監督もやっている人で、コミュニティの内側の人だった。だから、自分たちの村の住人が外側の評論家にボコボコにされて負けちゃって、恥をかかされた、絶対仇を取らなきゃみたいな感じで、嫌がらせの第2波が始まった。
本人が謝罪したにも関わらずデマを流したり、一連の経緯について僕が悪かったように、アンチ側のツイートばかりを選んで作ったまとめとかを拡散しようとしたり。
だから読者に対抗言論への協力を求めたんだ。
これが結構うまくいって、いまは彼らが捏造して攻撃したことが明らかになっていると思う。ただね、本当にこんなことしなきゃいけない世の中は間違ってる、っていうのが感想。
家入 たとえばこれが半年前とか1、2年前とかだったら、宇野さんの対応は違ってた?
宇野 ここまで徹底的にやろうとは思わなかっただろうね。去年、『スッキリ!!』をクビになってから戦い方を変えようって思っていた。『母性のディストピア』という代表作も書き、この先何をしようかと考えたとき、インターネットから生まれた物書きとして、僕はもう1回インターネットでやりたいと思ったんだ。
紙の本を作るのも好きだけど、ウェブマガジンは昔からやりたかった。ネットの言論こそ世の中を変える力があるし、ネットほど自由なメディアはない。ネットで面白い議論が出てくる場をもう1回作りたいなって思って、年始の挨拶に「今年は遅いインターネットやります」って宣言したのね。それが始まりで、この宣言がなかったら、ここまで徹底的にクソリプを撃滅することはなかったと思う。
落合陽一くんとかはあちゅうさんとかイケダハヤトさんも、同じようなことで戦っている。僕よりも若い連中が、僕ら世代が作ってしまったインターネットを多少なりとも浄化するために血を流しているのに、僕が固定読者との殻に閉じこもって、「あいつらバカだよな、プゲラ」的なことを内輪で言って終わるのはなしだと思った。
大変なのはわかっていたけど、少なくともこの件に関しては、最後までやりきろうって。『PLANETS Vol.10』を校了してなかったら、ここまで徹底してはやってなかったけどね(笑)。
日本のインターネットの失敗を認めるところから始める
家入 僕、東日本大震災の後、「はしゃぐのは不謹慎だ」といった閉塞感を打破するのは「祭り」のパワーなんじゃないかと思って、高木心平とアメリカのバーニングマンっていう祭りに行ったり、日本各地の祭りを見て回ったりしてたのね。
今回起きたことって、ある種の「祭り」のようなものが良くない方向に行ったってことですよね。事実とか、それによって傷つく人の存在はどうでもよくて、今宵は祭りだから、みんな楽しければそれでいいみたいな。いま自分たちが感じているこの感情が最高であり正義である、今ココこそが真実、みたいな風潮がありますよね。
僕は「祭り」というものでこの世界は変わっていくんじゃないかって思ってたんだけど、最近では、数年前に自分が思っていたものと違う方向に行ってるなってすごく感じます。
宇野 家入さんが都知事に立候補して、僕も応援演説をしてた頃はお互いにそう思っていたと思うんだよね。あの頃は僕らまだインターネットの祭りというか、インターネットポピュリズムでマスメディアポピュリズムと戦おうと思っていた。
まだ僕らは少数派かもしれない。でも、Twitterのようなツールをうまく使えばテレビのポピュリズムに対抗できるかもしれない。そこには当然、ネトウヨのヘイトスピーチや反原発系のデマなどの副作用もあるけれど、正しく使えばこれは世の中を変える武器になるんじゃないかと信じていた。
でも、そのこと自体が間違っているんじゃないか? そう思って言い出したのが「遅いインターネット」なんだよね。だからそこに関して、僕は明確に転向している。
家入 僕は、インターネット黎明期って言われる時代に「ロリポップ」というレンタルサーバを立ち上げたんだけど、当時、レンタルサーバを使ってホームページ立ち上げるようなことをしていたのは、法人かギークな男性だったんですよね。
でもこの先、値段はもっと安くなり、若い人たちが自己表現の場としてホームページを作ることができる時代になる。個人が発信する表現が従来のメディアを壊していくという思想がインターネットによって拡がっていくと思っていた。
国境や言語、肌の色を越えて、みんなが仲良くつながれる世界が、インターネットによって訪れるっていうことを信じてたんです。でも、ここにきてどうも違うな、みたいな。
いま、理想と現実の間でインターネットの進化が訪れていると思うんです。うちにインターンで来た若い男の子がある時、「家入さんはインターネットが好きだと言うけれど、その感覚が本当にわからない」って言うんですね。彼にとってインターネットはハサミのようなもので、便利でよく使うけど、わざわざ「ハサミが好きだ」と言う人はあまりいないって。それを聞いて、確かにそうだなと思ったし、すごくハッとさせられたんです。
僕はインターネットに思想や理想を持って生きてきたし、体現してきたという自負もある。でも、若い子からするとインターネットは生まれたときからあって、ツールのように存在しているものなので、「それが好き」ってことの意味がわからないわけです。
面白いのがここからで、このエピソードをFacebookに書いたんです。そしたら、僕と同世代の昔からの友人たちが、コメント欄ですっごい怒ったんです。「若造がインターネット業界で働こうとしているなら、先人が作ってきたこのインターネットにもっと敬意を払うべきだ」みたいな。「ハサミ職人に対しても失礼だ」なんて言ってるやつもいて、我が友人ながら、何を言ってるんだろうって。
宇野 インターンの子が言っていることのほうが正しいよね。自動車だって昔はすごいものだった。なんだったら自転車だって昔、教習所があったわけだよ。自転車が走っているのを見て、「なんか、すごい!」と言っていた時期があった。でもいま、ママチャリは完璧に街の風景になっている。彼が言っているのは、そういうことだよね。それはインターネットが世の中を変えた証拠でもあるから、インターンの子の発言をアラフォー世代のインターネット事業者は誇るべきだよ。
彼が言っているインターネットって、世の中を変えるテクノロジーではなくて、僕ら世代が信じていたインターネットなんだと思うんだよ。テクノロジーではなく文化。匿名で斜に構えていて、時にはポピュリズムで炎上するけれど、トータルではそれが世界をプラスに変えていくっていう。テキストサイト、BBSの時代からTwitterポピュリズムまでの15年間くらいにあったインターネット的な文化のことを指しているんだと思う。
家入 友人たちは、それをちょっとけなされたみたいに捉えちゃったのかな。
宇野 たぶん、自分たちが国内のインターネット普及者であったことにすごく誇りを持っているんだと思うんだよね。ただ、功罪はやはりある。いまのインターネット社会をこうしてしまった責任が僕らの世代にはあるよ。そう思わない?