• このエントリーをはてなブックマークに追加
考える日
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

考える日

2019-08-14 05:00
  • 64
どうも鬱です

先日は暑い中コミケへのご参加
ありがとうございました

並ばれた皆様の手に無事渡ったこと
嬉しく思います
本の方は存分にお楽しみください


個人的な感想を言えば
久しぶりにシャオチャンと会えて嬉しかったですね
こうしてリアル系のイベントで顔を合わすのも長らくなかったことですし
色々変わっちゃったけど、なんだか懐かしいなあって

思いました(こなみかん)


あと、会場では笑顔でいようと思ったのですが
その練習中で唇が裂けてしまったので断念しました
日頃から笑わなきゃね


まあとにかく

本当にありがとうございました


さて、今日はなんの話しようかな


先日の実写動画にちなんだ話なんですけど
皆さんは動画中にも出てきた「テセウスの船」をご存知ですか?

かんたーんに説明すると

木造船を思浮かべてください
木でできているので、それが腐ったり痛んだりするわけです
となると、そこを修理修繕する必要がある
長い時間をかけて修理して
もともとあった木の部分が全て修理(=新しい木に変わった)とき

これは以前と同じ船であるといえるか?


といった感じの問題です

ちなテセウスってのは人の名前で
なんかミノタウロスをしばいたと有名な方なんだそうな
まあこれは気になったら調べて(丸投げ)


んで

まあどう思います?ってだけの話なんですよ

同じ船?違う船?


イメージが湧きにくいかもしれないので
ちょっと切り口を変えてみましょう

人間の体は細胞によって構成されています
なんか違うかもしれんけどここではそういうことにします
細胞というのはどうやら10年そっとで入れ替わるそうな
つまり、10年前の自分と10年後の自分を構成する細胞はまた別物だとすると
その「自分」は同じ「自分」でしょうか





恐らく多くの人が「同じである」と答えるでしょう多分
これは「自分」を「自分」たらしめるものが細胞ではない、ということに基づいているのではと思います
船も同様で、船を船たらしめるのは「木」そのもの(=部品)ではない、と考えるのではないでしょうか
知らんけど


では、「自分を自分たらしめるもの」

それは何なのでしょう

それを考える思考そのものがそれだ、とか
様々な感情を生み出す心だ、とか
その答えは様々ではないかと思います
どこがそのラインなのか、難しいですよねえ

極端な話をしますが

AとB、二人の人間がいます
Aは脳だけが生きている状態
Bは身体だけが生きている状態だとします

Aの脳をBに移植したとしましょう
移植の手術は完璧に行われ、一人の人間が立つわけです

さて、この時立っているのはAさん?Bさん?それとも違う誰か?



とか考えると楽しくないですか?

ええまあ先に言った通り、どう思います?ってだけの話なので
これはこうだよ!なんて明確な正解があるわけではないです
せっかくなんで考えてみてください

科学の進歩が目覚ましい現代
人間が出来やしないと思われていたことが出来るように
もしくはできるかもしれないようになってきました

科学はいずれ人間が禁忌としてきた領域まで発展するのではないでしょうか

そのとき、倫理はどうなるのか
楽しみですね

まあそのころにはきっと私は死んでるでしょうけど


倫理については動画中にも名前の出たあのマンガがおすすめだぞ!!


じゃあそろそろ別の話すっか


以下会員限定

 
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
ニコニコポイントで購入

続きを読みたい方は、ニコニコポイントで記事を購入できます。

入会して購読

この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。

他54件のコメントを表示
×
思慮するゾンビやな
1ヶ月前
×
倫理の実写動画、大変興味深く視聴しました。
政治動画もそうなのですが、普段なかなか触れたり考えたりする機会のないことを取り上げてくれるのも我々ださんの動画の好きなところです(突然の告白)

