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記事 6件
  • 與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第4回 砕けゆく帝国:1995

    2019-05-09 07:00  
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    今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史ーーぼくらの昨日の世界」の第4回をお届けします。時代の転換点と言われる「1995年」。55年体制の終焉、オウム真理教事件、サブカルチャーの爛熟ーーその背景にあったのは、かつて江藤淳が「ごっこ遊び」と批判した、戦後日本の欺瞞を覆い隠していたアイロニーの機能不全でした。
    エヴァ、戦後のむこうに
    「それは今すぐにも切り裂かれる空の、告別の弥撒(ミサ)のようだ。パイプ・オルガンの光りだ、あれは。  ……この銀いろの鋭利な男根は、勃起の角度で大空をつきやぶる。その中に一疋の精虫のように私は仕込まれている。私は射精の瞬間に精虫がどう感じるかを知るだろう」[1]
     1995(平成7)年10月4日に初回が放送され、97年7月公開の旧劇場版(Air/まごころを、君に)での完結まで一大旋風を巻き起こしたアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のノベライズにある一節です――と書いたら、ひっかかる人はいるでしょうか。もちろんそうではなく、三島由紀夫が1968年に発表した自伝的な随想『太陽と鉄』の末尾にある、自衛隊機F104への搭乗記の一部です。
     『太陽と鉄』の鉄とは、ボディビルディングに使用していたバーベルのこと。同書が刊行された68年10月に三島は民兵組織「楯の会」を発足させ、70年11月25日の割腹自殺へと歩みはじめます。この大文学者の想像力のなかでも、性的なマッチョイズムが軍服と私兵と機械(戦闘機=銀いろの鋭利な男根)に形象化されていたことが[2]、よくわかる美文と言えるでしょう。
     『新世紀エヴァンゲリオン』(旧エヴァ)が平成前半の日本で社会現象となった理由は、さまざまに語られてきました。主人公・碇シンジら中学生の心の闇(家庭崩壊やコミュニケーション不全)を描くシナリオと、95年のスクールカウンセラー事業開始にみられる心理主義的な風潮との合致。キリスト教(敵キャラクター=使徒)と異教との対立をモチーフに人類全体の浄化(補完)をめざす闇の組織ネルフが、やはり95年の春から大問題となるオウム真理教を連想させたという偶然[3]。ブルセラショップが街にあふれる時代とシンクロした、青少年向けのTV番組としてはきわどい性描写など。
     しかし高校生だった当時エヴァをまったく見ておらず、2007年に大学教員になって日本文化史を講じるためにようやく鑑賞した私には、この作品がむしろ違うことを訴えていたように思えます。『旧エヴァ』は14歳の碇シンジの失敗し続けるビルドゥングス・ロマン(成長物語)である以上に、つねに軍服に身を包み悪役然として登場するその父・ゲンドウが、いかに「父になれない」存在かが主題だったのではないか、と。
     総監督の庵野秀明さんは1960年生なので、本人の体験ではないのでしょうが、ゲンドウには全共闘時代(70年安保)の過激派学生を思わせるところがあります。主要人物の過去が描かれるTV版のなかば、傷害事件で収監されたゲンドウが釈放されるシーンがありますが、引受人は善人そうな大学教授の冬月コウゾウ。この冬月は結局ゲンドウに、事実上自分の研究室(と女子学生・碇ユイ――シンジの母)を乗っとられるわけですが、その後一時はもぐりの医者をしてセカンドインパクトの被災者に尽くしたという描写にも、冷戦下の「良心的知識人」の戯画としての性格がうかがえます。
     温厚で理知的だが、暴力をためらう冬月のような甘っちょろい(または、平和ボケした)インテリ教授の権威を転覆して、権謀術数に手を染め「解放区」のように治外法権が許される特務機関ネルフの支配者におさまったゲンドウ。しかし、彼の内面は空疎です。亡妻ユイの思い出にいつまでも執着し、その似姿としての人造人間・綾波レイをクローンのように量産しては溺愛する。いっぽうで実の――かつ同性の――子であるシンジとは向きあい方がわからず、世話役を部下の葛城ミサトに丸投げ。
