今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回は2013年に発売されたAKB48の30枚目のシングル『So long !』を取り上げます。新潟県長岡市を舞台に映画監督・大林宣彦が手掛けるMVが制作された本作。被災地と観光地、戦争と戦後のイメージがバラバラのまま刻み込まれた映像は、21世紀における「映画」というメディアの原理的な不可能性を示すものでした。
※本記事は「原子爆弾とジョーカーなき世界」(メディアファクトリー)に収録された内容の再録です。
《長岡市は、日本一の大河・信濃川が市内中央をゆったりと流れ、市域は守門岳から日本海まで広がる人口28万人のまちです。
(略) 戊辰戦争(1868年)と長岡空襲(1945年)で、2度の戦禍に遭いながらその都度、長岡のまちは、「米百俵」の精神を受け継ぐ市民の力で復興を成し遂げてきました。中越大震災をはじめとした相次ぐ災害にも、「市民力」「地域力」そして「市民協働」のパワーで、新たな価値を生み出す「創造的復興」に取り組んでいます。》(長岡市公式ウェブサイトより)
新潟県長岡市の紋章のモチーフは不死鳥──フェニックスだという。中越地方の中心地であり、花火のまちとしても知られる長岡の歴史は、同時にまちを何度も襲った災厄と、その復興の反復の歴史でもあるからだ。
戊辰戦争の折、当時の長岡藩は幕府と新政府のあいだで中立を保とうとしていたという。しかし、歴史の潮流は長岡の灰色の選択を許さなかった。結果として佐幕派に与せざるを得なくなった長岡は新政府軍の攻撃を受け、城下町が戦地となった結果多くの犠牲者が出た。
太平洋戦争末期には──米軍の空襲目標とされ、1945年8月1日の長岡空襲では市街地の大半が灰燼と化し、その死亡者は1400人以上にも上った。
そしてその度に、長岡はまちの人々の努力で奇跡的な復興を遂げてきた。だから、このまちのシンボルはフェニックスだ。
2004年10月の新潟県中越地震でも、長岡は市の南部を中心に大きな被害を受けることになった。まちの名物である毎年8月の長岡まつりの花火大会では「フェニックス」と題された復興祈願花火が打ち上げられた。これは市民から募った協賛金で打ち上げられた特製の一発だった。その後も、長岡では年末のカウントダウンや毎年10月に行われる「復興の集い」など特別な夜には必ず打ち上げられる花火として定着しているという。
そんな長岡は、2011年の東日本大震災に際して、まっさきに避難民の受け入れを申し出た自治体のひとつだった。震災の発生から5日後には市内36カ所のコミュニティーセンターをはじめ地域会館、文化施設、地域体育館などが避難民の宿泊所として提供されることが決定した。森市長は新聞の取材に「中越地震でお世話になった分を返したい」と話した、という。
そして物語はこうして長岡にひとりの少女が、南相馬から疎開してくることではじまる。そう、AKB48の30枚目のシングル『So long !』のMVは、長岡と南相馬──ふたつの場所を結ぶ物語として、60分強の「長編映画」として発表された。監督は80年代青春映画の巨匠・大林宣彦だ。大林は昨2012年、まさにこの復興のまち・長岡を題材に映画『この空の花』を発表したばかりだった。そして映画『So long !』は事実上『この空の花』のスピンオフ的な作品だと言える。70年近く前の長岡空襲で死んだ少女が、現代によみがえり戦争の記憶を遺すための物語を綴る──『この空の花』の物語に感動し、ヒロインの少女に自分を重ね合わせることで女優を志すようになった長岡の女子高生──それが『So long !』のヒロインのひとり・夢だ。そしてそんな彼女の前に、南相馬から疎開してきた少し大人びた目をした少女が現れる。それが、『So long !』のもうひとりのヒロイン・未来だ。
物語はふたりの少女とその仲間たちの紹介からはじまる。観光ビデオよろしくそれぞれ土着の産業や伝統文化に縁のある家庭に生まれたことに設定された彼女たちの周囲には、長岡の歴史に刻まれた傷や、過去の亡霊が常にまとわりついている。そう、彼女たちの青春は過去の戦争の記憶をめぐる旅として描かれる。なぜか。なぜならば、この映画のコンセプトは戦争の記憶=誰もが共有できる(していた)物語の力で、長岡と遠く離れた南相馬の地を結ぶこと、だからだ。