〈拡張現実の時代〉を幕開けた
ニンテンドーDSの設計思想
〜DS『脳トレ』『レイトン教授』〜
(中川大地の現代ゲーム全史)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.7.2 vol.357

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本日のメルマガは好評連載『中川大地の現代ゲーム全史』最新回。いよいよ2000年代後半、〈拡張現実の時代〉に突入します。今回お届けするのはそのプロローグ。ゲーム市場の存立基盤を揺るがしはじめた情報技術の変容と、それにビビッドに応答した王者・任天堂の「ニンテンドーDS」の設計思想について振り返ります。

「中川大地の現代ゲーム全史」(これまでの配信記事一覧はこちらから )
第10章 「ゲーム」を離れはじめたゲーム/コミュニケーション環境が変えたもの
2000年代後半:〈拡張現実の時代〉確立期(1)
 
 
 
■〈拡張現実の時代〉を招来したもの
 
 2000年代も半ばを折り返すと、社会の様々な領域で、明らかに時代のモードの変化を感じさせる徴候が目立つようになってくる。9.11を境に始まったアメリカ主導の一連の対テロ戦争は、03年に開戦したイラク戦争によってピークを迎えるが、圧倒的な戦力差で全土の制圧に至るも、開戦の大義名分であった大量破壊兵器は結局発見されず、全世界にその「正義」の凋落を印象づける結果に終わった。国内政治においても、構造改革の大義を掲げて激しく「抵抗勢力」を攻撃することで怪物的な支持を得た小泉純一郎政権の熱狂もまた、05年の郵政民営化をめぐる空騒ぎをピークに終焉を迎える。
 以降は1年おきに首相のクビがすげ変わるという自民党政権のグズグズで反動化が進行。デフレ不況からの脱却の道も見出せない中で、政治的にも経済的にも日本がますます二流・三流の国へと凋落していくというシニカルな停滞感が時代を覆うようになる。
 とりわけ、08年にはアメリカでのサブプライム問題を火種としたリーマン・ショックによって世界的な金融危機が引き起こされたことで、諸外国と同様に日本経済はさらなる打撃を受け、特に若年層の貧困や社会的格差の拡大・固定化が、誰の目にも明らかな問題として前景化してゆく。その結果、国内外で新自由主義的とされる政策運営を行ってきた政権への不満が高まり、09年にはアメリカ大統領選でのバラク・オバマ大統領の選出、日本では衆院選での民主党圧勝を受けて、米日でリベラル勢力への政権交代がもたらされるに至った。
 
 こうした時代精神の潮目の変化を孕んだ00年代後半の5年間を、宇野常寛『リトル・ピープルの時代』における時代区分に倣い、〈拡張現実の時代〉の確立期と位置づけたい。言うまでもなくこの命名は、情報技術の分野におけるVR(ヴァーチャル・リアリティ:仮想現実)よりも時系列的に新しいカテゴリーであるAR(オーギュメンテッド・リアリティ:拡張現実)の勃興に対応する。すなわち、ユーザーが現実空間での活動を行う際、何らかのデジタルデバイスを用いて「アノテーション」と呼ばれる有益な視聴覚情報をその環境知覚に重畳させることで、〝素のままの現実〟を〈拡張〉しようというタイプの技術の総称である。
 発想そのものは、航空会社ボーイングの研究職であったトーマス・コーデルらが1992年の論文で発表したHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を用いるエンジニア向け作業支援システムを嚆矢とするので、VRに比べて先進的だったわけではないが、99年に奈良先端科学技術大学院大学の加藤博一が開発したミドルウェア「ARToolKit」のリリースなどを機に、コンピューターサイエンスやITビジネスのホットテーマに浮上する。さらに2007年にはAR機能を持つ「電脳メガネ」の普及した近未来世界を舞台としたアニメ『電脳コイル』が放映されて、SF的なイメージを広範な層に惹起。また、アップルが同年に発売した「iPhone」によってスマートフォンという汎用的なウェアラブルコンピューティングデバイスの普及が始まり、09年にはそのカメラ機能とGPSを活用して付加情報を表示するロケーションベースのARアプリ「セカイカメラ」が登場。こうした動向によって、00年代後半を通じて大きく民生的な浸透を果たしたコンセプトだったと言えるだろう。
 
