吉田浩一郎さん(クラウドワークス)
「クラウドソーシング(crowdsourcing)」とは、インターネット上で不特定多数の人(=クラウド。「群衆」の意のcrowdであり、クラウド・コンピューティング cloud computingの「雲 cloud」ではない)を募って、さまざまな仕事を発注するサービスのことである。
まだ日本での認知度はそれほど高くないが、たとえばアマゾン社の提供するサービス「アマゾン・メカニカル・ターク(Amazon Mechanical Turk)」では、「洋書のタイトルの日本語訳が適切かどうかをチェックし、間違っていたら正しい日本語訳を入力する」といった軽作業で、誰でも数セントの報酬を得ることができる。こういった発想を応用して、インターネット上でより専門性の高い仕事を発注するサービスも米国を中心に台頭しており、日本においては吉田浩一郎氏の運営する「クラウドワークス」がその代表格である。
クラウドワークスでは、企業がiPhoneアプリやAndroidアプリの開発、ウェブデザイン、ライティングなどの仕事を、個人のエンジニアやクリエイターに向けて発注することができる。いわば企業と個人のマッチングのためのウェブサービスである。
……と、ここまで読むと「人材派遣会社とどこが違うの?」「新手の中間搾取では?」「食えないノマドを大量生産するだけでは?」といった疑問が湧くだろう。しかし吉田浩一郎の「クラウドワークス」は、実は社会的事業の性格も強く持っている。長時間労働、大企業を頂点とする厳然としたヒエラルキー構造、新卒一括採用、女性の働きにくさ、地方の疲弊……現在の日本の「働く」を巡る閉塞感を打破する鍵としての、クラウドソーシングの可能性について吉田氏にじっくりと話を聞いた。
(構成:中野慧)
■目次
第一回 「ウィンドウズ型」から「リナックス型」の働き方へ
第二回 クラウドソーシングは職業訓練・社会保障を代替するか!?
第三回 日本でクラウドソーシングを根付かせるには
第四回 2016年までに、年収500万円を1万人つくる
▼今月のこの人
吉田浩一郎(よしだ・こういちろう)
1974年生。株式会社クラウドワークス代表取締役社長兼CEO。
株式会社ドリコムの執行役員として東証マザーズ上場を経験後に独立し、ベトナムへ事業展開。日本とベトナムを行き来する中で、インターネットを活用した「時間と場所にこだわらない働き方」に着目し、クラウドワークスを創業。エンジニア・クリエイターのクラウドソーシングを手がける。
サービス開始1年で案件総額15億円を突破、8,000以上の事業者が活用している。岐阜県と提携を発表し、厚生労働省での講演実績、日経新聞・ワールドビジネスサテライトなど取材多数。
http://crowdworks.jp/
第一回 「ウィンドウズ型」から「リナックス型」の働き方へ
宇野 まず、吉田さんがなぜクラウドソーシングというサービスに注目し、そして自分で事業を始めようと思ったのか、きっかけを教えていただけますか。
吉田 私はもともと日本のメーカーにいて、外資系に転職して東京国際ブックフェアなどの国際見本市の事務局をやり、そのあとドリコムというITベンチャーに移って役員として会社を上場させたのですが、ずっと企業向けの営業をやっていたんですね。大企業向けの営業もやったし、外資系の営業もやったし、中小企業やベンチャーでの営業もやった。法人向け営業はいろいろと見てきたわけです。
営業職って、10年前は花形の仕事だったんですよ。生命保険の花形営業マン、外車のディーラーや製薬会社のMRなどはベンツに乗っていたりしていました。当時は「営業マンで活躍すれば年収1千万から1億ぐらい稼いでベンツやフェラーリに乗って、女の子にもモテる」という非常にわかりやすい幻想があったんです。
でも、この10年で社会構造が変わるなかで、営業マンの価値がだんだん下がってきました。これは大きなパラダイムシフトだと思った。なぜ営業マンの価値が下がっていったのかというと、やはりネットの登場は一つの鍵だったと思います。営業マンがわざわざ伝えなくても、個人がネットで情報を取りに行ったり、いろんなものを選定することができる世の中が、これまでの社会の枠組みとは違う場所でパラレルにできつつある。そういう「法人向け営業のパライダイム・シフト」を考え続けているうちに、海外のオーデスクのようなクラウドソーシングの取り組みに行き着いて、これはすごいと思ったんです。いわゆる営業職がまったくないまま、スキルと空き時間と企業のニーズがダイレクトに結びついて仕事がやりとりされている。まるで脳そのもののように、共感したもの同士に電波が走って、信号がやりとりされて指示されていくといった印象を受けました。そして、これこそが本来あるべき姿なのではないかと思ったんです。
うちが事業を始めるときにベンチマークしたのは、アメリカのオーデスク(oDesk)、イーランス(Elance)、フリーランサー(Freelancer)という会社です。たとえばオーデスクでは、最新の数字で月間約30億円の仕事がオンラインだけで受発注されています。オーデスク一社で年間300億くらいの売り上げという計算になります。
そこでやり取りされているのは、プログラミング言語のPHPや、文章を書くライティング、SEO(検索エンジンの上位に来るようサイトをうまく組む作業)、Photoshopを使った画像処理、MySQL(データベースを管理するためのシステム)の管理保全などです。こうしたあらゆるウェブ関係の仕事が、アメリカからフィリピンやインドに進出していて、今は3年連続で90%という成長率になっています。
