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落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』
第1回「魔法の世紀」のためのコンピュータ史
(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』)
第1回「魔法の世紀」のためのコンピュータ史
(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.2.23 vol.525
今月から『魔法の世紀』を落合陽一さん自らが読み解く自著解説が始まります。今回は「第1章 魔法をひもとくコンピュータヒストリー」です。クロード・シャノンやバネーバー・ブッシュといった、『魔法の世紀』では簡単にしか触れられなかった科学者たちの知られざる業績。さらに『魔法の世紀』に大きな影響を与えた、暦本純一氏や石井裕氏といった日本人研究者についても紹介します。
▼『魔法の世紀』第一章の紹介
「第1章 魔法をひもとくコンピュータヒストリー」では、第二次大戦末期に誕生したコンピュータの歴史を追いかけます。1960年代に「究極のディスプレイ」を考案したアイバン・サザランドと、その4人の弟子たち(アラン・ケイ、ジェームズ・クラーク、ジョン・ワーノック、エド・キャットムル)の活躍。さらに1990年代にマーク・ワイザーが提唱した「ユビキタスコンピューティング」の概念を経た後で、サザランドが夢見たコンピュータが物理世界をコントロールする世界、つまり「魔法の世紀」へと至る必然性について論じています。
【発売中!】落合陽一著『魔法の世紀』(PLANETS)
☆「映像の世紀」から「魔法の世紀」へ。研究者にしてメディアアーティストの落合さんが、この世界の変化の本質を、テクノロジーとアートの両面から語ります。
取り扱い書店リストはこちらから。http://wakusei2nd.com/series/2707#list
▼プロフィール
落合陽一(おちあい・よういち)
1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、2015年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
音響浮揚の計算機制御によるグラフィクス形成技術「ピクシーダスト」が経済産業省「Innovative Technologies賞」受賞,その他国内外で受賞多数。
『魔法の世紀』という本は、技術論からプラットフォーム、マーケティングの話までを含めて、デザインとコンピュータがどうやって進歩してきたのかを抽象的にまとめた本でした。そこで、まずは簡単に「映像」の復習から始めましょう。
『魔法の世紀』における「映像」の概念は「皆で同じものを見る道具だ」ということにあります。
そもそも最初の“映像装置”と言われる、エジソンが作ったキネトスコープは中にサナダムシみたいなフィルムが入っていて、それを一人の人間が覗きこむだけの道具でした。ところが、リュミエール兄弟の作ったシネマトグラフは違います。光源を焚いてクルクル回して、皆で見るものでした。
商売として強かったのは、シネマトグラフのほうです。キネトスコープは、いわば観光名所にある望遠鏡のようなビジネスモデルで、サロンの片隅などに置いてありました。しかし、シネマトグラフは構造上、暗い部屋に複数人が集まって、身動きがとれない状態になりながらも、同じ映像を共有して、集中して見るような装置として現れたのでした。興行と結びつくことで、シネマトグラフは大きく発展していきました。
ここからわかるのは、シネマトグラフがキネトスコープに勝ったのは、単なるコストの問題でしかなかったのです。シネマトグラフは当時の資本主義市場において優位性のある発想でした。
実際のところ、現在のデジタルファブリケーションの技術であれば、キネトスコープの発想は決して悪いものではありません。現代人はスマホで各々違った映像を見ているわけで、キネトスコープに二つレンズをくっつけてスマホで見たら、最近話題のOculus Riftそのものです。
すでに現在の我々は、テレビを見ている時間よりも、スマホで各々の世界に入っている時間のほうが長かったりするわけです。つまり、キネトスコープ的なメディアの方にお金を落としているわけです。でも、当時の技術ではそれは不可能でした。