テセウスの船については、自分が生物学出身なこともあり、自己の境界線をどこに認めるかというのが難しくも面白いところだと思っています。
細胞は常に代謝しているので、言うなれば昨日の自分は今日は存在しない。
川にも例えられることがあります。水はずっと流れているけれど川の形は見た目上変わりません。
自分を自分たらしめるのは、物質ではなく、どう考え、どう行動するかということなのだろうと思います。
あれ、哲学の話でしたっけ。
1ヶ月前
×
ブロマガ更新ありがとうございます。
先日はコミケお疲れさまでした!読み終わってしまうのがもったいなくてなかなか悩ましいのですがとても楽しく味わわせていただいております。素敵なマガジンありがとうございます。
 新しく作り直したのではなく修理したというのであればそれは同じ船でもいいような……。
意識を持った時どちらの人格があるかによりますかね。脳が主軸になる気がするのでAさんののほうがありそうかと考えます。
 GTA!見たい!Vシネマはなんとなくのイメージはあります←
そのキャスティングぜひ見たいです……!!!!心待ちにしてます。
次回の更新も楽しみにしております。おつかれさまです。
1ヶ月前
×
VシネがVシマに見えた私は末期
1ヶ月前
×
かこつです。
中身が違うなら、別の人かなと思いますが本人B(A)と周りの認識の齟齬によって変わると思います。
本人は自分の事をAだと自覚していても周囲はBとして関わってくるからAはBとして生きないと生きにくいし、逆に本人も周りもAとして認識してくれるならAとして生きられるわけですし。結局は精神論なのかなあと思います。
GTAの新企画ですか?新企画ですよね!投稿あるんですよね(確信)楽しみにしてます!
1ヶ月前
×
かこつです。コミケ大変お疲れ様でした。暑かったですが参加できて良かったです。

今回の実写動画の件、テセウスの船の話についてですが、自分はモノについては、材質が変われば以前とは違うモノであると考えます。
素材もそのモノを作り上げる要素の1つであり歴史的価値だと思うので、例えばミケランジェロが描いた教会壁画が修復で塗り直されて、完全に新しい絵の具で塗り替えられたら、それはもう「ミケランジェロの絵を現代人が上から模倣したもの」であって「ミケランジェロの絵」ではないと思います。

10年前の自分と10年後の自分も、その時間の間に蓄積される外的要因、内的要因が自分を変えていくので、「同じ自分」ではないと思います。10年前の自分は目立つほくろひとつなかったですが、10年後の自分はきっとシミが増えていることでしょう。10年前の自分はまだ恋愛もロクにできませんでしたが、10年後の自分は人の親として地に足ついた人間になっているかもしれません。
「同じ自分」って、どこにも存在し得ないのではないでしょうか。

頭と身体が合体したA+Bさんについては、頭の記憶はAさんが持っているものの、長年の手癖とか足の速さ、寝相など、身体の記憶はBさんが持っていると思うので、どこまでいってもA+Bさんのままで、どちらか片方にはならない思います。

自分を自分たらしめるものは、今息をしている1秒1秒の積み重ねではないでしょうか。

日付も変わってしまった夜更けですが、せっかくなので考えてみました。
長文失礼いたしました。また来週も楽しみにしています。
1ヶ月前
×
かこつです
私はAさんとBさん、どちらでも無いと思います。
そもそも、脳の移植をする前からその肉体はAさんの物でもBさんの物でも無かったと言えます。
私的所有の感覚から一度離れて考えるといいと思いますが、
物質自体に概念は存在しません。その物質にはプロパティ欄が無いので、これは〇〇の物だという情報を書き加えることは出来ません。
そんな物体である肉体にAさんという自我が宿ったことによって、これはAさんの肉体だという「認識」が生まれるのであって、肉体自体には何の特徴も価値もありません。
ただ「認識」が物質に付加価値をつけるだけであり、これが私的所有の感覚です。
ですので、仮にAさんとBさん、いずれの肉体であるかをはかるには「認識」次第ですね。
その肉体に内蔵された自我がAさんと思えばAさんだし、Bさんと思えばBさんでしょう。
ですが本質的な観点で捉えれば、先程述べたようにどちらの物でも無いと言えるでしょう。
1ヶ月前
×
こんばんは。暑い中のコミケ、大変お疲れ様でした。唇が切れて笑えなくなることありますよね。深く切れてしまった時にはリップ塗るのも痛いので、ヴァセリン死ぬほど塗って放置しています。

テーセウスの船、楽しいですよね!元ネタがギリシャ神話だってだけで、なんとなく浮かれてしまいます。アキレスと亀、胡蝶の夢、哲学の話って洒落ているなあと、哲学をやっている人を眺めては思っていたことを思い出しました。

現実的な話をしてみるとしたら、A対B=8対2〜6対4ってところかな、と思います。幅が広すぎるのはよく分からないからです^^;

