帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.4.30 vol.062
かつてこのメルマガで連載され、迷える子羊たちをときに励まし、そして時に突き落として来たあの伝説の人生相談が、満を持して再登場!!哲学者の國分功一郎さんが、ほぼ惑読者から寄せられた人生相談に答えていきます。
■もしプロさん(男性(30歳)奈良県、会社員)
國分先生
こんにちは。
私は先日、業績等の理由から、今の職場を離れる事になりました。
要するに近い内の解雇を言い渡されたのですが。
一瞬、凹みましたがまだ独身ですし、これと言ったリスクもありませんでしたので、すぐに新しい仕事について考えだすことにしました。
しかし、思いつきません。
これまではキャリア系のITから教育の方面へと移ってきたのですが、それは「人のキャリアの形成のされ方」などに興味を持っていたからです。
働き続ける中でそれらへの興味が徐々に後退していたのでしょうか、いま、改めて仕事を探そうという時に何を軸に探すべきか分からず、求人サイトの検索欄に何を入れることも出来ていません。
是非何か、次の職をどうさがすべきか、アドバイスを頂ければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
■ 匿名希望(女性(42歳)愛知県、公務員)
結婚11年目。夫が家計に5万以上入れなくなって半年。夜の生活がなくなって10年。私自身仕事しているため、あまりの不平の多さに耐えられず食事も作らなくなって8年程になります。同床に在らず同食もせず、勿論子供も出来るわけもなく、これでは夫婦とはいえません。又、安物の洋服を次々買い込む、読まない本などをいつまでも溜め込む性癖で、一部屋ゴミの山になっており、一度黙って捨てようとしたところ、私の私物を窓から次々に捨てられ、手術直後の身体を突き飛ばされました。勿論私の両親とも折り合いが悪く、人としても大いに疑問を感じざるを得ない状況です。
いい加減愛想が尽き果てそうなものですが、何故か憎めずダメ息子のように面倒を見てしまいます。
しかしながら、私とてまだ枯れたくありませんし、産んだ覚えもない40代のダメ息子の世話に残りの人生捧げたいとは思っていません。
しかしどうしても別れ難い。それはくまのプーさんとかアンパンマンに似た風貌のせいなのか、はたまた子犬のように「棄てないで」と無言で訴える目のせいなのか、笑いの壺が同じであることなのか、日本の神々と天皇を心から崇敬している共有部分のせいなのか。
私は夫と別れるべきなのか、新しい人生を見つけるべきなのか、悩んでいます。
■ 無縁社会の芥(男性(24歳)兵庫県、裁判所職員)
はじめまして。いつも各種メディアでのご活躍を拝見・拝読しております。國分先生のざっくばらんな語り口調と物事の核心を突こうとする言説的態度が好きで、ファンになりました。
今回、私は、「環境遷移と人間関係の構築」についての悩みを相談させていただきます。
私は、地方公務員の両親の下に生まれ、18歳まで九州の地方都市で育ち、大学から関西で一人暮らしを始めて、かれこれ6年が経ちます。昔から「哲学的なもの」が好きで、学問としての哲学にも興味がありましたが、高校時代は「大学」のイメージがつかめず、また理系コースでもあったため、大学は広く浅く理工系の学問を学ぶ学部に進みました。大学では、武道系のサークルに所属し、3年生が終わるまで武道に没頭し、就活もしなかったため、今度は「就職」に対する具体的なイメージが掴めず、大学院に推薦入学しましたが、ブラックな研究室の環境に心身を擦り減らし、わずか半年で休学し、入学して1年で退学しました。
一方、大学院に入学した頃から自然現象よりも「人間」の介在する社会現象に対する興味が強くなり、休学後、広く社会科学・人文科学を学ぶために、また同時に就職先を確保するために、公務員試験の勉強を始めました。半年ほど集中して勉強し、国家公務員・裁判所職員・某政令指定都市に合格し、悩んだ挙句に、司法への好奇心から裁判所を選び、今年の1月から働き始めました。
私は、発達心理学的な「基本的信頼感の欠如」のために、幼い頃から内気で情緒が不安定であり、友人作りが極端に苦手でした。また、「仲良くしようとしてくる親が気持ち悪くて…」のケースと類似した家庭環境であったため、就職し、経済的に自立してからは親との縁を切りました。
幸い、大学では武道を通じた人との出会いにより、ある程度自信がつき、また性格も明るくなりました。
また、大学4年生の頃に、たまたま研究室が同じだったことから、当時学園のマドンナ的な存在だった女性(現在は某大手放送局のアナウンサー)と恋愛関係になりました。私の嫉妬心の強さが祟って、彼女には大学卒業前に振られてしまいましたが、彼女のおかげで異性に対する苦手意識もなくなりました。
