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萱野稔人×小林よしのり×朴順梨
×與那覇潤×宇野常寛
『ナショナリズムの現在
――〈ネトウヨ〉化する日本と
東アジアの未来』発売!
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.8.11号外
今日の「ほぼ惑」では、号外として本日発売のPLANETSオリジナル電子書籍『ナショナリズムの現在――〈ネトウヨ〉化する日本と東アジアの未来』(萱野稔人×小林よしのり×朴順梨×與那覇潤×宇野常寛)の冒頭をお届けします。
▼お知らせ
PLANETSは、Amazon Kindleストアでオリジナルの電子書籍を発売開始します。普段のメルマガ以上に、盛りだくさんの内容を、電子書籍ならではの価格でお届けします。
第一弾はこちら。
2月に開催したトークイベントをもとに、豪華出演陣に徹底的に加筆していただきました。
1998年、『戦争論』で一躍ブームを巻き起こした小林よしのりは、2014年現在の「ナショナリズム」や「ネトウヨ」をどう見ているのか? そして、2000年代半ば以降「ナショナリズム」を理論的に分析してきた哲学者・萱野稔人、『中国化する日本』でまったく新しい東アジア像を描いた日本史研究者・與那覇潤、草の根のナショナリズム運動の現場を歩き、「ネトウヨ」的心性の広がりを見てきたフリーライター・朴順梨は、果たして小林にどう応答するのか?
■今の「ネトウヨ」にはそもそも歴史観がない!?
宇野 この座談会では、哲学者の萱野稔人さん、漫画家の小林よしのりさん、フリーライターの朴順梨(パク・スニ)さん、歴史学者・與那覇潤さん、そして司会の私・宇野の5人で、いま日本で、おそらくはいびつなかたちで高揚しつつある「ナショナリズム」に対して、私たちがどう向き合っていけばいいのかについて話していきたいと思います。
議論を始めるにあたってまず振り返っておきたいのですが、今から16年前の1998年に、小林よしのりさんが『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(幻冬舎、以下『戦争論』)を発表し、シリーズ累計で160万部の大ベストセラーになり、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」)の運動も盛り上がりました。この時期を境に、「戦前の日本を肯定的に評価することは絶対に許されない」というような、いわゆる「戦後民主主義」的な建前が壊れ始めていったといえると思います。当時学生だった僕は、小林さんたちの歴史観には賛同できなかったけれど、朝日・岩波的なものが相対化されたこと自体は小気味よく思っていたのを覚えています。
そしてちょうどその頃インターネットが普及しはじめて、「ネット右翼」いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれるような人たちが現れはじめた。僕は今35歳ですけど、こうした「ネトウヨ」のボリューム層は、いわゆる団塊ジュニア世代と、その少し下の僕と同じぐらいの世代の人たちではないかと思います。
個人的な実感からいうと、『戦争論』が流行していた当時、20代前半で大学生だった僕はそういう人たちをちょっとバカにしていました。「かわいそうな男の子たちがネトウヨになって、歴史教科書論争をやって日々の鬱憤を晴らしているだけだろう」と思っていたんですね。
でもあれから10年経った今、まったくそんな悠長なことを言っていられない状況になっている。少なくとも彼らは自民党安倍政権のマーケティングの対象になるぐらいには層として厚くなってきていますし、フジテレビに対する「韓流ゴリ押し反対デモ」(2011年)や、在日韓国人の多い新大久保でのヘイトスピーチデモのようなかたちで、実際に社会問題として目に見えるかたちで街頭に溢れ出している。
まさに当時小林さんが描かれていたような、排外的な言葉を連ねることで自分を守ろうとする「寄る辺なき個」たちが溢れ返り、しかもそれが「一部のかわいそうな男の子」だけで済まず、実際に政治的な勢力となって今の世の中に影響力を持っている。それは田母神俊雄さんが都知事選で60万票を取ったことからも明らかですよね。そういう状況に対して我々がどう向き合って行ったらいいのかについて、みなさんに伺っていきたいと思います。議論を始める前にお一人ずつ、こうした状況について考えていることを聞いていきたいのですが、ではまず與那覇さん、いかがでしょうか。
