宇野常寛が火曜日のキャスターを担当する番組「NewsX」(dTVチャンネル・ひかりTVチャンネル+にて放送中)の書き起こしをお届けします。2月5日に放送されたvol.21のテーマは「ドライブインと戦後日本」。ライターの橋本倫史さんをゲストに迎え、モータリゼーションの隆盛と共に全国に広がり、今、消え去ろうとしている「ドライブイン」の文化を、日本の戦後史と重ね合わせながら考えます。(構成:籔 和馬)
宇野常寛 News X vol.21 「ドライブインと戦後日本」
2019年2月5日放送
ゲスト:橋本倫史(ライター)
アシスタント:得能絵理子
宇野常寛の担当する「NewsX」火曜日は毎週22:00より、dTVチャンネルで生放送中です。
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アメリカが戦後日本にもたらしたドライブインという文化
得能 NewsX火曜日、今日のゲストはライター、橋本倫史さんです。
宇野 僕はサイゾーで10年ぐらい連載をしていたんだけど、対談連載があったときに、橋本くんにその再構成をよくやってもらっていたし、PLANETS本誌でも座談会の構成などをやってもらったりして、そんなに数は多くないけど、ずっと仕事を一緒にしているライターさんなんですよ。
得能 今日橋本さんと一緒に考えるテーマは「ドライブインと戦後日本」です。
宇野 橋本くんは月に二回、二店舗のドライブインを巡って、それに関する「月刊ドライブイン」というミニコミを書くことをずっとやっていたんだけど、それを一冊にまとめた『ドライブイン探訪』という本が出たんですよ。この本がすごくおもしろかった。そこで、今日はこんな機会はなかなかないから、橋本くんを呼んで、ドライブインというものから、もう一回戦後の70年を振り返る議論ができたらなと思っています。
▲『ドライブイン探訪』
得能 そもそも、ドライブインはドライブスルーとは違うんですか?
橋本 それはすごく間違えた認識で捉えられていることのひとつなんですけど、ハンバーガーショップなどでもよくある、車に乗ったまま買い物をして通りすぎていくのが「ドライブスルー」です。「ドライブイン」というのは、車を停めて、そこで休憩していくための場所なんですね。
得能 サービスエリアのような感じですか?
橋本 それもよく間違えられるんですけど、サービスエリアとかパーキングエリアは高速道路の上にあるものであって、ドライブインというのは高速道路ではなくて、一般道路、いわゆる下道にあるような休憩施設がドライブインで、だいたい食事をしたり、お土産を売っていたりする形態が多いですね。
得能 今日はドライブインという存在から、戦後の日本を考えていきます。では、今日もキーワードを三つ出していきたいと思います。まず一つ目は「ドライブインが生まれた時代」です。
宇野 正直ドライブインにはそんなに行かないよね。どちらかというと、今は「道の駅」の存在感のほうが大きいじゃないですか。それに高速道路だと、そこにあるのはサービスエリアで、基本的には高速道路をつくるときに、最初から設計されてつくられたもので、いわゆるドライブインとは全然違うんだよね。ドライブインは、僕らにとっては過去のものになろうとしている。だからこそ、わざわざドライブインを巡っていこうという本も成立するわけなんだけどね。議論のきっかけに、そもそもドライブインとはなんなのかということを掘っていくところからいきたいと思います。なんでドライブインに興味を持ったの?
橋本 僕は1982年生まれなんですけど、小さい頃にドライブインに行った経験が全然なくて、まったく意識をしたこともなかったんですね。でも、今から12年ぐらい前に、その頃の僕は自分の好きなバンドを追いかけて、原付で日本全国をひたすら移動しまくっていたときに、原付だから一般道をずっと通るんです。あるとき、鹿児島ですごく異様な外観をした建物がありまして、少し立ち止まってみようと思って、近づいてみたら、そこにドライブインという看板が出ていたんです。そこで、鹿児島から東京に帰ってくるまでの間、気にしながら見ていたら、残念ながら廃墟のようになってしまったお店も含めて、すごい数のドライブインがありました。そこで、これはなんだろうと気になりはじめたのが最初のきっかけですね。
宇野 どこにひっかかったの?
橋本 自分が知らない、利用もしたこともないのに、ドライブインという看板を掲げるものが全国にこれだけあったということは、ドライブインの時代があったはずなのに、それができた経緯や、どんな場所だったのかが、その当時はあまり記録されていなかったように感じたんですね。誰も記録していないんだったら、自分が取材してみようかなと思ったのが、今から8年前ぐらいですかね。今残っているドライブインは、個人経営や家族経営でやっているところがほとんどですね。だいたい今は東京よりもロードサイドによく残っている建物ですけどね。
宇野 そもそも戦後にどういう過程でドライブインは普及していったの?
橋本 もちろん戦前からドライブイン自体はあったと思うんですけど、本格的に普及したのは戦後になってからですね。今でこそドライブインはロードサイドにある印象がありますけど、戦後間もない時期だと、都心の六本木みたいな場所にもドライブインがあったらしいんですね。
橋本 1950年の雑誌の記事なんですけど、これはGHQに統治されている頃の日本の横浜にあったドライブインです。占領下の日本にこういうドライブインが最初にできはじめているんですね。というのは、アメリカの人たちが日本に来たときに、彼らのライフスタイルも一緒に持ち込まれて、車でそのまま乗りつけて食事をするという店が都心にまずできはじめました。もんぺ姿の女性が派手な外車に料理を運んで行っている写真もありますね。
宇野 これはシュールな画だよね。
橋本 この当時の日本は車がまだ普及していないし、ハンバーガーでさえ口にしたことがない日本人がほとんどである時代に、このライフスタイルはすごく衝撃的だったと思うんですね。ドライブインを都心で見た人が、「都会では今ドライブインというのができているらしいぞ」と言って、車の普及とともに地方にちょっとずつ広まっていったというのが、1950〜1960年ぐらいに起きていったことです。その中で、不思議な建物もできていったりしているんですよ。なんでもかんでもドライブインになっていった時代がありました。
橋本 これは渋谷に今でもある大盛堂書店の1966年の様子ですね。そこにドライブイン書店というものをやっていました。
得能 これはどういうシステムになるんですか?
