※今回も死ぬ気で分かりやすいようにしてみたブロマガです。抽象的かつ教科書的でない説明方法故に正確性を欠いていますので注意。
「憲法」と言うと、みなさん「理想」が書かれた「お花畑の世界」というイメージがあるかと思います。しかし、実際に我々が使っている「憲法」は、血で血を洗う人類史の中で練りだされた「土臭いモノ」だったりします。これは、地球の工業力の大半を有している「西側」と呼ばれる国々の憲法が「似ている」事からもお察し頂けるかなと思います。そう、邪悪な憲法は闘争の中で淘汰されたのです。
よーするに!
我々の持つ憲法は、凄まじい世界史の荒波の中で「便利だったから生き残った」ものなのです!
という事で、我々人類の英知。憲法とはなんぞや。見ていきましょう。
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コメント
コメントを書くフィクションについて補足しますと、例えば一万円札というものは、原価20円くらいの紙でして、一万円という「価値」は想像の産物であります。皆してあの紙にそれだけの価値があると思っているから一万円札として流通しているのです。
あるいは国境線ですね。動物には縄張りを持つ種がいて、俺達には見えないけど、あの木の辺を境にして入って来たらバトルするわけです。国境線は動物はもちろん人間自身にも見えず、脳内と地図上にだけ存在する架空の線です。
あるいは家族。血が繋がっているという意見がありましょうが、確かめたわけではあるまい?ひょっとしたら君は拾われた捨て子かも知れません。病院で入れ代わってるかも。お互いに家族だと思っているから家族なのです。
このように形無き概念は総じてフィクション=幻であり、国家も有ると思っているから存在する幻なのです。昔の人々は神というフィクションを信じ、宗教が生き方を規定していたのですが、近代に神と宗教が廃れ、代わりに国家と憲法が台頭してきました。強い!便利!国民皆兵最強!戦いは数だよ兄貴!しかし色々な弊害が出てくるのですが、それはまたの話ですね。
今の主流の憲法学者はドイツ系の研究者が学会の幅を利かせていているせいか、頑なといえるぐらい「立憲主義」を主張してるんですよね。肝心の日本国憲法は英米法由来のエッセンスを多分に含んでるというのに・・・
かこつです!
日本はかなりそのフィクションに動かされているような気がします。特に我々だ激推しのNKの方々は今そのフィクションがなくなると死ぬでしょうね。
個人を完全無視らへんは功利主義的な思考ですか?
かこつですー。
フィクション、憲法。
とても楽しかったです。正直きちんと理解しているかと言われれば多分していないのですが。
そう言った話に触れることもないので。
こういった機会に触れ知る事が出来てうれしいです。
次回の記事も楽しみにしております。
自分は子供の頃からファンタジーやらゲームにのめり込みました。(自分の周りにはそう安直な人は少なかったですが)世間ではファンタジーやゲーム内世界への習熟(妄想の深掘り)は現実社会では役に立たないと言われ続けていました。今ではその言い方も弱まりましたが、やっぱ8~90年代はいろいろ極端でしたね。
さて、ふにゃお少年はごく自然に「神様とかもフィクション」と理解できました。が、ある時、「正義とか愛とかもフィクションだな…説明できないものを悪魔や妖怪に変換するのと大差ない」と気付き、段々と適用範囲も広がりました。10代になって哲学に触れ始め、自分のしてたことが車輪の再発明的と感じてガッカリしたり。
ともかくも、これまでの人生で世界を学ぶためにファンタジーの習熟から得るものは大きかったです。(同率一位である「父」と並んで自分の最大の幸運。)ココ10年か、伏線としては90年代から、社会の要素の「ゲーム化」が進んできたように思われます。ゲーム理論とか、恥ずかしいぐらいの直球だし。特に教育分野は効率化を進めるほどゲーム化していくのが自然と思われます。
未来、HoiやCivみたいなゲームから国家と社会の基本的要素を学ぶ時代が来ると思うんですよねえ…
>>20
フィクションと言う言い回しが誤解を生みやすいのだとは思いますが、グル氏の言うフィクションはユタカ氏の金の価値のような物の事を言っていて、神や愛や正義とは別の事なんですよ。
国家や金の価値は確実にグル氏の言う所のフィクションであって何人も否定しようがないのですが、ふにゃおさんの言うフィクションは人によって否定が起きます。その線引きを混同するのは世間を斜に見たいただの中二病行為でしかありません。
フィクションと言う言葉で誤解する人がいそうだなと思ったら案の定だったので、横からすみませんが。
文系でもないので社会的とか国家とか触れる訳でもなく生きてきたので、このような話題はとても興味深いなと思います。内容もとても分かりやすく、ある程度憲法の存在意義が理解できました。次回の投稿も楽しみにしております。忙しいかと思われますが、お体に気を付けてください。いつも面白いコンテンツの提供、ありがとうございます。
例えのドイツが当時、最も民主的と言われたワイマール憲法ですよね。
国家の制御の難しさがよく分かる事例ですな。
>>21
どうもご指摘に曖昧なトコロがあるように思われ、理解しきれません。「否定のしようがない」「否定が起きる」とはどんな区別からでしょうか? 「線引き」とは何でしょうか?
フィクションにはその価値や妥当性の否定がつきまといますが、槇村さんの書き方では「国家・貨幣の価値は否定されない」とも読めます。しかし国家や貨幣も価値が低下し、廃絶されることが当然あります。“ひとつの国家が滅亡しても、新たな国家が樹立し、「国家」というシステムの有用性は全体として否定されない”とも読めたのですが、それは神や愛でも同じことが言えるはずです。
仰られている「線引き」というのはどんなものでしょうか? 付け加えると、その「線引き」を貴方はどんな文脈から必要としたのでしょうか? 参照されているユタカさんのコメントでも、神と国家は社会のシステムとして同様に語られています。歴史の違いやら、差異はいくらでもありそうですが、フィクションという話題だとなんのことか特定できません。
こういう会話が出来る機会は自分では貴重なので、是非さらなる返信をいただければと願っています。
Twitter @Goto_funyao
かこつです!
憲法って国によって捉え方が違って面白いですよね…
個人的に仮想国家やその国の憲法を作っているのですが、これが意外と楽しくておすすめです。