與那覇 いま宇野さんは、小林さんも関わった「つくる会」の歴史論争から話を始めましたよね。この前もある新聞社から、2013年末の安倍首相の靖国神社参拝に関連して「日本にもう一度、歴史論争の季節が来ているのでは?」という取材を受けました。でも、僕は「安倍首相であれその批判者であれ、今の日本社会は、本当に歴史というものを必要としているのか?」という根本的な疑問を持っています。
90年代後半の歴史教科書論争の頃であれば、少なくとも「歴史観」どうしのぶつかり合いにはなっていたと思うんです。「第二次世界大戦をどのようなストーリーのもとに語るのか」について、意見が違う人のあいだで議論していたわけですね。靖国問題についてであれば、「そもそも、明治に作られた靖国神社とはどういう存在か」という地点まで遡って、そこからの歴史の流れを踏まえて「だから参拝すべきだ」「いや、すべきではない」という論争の構図になるはずだった。
でも今の「ネトウヨ」的なナショナリズムの盛り上がりって、もはや歴史観のぶつかり合いではないと思います。むしろ「韓国や中国が『参拝するな』とか文句を言ってきて、ムカツクから逆に参拝してほしい」というレベルの話でしょう。もはや歴史論争でさえなく、「今、この瞬間」しか見ない脊髄反射になっているんじゃないか、という気がします。
■左派陣営はネトウヨ的世論の背後にあるものを見過ごしている
萱野 私はこの数年、ナショナリズムについていろいろと発言してきましたが、その大きな動機の一つは、ナショナリズムを批判する左翼の側の知識人たちが、「今なぜナショナリズムが高揚しているのか」についてまったく理解していないと思ったからなんです。
彼らはみな「社会から疎外されているかわいそうな人が、国家や民族のような『大いなるもの』に頼ってアイデンティティを安定させたいんだ」などと言って済ませている。私はもともとナショナリズムを批判する側だったのですが、彼らがあまりにお粗末なので、私自身は「ナショナリズム批判を批判する立場」に変わってしまいました。
私は、「ネトウヨ」と言われている人たちには、真っ当なところがあると思っています。たとえば今年の1月に神戸で、不正に生活保護を受けながらポルシェに乗っていた在日韓国人が万引きで逮捕されたというニュースがありました。「Yahoo! ニュース」上でのユーザーからの反応を見ていたら、トップに来ているコメントが「なんで日本人で生活保護をもらえない人がいるのに、外国人でもらえる人がいるんだ? おかしいじゃないか!」という内容でした。「Yahoo! ニュース」ではコメントに対して賛成か反対かを表明する機能があるんですが、このコメントに7万件ぐらい「賛成」のボタンが押されていて、一方で「反対」は900件ぐらいでした。ここに今の日本のナショナリズムの一つの本質があると思います。
要するに、今の日本は経済が不調で、財政赤字も増えていて、このままいくと社会保障も立ちゆかなくなる。つまり「日本人がこんなに苦しんでるのに、なんで我々日本人自身で作りあげた福祉のパイを外国人にまであげないといけないんだ」という心情があるわけです。
海外の例を出すと、オランダでは2002年に極右政党(=ピム・フォルタイン党)が初めて結成されて、わずか3ヶ月で議会の第2党になって連立政権入りしています。そのとき彼らは「オランダはもう満員ですよ」というスローガンを掲げた。もともとオランダは外国人移民に寛容だったけれど、財政赤字が膨らんで、生活保護の受給額がどんどん減っていく状況で「これ以上、移民は受け入れられませんよ」と言っていたんです。そういった感覚と、先に触れたYahoo!ニュースのコメントはとても似ていますよね。
今の日本のような経済が拡大しない閉塞した社会で、「国家の貴重なリソースは、よそ者の外国人より我々自身のために使うべきだ」という要求が出てくるのは自然なことです。ここを見逃してしまうと、ナショナリズム批判は、単に「社会から疎外された人間が、国家や民族とかの『大いなる物』に結びつきたがっている」という非常に単純化された話や、「差別は良くない」「他者の排除は良くない」という、単なる道徳主義的なお説教に陥ってしまいます。左翼のナショナリズム批判はそこがダメだと思いますね。