     そうした目で見ると「全共闘世代は父になれるか」こそが、『旧エヴァ』の命題ではなかったかという気がしてきます。全共闘の担い手は団塊の世代(終戦直後の1947~49年生まれ。命名者は堺屋太一)と重なりますが、「団塊親」こそは放映当時、宮台真司氏が「かれらの世代がかつて〔学生運動で〕世間や道徳を否定した実績ゆえに、親本人が絶対的な道徳を信じていない」[4]ため、ブルセラ女子高生を叱る権威をもちえないと指摘していた世代でした。叱ったところでゲンドウのような「厳父のコスプレ」にしかなりえない人びと、ということですね。
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  • 與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第3回 知られざるクーデター:1993-94(後編)

    2019-03-27 07:00  
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    今朝のメルマガは、昨日に続いての連続配信、與那覇潤さんによる「平成史ーーぼくらの昨日の世界」の第3回(後編)をお届けします。1993年の政変の内部で行われていた「父殺し」。その中心となったのは、左翼運動からの転向経験を持たない世代の学者たちでした。そして同時期、「女(少女)」という論点から旧守派を批判する、2人の若手社会学者が登場します。(この記事の前編はこちら)
    転向者たちの平成
     ほんらいの細川ブレーンだった香山健一や、佐藤誠三郎らのビジョンの相対的な穏和さを考えるとき、鍵となるのは彼らが昭和の「転向者」の系譜を引くことだと思います。じつは香山は、60年安保で活躍した共産主義者同盟(一次ブント、非共産党系)の創立者で、つまり中沢事件で佐藤とともに東大を去った西部邁の先輩格。佐藤も都立日比谷高校で民青同盟(共産党系の学生組織)のキャップを務め、東大文学部の在学中には反共的な教員への抗議運動を組織して大学院に落第、法学部で学士からやりなおした硬骨漢でした【11】。
     転向とは、もとは昭和戦前期、激しい弾圧のもとで共産主義の思想を放棄することを指す用語ですが、戦後の場合はむしろ、左翼運動への「失望」を契機とする点に特徴があります。そうした「戦後転向」のピークは、ざっくり言って3つあげられるでしょう。
     ひとつめは戦後初期で、渡邉恒雄氏(のち読売新聞主筆)や氏家齊一郎(日本テレビ会長)に共産党への入党歴があるのは有名ですね。彼らと旧制高校・東大時代の親友で、終生左翼の立場をつらぬいた網野善彦(日本中世史)も、朝鮮戦争(1950~53年)のもとでの武装闘争路線の惨状をみて、党の活動から離れました。逆に、強固な反マルクス主義の実証史家になる伊藤隆さん(昭和政治史)のほうが、むしろその後の武装闘争の放棄を機に党中央と対立し、ハンガリー動乱(56年)に際して離党、やはり転向した佐藤誠三郎と生涯の盟友になるのも、この時代の不思議な綾でした。
     ふたつめは60年安保の挫折によるもので、香山・西部ら左翼組織の幹部のほか、市民派との共闘を見切って「完全に保守化した」という意味では、江藤淳や石原慎太郎さん(作家。のちに自民党の国会議員をへて東京都知事)も広義の転向者に入るでしょう。みっつめはご想像のとおり、70年安保とも呼ばれた全共闘世代の転向組です。
     転向者とは「一度は自分もまちがえた」体験をもち、そのことを公にしている人たちなので、その後の行動パターンは2つに分かれます。西部邁のように、異なる立場にたいしても一定の鷹揚さを示す「懐の深い人間」としてふるまうか、1995年春に自由主義史観研究会を組織して以降の藤岡信勝さん(教育学者)のように、かつての「汚点」の払拭を期してもう一方の極端へと歩みを進めるかですね。
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  • 與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第3回 知られざるクーデター:1993-94(前編)

    2019-03-26 07:00  
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    今朝のメルマガは、2日連続配信で與那覇潤さんによる「平成史ーーぼくらの昨日の世界」の第3回をお届けします。1993年、自民党一党支配の55年体制が終焉し、細川護煕首相による連立内閣が発足します。しかし、日本型多元主義に基づく「穏健な多党制」を志した改革は、いつしか小沢一郎とそのブレーンである若手学者たちによる『日本改造計画』、小選挙区制による「集権的な二大政党制」へとすり替わっていきます。