ベンチマークするなかで僕が面白いと思ったのは、60%の案件がオンラインにもかかわらずフルタイムジョブを要求していることでした。ご存じの通り、フルタイムの仕事と社会保険は不可分です。日本では社会保険を国が運営していますが、アメリカでは社会保険は民間企業に拠っています。そこでオーデスクは、週30時間以上働いているフリーランスの人を対象に、社会保険的な補助制度を提供したんです。つまり、会社に所属しなくても、オーデスクというインターネット上のプラットフォームに所属することで、正社員と同じような待遇を受けられる可能性があるということです。
この事実を知ったとき、宇野さんたちが言うところの「夜の世界」がどんどん立ち上がってきているんだと思ったんです。クラウドソーシングが今、世界中で加速しているのは、要するに会社という枠組みだけではない、新しい働き方のフレームを作る動きが起きつつあるということだと思います。
20世紀には、国家 ‐ 企業 ‐ 個人という枠組みで、上に行くほど情報が集まるという縦の構造がありましたが、インターネットによってそれらの要素が並列になりつつあります。隣の部署や隣の会社でやっていることを、会社や国よりも個人のほうが先にFacebookで知っていたりする。21世紀はこのように、インターネット×個人の世界が盛り上がるだろうから、その状況に貢献するのが面白いと私は考えて、クラウドワークスという会社を立ち上げたわけです。
今、うちは1年間で800%とぐんぐん成長してきています。発注企業も最初はベンチャー企業が多かったのですが、経済産業省、ベネッセ、ソニー、ヤフー、トーマツ、インテリジェンスといったような官公庁や大手企業からも発注を受けるようになってきました。
それとベンチャーとしては珍しいことだと思うのですが、地方にいても東京の仕事ができる特性を活かして、岐阜県や福島県南相馬市と提携するなど、個人や地域の活性化という課題にも取り組んでいるところです。
宇野 なるほど。今のお話のポイントは、ベンチマークしていた海外の先行企業が社会保険までカバーしだしたところに吉田さんが注目したというところですよね。
クラウドソーシングの思想的なポイントは、再分配や社会保障といった、これまで国家が担ってきた機能を、インターネットを活用した新しい枠組みが代替する可能性があるところだと思うんです。もっと言うと、「国家 - 企業 - 個人」という三つの階層によって成り立っている今の産業社会の枠組みに対して、楔を打ち込む思想的ポテンシャルを秘めている。インターネットを用いた国家や企業のコストダウンという観点のみで捉えるのは正しくないですよね。
今、意識の高い学生が大好きな話題に「ノマド論争」というものがありますが、要するに「ノマドって能力とコネがある人間がフリーランスで食っていくとカッコいいよね」ということしか現状では言えていないわけです。そうではなく、働き方の多様性を確保するにはどうしたらよいかを真剣に考えるべきで、そのために民間でサービスを提供していこうという取り組みが一番実効性がある。
吉田 おっしゃる通りで、「正社員か、そうでなければただちにワーキングプアでしょ」という二元論的な議論をなんとかしたかったんです。正社員比率は2020年までに50%を切るという予測がなされていて、正社員というフォーマット自体が変わらざるをえない状況に来ているのに、正社員にしか正統性が認められていないのはやっぱりおかしい。そのなかで働き方の多様性が生まれてしかるべきですよね。
これはあまり口に出せないことだと思うのですが、国からしてみれば、正社員という制度は非常に真っ当な選択なんです。年収を正確に捕捉できるので、確実に税収を確保できるわけですね。これはマイクロソフトにとってのウィンドウズと同じで、要はみんながウィンドウズを使っているかぎり、マイクロソフトは毎年安定して収入を得ることができる。国が「正社員」というフォーマットを使ってほしいからこそ、「65歳までの定年延長」や「派遣社員が2年以上勤続すると希望すれば正社員になれる」といったような正社員強化の動きが強まった部分もあると思っています。
しかしそれでは時代の状況に合わなくなってきています。そこで、無料で使えるOSであるリナックスのようなものとして、働き方の多様性を確保するためのクラウドソーシングのような動きがあるのだと思う。
宇野 派遣切りを批判するリベラルな人たちは、「みんなが正社員になれたあの時代に戻そう」という主張をしてしまいがちですが、それを言った瞬間に保守的な社会体制を支持してしまうことにもなるし、現実味も失われてしまう。ならば具体例を見せるしかない。その具体例を示そうとしている有力な取り組みの一つが、吉田さんのクラウドワークスであるというのが僕の見立てです。
吉田 クラウドワークスでは「受注者側が5社と契約して毎月10万円ずつもらう」という形式を取っているんです。そうすると、たとえ1社から契約を切られても、残り4社との契約があるから、個人の側が強くなることができる。今までのように「お前は外注・下請けなんだから、俺の言うこと聞け」というような、ヒエラルキーに基づく搾取構造が効かなくなる可能性があるんです。
宇野 「労働者の権利」をきちんと守るために実効的なのは「複数の仕事をしている」という状態である、と。しかし、あえてツッコみますが、左翼っぽい人がここで口にするであろうことは「じゃあ、ここで仕事を取れる能力のない人間はどうなるのか?」という疑問だと思うんです。