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リサーチャー・白土晴一さんが、心のおもむくまま東京の街を歩き回る連載「東京そぞろ歩き」。
今回歩いたのは東京都福生駅周辺。都内としては珍しい在日米軍基地のあるこの土地の風景から、占領期以降のこの国の歴史に思いを馳せます。

白土晴一 東京そぞろ歩き
第15回 福生駅から横田基地第二ゲートへ

地元から東京に出てきてもう数十年が経つが、上京当時に驚いたことの一つに聴取出来るラジオ局が多いことがある。
地元ではNHKかAMラジオ局一つくらいだったが、東京だとFMとAM、かなり選択肢があることに気づき、やたらいろいろな局の番組を聴いていた。まだネットでラジオが聴ける時代ではなかったので、ラジオのつまみを回して周波数を合わせていたのだが、神奈川や埼玉のラジオ局の電波も拾えることが面白かった。
しかし、一番驚いたのが、英語のラジオ局があったことだろう。FMだとDJが英語を交えた言葉で曲紹介をする番組もあったが、その局の番組はすべて完全に英語。それまでも、電波環境の具合で海外の短波ラジオ局が切れ切れで聞こえることもあったが、この英語のラジオ局はくっきりはっきり聴ける。
しばらくそのラジオ局を聴いていると、どうやらそれはAmerican Forces Network、アメリカ軍放送網という在日アメリカ軍のラジオ放送であるということが分かってきた。番組の内容はリスナーからのリクエストで音楽をかけたり、ニュースや基地内のイベント情報などで、日本の番組構成と大きく違っているとは感じなかったが、ときどき東京近辺の骨董市についての宣伝が入るのが印象に残っている。
骨董市のCMは、どうやら日本に駐留している軍人さんの中には、日本に来ているなら日本の古いものを購入したいと思う人も多いらしく、そういう人向けということが分かってきた。
ちなみにAFNはラジオ局だけではなく、本国から購入した番組などを流すケーブルTVのサービスなども行っているが、海外で働くアメリカ軍人やその家族などが本国に帰国した際の情報格差をなるべく無くすためのものでもあるとか。
現在ではネット経由でラジオも聴けるので、興味がある方は。
https://www.afnpacific.net/local-stations/tokyo/

このANFの放送を聴くようになってから、東京は意外に近くにアメリカ軍が存在しているということを実感するようになった。沖縄や青森の三沢、神奈川の横須賀などが米軍基地と近い土地であることは知っていたが、それまで東京にそういうイメージがなかったのだ。
以来、西武新宿線に乗っているときに、あんまり旅行者っぽくない軽装のアメリカ人らしき集団を見かけると、「あれは軍の人たちが都心に遊びに来ているのかも」などと考えてしまう。
そのため、私の中では東京はアメリカ軍基地の街という意識がある。

なので、今回は東京のアメリカ軍基地の本丸と言える在日米軍司令部のある横田基地周辺を歩いてみようと思い立ち、JR青梅線の福生駅に降りてみる。

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駅に併設されたカレー屋のCoCo 壱番屋だが、看板に「YOU CAN TAKE IT OUT」、カレーうどんの広告に「Please try our noodle!! They are delicious!!」とある。
こういうCoCo 壱の英語の表記はあまり都内で見たことがない。英語圏の人間が多い場所用のものだと思うが、駅のカレーチェーン店からも基地対応を読み取れるのが、福生という土地柄だろう。
実はこの日は土曜の午後だったのだが、短パン半袖の若いアメリカ人と思われる集団が何組も駅に入っていく。週末であるし、JR青梅線に乗って都心に遊びに出るために横田基地から出てきた兵士たちではないだろうか。
私はその反対に基地の方向に向かって歩いていく。
やなぎ通りを越えて都道165号伊奈福生線に入ると、右手に工場となにやら山小屋風の店がある。

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ここは福生の名物の一つと言える「大多摩ハム」の工場と、その直売店兼レストランの「シュトゥーベン・オータマ」。
「大多摩ハム」の創業者の小林榮次氏は、大正時代に来日したドイツ人マイスター、アウグスト・ローマイヤー氏に本格的なハム製造を学んで戦前から独立し、戦後にはいち早くGHQ指定工場に認められ、日本に進駐してきた軍人とその家族にハム、ベーコン、ソーセージなどを提供してきた。
2011年から福生市内で製造された材料を使ったホットドッグ、「福生ドッグ」という企画が商工会等によって進められているが(アメリカ軍基地の街でホットドッグということらしい)、ソーセージには福生ハムとこの大多摩ハムのものが使われている。
直売店の「シュトゥーベン・オータマ」でも、この福生ドッグは購入可能。
なので、一本購入してみる。

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ここから都道伊那福生線を外れ、多摩川によって作られた段丘の途中にある福生不動尊から基地西側の住宅地に入ってみる。

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そうすると、住宅地の中にちらほらと平屋で矩形(角が直角で長方形)の建物が目に入ってくる。

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そこまで新しい感じではなく、すっきりしたデザインで、屋根はコンクリート瓦、長方形の長い一辺側の真ん中に玄関が設置されているものが多い。
こういう住宅は横田基地周辺の福生からお隣の拝島や瑞穂町でもよく見かけるが、何か一つの規格に沿って作られている感じがする。

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これはアメリカ軍人家族向けに作られた「米軍ハウス」。英語では「Dependents house」(扶養家族住宅)や「Offbase house」(基地外住宅)などと呼ばれる住宅で、最初は第二次大戦後に進駐してきた軍人家族のために建てられ、多くのアメリカ軍人が基地に配置された朝鮮戦争当時には、基地ゲート周辺などはこうした住宅が隙間なく並んでいたらしい。むろん、基地内にも兵舎や家族向け住宅が建設されたが、それだけでは足りず、当時基地周辺に土地を持っていた日本人は米軍の住宅不足を見越し、畑があった土地などを利用し、米軍軍人向けの賃貸ビジネスに乗り出したため、こうした住宅が建設されていったのである。つまり、福生周辺の米軍ハウスは民間が不動産投機的に建設したものなのである。 その後、1970年代に入ると日本に駐留する米軍人の数が減って基地内居住が進むようになると、日本人にも貸し出しされるようになり、アメリカの生活を趣向する若者や音楽家、芸術家などが好んで移り住んだことでも知られている。