    フェイクニュースだった大疑獄
     1993年(平成5年)が、日本政治の分水嶺だったことを否定する人はいないでしょう。この年7月の衆院選(いわゆる嘘つき解散)をうけて、8月に非自民8党派による細川護煕連立内閣が発足、自民党一党支配の別名である55年体制が崩れ落ちました。翌94年3月に同政権が成立させた政治改革四法により、衆議院選挙に小選挙区制(比例代表との並立制)が導入され、やがてそれが2000年代前半の小泉改革や、2010年前後の民主党政権を生みおとすのは周知のとおりです。
     よほどの保守派をのぞくと、このとき行われた改革は――後に混乱や副作用をもたらしたにせよ――戦後の政治経済体制の行きづまりが生んだ、時代の「必然」だったとみなす人がほとんどです。じつは私も、かつてそのように書きました【1】。しかし、それはほんとうだったのでしょうか。
     このとき国民の政治改革熱が高まった主たる要因は、昭和最末期の1988年夏から政界を揺るがしたリクルート事件でした。新興企業として勢いのあったリクルートが、値上がり確実と目された子会社の未公開株を有力政治家にばらまき、便宜を得ていたとされる事件ですね。当時の竹下登首相、中曽根康弘前首相、後継候補の本命だった安倍晋太郎・宮澤喜一らがこぞって譲渡を受けていたため、派閥領袖ではない「子供」の宇野宗佑内閣が生まれた経緯は先にふれました。
     しかし政治報道の第一線にたっていた田原総一朗さんは後日、この事件を冤罪だと断言しています【2】。田原氏は当時「朝生」以外にも多くの番組でキャスターを務め、93年5月31日の「総理と語る」で宮澤首相から「今国会で政治改革を必ずやる」との言質をとったことが、2か月後の衆院解散と政権交代をもたらしたとされました。
     その政治改革のシンボルだった田原さんが、なぜリクルートを冤罪と呼ぶのでしょうか。じつは公開に先立ち未公開株を有力者に譲渡して、会社に箔をつけるのは当時広くみられた慣行(=業界人のつきあい)でした。近日だと、ソフトバンク株が2018年末の上場時に公開価格を下回って話題となりましたが、思った値段がつかなければ未公開株を持っても損をするので、一概に利益供与とは言えないのです。リクルートの側が見返りを得た事実もこれといって見当たらず、当初は検察も立件は無理という判断だったそうです。
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  • 與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第2回 奇妙な政治化:1991-92

    2019-02-26 07:00  
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    今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史」お届けします。第2回では、1991年に始まった『批評空間』と『ゴーマニズム宣言』から、平成初期の言論状況ーー〈子供〉であり続けることと、〈父〉を擬制することが、奇妙に共存する日本のポストモダンについて。さらに、同時期に進行していたアカデミズムの制度的変化がもたらした影響について考えます。
    「運動」し始める子供たち
     平成3~4年にあたる1991~92年に、平成思想史を描く上で欠かせないふたつのメディアが発足します。91年4月に柄谷行人さん(文藝批評家)と浅田彰さん(哲学者)が創刊した『批評空間』(~2002年)と、漫画家の小林よしのりさんが92年1月から『SPA!』で連載を開始した『ゴーマニズム宣言』(ゴー宣。95年からは「新」を附して『SAPIO』に移籍)です。
     だいぶ年長の世代にあたる柄谷さん(1941年生、改元時に47歳)については後に触れますが、当時の浅田さん(57年生、同31歳)と小林さん(53年生、同35歳)には、自覚的に「子供っぽさ」を強調して自分のイメージを作っていったという共通点があります。昭和の終焉期に行った柄谷氏との対談で開口一番、浅田さんが言い放った「連日ニュースで皇居前で土下座する連中を見せられて、自分はなんという『土人』の国にいるんだろうと」[1]のような一節(『文學界』89年2月号)が典型ですね。
     1983年に『構造と力』をベストセラーにして登場した浅田さんは、当時「ニュー・アカデミズム」(ニューアカ)のスターと呼ばれていました。ものごとを本質ではなく「構造」に還元して分析する構造主義の手法を使えば、一見するとバラバラな研究対象(たとえば国際政治と性的欲望とサブカルチャー)を自由に横断して論評できる。そうしたスタンスを武器に、論文とエッセイの中間的な文体で、学会や専攻の枠にとらわれない活動を展開したのが「新しかった」わけですね。