ここからは、この「映像」とは違った、21世紀の「魔法」を実現するコンピュータ開発の歴史の話をしていきます。この連載では『魔法の世紀』ではあまり語ってこなかった人たちに絞り込んで紹介しようと思います。
クロード・シャノン~コンピュータにおける“アインシュタイン”
そもそもコンピュータは、いつ生まれたのでしょうか。
そこで一つ重要になるのが、クロード・シャノンという人物です。
イケメンですね。このクロード・シャノンという人が、コンピュータの研究において一番偉い学者だと思ってください。物理学の世界で言えば相対性理論のアインシュタインのようなものです。
なぜかといえば、彼は電気回路のスイッチをブール代数の演算で解けると提唱したからです。ブール代数というのは、スイッチが開いている状態を0、閉じている状態を1として、未知の値で真偽の演算をするための約束事です。彼が1937年頃にこのアイディアを考案するまで、計算機はアナログな歯車の組み合わせで動いていました。
ここで彼が行ったのは、いわば効率的に数字を記録して計算をするための方法です。例えば、言葉を数字に置き換えたとして、歯車ではさほど多くの表現はできません。しかし、電気回路を用いれば、0と1の二進法で数字を表現できます。桁数を増やしたければスイッチの数を増やせばいいし、0から1への変換も単に電圧をかけるだけで表現できてしまいます。何よりも、電気が通っているか通っていないかというシンプルな表現なので、情報にエラーが出にくいのです。
この論文「継電器及び開閉回路の記号的解析」はシャノンの修士論文であり、この時期から、電気回路を使った計算はメジャーなトレンドになっていくのではないかと注目されるようになりました。
この時点でシャノンはまだ23歳です。以降、彼はひたすらコンピュータの基礎を作っていきました。その後、彼がベル研究所にいたとき書いた論文が「通信の数学的理論」で、これをきっかけに「情報理論」という学問分野が確立されました。
少し歴史をさかのぼって考えてみましょう。
人間が情報を体系的に記録して集め、それをやり取りするようになったのは、アレキサンドリアの図書館の頃のことです。巻物を並べて、その上に書いてある文字列、つまりプロトコルでやり取りをしていたのですが、かさばるし、なかなかに不便です。紙が西洋に伝来してからはそこそこ使いやすくなりましたが。
当時のメディアはパピルスなんですが、あれは最低で、湿気るとすぐ壊れるんですね。自分で作ってみると分かりますが、本当に適当なものです。パピルスという植物をギュッとつぶして、それを乾かしておく。すると、発酵して糊みたいにベチャっとくっつくんですね。そうすると表側だけは平らになるわけですよ。裏側はボコボコしてて何も書けないんですけどね。
こういう感じで、片面筆記しかできないわ、草をひっつけてるだけだからビリって破けちゃうわで、実に厄介です。それでも図書館が生まれて、大量の情報が蓄積されるといいことがある、ということはわかってきたんです。
結局、シャノンが出てくるまでは圧倒的に物理世界に情報量がありました。しかも、アナログで記録されているから、年々劣化していく。グレースケールだったらどんどん濃度が下がっていくし、パピルスだったら破けちゃうかもしれない。
でも、0・1のデジタルデータとして保存されていれば、いわば穴が開いてるか開いてないかだけで判断するようなもので、文字が擦れたりすることはない。二値でしか記録しないということは、情報として強いんですよ。記録媒体が発明されるのはもっと後ですが、ここから徐々に物理世界にあった情報が計算機データに向かって流れていきます。
その流れが本格的に来たのは1970年頃ですね。最初に話したリュミエール兄弟が映像を発明した頃から、ちょうど一世代くらい後です。当時20歳くらいで結婚した人の孫くらいの世代ですね。万博で映画を見ていた人の子どもが、第二次世界大戦に行って戦い、その下くらいの世代がコンピュータが当たり前の世の中を生きることになったわけですね。
バネーバー・ブッシュ~後世に影響を与えたメメックス
さて、次に取り上げたいのがバネーバー・ブッシュです。
『魔法の世紀』では、彼の「メメックス」は簡単にしか取り上げませんでしたが、とても重要です。
