ブロマガの主役は我々だ!
どうして勉強しないといけないの?
オイッス! 理科好きですか?
・・・おっとうっかり、ア理科と間違えた・・・。
毎度、アリエナイ理科では、こんな感じで理科の話をして、とりあえず文科省氏ねという結論に達してる気がするのですが、それはともかく、じゃあ、文科省の教育指導要領は本当にウンパッパがルンパッパなんでしょうか?
そもそも勉強をして成績を上げることだけが世の正義のように言われ、運動ができるより、勉強ができるほうがなんか社会的地位も高いみたいな空気があるじゃないですか。
また勉強をして、分野を見ると文系理系なんて言葉もアルじゃ無いですか。俺文系だからこの話はちょっと・・・私理系だからちょっとこの辺はワカラナイアルネ みたいな。
そもそも勉強をしなくても別に困らないじゃん? という声もありましょう。確かに今や爆速で少子高齢化でリンボに真っ逆さまのこの国で、一端落ちこぼれてもとりあえず中学へ、中学でだめでもとりあえず高校に先送り・・・大学も少子化で生徒が欲しいのでえり好みしなければばぶっちゃけ全入時代です。
そんなわけで適当に大学にも行けてしまうわけで、じゃあガッツリ勉強なんかしなくても、普通に大学に入って、就職もできるやん? となりますね。
それでいいんでしょうか? こっからが本日のお題です
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コメント
コメントを書く>>21
意味がわかりました。失礼しました。
僕は勉強することをやめた大人にはなりたくないですね。
日頃から自戒していきたいと思います。
かこつです。
知識のある方と私とでは見えている世界が違うのだろうなあと思うときがよくあり、「解像度の変化」という例えにすごくしっくりきました。良い表現を知ることができて嬉しいです!
また、気になったことを調べているとその中からさらに気になることが出てきたので調べる、といった経験も多く、学ぶことに際限はないといつも思います。調べたことすべてを理解できるとは言えませんが、このように興味を持つことは大事にしていきたいです(˘ω˘*)
大変興味深い記事で、いろいろと考えることが出来ました。
ありがとうございます。
そろそろ受験生になるんで勉強をする大きなモチベーションになりそうです。
第一次イキリ期とかどこのえm……おっと誰か来たようだ
あれ…まだ続きありますか?気のせいですか…。
知識は幾らでも増やして損はないでしょうね。ただ、先の事を想像する能力が私にはなかったので歳を取ってから後悔してます。
そんなに後悔してない気もしますが。
歳をとって、ちょっと要領良くなったので気になった事から知識をつける様にはしてます。
ってか勉強しないと仕事できなかったりと、世の中上手いこと出来てますよね。
次のブロマガも楽しみにしてます。
かこつです。
終始それな~と思いました。勉強します。
かこつです!
勉強は嫌いでしたが、理科の授業は好きでした(特に生物関係)
確かに、表面だけ理解してもそこから更に追求していかないと意味が無いですものね…
私は少し理解できたらそこで満足して追求していかないタイプの人間なので、本当に知りたい事はとことん調べていけるようになりたいですね…w
そうやって深く理解しようと思ったのは旦那のことだk(ry
…ちゃんと勉強しなきゃっ٩( 'ω' )و
こんにちは。マンデルブロ集合……昔聞いたことあるようなないような。
速攻で意味を検索しようかとも思いましたが、これも頭の体操かと記事を一から読み直し、自分の経験と照らし合わせ「きっとこうだろう」という予想を立ててからグーグル先生に(結局)聞いたところ、大意において大体正解のあたりに近づけていたので個人的には超満足です。勝ったぜ!みたいな(勝ってない)。
君子と小人、仏陀と衆生、第一次イキり期は増上慢でしょうか。解像度の差を表す言葉は多々あれど、「人はなぜ勉強するのか」に対する答えは個人や学問によって様々ですね。
(主に上座部)仏教であれば「苦しまないための悟り」、論語は高解像度の人向けに「世の為人の為」、先生は若人のために「損をしないための勉強」、私は好きでやってるだけですが、勉強嫌い、頭が悪いと自分で自分を評する人さえ、誰も彼もがなんらかの形で中枢神経系の末端にある肥大した淡黄色の塊を酷使しようとするのは、きっとそれが人類の絶滅回避に必要不可欠なものだからなのでしょうね。私見ですが。
呆れる程に脆弱な身体に合わせて環境を操作する、サピエンスが最も得意とすることですが、我々以外の人類は、環境操作→新しい問題の発生→環境操作→新しい問題の発生、の自転車操業的な生き残り戦略の途上で絶滅し、数十億もいるとはいえ、人類の生き残りは既に我々サピエンスのみとなりました。
「絶滅しないため」の勉学にいつ人類が疲れ果て、いつ頃この生物種が自らの生み出した負債に追いつかれるのか、実に興味深いところですね。ポストヒューマン、それはAIか、なんて。まだまだ冗談のレベルだとは思いますが。
それでは乱筆乱文失礼致しました。あ、指導要領はクsですね。ただ、あれにはあれの、あれにしか持ち得ない素晴らしい機能があるので、まだしばらくはあの調子でしょうね。うん、秦の趙高が皇帝に献上した鹿のような……おっと。
ええとつまり、「より正しく、真実に近いことを言った奴の勝ち」という簡潔で明瞭なルールがそこに属するほぼ全ての人に遵守される、シンプルで美しい理系の世界というものは、曖昧模糊として正答の見えない文系の、その更に裏側に住まう人間からするととても眩しく、羨ましい限りだなあと思う訳です。まあ、文系はそこが面白いところなんですけれども。今回もためになる記事を大変ありがとうございました。
↑の者ですが連投すみません。書き忘れました。
正答が見えないことの多い文系の世界では、学問は得てして「このバカの群れをどう操作しよう」という結論に陥りがちです。
論語の「由らしむべし、知らしむべからず」しかり、自分の悟った内容に「コレは衆生には理解不能だろ……あいつらバカだから」と独り黙って涅槃を迎えようとしたお釈迦様しかり。文系は圧倒的多数の低解像度の人々の群れを前にして、挫折しやすい学問なのです。
そんな文系世界の真ん中の、そのさらに裏側の住人から見上げると、記事中で控えめながらも「お前らが上に来い!」と堂々と仰っている先生がとても眩しく、カッコよく映ります。お世辞でも定型文でもなく、先生のご健勝とご活躍を心より祈っています。
↑これが言いたくてコメントしたのに結論を書き忘れましたorz