どもどもグなんちゃらです。
我々だ!のメンバーは「特徴的な人間が多い」「各キャラクターが立っている」と個人的に理解しております。これは編集によるもの、演技によるもの、本人によるもの、他者に張られたレッテルによるもの・・・と、いくつかの要因が複合的に重なり合い発露されたものだと認識しております(個人的に「2:1:5:2」くらいの割合で影響を与えているのかなあと見積もっています。大先生とかレッテルが服を着て歩いてるレベルである)。まあ、要因はなんにせよ、現に我々は長い時間の中で「我々だ!のキャラクター」という壮大な虚像ともいえる設定を生育させるに至りました。そして、これはカドカワという老舗企業によって、ある種の「正当性」をも得たという風に理解しております。我々が今まで作ってきたキャラクターは、これまでに生み出された数多の架空の著名なキャラクターと同じ戦列に並んだという事です(キャラクター設定資料書かされた時大変だったゾ)。
さて、今回は私が「我々だ!メンバー」という「キャラクター」をどう位置付けているのか、そして、それをどういう思想的基盤でソレを扱っているのか・・・というお話をしようと思います。一言で結論を言ってしまうと、私は「我々だ!メンバー」を「アニメキャラクター」のような存在だと認識しています。即ち、彼らは架空の存在であり、中の人は声優に過ぎないという事です。つまり、「トントン」や「コネシマ」といったキャラクターは、「アニメのキャラクター」と同様に、架空の創造されたビジュアルを扮し、ゲームという架空の世界で活動をする存在に過ぎない、そして、その架空のキャラクターは「声優」によって命を吹き込まれている・・・という考え方です(先架空主義と呼ぼう!既存の「人の後にキャラが出来る」という既存の実況者像のコペ転だから!たぶん、しらんけど)。このように考えると、我々だ!の「登場人物」は非常に「アニメキャラクター」に近しい存在であると思うのです。我々が投稿する所謂ゲーム実況動画は、一種の「アニメシリーズ」という訳ですね。私はそのような意識の元、彼らを扱っています。
ただ、我々は原初、キャラクター創作能力が無く、キャラの性格設計を声優の性格をそのまま作品に流用するという「暴挙」を行い、それが設定の起点となりました(そして、これは今でも多くの設定をソレに依存しています)。それゆえに、我々は「完璧なアニメキャラだ!」と強く言い張るにはいささか苦しく、類似点はおおけれど、同一視できない部分も多い繊細な存在であると思います。我々の扱い方はまだまだ「思想の自由市場」による洗練が必要でしょう(一番の問題は「アニメキャラクター」と「声優」に位置する人間との「距離」があまりに近すぎるという点だろう)。
「我々だ!」という「キャラクター」がどのような形で在るべきなのか、何が最適なのか、私にもわかりません。一つの指標に、現在我々が行っているキャラクターの方向性だけ伝えておきますと、我々だ!キャラクターと我々だ本人との厳格な分離を図り始めました。つまり「異世界の主役は我々だ」の大先生のような、我々だ!メンバー全員が「レッテルが服を着て歩いている状態」になるのが理想形だという事です(つまりは「大本営型」である)。即ち、本人の性格は「起点」に過ぎず、経験と設計の連続により「アニメのキャラクター」的な「設定」を獲得する・・・我々は我々の動画で「役作りをしっかりやる」という点に力点を置くべきだという方向です(書いてる最中にふと思ったが、こう考えると「アニメキャラクター」と「声優」というより「映画」における「役者」と「登場人物」の関係に類似するのかなと思い始めた)。まとめますと、何度も繰り返しになりますが、今後我々は「本人たちは声優に過ぎない」という存在になれるよう一層努力するべきだという事です。(ちなみに「声優」に値する人は、ご存知の通り長い社会生活の末に、生気を吸い取られた擦れたおっさんです。それほど社会は辛く厳しいのである・・・。彼らに会ったときは優しくしてあげてください・・・)。
「我々だメンバー」という「キャラクター」は恐らく、我々と視聴者との共同作業により、絶対真理探究の為、破壊と創造の螺旋階段を永遠に上り続ける事になるのでしょう。まるで滝を登る竜のうねりのように、その位置付けは永久に変化を続けると思います。
コメント
コメントを書くハイルグルッペン
実況者の中の人の像と、ファンの方々の創るキャラクター的な像のギャップに、どちらを主として観るべきなのかとモヤモヤしていました。なので、この記事を読んで解決できたので良かったです。
組織拡大に伴う説明責任への対処、お疲れ様です。
メンバーが役者だとすれば主体となるゲームは監督、グル氏はプロデューサー兼役者といった所でしょうか。
個人のコンテンツ化はネット文化において良く見られる現象ですが、本人が出涸らしとなる一方、社会的リスクだけが増大し、チョットした不祥事で悲惨な結末を迎えるのが常であります(個人的観測による暴論)。
ですので「演者である」という姿勢をここで明確にした事は、今後起こりうるリスクを回避するための予防として、国民にとっても安心できる材料になると思います。
ユートピア創造には「まあ、演技ですから(笑)」というしたたかさが大事ですからね。
グルッペンさんのブロマガお待ちしておりました!