大脳は人間にとって最も重要な臓器の内の一つですから、Bさんの身体に移植されたAさんの脳が、(なんの故障もなくBさんの身体に移植されたと仮定して)自分をAだと認識することは、まあ、OKとします。麻酔から覚めて自分をAじゃないと言い出したら、それは多分術中に何かしらの失敗があったのではないでしょうか。

ではベッドに横たわる謎の人間Xは完全なAなのかと言われると、おそらくBの成分も多少は混じるのではないかと思います。

トントンさんの記事に、臓器同士が脳の仲介を経ずに情報をやり取りする、エクソソームのお話がありましたが(エクソソームの名称はトントンさんのお話で初めて知りましたありがとうございます)、我々の身体は脳だけが情報の発信と受信を行って身体を一元的に管理している訳ではなく、身体の中に内蔵されたあらゆる臓器や神経、細胞の一つに至るまでが、彼らにとっての世界の維持のために「ここが傷んでるから治して」「もう成長しなくていいから死んで」「脂を貯めろ!」的な情報をやりとりしています。

私達が「私」と認識しているものがそれを把握しきれていないのは、知る必要がないからです。脳を介さなくても話ができるんだから、脳さんは知らなくていい。それだけ。「私」は身体をコントロールする大事な司令塔の一つですが、唯一にして神聖な、犯すべからざる細胞達の神という訳ではありません。まあ、あればすごく便利なアプリ、ってところでしょうかね。私が「私」と認識している範囲の「私」は。脳のさらに奥深くには、もっと大事なものが隠れ潜んでいるはずですが、ここでは関係ない。

移植ものでよく聞く話に「他人の心臓等を移植したら持ち主の好みや体質が感染った」というものがありますが、今回のお話を哲学とは関係なく考えるなら、この話がヒントになるかも知れないなあ、と考えます。

この話にどれほどの信憑性があるか分かりませんが、各臓器や細胞が、それまで生きてきたように変わらず情報をやり取りする、というのは至極当然のことでしょうし、むしろ身体の中に違う臓器(脳)が一つ、入ったからといって、他の全ての臓器が新しい御主人が来たからと、これまでの生き方をすぐに変えられる訳がない。
以前と同様にナトリウムを消費しやすい身体だったら変わらず塩辛いものを摂ってくれと訴えるでしょうし、皮膚の上に特定の常在菌が多い体質だったら、それに対して特定の反応をし続けるでしょう。
特に心臓の細胞は長生きで、死ぬ時になっても、確か半分くらいの細胞しか入れ替わらないはずですから、今までの生き方を知らない細胞が新しく新陳代謝で入れ替わってこれからはAの心臓として生きていく、みたいなことはないはずです。脳に至っては一生そのまんまですが。

それに、そもそもBの身体はAの身体がどのように生きていたのか知るはずもありませんから、Aのような身体になれと言っても無理な話です。身体側から見た手術直後の人物Xの状態はこんな感じではないでしょうか。

では、脳から見た人物Xはどんなもんかと考えると……うわ怖、違和感満載でしょうね。

MACのOSでWindowsを動かす感じでしょうか、コップに手を伸ばしても、微妙に狙ったところに着地しない、ものを見ようと思っても、ぼやけて見えたり、モードが極彩色になってたり、匂いがやたらと気になったりと、新しい身体が提供してくれる様々な情報や操作の癖に慣れるまで、相当な忍耐を強いられそうです。精神的にくるだろうな、これ。現実世界でもキーボード変えただけで発狂しそうになる訳ですし。

術後、特に手術の直後はこう↑なると推測しますが、免疫の働きを上手く抑えて、脳が身体によく馴染むようになったら……うーん、どうなるんでしょうね。個人的には脳対身体=6対4くらいに落ち着くんじゃないかと思いますが、どれだけ癖の強い身体かにもよりそうですね。性別が変わったら相当変わってしまうでしょうし。テストステロンやオキシトシンの投与による性格の変化は結構凄くて、一部では薬として使用されているくらいですから。まあでも、一度くらいは性別を変えてみたいです。強い、壊れない身体。憧れるなあ。

もう随分長い話になってしまいました。疲れますから読まなくても大丈夫ですよ、と万が一読まれていた時のために書いておきます。所詮与太話なので。

さて、ここで頑張って哲学っぽい話をしたいと思います。でも「こうだ!」って言い切れる話じゃなくて「こうでしょうか?」って感じの、なんとも頼りない話になること請け合いです。間違っていたらすみません、と予防線を張って書いてみます。