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 この語が時代全体のムードを言い当てる比喩として相応しいのは、人間の現実感を構成する環境情報すべてを人工生成しようとするVRに比べ、補助的な情報生成に留まるARのハードルは相対的に低く、デジタルテクノロジーとして目指す理念的な到達点上は、ある意味で〝妥協的な現実主義〟とも呼べる側面を持っていることである。
 情報環境の面では、1990年代後半から2000年代前半にかけての劇的なIT革命のインパクトは一段落し、SF的な〈夢〉を孕んでいたインターネットは、もはや珍しくもない日常的な生活インフラとなった。確かにティム・オライリーが「ウェブ2.0」というビジョンを掲げたように、それまで情報の一方的な受け手だったユーザーが双方向的に発信していうという利用形態の進化は絶えることなく続いていた。具体的には、04年には「Facebook」や「mixi」といったSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)が始まり、翌05年には「YouTube」、さらに翌06年には「ニコニコ動画」といった動画投稿サイトが登場。こうしたソーシャルメディア環境の勃興が、個人のコミュニケーション活動やUGC(ユーザー生成型コンテンツ)制作をエンパワーメントし、インターネット本来の解放的な理念性をますます顕現させるものだったことは間違いない。
 ただ、そこで開花した実際のユーザー文化の在り方は、〈夢の時代〉から〈仮想現実の時代〉にかけて漠然とイメージされていたような「無限の可能性を秘めた広大なサイバースペースにおける未知なる出会いや体験」といったオープンな描像とはいささか異なる。ソーシャルメディアの本質は、パソコン通信時代のような会員制アカウント化を行ったり、情報発信のフォーマットを規格化したりと、理念的には全世界に開かれているはずのインターネット内に、あえて敷居を築くことにあるからだ。これにより、00年代後半のネットサービスは、おおむね限られた知人や同好者との小さなコミュニティ内での交流を充実させる方向へと向かっていく。かつてのカリフォルニアン・イデオロギーが想定していたほどには、一般ユーザーの社交能力や創造性の水準は高くはなかったわけだ。
 つまりは、「ここではないどこか」への到達を目指すテクノロジーの単線的な進歩の方向性を見直し、「いま・ここ」に暮らす人々の現実性に即したユーザーニーズへの最適化を図ることが、〈拡張現実の時代〉におけるイノベーションの基本トレンドとなっていったのである。
 
 そんなコミュニケーション・プラットフォームの整備に呼応するかたちで、新たな環境に適応したカルチャームーブメントもまた勃興してゆく。日本のおけるその最大級のケースが、07年の「初音ミク」の登場を機とした歌声合成ソフト「ボーカロイド」シリーズのブレイクであろう。これは声優やミュージシャンからサンプリングした音声アーカイブによって、任意のメロディを歌わせるといった仕様のボーカル制作ツールだが、パッケージングに「バーチャルアイドル」としてのキャラクター性が施されたことで、ユーザーの作品制作に「P(プロデューサー)」としてのロールプレイ性が発生し、強烈な創作モチベーションを喚起することに成功。従来のDTMファンの裾野をはるかに超える規模での膨大な楽曲や動画コンテンツがニコニコ動画などで発表・共有され、「東方Project」などと並んで日本のn次創作カルチャーの特質を代表する一大人気カテゴリーへと発展する。さらにはそこからの商業的ヒットも生まれ、初音ミクとボーカロイドは、音楽シーン全体を揺るがすほどのインパクトをもたらした。
 こうした潮流について、音楽ジャーナリストの柴那典は、1967年にアメリカ西海岸のヒッピーカルチャーを母体に起きたロックムーブメント「サマー・オブ・ラブ」、1980年代後半にイギリスを中心に盛り上がったレイブカルチャーのムーブメント「セカンド・サマー・オブ・ラブ」を引き合いに、ポピュラーミュージック史における「サード・サマー・オブ・ラブ」の位置づけを与えている(『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』)。〈拡張現実の時代〉をもたらしたテクノロジー環境の変化は、様々なジャンルの文化史を横断して、ドラスティックな画期を刻んでいったのである。
 
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■「DS」ブームが牽引した任天堂復活劇
 
 そして当然ながら、デジタルテクノロジーとカルチャーが最も直接的に結びつくゲームの分野にあっても、それまで築かれてきた市場や文化のありようを大きく塗り替える変容がもたらされることになる。業界の既存プレイヤーの中で、〈拡張現実の時代〉への応答を最もビビッドに示したのが、かつての王者・任天堂であった。
 捲土重来を期する最初の一撃となったのが、2004年末に発売された携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」である。従来機であったゲームボーイアドバンス(GBA)が01年に登場してからわずか3年余、さらに前世代機のゲームボーイからの間隔が12年もあったことを鑑みるなら、それはあまりにも早すぎる「代替わり」だった。
 このような攻勢のリリースが行われた背景にあったのが、02年に行われた任天堂社内での体制刷新である。同社のルーツにあたる任天堂骨牌を創業した山内房治郎の曾孫である山内溥が、実に半世紀にわたって務めてきた社長の座を退き、後継者としてHAL研究所出身の取締役・岩田聡を大抜擢したのである。
 
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▲ニンテンドーDS
 

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