     専門をひとつに絞り、長期の徒弟修業のようにじっくり研究することで、その分野に成熟していく――こうしたオールドなアカデミズムのあり方からすると、ニューアカは「子供っぽく」にみえます。浅田さんはそうした批判に、ドゥルーズとガタリらのポスト構造主義(のうち特に精神分析批判)を使って、あらかじめ応えていました。『構造と力』のエッセンスをより平易に描いた、1984年の『逃走論』の一節にそれが表れています。
    「言うまでもなく、子どもたちというのは例外なくスキゾ・キッズだ。すぐに気が散る、よそ見をする、より道をする。もっぱら《追いつき追いこせ》のパラノ・ドライヴによって動いている近代社会は、そうしたスキゾ・キッズを強引にパラノ化して競争過程にひきずりこむ」[2]
     資本主義、およびそれとパラレルなものとして成立した近代家族は、「勤めてお金を稼がなくてはならない」「家庭でそれを支えなければならない」といった特定の規範に人間を押し込めて「大人」を作ってきた(パラノイア=偏執狂的である)。しかし近代が終わりつつあるいま、むしろ単一の成熟イメージに捕らわれずスキゾフレニア(分裂症)的に、子供っぽくふるまう方がクリエイティヴだという発想ですね。この言い回しは大流行し、「スキゾ・パラノ」は1984年の第1回新語・流行語大賞に入賞するほどでした。
     若い方だと、2017年に堀江貴文さん(実業家)がヒットさせた『多動力』にある「永遠の3歳児たれ」を連想したかもしれません。平成末期からふり返るならある意味で堀江さんや、もう少しフレンドリーだと古市憲寿さん(社会学)のような、「自分が『頭がいい』と見られていることを知っていて、『だから許される』ことを前提に炎上発言をする人」の先駆者として、1980年代の浅田氏を位置づけることもできます。
     いっぽうギャグマンガ家時代の小林さんの出世作は、1976~79年に『週刊少年ジャンプ』に連載された『東大一直線』。なにがなんでも東大に入ろうとするおバカな生徒の異様な行動が惹起する笑いを通して、パラノ的に「受験戦争の勝者」になることに固執する日本人を風刺した作品です。86~94年に『月刊コロコロコミック』に掲載された代表作『おぼっちゃまくん』も、オノマトペ(茶魔語)を連呼するお子ちゃまなのにお金の力にしがみつく財閥の跡取り息子を露悪的に描くコメディでした。「スキゾなくせにパラノ」な人間が、一番気持ち悪いというメッセージを受けとることも可能でしょう。
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  • 與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第1回 崩壊というはじまり:1989.1-1990

    2019-01-24 09:00  
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    今朝のメルマガは、昨日に続いての連続配信、與那覇潤さんによる「平成史」の第1回をお届けします。昭和最後の年となった1989年は、奇しくも「昭和天皇の崩御」や「東西冷戦の終結」といった歴史的事件が重なった1年でした。それは、保守革新の両陣営における擬制的な「父」の死と、それにともなう抑圧なき時代ーー「平成」の始まりを告げるものでした。
    ツヴァイクの「ダイ・ハード」
     「昨日の世界」ということばをご存じですか。オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクがアメリカ大陸での亡命行のさなか、ナチス台頭により崩壊しつつあった「古きよきヨーロッパ」への郷愁をつづった回想録の標題です(1942年に著者自殺、44年刊)。近年ではウェス・アンダーソン監督の映画『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014年)が、同著をモチーフに作られていますので、ご覧になると雰囲気が伝わるかもしれません。
     みずからが生きていると思っていた「同時代」が、いつの間にか決定的に過去のもの――「昨日」へと反転してしまう。そして(亡命作家のような繊細さを欠く)多くの人は、そのことに気づかない。そうした体験は、必ずしもツヴァイクの時代に特有のものではないと思います。否むしろ、全体主義と世界大戦という「誰の目にも衝撃的な」できごとによって時代が書き換わっていった1930年代と比べて、秘かに、しかし確実に社会のあり方が変わっていった21世紀への転換期をふり返る際にこそ、直近の過去を「昨日の世界」として見る視点が必要ではないでしょうか。
