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今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史」お届けします。第2回では、1991年に始まった『批評空間』と『ゴーマニズム宣言』から、平成初期の言論状況ーー〈子供〉であり続けることと、〈父〉を擬制することが、奇妙に共存する日本のポストモダンについて。さらに、同時期に進行していたアカデミズムの制度的変化がもたらした影響について考えます。

「運動」し始める子供たち

 平成3~4年にあたる1991~92年に、平成思想史を描く上で欠かせないふたつのメディアが発足します。91年4月に柄谷行人さん(文藝批評家)と浅田彰さん(哲学者)が創刊した『批評空間』(~2002年)と、漫画家の小林よしのりさんが92年1月から『SPA!』で連載を開始した『ゴーマニズム宣言』(ゴー宣。95年からは「新」を附して『SAPIO』に移籍)です。

 だいぶ年長の世代にあたる柄谷さん(1941年生、改元時に47歳)については後に触れますが、当時の浅田さん(57年生、同31歳)と小林さん(53年生、同35歳)には、自覚的に「子供っぽさ」を強調して自分のイメージを作っていったという共通点があります。昭和の終焉期に行った柄谷氏との対談で開口一番、浅田さんが言い放った「連日ニュースで皇居前で土下座する連中を見せられて、自分はなんという『土人』の国にいるんだろうと」[1]のような一節(『文學界』89年2月号)が典型ですね。

 1983年に『構造と力』をベストセラーにして登場した浅田さんは、当時「ニュー・アカデミズム」(ニューアカ)のスターと呼ばれていました。ものごとを本質ではなく「構造」に還元して分析する構造主義の手法を使えば、一見するとバラバラな研究対象(たとえば国際政治と性的欲望とサブカルチャー)を自由に横断して論評できる。そうしたスタンスを武器に、論文とエッセイの中間的な文体で、学会や専攻の枠にとらわれない活動を展開したのが「新しかった」わけですね。

 専門をひとつに絞り、長期の徒弟修業のようにじっくり研究することで、その分野に成熟していく――こうしたオールドなアカデミズムのあり方からすると、ニューアカは「子供っぽく」にみえます。浅田さんはそうした批判に、ドゥルーズとガタリらのポスト構造主義(のうち特に精神分析批判)を使って、あらかじめ応えていました。『構造と力』のエッセンスをより平易に描いた、1984年の『逃走論』の一節にそれが表れています。

「言うまでもなく、子どもたちというのは例外なくスキゾ・キッズだ。すぐに気が散る、よそ見をする、より道をする。もっぱら《追いつき追いこせ》のパラノ・ドライヴによって動いている近代社会は、そうしたスキゾ・キッズを強引にパラノ化して競争過程にひきずりこむ」[2]

 資本主義、およびそれとパラレルなものとして成立した近代家族は、「勤めてお金を稼がなくてはならない」「家庭でそれを支えなければならない」といった特定の規範に人間を押し込めて「大人」を作ってきた(パラノイア=偏執狂的である)。しかし近代が終わりつつあるいま、むしろ単一の成熟イメージに捕らわれずスキゾフレニア(分裂症)的に、子供っぽくふるまう方がクリエイティヴだという発想ですね。この言い回しは大流行し、「スキゾ・パラノ」は1984年の第1回新語・流行語大賞に入賞するほどでした。

 若い方だと、2017年に堀江貴文さん(実業家)がヒットさせた『多動力』にある「永遠の3歳児たれ」を連想したかもしれません。平成末期からふり返るならある意味で堀江さんや、もう少しフレンドリーだと古市憲寿さん(社会学)のような、「自分が『頭がいい』と見られていることを知っていて、『だから許される』ことを前提に炎上発言をする人」の先駆者として、1980年代の浅田氏を位置づけることもできます。

 いっぽうギャグマンガ家時代の小林さんの出世作は、1976~79年に『週刊少年ジャンプ』に連載された『東大一直線』。なにがなんでも東大に入ろうとするおバカな生徒の異様な行動が惹起する笑いを通して、パラノ的に「受験戦争の勝者」になることに固執する日本人を風刺した作品です。86~94年に『月刊コロコロコミック』に掲載された代表作『おぼっちゃまくん』も、オノマトペ(茶魔語)を連呼するお子ちゃまなのにお金の力にしがみつく財閥の跡取り息子を露悪的に描くコメディでした。「スキゾなくせにパラノ」な人間が、一番気持ち悪いというメッセージを受けとることも可能でしょう。


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