1945年に「As We May Think」という論文をブッシュは書きました。彼が論じたのは、おでこにクルミくらいの大きさのカメラを付けることで、人間が作業したカードや帳簿の情報を自動的に記録していくシステムです。そこでは音声入力のタイプライター、さらには人間の脳神経に直接情報を伝達するアイディアまで出てきます。しかし、当時としてはあまりに先進的すぎる内容であり、またブッシュ自身も頭の固い人だったこともあって、「バネ―バー」の名は「技術に関する長期的な予測が外れる」という意味のスラングとして、科学者の間で使われたりもしました。
でも、バネーバー・ブッシュに影響された人は本当に多いのです。
この1940年代の時点で、コンピュータが登場して、情報のタグ付けやハイパーテキストが重要になり、情報を脳に直接的に出力できるようになるという発想はすでにあったんですね。ですから、現在もその概念に囚われているのは発想が貧困だと思います。僕としては、コンピュータで脳に情報を直接出力するよりも、もっと面白いことができるのが今の時代だと思います。
ここで重要になるのが、バネーバーの「メメックス」です。
そこで彼は、記憶と記憶をひも付けて、情報の出力と人間の関係性をどう作っていくかを考えました。当時から、どうも情報はほかの情報とひも付きたがるし、またひも付いてこそ初めて人間にとって使えるものになるということもうっすらとわかっていました。
この考え方は、ハイパーテキストの概念に結びつきます。
ウェブページのクリックを飛んで、サイトを次々に見ていくあの発想ですね。リンクによって情報をひも付けておくことでと、今までにないような情報操作環境を作ることができるわけです。この技術は、情報が爆発的に増えて全体を見通せる人がいなくなったとき、ひも付けた状態で置いておかないと必要な情報の発見が難しくなることから、インターネットの基礎技術として広く普及して現在に至ります。
Googleのページランクはこの考え方にほぼ等しいものです。
80年代までは、論文の後ろに引用やリファレンスをつくって、Googleのページランクと同じ仕組みを人力で図書館の人間たちが研究していました。トムソン・ロイターが発表する、論文の引用ランキングなんかもそうやっていて、ウェブにその考え方を応用したのがページランクです。
実際のところ、僕は一時期、首からカメラを下げて30秒に1回くらい写真を撮る生活をしていたのですが、そうやって大量のライフログを画像で記録したときに、どう重み付けの計算をしていくのかはかなり重要です。情報同士をいかにひも付けて整理するかは、現在でも重要な問題であり続けています。
ダグラス・エンゲルバート~現在のコンピュータの原型の発明
さて、次は一気に時間を飛ばして、ダグラス・エンゲルバートの話をします。
ニコニコ生放送のようなテレコミュニケーション・システムやハイパーテキスト、あるいはマウスやキーボードをしっかりと考えたのがエンゲルバートという人です。
例えば、1968年に彼は「NLS(oN-Line System)」というオンラインシステムを作りました。このシステムでは、まず第一にハイパーテキストが実装されています。1945年にバネ―バー・ブッシュがメメックスで考案したアイディアが、20年越しで実装されたというわけです。さらに入力機器としてマウスとキーボードという概念が存在しました。さらにGUI、グラフィカルユーザーインタフェースの走りのようなものまであり、対象をマウスのポインタで指示することができました。つまり、いま我々が使っているコンピュータの原形がここにあるわけです。
ちなみに、僕の前の指導教官は暦本純一先生ですが、彼はiPhoneの入力にも使われているマルチタッチ技術を発明しています。当時のことを暦本先生に聞いたら、「あまりに自然だったので、たぶんこっちになるような気がしました」と言っていて、とても面白かったです。
そのとき、彼は「ポインタがすごく変な感じがした」とも言っていました。というのも人間の指は10本あるのに、それを1本に集約して対象をぐりぐり動かすのがマウスなんですね。「仮想世界に指1本だけを突き立てて、マウスカーソルでモノを動かすって非効率的じゃないですか?」と暦本先生が言っていて、「おお、確かに。頭いいなあ」って思った記憶がありますね。確か僕がM1の頃の思い出です。
人間は「身体性や知能をいかに効率化できるか」「身体とどう最大限にカップリングができるか」という方向でインタフェースを進化させてきました。平面ディスプレイの進化が、マウスのポインタ操作から手でつかむようなマルチタッチに変化していく背景には、そういう流れがあります。
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