ええっと、デカルトでしたか、「我思う、故に我在り」と言ったの。
全てのものって存在が疑われるけど、疑っている自分がいることだけは疑えないよねって話だったと思います。正直、疑ってしまいますが。
疑っているのは果たして自分の意思なのか、って聞かれると、それこそ疑わしいと思わざるを得ませんし、くられ先生も仰っていたと思いますが、人間の意思や気持ちなんか、化学物質で速攻変えられるので。化学物質が天然由来だったとしてもそれは同様です。

まあそれはさて置いて、デカルトの心身二元論でいけば、精神と身体は別のものですから、その説に依って考えれば人物XはAさん、ってことになるのかなあ。多分……きっと?なお、心身問題とやらはよく知りません。が、心身が合一したり相互に作用するっていうのは、これまでの細胞なんかの話からすればあって当然の話ではないかと思います。
これを縁起や無我っていう話にしていいのかどうか分かりませんが、私は「私」だと思っている私だけでなく、身体の中の様々な細胞や内臓、それとそれらが発する情報などの影響を受けながら「私」というものをうすらぼんやりと維持しているに過ぎないのかも知れませんね。それが大事なんですけれども。結論がデカルトじゃなくなってしまいましたが気にしないで下さい。

いやー……長々と乱文、大変失礼致しました。倫理のマンガ、面白いですよね!くられ先生の動画で紹介して頂いて面白そうだと思って買ったのですが、早く次巻が出ないかなあ。鬱先生が考えてらっしゃる動画の企画というのも楽しみです。Vシネ風味の動画、絶対面白いと思います。鬱先生の役どころはどんな感じになるのでしょうね。

最近、実写動画が出る度に鬱先生が痩せたかどうかが話題になっているような気がしてしまうのですが、痩せても太っても、どちらでも鬱先生は魅力的だと思います。痩せているなら格好良く見えるでしょうし、脂肪があっても個人的にはいいのではと思います。喧嘩でも遭難でも年を取るでもなんでも、脂肪がある人は結局強いので。マスコット的な可愛らしさ、という言葉にもとても納得しましたし、マイクラ人狼でもtrpgでも、能力の高さが目立つなあといつも感心しています。高い言語能力と共感力、周囲の状況を瞬時、もしくは事前に察知して臨機応変に振る舞う能力等々が高いのだろうなあ、すごいなあといつも思っています。

ところで、鬱先生をお呼びする時は鬱先生でよろしいのしでょうか。鬱さん、ではなんだか馴れ馴れしいような気がして鬱先生と書いてみましたが、なんか違う、正しくないそれみたいなことがあったら申し訳ありません。それでは本当に長々と失礼致しました。おやすみなさい。
1ヶ月前
×
コミケお疲れ様でした。

私は適当な人間ですので、意識によりますね。
時計が止まれば電池を変えます、電池を変えても同じ時計だと考えます。これは時計と電池が別と捉えてるからです。時計は、電池がなければ動かないですが。別個のものだと考えていると、切り離したものが別のものに変わっていても同じものだと私は考えます。けど、人間でそれを当てはめようとは思いません。心臓を移植した人間は臓器提供してくれた人間と同一だと言うのは無理がありますから。
物体を構成する1割の部品でも意識によっては切り離した時別のものとできるか、出来ないかによります。
動画で言っていた斧で例えるなら、誰かに貰ったことを意識するならば、修理しても同じものだと言えます。しかしただの斧としては別の斧です。私は同じであるか、異なるものであるか、なんてものは人間の意識が勝手に線引きした末の認識であると考えます。
都合のいい時に同じもの、別のものと認識すればいいのだと思います。
1ヶ月前
×
コミケお疲れ様でした♪
口大丈夫ですか?大事にしてください(意味深)

私は10年前の自分と今の自分は別物と考えてます!
環境や習慣、生活や金銭、家、知人、隣人全てが違うのに名前が一緒だからと同じには考えられません
また、名前も今の時分変えることもできますね

そう考えると同じとすることが難しいほどですw

ただ…。難しい話は苦手なところは同じですけどwwww
1ヶ月前
コメントを書く
コメントをするには、
ログインして下さい。