橋本 窓口で本のタイトルを言うと、探してきてくれる係の人が一人いて、その人が頑張って探してきて、その本をお客さんに渡して買っていくというしくみです。
得能 ないケースもありますよね。
宇野 なかったら切ないよね。車で颯爽と乗りつけて、お目当ての本がなくて、何も買わずに去っていくときの虚しさは察するに余り有るものがあるよね。デートをすっぽかされることの次ぐらいに悲しいと思う。ドライブインは50年代の草創期は基地カルチャーの需要としてはじまっていって、それが一回地方に普及していくの?
橋本 そういう流れがあったんだと思います。
宇野 その中で、60年代のドライブインはこういう謎の進化の袋小路に早くも入っていった。
必要に応じて独自の進化を遂げたドライブイン
得能 次のキーワードは「ドライブインの”いま”」です。
宇野 『ドライブイン探訪』はまさに橋本くんが説明してくれた時代から半世紀以上経った時代を取材した本だよね。そこから半世紀、全国のドライブインは残っているんだけど、その最盛期はとっくに終わっている。それをまさに2010年代に一軒ずつまわってまとめたのが、橋本くんの本なんだよね。この本の内容をダイジェストで紹介してもらいながら、今ドライブインがどうなっているのかということから話していきたいと思っています。
橋本 僕が興味を持ったのが、今からちょうど10年前ぐらいだったんですけど、その後2011年に日本全国のドライブインを友人の車を借りてぐるっと走りながら、とにかくドライブインがあったら立ち止まって、コーヒー1杯でも飲んで少し立ち話をしていくことをやったんですね。車の後部シートに布団を敷いて、そこで寝ながらの日々を過ごしていたんです。そのときは、具体的にこれを記事にまとめたり、原稿にすることができるかは、そんなに考えていなかったんですね。とにかく一軒ずつまわって、どういうふうにドライブインが存在しているのかを見ていこうと思ったのが、2011年だったんです。それからしばらく経って、2017年のお正月に一年の抱負を立てる折、そういえば、あのときに取材してまわったドライブインはどうなっているんだろうと思って検索したみたら、そのうちの何軒かがもう閉店してしまっていました。その8年で閉まった店がすごく多いんですね。それで一刻も早く取材をしなきゃということで、さっき紹介していただいた「月刊ドライブイン」というのを2017年春につくって、取材をはじめたのがきっかけですね。
橋本 僕が書いた『ドライブイン探訪』という本は5つの章になっているんですけど、その5つの章から1軒ずつ紹介していこうと思っています。1章目が「ハイウェイ時代」という章になっています。その中で「山添ドライブイン」というお店が出てくるんですけども、奈良県にある渋い佇まいのお店なんですよね。ここは1964年に創業されたお店なんです。なんでハイウェイ時代かということが、ここでキーワードになってくると思うんです。都市間を自動車で高速移動するようになった時代が、ハイウェイ時代だと思うんですね。それ以前の日本は車じゃなくて、人や荷物の輸送に、鉄道もしくは海路で輸送していました。そんな状況から、戦後の日本はアメリカとの関わりが深かったこともあって、自動車での輸送にどんどん変わっていったときに、道路網が50〜60年代にかけて急激に整備されていくんです。この山添ドライブインもまさにそういう道路の中にあるドライブインなんですけど、山添というのは地名で奈良県の山添村というところなんです。1960年ぐらいに建設大臣だった河野一郎という人が関西を視察に来たときに「なんだこの状況は。道路が全然整備されていないじゃないか。今から1000日で道路をつくりなさい」と言ってできたのが、名阪国道になります。
宇野 むちゃくちゃな話だね(笑)。
橋本 でも、その当時は奈良もそんなに道路が整備されていない時代だったので、地元の人たちも喜んで土地を提供して、名阪国道が無料の自動車専用道路として開通したのが1965年です。その前年にオープンしたのが、この山添ドライブインですね。いかにも、ある時代の自民党の政治家というエピソードですよね。
得能 実際に1000日でできたということですか?
橋本 そうです。1000日以内にできたので、今でも1000日道路と呼ばれているらしいんです。でも、それができたおかげで、山添村という地域の人たちは買い物に行けるようになったし、ここのお店もたくさんお客さんが来るようになったんですね。ここのすごいところは、今この写真のタイミングではすべての商品がなくなっているんですけど、おかずを好きに選んで買い物ができて、会計が自己申告制なんですよね。しかも、お会計を全部そろばんでやっているという、本当に昭和のこんな風景が残っているのかというドライブインです。
宇野 道路というすごく近代的なものができるんだけど、土着のコミュニティが全然残っているので、昔ながらのコミュニティの中核としてドライブインが栄えた。だから、申告制で買って食べていく文化が残っているんだね。
得能 信頼も含めて残っているんですね。