しかし、現在でも、恋人はおろか友人すら殆どおりません。
私は、極めて真面目で完璧主義的な性格ですが、一方で自己愛と劣等感(および虚栄心)が強く、それ故に人生の各フェーズにおいて尽く自己開示に失敗し、人間関係を自ら破壊してきました。
また、昔から、表層的には大変優良(上品、知的などの雰囲気から、見た目的なものも含め)な人物評価をいただくことが多く、元恋人のキャラクターを研究し、社交的・社会的な振る舞い方を習得してからは、話しやすさや爽やかさ、穏やかさに磨きがかかり、いっそう対人的な「見栄え」は良くなりました。
しかし、私としては作りあげられた自分の表層的なキャラクターに不自然さを感じており、今まで転々と古い環境(人間関係)を捨てて(あるいは捨てられて)新しい環境を求めてきましたが、他者から承認されるのはいつも「魅力的に作った(作られた)私」であり、根暗な性格など悪い部分をも含めた「素直な私」を開示できる環境がなく、また他者のまなざしに対する自意識が枷となり、なかなか親密かつ長期的な人間関係を形成することができません。人間関係におけるキャラクター戦略に対してアイロニカルな没入の仕方をしてしまうため、環境には馴染めても孤独感は払拭できず、社会関係資本の乏しい自分の人生に空虚さを感じております。
私は、今また、新しい環境を求めて転職活動をしておりますが、内心、際限のない「自分探し/居場所探し」的な活動を続けるべきか否かの判断に悩んでおります。
全体としてまとまりがなくなってしまいましたが、人生に空虚さを感じる私に、何らかのご啓発を賜れればと思います。
※書き上げた文章を読み返してみると、段落の頭が殆ど「私は」で始まっていることに気づき、内心における他者の不在と自意識の強さを改めて感じました。
※相談の分量の目安を大きく超えてしまいましたが、私のナラティブを、今後、何らかの哲学的考察の種に使っていただければ幸いです。
■ 美和(女性(28歳)和歌山県、専門職)
國分先生こんにちは。新生活とは少しかけ離れた質問かもしれないのですが。
今までの自分とは決別したい気持ちがあり、また4月から仕事環境が変わることもあって、その気持ちが更に大きくなっています。
決別したいと思っているのは、自分が何か希望していることがあってもそれを欲していることを自分から周りに伝えることが出来ず、しかし(私は無意識にしていることが多いですが)結果的に周りを振り回してしまっていたり、いつまでも手に入らなかった事柄などに執着しなかなか受け入れられないことなどです。どこかで、欲しいと思っていても結果的に手に入らなかった場合、私にとってはそれが非常に惨めで受け入れられず、だからこそ表面的には欲していることを出さなかったり、手に入らなくても傷ついていない振りをしているんだと思います。
そんなことを何となく意識し始めた時に職場に気になる男性が現れました。
尊敬出来るところが思く、また私とは違い素直な部分に惹かれました。今までの自分であれば、自分から行動せず、何も起こらなければそのままで、しかしながらいつまでも気持ちだけ引きずっているように思います。しかし、この4月から職場が変わったこともあり、今後1度は仕事で会う予定があるので、そこで思い切って自分の気持ちを伝えようかと考えています。
しかし、私の中でどうしてもすっきりしない気持ちや不安があり、だからと言って、それが具体的に何なのか分からず。日々、もやもやしたままで居てもたっても居れず、相談のメールをしてしまいました。
抽象的でまた相談内容がはっきりせず、申し訳ありませんが、何かお言葉を頂けると幸いです。よろしくお願い致します。
■ 黒七味(男性(26歳)東京都、雑誌編集者)
国分先生、こんにちは。
今年の春で社会人4年目の26歳男です。3年間働いてもほとんど成果を出せず、自分には現在の仕事に対する適性がないのだろうという思いが確信になりつつあり、この仕事への情熱も失ってしまいました。精神的にも肉体的にも疲弊しており、抗不安薬に頼ることもあります。検査では問題ないものの、さまざまな体調面の不良にも悩まされています(医者には自律神経失調症といわれ、ストレスをためないようにと言われています)。
不規則な生活のため、このままではとても体が持たないと思い、転職をしたいと思っているのですが、そんな思いとは裏腹に体が動きません。現在の仕事に打ち込むこともできず、新しい環境を得るために動くこともできず、砂を噛むような思いで日々を過ごしています。会社でこのような悩みを相談できる人もいません。いったいどうすれば、この状況から抜け出すことができるでしょうか?