宇野 「ネトウヨ」的な世論の背景には間違いなく、「今の日本の景気が悪い」「富の再分配がきちんと行われていない」という心情があるということですね。現代の日本はもはや成長社会ではない、成熟社会としての日本の基礎設計がなされなければいけないのにそれがうまく行っていなくて、その不満のはけ口として排外主義が生まれている。そのことを、ナショナリズムを批判する側の左翼はわかっていない、と。
萱野 そうなんですが、たとえ富の再分配や社会の設計が当面うまくいったとしても、「パイが縮小している」という危機感があるかぎり、「このパイは誰の物で、誰がパイを受け取るべき人間なのか?」という議論が出てこざるを得ない。そしてそれは、必然的に国籍や民族のアイデンティティの話に行き当たります。ここが難しいところだと思いますね。
宇野 もうひとつ僕の方から問題提起的に指摘しておきたいのは、リベラル側の人たちは「安倍政権の支持層なんて、どうせネトウヨでしょ」というふうに単純に捉えすぎていないか、ということなんです。僕の感覚では、普通のサラリーマンや主婦の人たちが、常識論に基づいて安倍政権の動きを支持している部分も大きいのではないか、と思うんですね。
たとえば「中韓の反日教育に対して何も言わないで、外交でもやられっぱなしなのはダメなのでは?」とか、「戦後民主主義の建前が当時はそれなりに意味はあったのかもしれないけれど、もう冷戦も終わって久しいし、やっぱり常識的に考えて国家に軍隊は必要なんだから憲法にもそう書いたほうがいいんじゃないの?」とか、そういった常識論にもとづいて、ネトウヨではない普通の人たちが憲法9条の改正について考え始めているのではないか、と思うんですね。僕はこうした感性は少なくとも間違っていないと思う。
そういう人たちが抱く「理想論はいいけれど実際の国防や外交はどうするの?」という真っ当な疑問に対して、リベラル派の人たちは昔の左翼のテンプレートで思考が固まってしまっているせいで正面から答えられない。「戦争はダメだ」「憲法9条を変えるなんてもってのほかだ」、というお題目を唱えているだけなわけです。そういう思考停止したリベラル派に失望していった多くの有権者が、いま消去法で「どちらかというと」安倍政権を支持しているという図式があるんじゃないでしょうか。そこが見えていないのが現在のリベラル派の大きな問題だと思います。
■『戦争論』から16年――小林よしのりは今の「ネトウヨ」をどう見ているのか?
小林 わしが「新しい歴史教科書をつくる会」をやっていた1990年代後半当時って、まだ今のように中国や韓国の反日教育のことが多くの日本人に知られていなかったんだよな。
たとえば、やしきたかじんの『そこまで言って委員会』とか、ビートたけしの『TVタックル』のような番組でコメンテーターが「中国は悪い」「韓国は悪い」というようなことを堂々と言えるような状況ではなかった。政治家が「戦前の日本は中国や韓国に良いこともした」なんて言えば、たちまち首が飛んでいたよね。それほど、当時は自虐史観一色だったんだよ。そのなかで、日本国内で歴史教科書に従軍慰安婦のことが記載されるとか、「南京虐殺事件」の被害者の数がどんどん増えたりとか、そういう傾向が出てきたからわしらのような人間が歴史教科書論争を通じて、日本国内の状況に対して抵抗し始めた。さっき與那覇さんが言われたように、確かに当時は「じゃあ、どういう歴史観で行くのか」という歴史論争そのものがあったわけだな。わし自身も歴史教科書の記述を書いてたし(苦笑)。
でも、今ではべつに「ネトウヨ」でない一般の日本国民も、中国や韓国がどれだけ反日的かを知ってしまっている。テレビの討論番組などでも、平気で中国や韓国の悪口を言えるわけだ。主婦だって中国の食品がどれだけ汚染物質が入っているかとかを話している。
今ではもう歴史観とかは全然関係なく「とにかく中国・韓国は嫌いだ」という感情的な反発になっていて、その延長線上で「在日特権」のようなものが槍玉に挙げられるようになって、だんだん「在日韓国人に我々日本人の権利が奪われている」という話になってきてしまっている。だから、単なる排外主義としてのナショナリズムがかなり一般的になってしまった、ということなんだろうな。
宇野 小林さんは、「つくる会」の運動にコミットして、『戦争論』から『ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論』(幻冬舎)などを描いていた当時、「『物語』を語れ」ということを掲げて歴史観の再構築を試みていたと思うんですね。そのときの「物語=歴史観」というのは、與那覇さんが指摘されたような、単に「中国・韓国は嫌い」といった排外主義とは全然異なるものだったと思うんですが、仮に小林さんを中心とした「つくる会」の運動が、ある種の自虐史観を矯正してマスメディア上の歴史観のバランスを取ることに成功した――つまり、ある程度言論戦に勝利した――として、その結果生まれたこの状態は、小林さんは想定されていなかったということですよね。