     たとえば1988年、つまり冷戦終焉の前年にして昭和63年のヒット作である『ダイ・ハード』(監督ジョン・マクティアナン)。舞台となるのが当時、米国市場を席巻中だった日本の企業や商社をモデルに造形された「ナカトミ・プラザ」であることは、ご記憶の方も多いかもしれません。しかし何人が、同ビルを占拠した武装集団の目的が金だったと知った時に発せられる、以下の台詞を覚えているでしょうか。
    What kind of terrorists are you? (君らはどんな種類のテロリストなのかね)
     イスラム国(IS)ほか宗教原理主義の武装組織による「身代金目的の誘拐」が日常茶飯事となった今日、ハリウッド大作に登場するテロリストの目的がお金なのは、むしろ当たり前だと思われるでしょう。しかし共産主義の理想が生きていた冷戦下では、テロとは「富裕層が私腹を肥やす資本主義や帝国主義を倒すために、損得を度外視した『純粋』な青年が起こすもの」――過激化した学生運動のようなものとされていました。だからこそ、上記の問いかけに対するギャングの首魁(アラン・リックマン)の答えも「テロリストを名乗った覚えはないね(Who said we were terrorists?)」だったのです。
     『ダイ・ハード』はシリーズ化されて2013年の5作目まで続いているので、相対的には「いまも現役」の映画ですが、こうした目でふり返ると、モチーフのひとつひとつが「昨日の世界」の息吹のように見えてきます。ポリティカル・コレクトネス(PC)が進展した現在では、たぶんヒロイン(主人公の妻)はもっと聡明で、主体的に事態の解決に乗り出す女性として描かれているでしょう。高層ビルの奪還にむけて主人公をサポートする黒人警官にしても、閑職の巡査ではなく知性派の上級職が割り振られる気がします。
     そしてなにより、同作はキャリアウーマンの妻に愛想を尽かされていた凡庸な刑事(ブルース・ウィリス)が、武装集団との死闘を通じてその愛情と社会的な名声を取り戻す「男性性の回復」の物語でもありました。かつクリスマスが舞台なために、みごと勝利して迎えるエンドロールでは、劇中でもスコアの各所に旋律が埋め込まれていたベートーヴェンの「第九」(歓喜の歌)が鳴り響きます。
     60年代後半以降、外にはベトナム戦争の敗北、内には公民権運動とフェミニズムの高まりでゆるやかに衰弱しつつあったアメリカという国家のマチズモ(男らしさ)は、1989年の冷戦の勝利によってまさしく映画と同様の、奇跡的な復権をとげることになります。同年11月にはベルリンの壁が崩壊、高まる東西ドイツ統一への熱気(90年10月に実現)のなかで、両国の統一歌として愛唱された「第九」のファンファーレは世界中に響き渡りました――しかしそうした現実もまた、虚構としての『ダイ・ハード』の復活譚と同様、いまやリアリティを追体験しえない「昨日の世界」の一挿話にすぎません。
    「昭和の崩壊」と「ソヴィエト崩御」
     世界史には「冷戦終焉の年」として刻まれるその1989年の1月7日、昭和天皇が亡くなります。前年9月の吐血以来、連日のように病状が報道されていたため、その死はあらかじめ予想されたものであり、その点では2016年7月に「退位のご意向」が突如報じられて始まった「平成の終わり」のほうが、より衝撃的だったとも言えます。しかし「終わり」の後に遺されたインパクトに関して、昭和は平成の比ではありませんでした。
     「平成元年」となった89年1月8日以降に、ポーランドでの自主管理労組「連帯」の選挙圧勝(6月)、ハンガリーの社会主義放棄(10月)、チェコスロヴァキアのビロード革命(11月)、米ソ両国の冷戦終結宣言とルーマニアの独裁者チャウシェスク処刑(12月)と、国際政治でも劇的なニュースが続きます。ソヴィエト連邦自体の解体はもう少し後(91年12月)ですが、実質的にはこの年に「社会主義が終わった」ことは、広く認められていると言ってよいでしょう。
     かくして平成は「ポスト冷戦」とともに始まった――とは、この時代を扱うほぼすべての論説に記されています。しかし昭和天皇と社会主義の「死」がともに同じ年に起きたことの意義を、ほかならぬ日本人の視点から掘り下げる作業は、意外にもあまりなされてこなかったのではないでしょうか。
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  • 【新連載】與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 序文 蒼々たる霧のなかで