個人的に、我々だ!の皆さんはアニメキャラクターなどと比べて、あくまで自分と同じ次元から楽しませてくれるという親しみやすさも好きだったので、中の人と切り離すと言われてしまうと情緒的には少し寂しい気分になりますが、我々だ!の中でもキャラクター性の強い大先生がとても面白いことを考えると、結果的にその方針が1番楽しめる表現なのかなと思います。
実際に、大本営やTRPGや異世界主役など、最近のキャラクター色が強いシリーズは特に楽しませてもらっています!
実況者と視聴者の目線にはどうしてもギャップが生じるものかと思いますが、投稿者本人から方向を表明してくださると、応援の仕方を迷うことなくファンでいれて心地良いです。
次回のブロマガも楽しみにしています!(グルさんの戦略ゲーム話!)
>>10
「声優たちだって、素の性格でラジオとかしてますし」
これがどれほど恥ずかしくて気持ち悪くてみっともない認識であるか、自覚ないんだな…。
視聴者には、声優や実況者が素を出しているかどうかを知る術すら無いんだよ。
気色悪い。
いつも興味深い、面白いお話をありがとうございます。
なるほど、ひとつのキャラクターとしての枠の中で分離して演じつつ、という点は声優とアニメキャラの関係性に近しいものを感じます。またそう言った線引きや切り替えは大事なのかもしれません。そこへさらに時々スパイスのようにそれぞれの個性やリアルさが付加されていき、声優とアニメキャラとはまた違った味わいや個性、身近さがうまれるのだと。またそこが我々だの面白味のひとつであるのだと個人的には思います(あくまで個人的な楽しみとして)。
これからもご活躍を楽しみにしております。
キャラクターの定着については一つインパクトの大きいものを打ち上げないと、既存の閲覧者の中には「声優」ないし「役者」そのものを好んでいる方もいるでしょうし、じり貧の戦争になりそうではありますね。
個人的には異世界の我々、実況者としての我々、オリジナル(中の人)の我々と大まかに分けて三パターンのキャラクター像があると認識しているのですが、他にもあったりするのでしょうか。
まあ最終的にはどの層を最も重要な客として捉えるかによって終着点は決まるとは思いますがニコニコほど混沌とした戦場もないでしょう。どうぞ楽しんで閲覧者と闘争してください。
国民が増えたことにより統率がとれなくなっていると感じていた時節にこのような表明、頭が下がるばかりです。
キャラクターと本人の分離、何だか80年代のアイドルを彷彿とさせますね(専門分野並みの感想)
本人を起点としたキャラクター設定は幅も広がるため良いとは思いますが設定に苦しめられないよう、無理をせず慎重にご検討下さいね
次回のブロマガも楽しみにしております。
ハイルグルッペン
かこつです。
声優とキャラ、映画と登場人物、とはまるでTRPGにおいてのRPのようだな、と思いました。
クトゥルフ動画においても各人の名前がついたキャラを使ってそのキャラがとりそうな行動を作り上げていましたし(ひとらん氏のマーシャルアーツ、コネ氏の説得など)
普段はやらないことができたり言わないことが言えるというのはネットならではの良い点ですしね!
月二回の勤勉なブロマガ投稿に感激しております。
「メンバーの殆どが関西出身」という事実(まあそれは訛りから分かること)以上の個人情報を一切出さない点、及び最近の施政方針演説や生放送での「我々声優説」発言から、総統閣下は恐らくこのようなお考えなのだろう、と何となく想像していた国民も多いのではないかと思います。明文化していただけるとより理解が捗りますね。
メンバーが知的好奇心を発露しながら楽しくゲームをし、そのおこぼれを頂戴しているだけの視聴者がこんなにも楽しめる。我々メンバーの「中の人」の知性や人間的な魅力に様々な演出や編集が加えられて、低年齢層からコアなファンまで幅広く楽しめるという現状のようなコンテンツになっているものと思います。
(多分、我々メンバーの「中の人」達が一番楽しいんだろうなあ。いち視聴者には一生伺い知ることのできない部分だろうけど。)
どうぞ今後もリアルの社畜人生()を大切にしつつ、面白いことをしているところを観せ続けていただきたく存じます。
我々だ!開始から見てて、そこで刷り込まれたキャラと今後のキャラ付けに違和感出ると悲しいけど、それだけ見る人が増えたってことなんですよね
みんなちがってみんないいとエーミール教授は
仰ってましたのでありのまま楽しみましょうか