小林 わしもここまで過激になるとは予想してなかったよ(苦笑)。だいたい、「新しい歴史教科書をつくる会」だって、もちろん「自虐史観に抵抗する」という面はあったけど、当時、仮想敵としていたのはむしろ「司馬史観」だったからね。
「司馬史観」というのは(「つくる会」の前会長、現理事である)藤岡信勝が作った言葉で、世に普及している司馬遼太郎の小説で語られるような「日本は明治時代まで立派だったが、昭和に入ってからダメになった」「日露戦争は正しかったが、先の大戦は侵略だった」という歴史観のことだな。
しかし、わしは『戦争論』を描いたとき、大東亜戦争を真っ向から肯定してしまった。それは当時の「つくる会」の中でも、かなり右に寄った意見で、認められていなかったんだ。ところが、それがものすごい大ベストセラーになっちゃった。そこから何か動きが変わってきてしまったんだな。その『戦争論』の中で触れた、慰安婦問題や南京虐殺事件といった問題が論争のタネになっていってしまった。
宇野 小林さんの「自分は言論戦に勝利したかもしれない。でもその結果、想定外の状況が生まれてしまった」という認識は、まさに與那覇さんのおっしゃった、今の「歴史観すらない」という状態とイコールでしょうか。
與那覇 おそらくそうでしょう。たとえば、歴史学者にとって「何が仮想敵であったか」という観点から振り返ってみると、90年代前半までは司馬遼太郎さんの小説で、後半からは小林さんの漫画だったと思います。「世間のみなさんはあれが歴史だと思っていますが、歴史学的にいうとここが間違っています。ああいうものは、危険なナショナリズム史観です」というふうに批判することで、論争がなりたちえたわけですね。そのことが同時に、一般社会における歴史学のレーゾン・デートル(存在意義の証明)にもなっていた。
でも、今は何を仮想敵にしたらよいのかもわからない状況になっていて、きっとそれは「物語」が、ないからなんだと思います。たとえば司馬史観であれば「明治までは良いが、昭和はダメ」というストーリーに対して、「そもそも日本が植民地を持つきっかけは明治時代にあるじゃないか、だから司馬史観は問題がある」という批判の仕方が可能だった。ところが、「とにかく中韓と同じは嫌なんだ!」だと、もう議論の噛みあわせようがない。そこにあるのは純粋に情動的な反応だけで、物語のかたちをとっていないからです。
小林さんの『戦争論』は、おそらく「物語がぶつかり合う時代」と「もはや物語なき時代」の蝶番(ちょうつがい)のような格好になっていたと思うんです。いわゆる大東亜戦争肯定論の「物語」になっている部分と、一番最後の「ごーまんかましてよかですか」の部分、たとえば「慰安婦問題でこう言われたらこう言い返しとけ」みたいな、物語未満の「反論ハウツー」のふたつで構成されていた。今のネット右翼的世論は、そのハウツーだけになっているのではないか、というのが自分の認識ですね。
■中国・韓国に対する被害者意識の広がり
宇野 朴さんは、安田浩一さんとの共著の『韓国のホンネ』や、北原みのりさんとの共著の『奥さまは愛国』で、いわゆる「ネトウヨ」層の現場を多く取材しているわけですが、いまの状況についてどうお考えなのでしょうか。
宇野 朴さんは、安田浩一さんとの共著の『韓国のホンネ』や、北原みのりさんとの共著の『奥さまは愛国』で、いわゆる「ネトウヨ」層の現場を多く取材しているわけですが、いまの状況についてどうお考えなのでしょうか。
朴 ネトウヨといえば、さきほど宇野さんや萱野さんが指摘されたような、ステレオタイプなイメージがありますよね。「自分の望んだ仕事にも就けず、学歴もそう高くなく、友人にも恵まれてない――そういう鬱屈した思いを外国人嫌悪(ゼノフォビア)に変えて表現しているのではないか?」、というものです。
しかし、私が取材したネトウヨ的な女性の皆さんは、ほとんどが結婚していたり、恋人やパートナーがいました。彼女たちは「ネトウヨあるある」の鬱屈したイメージにはあてはまらない方々だったんです。
(この続きは、電子書籍で!)
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