■連載再開 第1回:「新しい環境」
皆さん、こんにちは、國分功一郎です。
この度、プラネッツ・メルマガでの人生相談を再開することになりました。それについていろいろと思うところがありますので、まずそれを書きます。
僕はこのメルマガで2012年から2013年にかけて毎週、人生相談の連載をしていました。これはかなりの人気になりまして、なんと、『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版、2013年)という本にまでなりました。
毎週の連載というのは本当に大変なんですが、僕自身もとても楽しくやっていました。締め切りギリギリの木曜の夜、眠い目をこすりながら書いていたんですけど、配信日である金曜日にツイッターなどで寄せられる読者の皆さんの感想がとてもうれしくて、それが力になっていました。
本の後書きで書いたんですが、あれは一種の「人生相談運動」でした。読者の皆さんと僕が一体になって、なんだかよく分からない猛烈な力が出てきて、僕はそれに巻き込まれて書いていたんですね。だからはっきりと後書きで、あの運動の雰囲気はメルマガを講読して読んでくださっていた方々にしか分からないだろう、と書きました。本で読んでも分からないのです。それは「あまちゃん」を今からDVDで見てもあの時のおもしろさは全く分からないということと同じです。
ワルター・ベンヤミンが、現代の複製技術の芸術作品はアウラを失っているということを言いましたけど、メルマガみたいなものであっても、アウラをもちうるのです。それは“時間”が関係しているからです。メルマガは定期的に配信されるものですが、当然のことながら、絶対に後から再構成できない、持続する時間の中で配信され、読まれている。それが取り戻せない、かけがえのない、持続を作り出します。
ちょっと難しい言い回しをしてしまいましたが、僕が言ってるのは簡単なことであって、プラネッツ・メルマガでの人生相談は僕もとってもおもしろかったし、読者の皆さんにもかなり楽しんでいただけて、本当によかったんだけど、「あの人生相談をもう一度!」とどれだけ願っても、それはもう無理だということです。
あの人生相談はもう終わりました。
あの人生相談はもう二度とできません。
書籍化された『哲学の先生と人生の話をしよう』を読んでくださった方からたくさん感想などをいただきました。メルマガと書籍を比べたら、読者の数は比較になりません。なんだかんだ言って、今でも書籍の力はすごいので、それまでとは比べものにならない数の読者の方にお読みいただけました。
もしかしたら、そうした方々からご相談をお寄せいただけるかもしれません。でも、そうなると前回とは条件が全く異なることになりますね。以前連載していた時には、國分がどう答えるのかも未定だし、連載がどうなっていくのか全く分からないし、相談内容もあっち行ったりこっち行ったりだし、だいたい相談が集まらない(笑)。
そういう中で、当時の読み手と書き手と、そして編集部の力であの連載が作り上げられたわけですね。とにかく相談が集まらないというのがキツい。そのキツさを乗り越えようと努力するところに、何か面白いものを作り出す力が生まれたわけです。「こんな相談、くだらねーからボツ!」とか思ってたけど、他に相談が来ないから、仕方なくこのボツ相談を何とか面白く読むとか(笑)。
さて、こういうことを考えながら再開する連載です。ですから、連載ペースとか形式なんかも以前と同じにするわけにはいきませんでした。あれと同じことをやるというのは叶わないことだからです。
で、今回、テーマを決めて、月一で、複数の相談に答えるということだけは決めたんですが、それ以外のことは決めておらず、またどうやっていいのかも分かりません。或る意味で、初めてやるよりも難しい状況です。
ですので、あまり形式を決めることにこだわらず、その場で思いついたやり方で進めていきたいと思います。その点、どうかご了承ください。
さて、今回は「新しい環境」をテーマにしました。四月ですので、新しい学校なり新しい職場なり、これまでとは異なる環境に入った人も多いと思います。まずは僕が「新しい環境」というテーマのもとで考えていることを書きます。