    2019-01-23 07:00  
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    今朝のメルマガは、與那覇潤さんによる新連載「平成史」です。昭和のような、誰しもが共通して抱く時代のイメージを、最後まで持ち得なかった「平成」。インターネットという巨大なアーカイブを擁しながら、全体像を見通すことができない、晴れ渡りながら同時に霧が立ち込めたような、奇妙な時代のあり方について考えます。
    與那覇潤さんの過去の記事はこちら 【対談】與那覇潤×宇野常寛「鬱の時代」の終わりに――個を超えた知性を考える(前編 ・後編)
    歴史を喪った時代
     青天の下の濃霧だ――。平成の日本社会をふり返るとき、それが最初に浮かぶ言葉です。
    いま多くの人びとが終焉に際して、平成という時代を嘆いています。しかし、たとえば改革の「不徹底」が停滞を招いたと悔やむ人がいる傍で、逆に「やりすぎ」が日本を壊したとこぼす人もいる。ネットメディアの普及が知性を劣化させたと咎める人の隣に、オールドメディアの持続こそが国民を無知にしていると苛立つ人がいる。正反対の理由で、しかし共通に失望される不思議な――ある意味で「かわいそうな時代」として、現在進行形だった平成はいま、過去になろうとしています。
     昭和史(ないし戦後史)を語る場面であれば、私たちは自身が体験していないことも含めて、今日もなお共有されたイメージで話すことができます。悲惨な戦争と焦土からの復興、高度成長と負の側面としての公害、学生運動の高まりと衰退、マネーゲームとディスコに踊ったバブル……。美空ひばり・田中角栄・長嶋茂雄といった組みあわせを口にするとき、背後には「豊かさを目指してがむしゃらに駆けていったあの頃」のような、統一された時代像がおのずと浮かびます。
     ところが「平成史」には、そうした前提がありません。安室奈美恵と小泉純一郎と羽生結弦の三人を並べても、共通するひとつのストーリーを創ることはできそうにない。あるいは、「あの戦争」という言い方を考えてもよいでしょう。昭和史の文脈で「あの戦争」が指すものは自明ですが、平成史ではどうか。たとえば中東に限ってすら、90年代の湾岸戦争か、ゼロ年代のイラク戦争なのか、10年代のIS(イスラム国)との戦争を指すのか、ぴたりと言い当てることは至難ではないでしょうか。
     まるで霧のなかに迷い込んだかのように、全体像を見渡しにくい時代。しかし奇妙なのは、空が晴れていることです。たとえば安室さんのヒット曲は、ほぼすべてのビデオをYouTubeで見ることができます。1999年の第145回国会からインターネット中継が始まったおかげで、小泉政権以降の政治家の主要な発言は、大量のコピーがウェブ上に拡散しています。政治がオープンになり、文化がアーカイブされたいま、私たちはかつてなく「見晴らしのよい社会」に住んでいるはずなのです。
     それなのに、共有できる同時代史が像を結ばない。こうした困難は、ふだん歴史をふり返ることのない人たちにとっても、日常に影を落としているように思います。
    知識人凋落の根源
     たとえばいま、社会の「分断」が進んでいるとされます。平成に展開した雇用の自由化により、正規雇用者と非正規雇用者のあいだで生まれた経済的な格差は、やがて結婚できる/できない、子供をつくれる/つくれない人びとの差異へと発展し、人生観や価値体系さえもが異なる文化的な断絶へと深まっていった。インターネット上ではサイバーカスケード(=同じ嗜好のサイトにしか接続しない傾向)が進展し、異なる意見の人どうしでは対話がなりたたない。そういったことが言われます。
     しかしながら裏面で、この社会は確実に「画一化」もしています。昭和の時代には「政治家なら裏金くらいあって当然」「芸能人だもの、不倫のひとつふたつ当たりまえ」ですまされたことが、よし悪しは別にしてもう通らない。ローカルな慣習や暗黙の合意で処理されてきた事案が、ひとたび白日の下にさらされるや、非常識きわまる利権として糾弾が殺到し、だれも弁護に立つことができない。コンフォーミズム(順応主義)を色濃く帯びたマス・ヒステリーは、いまや定期的な祭礼として定着した観さえあります。
     晴れた空の下を塗りこめる霧のように、引き裂かれながら均質化してゆく社会という不思議。その逆説を解けないことがいま、私たちにとって「知ること」や「考えること」をむずかしくしています。
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