1990年代後半:〈仮想現実の時代〉盛期(1)
PLANETS Mail Magazine
社会とゲームを一変させた「1995年」の衝撃——「次世代機競争」から「プレステ革命」へ ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.142 ☆
社会とゲームを一変させた「1995年」の衝撃
――「次世代機競争」から「プレステ革命」へ
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.8.21 vol.141
今日のほぼ惑は、大好評の中川大地さんによるゲーム史連載。今回は日本社会のメルクマールとなった1995年に巻き起こっていた、ゲーム業界における次世代機競争の状況について解説します。
第8章 世紀末ゲームのカンブリア爆発/「次世代」機競争とライトコンテンツ化の諸相
1990年代後半:〈仮想現実の時代〉盛期(1)
1990年代後半:〈仮想現実の時代〉盛期(1)
▼「中川大地の現代ゲーム全史」
前回までの連載はこちらから
■「1995年」のメルクマール性と情報環境の変化
1990年代前半は、まだ〈虚構の時代〉の残滓が色濃い過渡期としての性質が根強かった。冷戦が終わり、バブル経済こそ弾けて大きな画期は到来していたものの、国内での大勢の生活実感のレベルではまだ確たる前時代との差は認識しづらい時期だったと言える。
ゲーム機のテクノロジーの面でも、あくまでROMカセット式の2Dドットグラフィック表現の範囲内でファミコンからスーパーファミコンへの順当な「国民機」の座の継承が行われ、マニア機としてのPCエンジン(PCE)やメガドライブがCD-ROMの搭載などで一定の先進性を示しながらも、シェア的にはかなりの後塵を拝するという図式は動かなかった。その意味で、〈仮想現実の時代〉らしさの内実は、主に海外のPCベースの先進的なゲームデザインの上陸や、アーケードでの『バーチャファイター』シリーズの登場など、全体的にはアーリーアダプター層が食いつくシーンに限られていたと言える。
だが、年代を折り返す1995年の前後、社会的にもゲームをはじめとする情報環境においても、いくつもの偶然と人為が重なり合った結果、あからさまな画期をなす事象が、以後の人心に大きく作用していくことになる。
その引き金となった出来事が、1月の阪神・淡路大震災であったことは言うまでもない。神戸という大都市に突如として廃墟をうがち、5万人近い死傷者を出した当時の時点での戦後最大の天災は、直接には被災しなかった東京をはじめとする国内の文化空間にも甚大な影響を及ぼした。
それは被災者の救援や復興に対する実際的な社会の対応とは別に、1970〜80年代の〈虚構の時代〉らしい漠然とした不安として囁かれていた「ノストラダムスの大予言」などのような終末思想に一種のリアリティを与えるものとしても受け止められ、世紀末気分を加速するものでもあった。つまり、高度消費社会の日常を退屈に思ってきた人々にとっては、いささか不謹慎な期待や高揚さえ伴う出来事でもあったのだと言える。
そうした〝不謹慎〟な心性を最悪のかたちで露呈させたのが、震災後わずか2ヶ月後にオウム真理教によって引き起こされた地下鉄サリン事件に他ならない。米ソ冷戦時代の核戦争の恐怖を背景に、俗悪なオカルト趣味や疑似科学、各種サブカルチャーなどをパッチワークした特異なハルマゲドン願望を教義化したこの教団は、いわば「震災程度では世界が終わらなかった」ことに絶望し、手製の毒ガスを用いた無差別テロを敢行することで、自らの妄想する〝世界の終末〟を自作自演してみせたのである。
事件をめぐって教団を吊し上げにする世論が沸騰する中、社会学者の大澤真幸は、地下鉄サリン事件をはじめとする一連のオウム真理教の行動に〈虚構の時代〉の終焉を読み解き、特殊な狂信者たちの凶行としてでなく、同時代の日本社会そのものが抱える病理の顕れとして分析した。(大澤真幸『虚構の時代の果てに』)
これらの事件が、出口の見えない不況と相まって、それまでの日本社会の在り方が否応なく問い返していくようになる一方で、家庭用ゲーム機の代替わりもまたドラスティックに進行していた。
阪神大震災発生直前の94年末、それぞれ現行機だったメガドラとPCEの後継にあたる「セガサターン」「PC−FX」に加え、ソニーグループが新設したソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)が「プレイステーション」を投入。同年3月から松下電器産業(現:パナソニック)がアメリカの3DO社との業務提携で〝ゲーム機〟ならぬ〝マルチメディア機〟として投入していた「3DO REAL」や、バンダイの「プレイディア」、SNKの「ネオジオCD」なども含め、主にCD-ROMでのソフト供給を標準とする32ビット機の市場競争が始まっていたのである。
同様にCD-ROM媒体でのマルチメディア化が進んでいたパーソナルコンピューターの領域では、震災やオウム事件のショックも一段落した95年秋には、汎用ソフト「Windows 95」が上陸。BASICインタープリターやMS-DOSのようなキーボードからのコマンド入力による操作ではなく、マウス等によるポインティング操作で誰もが直感的にパソコンを扱えるようになるグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)のOSが本格的に普及してゆく契機となり、これを境に社会のIT化がはっきりと進行していくことになる。
さらには90年代前半のポケットベルのカジュアルな普及の延長線上に、携帯電話やPHSへの移行も始まり、人々のコミュニケーション様式とライフスタイルを大きく変容させる動きも本格化していく。
以上を俯瞰してみるならば、95年を境にして国内的な「政治と文学」の想像力には世紀末的なカタストロフ気分とウェットな閉塞感が募っていく反面で、世界的な「経済と技術」の発展の波がドライに途切れることなく進行していくという分断が、90年代後半のゲームをめぐる状況の前提環境を提供していたと言えるだろう。
つまりは、オウム真理教事件によって1980年代的な消費社会の陰画である「ここではないどこか」を目指す〈虚構の時代〉への現実逃避的なロマンが派手に瓦解。そんなユーザー側の自意識とも無関係に、「ムーアの法則」型の自律的な進歩やデジタル技術の論理に沿って、人々の現実環境が広義のバーチャルリアリティとして再編されていくのが、〈仮想現実の時代〉が全面化する90年代後半のモードなのである。
■「次世代機競争」のドラマツルギー
そして日本ゲームにとっての90年代後半は、経済全体の沈滞とは裏腹に、依然として高度成長が続く時代でもあった。98年のピークまで産業としても右肩上がりの成長が続いたばかりでなく、ゲーム内容の表現面でも、まさに「カンブリア爆発」と呼びうる進化の多様化が起きた、きわめて豊饒な期間であった。
その土壌を用意したのが、先述した家庭用ゲームの「次世代機競争」に他ならない。前節で挙げたハードのほか、96年には先駆的なインターネット接続機能を売りにバンダイが米アップルと共同開発した「ピピンアットマーク」や、覇者・任天堂が満を持して送り出した「ニンテンドー64(N64)」が登場。94〜96年にかけては、かなりの群雄割拠状態にあったわけである。
こうした出自の異なる多くのメーカーが参入してくる状況は、ちょうど1980年代前半のファミコン定着前夜、エポック社の「カセットビジョン」シリーズなどがしのぎを削っていた「第二次テレビゲームブーム」を彷彿とさせる。この時期は、
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